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サイ つながる縁

 サイが戻されたのは、元から予定されたことであった。

 ワ教では、各地に散らばる修道院の質を保つため、定期的に優秀な修道士や修道女を選び、ハルワティアンに呼び寄せ学ばせていた。


 (まれ)にそのままハルワティアンに居残る者もあるが、いずれ地元へ戻って知識を広めることが、学んだ者の本来の使命であった。

 ハルワティアンに慣れたサイの目に、ガルは、まるで箱庭と見えた。

 従って、女子修道院を改善する仕事も、サイはさして困難を覚えずに始めることができた。


 何でもハルワティアンと同じようにすればよい、というものでもない。

 それぞれ地方の特色というものがある。例えば合唱を披露して寄附を募るようなことは、やはりガルの雰囲気にはそぐわない。

 代わりに、より多くの収穫を得るため、ブドウの品種改良に取り組むことにした。

 ハルワティアンで得た知識をガルで実践に移すのは、とてもやりがいのある仕事であった。

 ガルには未読の本がなく、サイは一日仕事に追われても苦にならなかった。



 ある日、サイはまたも副修道院長に呼ばれた。


 再びハルワへ赴くには早すぎた。まだブドウの改良も見届けていない。

 部屋へ通されると、生きた光がそこにあった。領主ライの娘、リイであった。


 サイは結婚式の行列を思い出した。あの時、馬車から手を振っていた花嫁が、変わらぬ美しさで目の前に現れたのである。

 まともに見ると目が(くら)みそうで、サイは顔を上げることができなかった。


 「あら、どうかお座りになって」


 (すず)やかな声が、サイの耳を打った。その声に聞き惚れ、言葉の内容を聞き逃してしまった。

 副修道院長に目で助けを求めると、隅にある椅子へ座るよう手真似で教えてくれた。


 「わたくしも、ハルワティアンにお邪魔したことがありますのよ。もう遠い昔の出来事に思われますわ。きっと、あちらでは時が止まったように、何もかも変わらないのでしょうね」


 そこでサイは、ハルワティアンでの生活を話した。

 規模が大きくて驚いたこと、加えて何もかも絢爛豪華(けんらんごうか)であったこと、修道女たちには親切にしてもらったこと、それから合唱で寄附を募ったことも話した。


 リイは美しい笑みを浮かべながら、サイの(つたな)い話に聞き入った。


 「久しぶりにハルワティアンの噂を聞かせていただきました。お陰で、昔の事を懐かしく思い出しましたわ。どうぞこれからも、神への道に励んでくださいね」


 差し出されたリイの手を、サイは恐れ多くて、ほとんど握ることができなかった。

 その白く繊細で優美な形を、迂闊(うかつ)に触れれば、壊してしまいそうだった。



 リイとの夢のようなひとときは、その後日々の生活に追われる中でも、常にサイの心の奥底で光り続けた。

 彼女の美しさは、ハルワティアンにおいてサイが目にしたさまざまな美しさとは、また違っていた。


 もちろん仕草(しぐさ)も優美で装いも華やかではあったが、言うなれば、リイはサパ地方の空気を(まと)っていた。

 悪い意味ではなく、サパで育ったサイにとって、それだけ親しみあるいは安らぎを感じさせる雰囲気を、リイが持っていたのである。


 サイはリイとの対面を、唯一絶対神によって使わされた褒美のように考えた。

 その思い出を大事に温めつつ、一層修道院での生活に打ち込んだ。



 元々女子修道院には滅多に来客がなかった。ところが、リイが足繁(あししげ)く通うようになると、他の訪問者も現れるようになった。

 訪問者は例外なく寄附を携えている。修道院側は、建物や畑を案内するなどして、彼らを精一杯歓迎した。

 ただし女子修道院という場所柄、男性については一部を除き、副修道院長が応対した。

 修道女が、訪問者の目に不用意に(さら)されないように、との配慮であった。


 サイが副修道院長に呼ばれると、訪問者と対面することが増えた。

 修道女らが修道に励む場面を直に見せられない代わりに、話し手として求められたのである。都を経験しても変わらずに戻った彼女は、俗世の人と接することに慣れている、とみなされたようであった。

 大抵は、ハルワティアンにおける生活の語りを所望(しょもう)された。


 サイは客に求められるまま、ほぼ毎回同じ事を話した。

 副修道院長は、耳にたこができる程聞いた筈であるが、その話をする必要がある時には、いつも彼女が呼ばれた。



 ある日も、サイは副修道院長に呼ばれた。

 行ってみると、これまでになく立派な出で立ちの若い男性が、椅子に腰掛けていた。

 サイは一目見て、どこかで会ったような気がした。その疑問はすぐに氷解した。


 「ソオン様のご子息にして、ライ様に近しい大臣でもあらせられる、ヨオン様だ。ヨオン様も、先頃ハルワからお戻りになられたばかりで、ハルワティアンにも詳しくていらっしゃる。あちらで、修道女の合唱に()()()感じられたそうだ。お前からも、お役に立つお話ができるかもしれないと思って、呼んだのだ」


 サイが、昔勤めていた屋敷の縁者であった。

 屋敷の主人である、ソオンの顔を思い浮かべることはできなかった。勤めていたのは、ごく短い期間であり、下働き未満の働き手であった彼女が、ご主人様と顔を合わせる機会は、皆無であった。

 それでもヨオンに見覚えがあるのは、肖像画などから記憶に刻まれていたものであろう。


 ヨオンの方は、面を伏せたサイに、じっと目を注いでいるようだった。彼女は、強い視線を感じた。


 副修道院長から(うなが)されたものの、ハルワティアンから戻ったばかりの客に、これまでと同じ話を繰り返すのは失礼な気がして、サイは口を開くのを躊躇(ためら)った。

 すると、彼女の気持ちを察したのか、ヨオンから話しかけた。


 「あなたが、ハルワティアンで歌うところを見ましたよ。あまりに素晴らしいので、歌声に誘われて、神の使いが舞い降りてこられるかと思いました」


 「その節は、貴重なお(こころざし)をいただき、ありがとうございました」


 サイは礼を述べたが、やはり話の糸口は見出せなかった。

 舞台に上がる時、客席をカボチャ畑に見立てていたサイに、彼がいつ歌を聴きにきていたのか、思い出せる筈もなかった。そもそもの記憶がない。


 「私は、ハルワティアン女子修道院のシェンさんと縁続きでして」


 ヨオンは、どちらにともなく話し始めた。


 「その縁で、修道女の合唱には深く関心を寄せていたのですが、あれほどの調和を感じたのは初めてのことでした」


 「私も、その場に居合わせたかったものです」


 副修道院長が合いの手を入れた。サイは黙っていた。

 ヨオンは、なお(しばら)く合唱によって神の栄光を讃えることの素晴らしさを語った。


 「それで、ナイというご親戚がおられますか?」


 唐突(とうとつ)に質問され、サイは、はっとした。修道女のシェンにも、同じ質問をされたことを思い出した。

 それがどういう状況であったか思い出す(いとま)はなく、彼女は、そういう人物は知らない、と答えた。


 「サイは生まれてすぐ母親に死なれて、天涯孤独(てんがいこどく)の身の上なのですよ」


 副修道院長が付け加えた。トウから聞いたものであろう。

 ヨオンはがっかりした風もなく、それはご苦労なさいましたね、と返した。


 間もなくヨオンは辞去した。サイは今回、ほとんど何も話さなかった。



 訪問客が一巡したのか、サイがハルワティアンの話をするために呼び出されることもなくなった頃、教会が増えるという噂が、女子修道院内を駆け巡った。


 「どこに建てるのかしら? サパの町に、そんな空き地があったかしら」


 「クィアン様のお屋敷辺りなら、充分な広さがあるわ」

 「まあ。では、いよいよ跡継ぎを諦めて、引退なさるのかしら」


 「教会に財産全てを寄進なさるとしたら、さぞかし神の恩寵に(あず)かれるでしょう」


 「初めに、どの位の人数を入れるのかしらね?」

 「各教会から、均等に出るよう振り分けるでしょうね」


 「新しい教会で仕事をするのは、さぞかしやりがいのある事でしょうねえ」

 「建物を作ってくださる人たちに、感謝を込めて差し入れをしなければ」


 どこから噂が出たのか誰も知らないように、修道女たちは新しい教会がどこに建つのか、どの程度の規模なのか、まるで知らなかった。

 それでいて、教会が増えることを当然として、噂自体の真偽は疑いもしないのであった。

 サパにおけるワ教の大きな教会は三つある。それぞれ、ガル大聖堂、へ聖堂、シ聖堂という。

 これら三大教会には、修道院及び女子修道院、孤児院が併設されていた。


 信者数の多いワ教の教会は、他にも多く存在する。その規模は小さく、修道院のような施設を持たない、礼拝堂だけの建物がほとんどであった。

 ソオンの屋敷にあったものも、その一つである。


 やがて、噂の真相が明らかになった。

 新しい教会が建つのは、間違いなかった。ただしそれは領主の城内で、従って三聖堂のように大きな規模の建物ではあり得ない事が、副修道院長を通じて院内に周知された。


 修道女は皆、喜んでこの知らせを聞いた。

 ライの一族が、ワ教の熱心な信者であることは知れ渡っていた。城に教会を建てるということは、唯一絶対神に対する敬意の表れであり、ワ教の発展のため、大いに力になると考えられた。


 「それで、近頃リイ様がしばしばこちらへいらっしゃるのですね」

 「すると、司祭様ばかりでなく、私たちのような者も召されるのでしょうか」


 「ソオン様のお屋敷にも立派な教会があるそうですが、司祭様と二、三の修道士がおられるばかりと聞きました。領主様の教会もやはり、同じようになさるのではありませんか」


 「そうなりますわね、きっと」


 修道女たちはあれこれと新しい教会について話を弾ませながら、日々の仕事をなした。

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