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自分の心に手を当てて

「愛」の可能性。全ての軌跡の終着点

作者: 水無月

 人間はみんな、何か大切なモノを持って生まれていく。そして生きていく上でそれは無限のように広がっていく。将来の夢、希望ができて、友達ができて、恋人ができて、居場所ができて、感謝する人がいる。

 その当たり前の事象全てにおいて「愛」がある

 愛とは何か――

 好きという気持ちとは――

 恋愛とは――

 それは全ては定義されているものだ。だがそれはあくまでその人一人の考えに過ぎない。未来に数多の可能性があるこの世界では正解など分からない。なぜなら全てはこの地球単位で語っているからだ。


 私はあの日、ある人に想いを伝えた。伝えきれない胸の高鳴り、きっと無理だろうと思っていた。彼女は了承しなかった。分かりきっていたこと。

 彼女はこう言った

「私には、恋愛が分からない。好きが分からない」

 と、

 あの日と同じだ。私は生半可な愛を向けていたのかもしれない。何回目だろう。同じ言葉を言われたのは、


 その一言、そしてその後の会話。

 これからも同じように接しようと、同じような生活を送ろうと会話した数回の記憶。

 それを受けて私は愛を語ろうと思った。

 私が思うに人の「愛」というのはこの世の終着点だと考える。大切にしているものには愛着がわく、自分を認めてくれる、自分がひと思いに想った相手に高鳴る。そんな愛のあり方によって未来が決まる。

 私のように生半可な愛は同じような結末を辿る。それはこうしたらこう。ではなく、その人によって違う、様々な条件、分岐の中で同じ状況だとしてもそこから無限の終着点が現れる。


 そして一度決まった自分の終着点は変わらない。同じことをすれば同じようになる。それこそが未来の決定を意味する。

 これはあくまで私の短い人生の一端から思いついたことに過ぎない。これから変わっていくかもしれないし、それまでに私は死ぬかもしれない。それが普通なのだ。


 だから私は今の生活を、この地球を愛そうと想った。今日も、変わっていく天気に感動し少しの嗚咽を漏らしながら、冷たいコーヒーを飲んでいる私が居る


 これが私の考える愛の可能性、そしてその軌跡の終着点である。

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