リイ 賛否両論
賛成派の意見は、おおむねヨオンが先にユアンに述べた通りであった。
その他に、新たに教会を建てることは、貧しい人びとに有意義な仕事を与えるよい機会であり、また教会にとっても、司祭の仕事をする機会が増えるのだから歓迎する筈、という意見が出た。
反対派の意見は、敢えて今教会を増やす意義を認めない、という一点に尽きた。
教会を建てるには、莫大な費用がかかる。
サパ地方は領民の生活にも国庫にも、さほどの余裕はない。現在領民が安寧に暮らすのは、ここしばらくの間気候が安定し、国境も平和を維持しているからである。
もし建築途中に戦争や冷害など不測の事態が起これば、たちまち領民の生活も、国庫も潰えてしまう。
ハルワのような大都と違い、サパでは貧しいなりに生活の糧を得て暮らす者が多くを占め、施しのみを糧に生きる者はごく僅かである。
従って教会を建設する人手を集めるには、領民を徴用するか、サパ以外から人を呼び寄せることになる。
前者は領民を本業から引き離すことによって生活を圧迫し、後者は前者より費用がかかる上に工事終了後も彼らを抱え込むとなれば、やはり領地の負担を増すことになり、従来から在る領民の生活を圧迫する。
しかも、領民は必ずしもワ教の信者とは限らない。信者でない民が、そうした負担を快く受け入れるであろうか。
反対派の旗手クィアンの切々とした話し振りは、ヨオンを除く賛成派の貴族をも首肯させた。
「さらに付け加えるとするならば」
クィアンは言った。礼拝堂を町中に置くことで、領主は必然的に町中へ出る。領主が領民の生活を、直接目で見ることは、大切なことである。城に閉じこもったまま、机上の統治に走ってはならない。
領民もまた、領主が神に祈りを捧げる姿を間近で見れば、領主に対する敬愛が増す。ワ教信者を増やすことにつながるかもしれない。
その場は、ほとんどクィアンの意見に決まりかかった。
ヨオンは、眉根を寄せて周囲を見渡していた。これまでの彼は、協議の結果意見が通らなくとも、納得のいく理由が提示されれば恬淡としていたのに、この度は珍しいことであった。
ソオンは未だ沈黙を守っている。よく見れば、半ば目を閉じていた。ライは一同を見わたし、ソオンに目を落とした。
「まだソオン殿の意見を聞いていなかったな。これまで双方の主張を踏まえた上で、どのような考えに至ったか、聴かせてもらおう」
ソオンは目を開いた。並みいる人びとは我知らず固唾を呑んだ。ヨオンが救いを求めるような眼差しを送っていたが、ソオンは息子と目を合わせなかった。彼は、ライを真っ直ぐに見た。
「双方の主張には、それぞれ道理があると存じます。私もワ教の信者です。神の栄光を讃えるために、教会が増えるのは、喜ばしいことです。同時に、その教会を建てるため、領民に相当の負担を強いるならば、いっそ建てない方がよいとも考えます」
「ここサパには、領主ライ様とワ教のガル大聖堂、ヘ聖堂、シ聖堂が互いに向き合った形で建っております。これは本来ガル、へ、シの三聖堂が一つになって初めて領主と同等の権威を持つという意味を含んでおります。そこで心配になるのは、ライ様の家が代々ガルへ通われることで、致し方ない事ではありますが、自然ガルの勢力が強まってきたことです。先程クィアン殿が触れたように、領民はワ教の信者ばかりではございません」
「それなのに、一つの教会ばかりが発展するのを目の当りにするのは、ワ教信者以外の民の心情を損ねるのではないでしょうか。また、ハルワのように大きな都であれば、様々に入り組んだ関係を解きほぐすために、いくつかの権威が並び立つのも有意義ですが、サパのように平穏な土地で同じように事が進みますと、いたずらに争いの元になる恐れがございます。居所に礼拝堂がつく形ならば、規模は異なれども領民の家にもそれぞれ同様のものがございます。それが、たとえワ教のものであっても、理解を得やすいのではないかと存じます」
「城の礼拝室を改築する形で工事を執り行えば、新たに土地をならし、基礎から建物を造るよりも費用がかからず、人手も期間も少なく済みます。そうなれば、得体の知れないよそ者をかり集める必要もなく、また領民を徴用するにしても、負担を強いないよう予定を組むことができます」
「費用についても、今後司祭と若干の修道士を常駐させることと引き換えに、ガルの修道院に応分を担わせれば、更に抑えられるでしょう。先程クィアン殿は、議論を簡潔にするため敢えて触れませんでしたが、教会を増やすにしても、城を増築するにしても、それぞれ上の方へ伺いを立てねばなりません。殊に城の増築には国王始め、諸候も神経を尖らせております」
「礼拝堂の改築という形をとれば、少なくとも国王側へは、届け出をするだけで済みます。礼拝堂に司祭を常駐させるとなると、やはり法王側には伺いを立てる必要がありますが、経験から推して、恐らく不許可になることはありますまい。しかしながら、これらは全て仮定の話でございます。いずれにしてもお話しした通りに事が運ぶとは限りません。ライ様のご判断を仰ぎたいと存じます」
形勢は逆転した。誰も何も言わなかったが、誰もが変化を感じ取っていた。
言い負かされた形となったクィアンは、大人らしく落ち着いていた。
ライは、ソオンの意見に沿って城の礼拝室を増改築することに決めた。
リイは、ヨオンが期待に目を煌めかせているのを見た。
礼拝堂の増改築計画は、すぐ実行に移された。
執行責任者には、ヨオンが就いた。
ソオンが予想した通り、礼拝堂の改築について、国王から差し止めの命令が出されることもなく、法王からはすんなり許可が下りた。
これには、ハルワに留学したヨオンの人脈も物を言ったようであった。
ヨオンはあらゆる伝手を辿り、設計や測量の技師をも都から呼び寄せた。そして毎日彼らと城を歩き回り、新しい教会のための図面作成に取り組んだ。
計画が動き出すと、ライやユアンを始め、反対派だった貴族たちも巻き込まれる形で、いつの間にか協力することになっていた。
反対派の筆頭であったクィアンも例に漏れなかった。
一度決まった事については、最善を尽くすのが、彼やソオンの方針であった。彼はしばしば現場に姿を現し、技師たちが仕事を怠けていないか、監視しているようであった。
そのような雰囲気の中、リイは、この改築工事から距離を置いていた。
実は、教会を造ることには反対だった。
討議の場でクィアンが言ったように、教会が外にあるからこそ、領主が外に出る機会も得られるのである。
領主自身であれば、視察など何かと口実を設けて城外へ出られようが、領主の妻や後継者以外の子は、教会へ行くという正当な口実を失えば、外出の機会が格段に減る。
領民と触れ合うという建前を抜きにしても、外へ出ることは城に住む者にとって大切であった。
城の中だけで生活を済ませるのは、たとえそれが育ちの良さを証明するとしても、長い目で損失としか思えなかった。リイは今のうちにとばかり、町の教会巡りに出かけるのであった。
数年の月日を経て、新しい教会が完成した。
建前通り、ライの居城の一部として壁を共有し、城から外へ出ることなく直接教会へ続く通路も設けられてはいた。
出来上がってみれば、当初リイが思い描いていたよりも、随分立派な建物であった。
外見の地味さに比べて、内部は非常に凝った意匠で飾り立てられていた。
これは、担当のヨオンが、建築家と諍いも辞さないほどの熱意で取り組んだ成果である。
当然、経費も当初の見込み予算より大分膨れた。
ガルを手始めとして、へ、シの各聖堂から資金の供出を得たのはもちろん、責任を感じたのか、ソオンがワ教の教会に寄附する形で相応の負担をした。
結果、直接領民の生活が圧迫されるような事態には陥らなかった。
教会の完成を記念する式典は、内輪だけで行われた。
それでも担当者であるヨオンを始め、ソオンやクィアンといった主だった貴族に加え、三聖堂の司教や各修道院長をも招待したので、舞踏会とさして変わらぬ規模の催しとなった。
工事期間中、華やかな催しも控え気味であった城に、数年振りの賑わいが訪れた。
集まりの性格上、きらびやかな服装も派手な楽隊もなかったが、リイにとっては充分晴れやかな場であった。
先に新しい教会を見学した招待客は、口々にその美しさを褒め讃えた。
「いやあ、あれほど見事な教会が出来上がるとは思いもよりませんでしたな。ワ教のみならず、末永くサパ地方の宝となるでしょう」
「ハルワティアンよりもよほど小さいというのに、負けないくらい素晴らしい建物ですな。ライ様ばかりでなく、私どもにも時折立ち寄らせて欲しいものです」
「ここに勤めることは、実に名誉なことですよ。さぞかし神への道に対する理解も深まるでしょう」
そうした声に押されるようにして、本来はライの家の礼拝堂に過ぎなかった建物であったものが、訪れる貴族にも開放されることになった。
リイにとっても、その決定は歓迎すべきことであった。他の信者を受け入れる代わりに、自らも外の教会へ足を運ぶということで、外出の名目が立つからである。
常駐する司祭には、ガル修道院で教鞭を取っていた、トウという者が選任された。
トウは若い頃からサパ地方全域の教会に赴任した経験があり、柔和な眼差しを持つ老司祭であった。
リイは、初めて会った時から好感を持った。トウの他に、補佐として修道士が数人、共に住み込むこととなった。
彼らはヘ聖堂とシ聖堂からそれぞれ選抜された。皆、生まれてこの方修道院より他の世界を知らないようにすら思われる初々しい若者ばかりで、教会の立派な意匠にも、間近に見たリイの美しさにも素直に感嘆していた。
こうして、領主の城の教会は活動を始めた。領主一家ばかりでなく、貴族たちも物見高く礼拝に訪れたので、教会は、連日にぎわった。