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サイ 異動命令

 新しい教会は、修道女たちが予想したよりも(はる)かに早く、数年で完成した。

 丘の上に建つ教会は、町へ奉仕活動に出かける修道女たちの目についた。


 城壁と同じ色合いの石材を吟味(ぎんみ)して建てられた教会は、完成してみると、まるで初めからそこにあったように馴染(なじ)んだ。

 その分、地味にも見えた。町中にある、小さな教会と、さして変わらない。


 それでいて、一旦中へ入ると、大層立派な造りであることは、完成記念式典へ招待された修道院長らによって、修道女たちの耳にも届いていた。


 「そこかしこに、立派な彫刻が施されているとか」

 「とても見事なステンドグラスなのだそうですよ」


 「床には、大層細かいモザイクがあるそうで」

 「祭具も(まばゆ)いばかり、というお話でしたわ」

 「司祭様には、どなたが就かれるのでしょうね」


 間もなく、城の教会に(おもむ)く司祭が選ばれた。ガル修道院のトウであった。


 修道女たちは、名誉なこととして喜びつつ、トウとの別れを惜しんだ。

 普段ほとんど接することがなくとも、サパ地方にあるあちこちの教会で神父を務めた後、ガルの修道院で教職に就いたトウは、修道女たちにも広く知られていた。


 俗世に在った時分、世話を受けた者もいる。サイも、その一人であった。

 修道女たちはトウの赴任を祝い、特に許可を得て、送別会を催した。


 会は院内で簡素に執り行われた。

 軽い飲み物と手軽につまめる食べ物が用意された他は、できるだけ多くの人がトウと別れの言葉を交わせるようにと、堅苦しい儀式張ったことを一切止めた。


 サイも送別会に出席した。トウは常に囲まれ、近付くこともなかなか難しかった。彼女は、遠目に恩師の姿を認めるだけでも、出席した甲斐があった、と思った。


 「司祭様の他にも、お手伝いをする方が、何人かいらっしゃるようですよ」

 「そのようですね。へ聖堂やシ聖堂から、それぞれ選ばれる、とお聞きしましたわ」


 「お勤めすることは(かな)わなくとも、一度くらい拝見したいものですわ」

 「本当に、ひと目でも見ることができたら、素晴らしい思い出になりそうですね」


 サイが人垣の外に(たたず)んでいると、トウの方が気付いて近寄ってきた。

 (しばら)く会わないうちに、目の前に立つ彼は、年老いて小さくなっていた。それでも、彼女を見つめる温かい眼差しには、変わりがなかった。


 「この度は、まことにおめでとうございます。これからも、ますますご活躍されることを、遠くからお祈り申し上げます」


 「ありがとう。サイも立派な大人になった。これからも神を信じて、正しい道を歩むよう、努力なさい」


 「はい。ありがとうございます」


 トウとの間に再び人垣が立てられ、たちまち二人は(へだ)てられた。

 サイは恩師と言葉を交わすことができて、喜びに胸が温かくなった。



 その後も、修道院の日常は変わらずに過ぎた。サイは毎日、雑事と人々への奉仕、祈りと勉強に明け暮れた。

 同じ生活を繰り返すようでも、日々新たな発見があった。例えば仕事を組む相手が違えば、交わされる言葉も変わる。ブドウの木も、毎日成長する。


 菓子を(もら)って喜ぶ子どもたちは成長し、去る者があれば、新たな顔ぶれが加わることもある。

 そして、神へ続く道を学ぶのは、汲めども尽きぬ泉に相対するようであった。

 終わりがない。意欲がある限り、生涯にわたって学び続けることも可能である。学ぶ喜びが、それほど長く保証されることもまた、喜びであった。



 サイは、久々に副修道院長に呼ばれた。

 部屋には、初めて会う人がいた。これは、服装で修道院長と知れた。彼は、副修道院長より若く見えた。


 「若いな」


 修道院長はサイを見るなり、言った。


 「ご指名でございますから」


 副修道院長が(こた)えた。それから、サイに着席が許された。


 どうやら、修道院長から話があるらしかった。

 彼は犬のように低く(うな)っただけで、なかなか口を開かない。副修道院長は、あくまでも修道院長が始めるのを待つ構えである。サイも、大人しく座っていた。


 「天涯孤独の身の上だそうだな」

 「はい」


 修道院長は、唐突に始めた。そしてまた、口を(つぐ)んだ。


 「ハルワティアンで何を学んだ?」


 サイは、もう遠い記憶となった、ハルワティアンでの日々を思い起こしながら、修道院長に説明した。


 その内容は、女子修道院を訪れた貴族たちに話すものとは、全く違っていた。

 副修道院長は、サイが戻った当時に報告を受けた筈であるが、初耳のような顔つきで聞いていた。修道院長の方は、油断のない目つきでサイを観察しながら、説明に耳を傾ける。


 「では、ティアン法王の業績について、説明せよ」


 「まず数え上げられるのは、ワ教の総本山として、ハルワティアンを建設したことです。そして建設に伴い、ワ教の教会組織を整備したこと、すなわち法王以下大司教、司教、司祭、神父、修道僧並びに修道女といった神の道に専念する人々の位置付けを明確にしたこと、統一祈祷書の編纂(へんさん)が挙げられます‥‥」


 「シュエ法王が初めて提唱したとされる、信仰と統治の関係を表した説は、どのようなものか?」


 「私どもの間では、相互補完説と呼び習わしております。これは法王と国王の関係が、元々一体であり従って同等の存在であることを指します。国王は統治という世俗的な部分を担当し、法王は信仰という魂の部分を担当しているという意味です‥‥」


 修道院長は次々と質問を発し、サイは懸命に答えた。

 抜き打ち試験を受けたような状況であった。その問いは、日々の生活に追われる中で、埋もれかけていた知識を掘り起こす役目を果たした。

 サイは、徐々に答えることが楽しくなってきた。修道院長の質問は、ワ教に関するばかりでなく、幅広い知識を問うものであった。


 「ハルワ国内における、ヨ教の最大拠点と、その位置付けを説明しなさい」


 「南部のアン地方に、コンと呼ばれる巨岩があります。人畜(じんちく)問わず、授産に効力をもたらすという信仰があり、地元のヨ教信者によって祀られております。ただし、ヨ教に限らず、規律の(ゆる)い他教信者の巡礼も受け入れております」


 「ハルワ国と境を接している国の名と、それぞれの政治、産業、宗教的特色を上げなさい」


 「ハルワ国は、北方をドゥオ国、東方をジュウ国に境を接し、残りはチュウ海に面しております‥‥」


 修道院長が質問を終える頃には、ずっと答え続けていたサイの喉は、カラカラに乾いていた。

 修道院長も乾きを覚えたのか、思い出したように、(あらかじ)め供されていたカップに、口をつけた。

 サイの側には、何もない。彼女はそのまま、じっとしていた。

 喉を潤すと、(ようや)く修道院長の表情に、(わず)かながら柔和さが見えた。


 「まあ、よさそうだ。トウ殿が、推すだけのことはある」

 「院長」


 副修道院長がそっと声をかけたことで、修道院長は肝心の部分を思い出したようであった。改めて威儀を正し、サイと向き合った。


 「サイ。お前を、城の教会付きに任じることとなった」

 「おめでとう」

 「ありがとうございます」


 副修道院長の祝辞に、サイは礼を述べた。


 教会で、修道女がどのような仕事を任されるのか、修道院長はサイに告げなかった。他に誰が選ばれたのか、その人数についても、何の説明もなされなかった。

 城の教会には、トウ司祭がいる。

 修道院の外で恐らく初めてとなる仕事をするに当たり、彼が側にいることに、サイは大きな安心感を覚えた。


 修道女が修道院を離れる時は、死ぬか還俗(げんぞく)するか、いずれかに決まっていた。

 修道士には、神父としてどこかの教会に赴任することも認められていたが、修道女に、その資格はない。それこそ、ティアン法王の昔からの慣習である。


 ハルワティアンのような大きな教会へ、一時的に研修に出されることはあっても、多くの修道女は、一旦女子修道院へ入ったが最後、そこで生涯を終えるまで過ごすものと決まっていた。


 修道女が無事に修道院で生涯を終えることは、女性が唯一絶対神に最も近付ける道として、目出度(めでた)いこととされていた。


 反対に、一旦修道院へ入ったにもかかわらず還俗することは、たとえそれが誉れ高い殿方との婚姻が定まったためであろうとも、神への道から見れば、不名誉なこととされていた。


 今回のサイの異動は、修道女の人生として、極めて特殊な事例であった。

 修道女たちは、これをどのように取り扱ってよいものか、判断しかねた。そして結局、静かに見送る、という無難な方法を選んだ。



 サイが出立する日、ガルの女子修道院は、いつもの通りに活動していた。

 畑の世話をする者、洗濯をする者、奉仕活動に出かける者、学問に精を出す者、瞑想(めいそう)したり神に祈りを捧げる者がそれぞれ働いていた。


 彼女は、馬車へ乗り込むまでの短い間に、それらを目に焼き付けた。

 これまで様々な生活を体験してきたが、今の生活を離れるのが寂しい、と初めて感じた。


 箱形の、立派な馬車であった。窓には、カーテンまでついている。

 立派なお仕着せを着た御者が、降りる。彼が馬車の扉に手をかけたので、サイは、手荷物を持って乗り込もうとした。

 荷物は、それ一つだけであった。


 開いた扉の奥から、人が現れた。迎えの人があろうとは思わなかったサイは、驚いて後じさりした。


 「久しぶりですね、サイ殿。この度は、お勤めご苦労さまです」


 にこやかに現れた男性の顔には、見覚えがあった。身なりからして、教会の者ではない。身分の高い貴族である。しかし、サイにはどこで会ったものやら、さっぱり思い出せなかった。

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