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リイ 執心

 ヨオンとユアンが連れ立って執務室へ現れてから間もなく、修道女を城に迎えることが決まった。

 ライがヨオンの上申を()れたのである。リイが、トウ司祭の意見を聞くまでもなかった。


 その修道女は、若くしてハルワティアンに派遣された優秀な人物、ということであった。リイにはサイという名前に、聞覚えがあった。


 書類を見れば、確かに彼女はガルの女子修道院に籍があった。訪問の折りに、言葉を交わしたものであろう。

 城の教会へ赴任前に、顔合わせを行うこととなり、当日、ライとリウ、リイとユアンはうち揃って新任の修道女が待つ部屋へ来た。

 彼女は、小広間に(ひざまず)いて到着を待っていた。

 脇に立つヨオンは、発案者の責を取るとて、自ら迎えを買って出たのだった。


 サイは、リイよりも年下であった。

 天涯孤独の身の上で、孤児院で育ち、洗濯女や煙突掃除を経て司祭のトウと巡り会った機縁(きえん)により、信仰の道へ入ったと言う。

 年齢に似つかわしくない控えめな振る舞いと、それに伴う重々しい雰囲気は、そうした生い立ちが育んだと思われた。


 終始(うつむ)き加減で答えるサイの顔は、修道服の重みに耐えているようにも見えた。こうして対面しても、リイには以前に会ったことがあるか、確信が持てなかった。

 それだけ、ありがちな顔立ちであったとも言える。


 リイが修道女の容姿を意識したのは、隣に座るユアンの様子に、胸騒ぎを覚えたからである。

 何ごとにも(そつ)のないユアンの性格は、これまで何ごとにも淡白な関心しか示さなかった。

 必要な事柄には熱心に取り組んでも、度を越えることはなかった。


 その彼が、この若い修道女を、やけに熱心に眺めていると、リイには感じられた。

 嫉妬ではない。その証拠に、ヨオンも(いぶか)しげに、ユアンを見つめていた。

 離れた位置で横並びに座る、ライやリウは気付かなくとも、彼と正対するヨオンには、常と異なるユアンの様子が見て取れたに違いない。


 リイの勘が正しいとなれば、早めに手を打つことが肝心であった。

 まずは、問題をはっきりさせなければならなかった。彼女は、それからほとんど上の空でサイとの対面を終えた。



 「あの修道女に、気に入らない所でもあったのかしら?」


 ユアンと二人きりになるのを待ちかねて、リイは問いかけた。こちらを向きかけていた夫の動きが、(わず)かに(とどこお)ったように、思われた。

 妻と顔を合わせた彼は、もう普段の様子と変わりなかった。


 「初対面なのに、気に入るも気に入らないもないでしょう。何故?」


 返事が、明らかにおかしかった。具体的に説明することはできないが、いつものユアンではない。

 疑惑の確信が、却ってリイを動揺に(おちい)らせた。相手に考える暇を与えず、矢継ぎ早に質問を重ねて本心を引き出すべき時に、肝心(かんじん)の問いが浮かばない。


 「もしかして、あなたもヨオンの様子がおかしいことに気付いたのか?」


 言い(よど)むうちに、ユアンが思わぬ事を言い出した。

 リイは困惑の目を夫に向けた。


 説明を求められた、と受け取ったのだろう、ユアンは、周囲を(うかが)い、ひと気のないのを確かめてから、口を開いた。


 「ヨオン殿は、随分と傍らにいる修道女を気に懸けていたね。まさかとは思うが、彼が、あれほど熱心に新たな教会を造らせたのは、彼女を修道院から引っ張り出すためだったのではないか。(すで)に、教会の人事も動かしてしまったことであるし、仮に真実であったとしても、どうにもならないが。彼はこの先彼女をどうするつもりなのだろうね? せめて不祥事が起きないよう、慎重に見守る必要がある」


 リイは、完全に言葉の()()を失った。

 様子がおかしかったのはユアンではなく、ヨオンであったというのである。確かに、彼の様子も常とは違ったが、今となっては、どちらが本当らしいか、確信が持てない。


 彼女の内心を知らず、ユアンが続ける。


 「ヨオン殿は、あの修道女を連れてまっすぐ教会へ行ったのだろうか。部屋を決めたのも、ヨオン殿だった?」


 「いえ。決めたのは、わたくしです。もちろん、教会との往来などの関係上、ヨオン殿にも相談しましたが、内装や世話係の人選は、わたくしの指示によります」


 「あなたが決めたのなら、少しは安心できます。念の為、私も位置を把握したい。案内してもらいましょう」


 決然としたユアンの態度に(うなが)されるように、リイは案内に立った。

 途中、二人は互いに言葉を交わさなかった。リイは先頭を歩きながら、改めて考えに(ふけ)った。


 言われてみれば、ヨオンは始めからひと際熱心に教会の建設を勧めていた。数年前の話である。

 細かい点までは忘れてしまったが、クィアンの反対意見の方が、リイの考えに近かった記憶がある。


 結局ソオンの折衷(せっちゅう)案に落ち着いて、教会の新設ではなく礼拝堂の改築という体裁(ていさい)をとったのであった。

 ヨオンはソオンの息子である。当初の熱意は、ソオンの意向を代弁するため、という可能性も考えられる。

 その後、大きな仕事の担当者となった気負いから、熱が入った、ということも考えられる。

 そして完成した今、他に特別な仕事を抱えていないことから、余韻(よいん)冷めやらずにいる、という考えもある。


 自分の直感を信じたいがため、ヨオンに肩入れし過ぎている気もした。


 ユアンが正しいとして、ヨオンがサイと結婚すること自体に、問題はない。


 修道女との恋愛は、当然禁忌(きんき)である。結婚もない。

 しかし修道女であっても、還俗すれば俗世間に戻ることができる。結婚も可能だ。現に親の都合で、還俗させられる修道女が、しばしば存在する。多くは、政略結婚の目的である。


 還俗には面倒な手続きが定められており、手間も費用もかかるが、ヨオンほどの家柄には、何の痛痒も感じないであろう。思いをかける修道女を呼び寄せるために、教会を造る必要などない。

 建築に費やされる年月の分を、無駄に過ごすことになる。


 やはり、ユアンの意見は()れられない。それとも、二人共に間違っている可能性が、あるだろうか。


 例えば、ヨオンはサイ自身に執着しているのではなく、修道女を一人手なずけて別の目的に(もち)いようとしている、というようなことは、あり得るだろうか。


 出来上がった教会の盛況(せいきょう)を見て、何かを思いついた、と考えた方が、より合理的である。

 例えば、普通には近付けない人間と、やりとりをするため。

 その場合、相手は城の教会がほとんど唯一の外出先であるような、深窓の令嬢、といったところであろうか。


 これならば、あってもおかしくない。

 しかし、そこまでややこしい設定を考えなくとも、ユアンがあの修道女に、何らかのひっかかりを感じた、という単純な考えの方がより現実的であった。


 しかも彼は、その感情を隠そうとしている。

 リイは、立ち止まって、夫を問い詰めたい衝動に駆られた。


 そこで、目的の部屋の開いた扉が目についた。内側から、人の気配が伝わってくる。

 リイが足を早めると、ユアンも隣に並んで急いだ。



 部屋には、四人の人物がいた。サイと、侍女のムウと小間使いのワン、それにヨオンである。

 婦女子の部屋に、夫や近親以外の男性が立ち入るのは無作法とされている。

 ヨオンはリイたちに気付いても、恥じ入る様子を見せなかった。


 リイも、ユアンを引き連れている。今は、彼を注意できる立場にない。

 彼女は、夫の表情を確かめたい衝動と闘った。人前で気付かれずに、それをすることはできない。


 ムウとワンは、当然のことながら驚いている。

 彼女たちは城に勤めること数年に(わた)り、習慣や作法は一通り頭に入っている。

 きっと、ヨオンが姿を見せた時から、驚いたままなのだろう。


 サイだけが、この状況の異様さに気付いていない。生い立ちを聞いた後では、仕方のない事と思われた。


 「これはこれはリイ様にユアン様。わざわざお越しいただけるとは、光栄です」


 ヨオンは、まるで己の住まいでもあるかのように、声をかけた。リイは、隣でユアンが苦笑を漏らすのを横目で見た。改めてヨオンを前にすると、彼の見方が正しいような気もしてきた。


 ここで、事の真偽を追及することはできない。

 リイは笑顔を取り繕い、大仰に部屋を見回した。城に見合った上質の家財を揃えつつも、修道生活にふさわしく落ち着いた雰囲気で統一された部屋であった。


 壁に飾る絵の画題や家具の模様などを決めるに当たり、リイが直接、職人とやり取りしたこともあった。

 こうして出来上がった部屋に、実際の住人が収まっているのを見ると、ひと仕事やり遂げた、という満足を覚えた。


 「サイ殿、用意したお部屋はいかがかしら?」


 「はい。ハルワティアンで暮らしたよりも立派なお部屋で、その上お世話してくださる方を二人も置いてくださり、並々ならぬご厚意に大変感謝しております」


 リイはサイの答えを聞いて満足した。


 「これから教会へ行かれますか?」


 ユアンが誰にともなく尋ねた。ヨオンが口を開くより先に、サイがリイへの返事の余勢(よせい)をかって、はいと答えた。


 「では皆で教会まで参りまして、その後ヨオン殿は、わたくし達と食事をご一緒なさいませんか?」


 リイが誘うと、ヨオンが頷いた。


 「サイ殿の歓迎会ですね。喜んで」


 「いいえ。それはまた改めて機会を設けます。今日はトウ司祭が内輪で歓迎の食事会を用意されているとのことですし、サイ殿も早く教会の様子を知りたいでしょう」


 「はい、とても」


 サイは控えめに微笑みながらも、はっきりと答えた。彼女は終始、神への道にしか興味のない、修道女らしい態度であった。少なくとも、彼女の方には、何の問題も見られなかった。


 リイの提案通り、三人でサイをトウの元まで送り届け、その後昼食を共にすることになった。部屋でのやりとりを通じ、リイの心には、ヨオンへの疑いが更に濃くなった。

 ヨオンの興味が修道女よりも、サイにある、という印象を強くしたからである。


 しかし、ヨオンがそのために礼拝堂の改築を進言したという、ユアンの言い分を、全面的に信ずるには至らなかった。

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