サイ 修道
煙突掃除屋のエエンと逸れたサイは、トウの計らいでガルの女子修道院に入った。
修道女たちは皆、新入りのサイに親切だった。
サイは、トウから首飾りを受け取っていた。母の形見という話であった。
トウはサイが生まれた地を去る際、牛小屋一家の娘の持つ高価な首飾りが、サイの亡母の持ち物と知り、手持ちの装飾品と交換した。
いつか、サイに戻そうと思い、ソオンの屋敷から消えた彼女の行方を探していたのであった。
つまりチャは、自分が頼んだ手紙を渡すため、彼女が抜け出したかも知れないことに、口を噤んだのである。あるいは、ホウが、恐らくは返信しなかったことで、手紙の件とは別と考えた可能性もある。今となっては、どうでも良いことであった。
ともかくも、ここで初めて、サイは孤児院へ預けられた事情を知ることができた。ただ、母親の名前や出自、まして父親のそれについては、やはり不明のままであった。
形見の首飾りには、一見しただけではわからない細工で、蓋つきのロケットが付いていた。
蓋の裏側には紋章が彫られており、二色の髪の毛が封じてあった。サイは蓋を開けてトウにも見せた。
トウは聖職者らしい生真面目さで、ロケットと見抜きながらも中身を知らずにいた。恐らくは、サイの誕生後、初めて開かれたものである。
紋章はトウにどこかで見たような印象を与えたが、特定には至らなかった。彼は職業柄、サパ在住の貴族の紋章を頭に入れていた。
少なくとも、サイの母親は、サパ地方出身ではなさそうであった。
「困ったことがあれば、相談なさい」
トウは言い残したが、幸いサイは、これまでになく安寧な暮らしを送っていた。
修道女の生活は多忙であった。召使いを置かず、全ての家事を自分の手で行った。
力仕事も、汚れ仕事も、修道の一環という考えであった。
朝の食事の仕度から畑仕事、日用の大工仕事までも自ら腕を振るい、なおかつ貧しい人びとに施した。
神に祈る生活は、生活の合間に祈ることであった。
日常の仕事はきちんと分担されており、大変な仕事は交代で行うなど、公平であるよう互いに配慮していた。
その配慮のおかげで、サイは勉強の機会を得たのである。
修道女たちは、神に祈ると同様、勉強熱心でもあった。
互いに教え合い、学び合うことで、自らを高めんと志していた。
サイは熱心に教えを吸収し、たちまち教義にも通暁して、並みいる修道女の中でも頭角を現した。
敬虔な修道女たちは、自分より後から道を志したサイが、今や教えを乞う立場に変わっても、素直に受け止めた。
サイもまた、以前と変わらず日々の務めを行い、汚れ仕事も皆と同じく担った。
こうして年月が過ぎ去った。
ある日、サイは副修道院長の部屋へ呼び出された。部屋にはトウも同席していた。
やや老けたトウを、サイは嬉しくも懐かしく見つめた。二人が久濶を叙した後、副修道院長が用件を切り出した。
「サイ。ワ教の理解を深めるために、都へ行きなさい。都の修道院には、この世に一冊しか存在しないような貴重な書物もたくさん収められている。新たな地を踏み、多くの人と知識に触れることで、お前の修行は一層進むであろう」
話を聞くうちに、サイは夢の中にいる心地になった。
知識として都があることは知っていたものの、実際に行くことのできる場所とは思ってもみなかったのである。
サイが呆然としているのを、歓喜のあまりと捉えた副修道院長は、更に励ましの言葉をいくつか付け加えた。
その傍らではトウが、子や孫を見るように温かい眼差しを、サイに注いでいた。
ハルワ国の都も、ハルワと呼ばれていた。
都ハルワにおけるワ教最大の教会は、ハルワティアン大聖堂である。
それはまた、ハルワ国におけるあらゆる宗教のうちで最も大きな教会でもあり、ワ教教会の頂点に位置していた。
大聖堂を建立したのは、ワ教初代法王であるティアンと言われている。
爾来、ハルワティアンには代々の法王が住むしきたりである。
大聖堂には修道院及び女子修道院が併設されており、宿泊施設も整えられていた。法王との面会を求めて、絶えず訪れる客をもてなすためである。そこには、会合を開くための広間もあった。
サイは、到着早々ハルワティアンとその附属施設を案内されて、その規模の大きさと偉容に圧倒された。それだけで一つの町が成り立ちそうな具合だった。
彼女にとって、これまではガルの大聖堂と修道院が、最大の教会であった。
サイは女子修道院内にある部屋で寝起きすることになったが、そこもやはり広々としていた。
最も大きな違いは、ハルワティアンには、日常の細々とした用を足すために雇われた人びとがいることであった。
そのためここの修道女たちは、祈祷や勉学に集中して取り組むことができた。
修道女の中には、高貴な家柄の娘もいた。彼女たちは同じ服を纏っても、どことなく洗練された立ち居振る舞いで見分けられた。
図書室には、各地から寄進を受けた貴重な書物が書架を満たしていた。サイはガルとの違いに戸惑いながらも、更に教義に対する理解を深めるべく、研究に励んだ。
日常の雑用から解放される分、奉仕活動は盛んに行われていた。
修道院の規模に比例して、活動も大掛かりであった。
例えば修道女による合唱は、単に神に捧げるために歌われるばかりでなく、広間で高貴な方々の前に披露され、寄附を募る機会ともなった。
あるいは、子どもたちに配るための菓子を作るにしても、まさに売るほど大量に用意した。
またそれが、余ることなく、毎回きれいさっぱりなくなった。
都には信者も、施しを待ち受ける人びとも、大勢いるらしかった。
サイは、修道の一環として、奉仕活動にも積極的に参加した。
雑用をしなくなった分、体が鈍るように感じていたのが、奉仕活動の後は、研究も捗った。
サイはクッキーを焼き、バザーに出す小物を作り、合唱にも加わった。こうした奉仕活動は決まった役割がなく、誰がどれも行っても良い仕組みとなっており、特技を増やすことが歓迎された。
そうして活動するうちに、他の修道女と親しく話をする機会も得られた。
古参の修道女であるシェンは、中でもサイのよい導き手であった。
教義に関する研究書ばかり読んでも、一定以上に知識を深めることができないことを教えたのも、彼女であった。
サイは、素直に他の分野の本を読み始めた。
すると図書室には、農作物の育成に関する実用的な書物から、絵画彫刻に関する芸術的な書物まで、さまざまな分野が揃っていることに、初めて気付いたのであった。
詩歌や物語の本もあった。
ワ教の聖人たちが行った数々の奇跡を集めたもの、ハルワ国各地に伝わる昔話など、どれも真面目な話ばかりであった。
シェンの言うように、教義を理解するために必要な話である、とサイも納得した。
しかも、それらの本を読むのは、とても楽しかった。
シェンがサイに親しく話すようになったのは、サパ地方の出身と聞いてからである。
彼女はハルワのあまり知られていない家柄の貴族階級出身であったが、サパ地方の大貴族であるソオンと姻戚関係にあった。
サイは初めから正直に生い立ちをシェンに明かしており、ソオンの屋敷で働いていたことも話していたので、シェンはサイが身分の差に気兼ねしないよう、ソオンとの関係を明かさなかった。
サイは、シェンが親切な理由について、考えたことはなかった。
それは、誰かから不親切にされた理由を考えないのと同様であった。
彼女の語彙には不親切という言葉がなかった。もし誰かから不親切な扱いを受けても、それは彼女にとって普通のことであった。
ある日もサイは、合唱団に加わった。
各地から集まった貴族たちに歌を披露し、寄附を募る活動のためである。
実は、サイにとって、これは苦手な活動であった。修行と思って何度か参加するうちに、慣れてきたところだ。
修道女が並ぶ少し高い場所からは、居並ぶ人の顔ばかりが目立つ。
始めは恐怖すら感じた光景も、今ではカボチャ畑と思えるようになっていた。
修道女による合唱は、いつもの通り大成功を収め、大きな木箱がみるまに寄進の金貨で溢れかけた。
木箱には、シェンと数人の古参修道女がついていた。彼女たちは、箱に入りきらない金貨を入れる袋を用意したり、寄附を納めた貴族に礼を述べたりした。
翌日サイは、図書室へ行く途中、シェンに呼び止められた。昨日の募金の成功を互いに祝し、労をねぎらった後で、シェンは話題を変えた。
「あなた、ナイという人に心当たりはあるかしら?」
「いいえ」
サイは反射的に答えてから、改めて記憶を遡ってみたが、やはり知らない名である。シェンはサイの反応を予想していたように、大きく頷いた。
「そうよねえ。サパで生まれ育ったあなたが、ハルワに住んでいた人を知る筈ないわね。実は、昨日の集まりに来た知り合いが、あなたがその人に似ていると言うのよ。きっと、あちらが勘違いしているのだわ。サイさんは、ヨオンさんに会ったことあるかしら。ソオンさんの息子さんなのだけれど」
「いいえ」
「そう。でも、あちらでお見かけしていたのかもしれないわね」
シェンは独りで納得して話を終いにした。
屋敷で働いていたサイがヨオンを知らないのは、その時分、彼がハルワへ留学していたからであるが、シェンが思ったように、たまたま帰省した折りにサイを見かけた可能性も、ないではない。
それで同時期に、ハルワで知り合ったナイとかいう人と、印象が混じってしまったのかもしれない。
サイはそれ以上考えることはなかった。
それよりも、久々に思い出したヨオンの部屋の、お気に入りだった肖像画に想いを馳せていた。
そこで図書室へ行くと、有名画家の手になるワ教神の画集を取り出してみた。
画家によって神の肖像は異なっていた。顔だけ比べれば、まるで別人であった。
共通するのは、教義に記された衣装ばかりであった。
そして、サイがもう一度見たいと思った画は、載っていなかった。どうやらさほど有名でない画家に描かせたか、新し過ぎて画集に間に合わなかったのだろう。
画の場合、一つ一つ模写をして本を作る。文字の本以上に、大層な手間がかかる。そうした事も、サイは図書室の本で学んだ。
あっという間に数年が過ぎ、サイはガルの女子修道院に呼び戻された。