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サイ 告解

 途端に、ユアンの目から険が消えた。

 サイは安堵(あんど)の余り、馬車に乗り込む際、彼の助けを上手く断れなかった。


 道中は、ひたすら沈黙が続いた。サイは、久々に町の様子を眺めて気を(まぎ)らそうとした。


 夜のことで、町は寝静まっていた。通りに人の姿はなく、まるで別の町であった。もの寂しく、むしろ不安が高まってしまった。


 やがて馬車は、石垣の続く道へと入った。夜目にも立派な門構えが現れた。馬車が止まると門扉が開き、サイは馬車に乗ったまま門をくぐった。ソオンの屋敷であろう。

 幼い頃働いていた場所ではあるが、サイには、全く見覚えがなかった。



 待ち受けていたヨオンは、ユアンの姿を目にして、満面の笑みをぎこちなくした。

 素早くマントの女性が、耳打ちする。


 ヨオンも修道院の規則を忘れていたか、知らなかったと見えた。無理もない。貴族と聖職者は住む世界が違う。即座に指摘したユアンのような貴族の方が、珍しい存在であった。


 「危うく修道女を一人、罪に(おとしい)れるところでした」


 ヨオンはすぐに立ち直り、ユアンと貴族同士の挨拶を交わした。


 サイとユアンは、ヨオンの私室へ通された。マントの女性は姿を消し、別の召使が飲み物を運んできた。

 部屋へ入るなり、サイは礼儀も忘れ、壁の絵に吸い寄せられた。

 懐かしの唯一絶対神は、変わらぬ眼差しで、柔らかく彼女を見つめ返した。


 「これは、ダン=トンですね。彼が神を描くと、こうなりますか」


 すぐ後ろでユアンの声がしたが、サイは気にならなかった。思いがけない再会で、心が喜びに震えた。絵は間近で見るほどに、ますます魅力を発した。


 「狭い部屋でも飾れるよう、特別に描かせたものですから」


 ヨオンは、喉につかえたような声を出した。

 その声にサイは我に返り、絵から身を引き()がした。残る二人は、既に席へ着いていた。慌てて席を見定め、腰掛ける。

 ヨオンが咳払いした。


 「それでは、サイ殿。ご希望ならば、そちらには席を外していただくよう、お願い申し上げますよ」


 と、ユアンを見る。


 「いいえ。むしろ、聞いていただいた方が、よろしゅうございます。お城の方には、何でもないことかもしれません。もしや、毎朝のように部屋へ花が落ちることなど、ございますか?」


 話の流れで、サイはユアンに向けて問う形となった。彼の顔を、何かの影がよぎる。

 彼はヨオンに目を向けた。サイもヨオンを見る。

 二人から見つめられたヨオンは、形容し難い表情でサイに目を移した。


 「そうですねえ。私は、サイ殿の部屋には詳しくありませんが、もしかしたら、近くで鳥が巣を作っているかもしれませんよ。カラスなど、人さまの物を盗んでまで、巣を飾り立てると聞きます。そうでなくとも、巣の下は汚れがちです。一度、点検してもらっては如何でしょうか。ユアン様、お願いしても、よろしいでしょうか?」


 「ええ。早速、明日取りかかるよう手配しましょう」

 「あの。折角のお言葉ですが、お手を(わずら)わす必要は、ございません」


 サイは立ち上がった。貴族の話を(さえぎ)るのも、まして反対するのも、勇気のいることだった。しかし、せずにはいられなかった。

 ヨオンは、込み入った問題、と言っていた。使者も身元を隠すようにしていた。サイの相談にかこつけて、ユアンにも内密にしたい話があったのではないか。

 今になって、気付いた。


 「もし、巣があったら、取り壊されてしまいます。それでは、鳥の命を無駄に奪うことになります。きっと、巣立ちまでの一時期のことです。僅かな間のことならば、気にしないよう努めます。ヨオン様。お忙しいのに、私の瑣末な問題にも誠実に応じてくださり、ありがとうございました。ユアン様にまで、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳なく思います」


 「いえいえ。気にすることはありません。これからも、何かあったら、遠慮なくお話しなさい。次は、トウ司祭と一緒に来てもらいましょう。そうすれば、ユアン様を連れ出して、リイ様にも心配をかけずに済みます」


 「彼女の心配は、無用です」


 ヨオンもユアンも笑みを絶やさないのに、サイは居たたまれない気持ちになった。

 役に立つどころか、余計な手間をかけさせてしまった。怒られない分、却って辛かった。


 帰路はヨオンの馬車に、ユアンと差し向かいで乗った。マントの女性は現れなかった。

 サイは今朝からの一連の出来事まで思い出し、ユアンから顔を逸らすようにして窓に顔を向けた。

 明るい屋敷から戻る目に、町はますます暗く映った。


 「サイ殿は、ダン=トンの絵がお好きですか?」


 話しかけられて、サイは飛び上がらんばかりに驚いた。


 「いいえ。どなたが描いた絵とも存じませんでした。ただその」

 「その?」


 ユアンがにこやかに見つめる。サイは気もそぞろになった。


 「幼い頃、ソオン様のお屋敷へ奉公に上がりまして、その時初めて拝見したことを思い出し、懐かしかったのです」

 「あの絵は、それほど前から存在していたのですか」


 サイの言葉が意外だったらしく、彼は視線を外して考え込んだ。

 ともかくも彼の呪縛から逃れ、サイはほっと息をついた。

 ガタン。

 馬車が大きく揺れた。気を緩めていたサイは、踏ん張る間もなく座席から飛び出した。馬が(いなな)き、(ひづめ)の音が乱れる。


 「こん畜生。邪魔っけな石ころめ」


 御者の罵声が聞こえた。声の張り上げ方がわざとらしい。居眠りを誤摩化したのかもしれない。

 サイは固まっていた。狭い車内で、彼女はユアンに抱きとめられていた。

 すぐには動けなかった。分厚い修道服を貫いて、彼の存在がはっきりと感じられた。ユアンもまた、一点を見つめたまま、(しば)し動かなかった。


 「その首飾りを、見せてもらえませんか?」


 そろそろとサイを引き剥がしつつ頼むユアンに笑みはなく、視線はなお動かない。

 微笑みを消した彼は、別人のようだった。


 サイは自らを見下ろし、トウ司祭から渡された首飾りが、修道服から飛び出したことに気がついた。

 修道士や修道女が着飾ることは、許されない。

 (ゆかり)の品で地味な物を、目立たぬように身につけることが黙認される程度であった。


 「その、これは母の形見で」


 言い訳がましく説明しながら、サイは首飾りを外して彼に預けた。

 ユアンは暗がりで器用にロケットの蓋を開き、月明かりで中を見た。サイは中身の髪の毛が落ちる心配をしたが、杞憂(きゆう)に終わった。


 「形見だって?」


 ユアンはすぐに蓋を閉めた。ぱちんという音が、やけに大きく聞こえた。月の(ほの)かな明かりの下、彼の表情は険しく、青ざめて見えた。


 「あの、トウ司祭がそのように仰って、私にくださったのです」

 「これを少しの間、貸してもらえませんか?」


 サイは一も二もなく頷いた。笑みをたたえていようといまいと、ユアンに見つめられては、断るなど思いも寄らなかった。



 翌朝、寝室に花は投げ込まれなかった。サイはムウに問われて初めて、そのことに気付いた。

 一人で騒ぎ立てた恥ずかしさが、改めて(よみがえ)った。サイは教会へ行くと、ひと気のないのを見計らって、トウ司祭に告解を申し込んだ。


 「よろしい。内省のみで過ごすには、お前はまだ若すぎる」


 司祭は(こころよ)く、夕食前に時間を取ってくれた。


 サイは夕刻が待ち遠しく、昼の時間が恐ろしく長く感じられた。

 午前にはライとリウ、午後にはリイとユアンが、連れ立って教会を訪れた。


 ユアンはいつも通りに振る舞い、トウ司祭と言葉を交わすにつけても、昨夜の深刻さは微塵(みじん)も感じさせなかった。


 彼はまた、形見の首飾りについて一言も触れなかった。

 サイは緊張で、常になく疲労した。


 長い午後が終わり、教会の後片付けを終えると、サイは早速告解室へ向かった。


 「お入り」


 トウ司祭は既に、そこで待っていた。告解室は、厳重に仕切られた小部屋である。

 室内は、小窓のついた仕切りにより、聖職者と告解者の部分に分かたれる。告解者は相手の表情を気にせず、罪の告白をしたり、相談を持ちかけたりすることができる。

 室内の話し声は、よほど大声を出さない限り、外へ漏れない。


 この教会の告解室は、数あるワ教教会中でも、随一の気密性を持つとされていた。長居すれば本当に息が詰まる、と修道士の間で冗談が交わされるほどである。

 機能ばかりでなく、内部の装飾もまた凝っていた。告解室というよりも、貴賓(きひん)の控え室と呼びたい小部屋であった。


 「では、どうぞ」


 トウ司祭に(うなが)されるまま、サイは花が寝室に落ちた話から始めて、昨夜の首飾りの顛末(てんまつ)に至るまで、出来事も内面の感情も洗いざらい告白した。


 「私は邪念を振り払い、元の神への道を見出したい、と切に願っております。今のままでは、自力で抜け出すことは難しく思われます。是非(ぜひ)とも、お力添えをいただきとうございます」


 サイが話し終えると、小窓が開いた。出てきたのは、母の形見とそっくりの首飾りであった。まじまじと見つめるばかりのサイに、トウ司祭は受け取るよう促した。


 「それは、ユアン様から、お前に返すよう言付(ことづ)かった物だ」


 サイは自分の物ではないように、渋々と手を伸ばした。

 自分ががっかりしたことに気付いて、更に気落ちした。その後も、小窓は開いたままであった。


 「確かに難しい状態に陥ってはいるが、お前はその状態を自覚している。それほど悲観する必要はない。ヨオン様に勧められて、お前を呼び寄せはしたものの、私は常々感じていた。お前は、こうした狭い場所に(こも)るよりも、より広い世界に出て学ぶべきだと思う。その機会を見出したら、逃さぬようになさい」


 「はい、そのようにいたします」


 何かが解決した訳ではないが、トウ司祭に思いの丈を聞いてもらい、気持ちが少し軽くなった。


 その後もサイは教会に通うユアンと顔を合わせたが、二人きりで話す機会は持たなかった。

 間もなく、ハルワティアンへの異動の辞令がサイにもたらされた。

 前回のように一時的な派遣ではなく、ハルワティアンの一員となる異動で、修道女としては異例の措置であった。


 トウ司祭がサパ領主を通じて、特別な取り計らいをお願いしたのだ、とサイは理解した。

 恐らくは、二度と戻れない。サパは、サイの生まれ育った地である。


 急に惜別の気持ちが湧き上がった。半生のほとんどを教会の内で過ごし、さほどサパを知る身でもないのに、自分でも不思議だった。


 サイは、サパを出てハルワティアンへ異動した。

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