第7話 湯殿で『いちゃいちゃ』
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『フタバ来ましたよ!』
「はい! ツグミ様!」
あれから何年か経った。ツグミ様の指導もあってもうすぐ中伝になれそうだ。ツカハラ流は各段位の幅が結構広い。ツグミ様と出会った頃は初伝になったばかりだった。
ヨシノリ兄上のように上達の早い人なら、二年ぐらいで中伝になるけど、数年はかかる人の方が多い。中には十年近くかかる人もいる。私は三年目なので早い方になる。これもツグミ様のおかげだ。
今日は実地訓練として魔物を倒しにきた。一人でやや大きめの魔物を倒すことができれば中伝になれる。そのとき精霊様は人数に数えない。でも私にとっては「二人」で倒しにきたので、魔物も二匹以上倒す必要があると思っている。
そうこう思っているうちに、ちょうど二匹の魔物が現れた。この近くでは良く見る大きなダンゴムシ型の魔物だ。
⋯⋯少し緊張しているのが自分でも分かる。
この魔物は外皮が固いけど、それほど速くは動けない。私は手前の魔物に狙いを定め、ツカハラ流の突きを繰り出した。
相手は低い。上から斜め下を狙う。一刺し目で上手く外皮の隙間に入り込んだ。刀身をそのまま奥まで挿し込みネジリながら引き抜く。これを怠ると攻撃の威力が下がってしまう。
どうやら上手くいった。一匹目が弱って動けなくなってきている。そのままだと足場に不安が残るので、私は素早く二匹目の横に移動した。次は殆ど真上から突き刺した。
ジャリッ
今度は外皮の上を滑ってしまった。移動しながら体勢を整え何度か繰り返す。
ズブッ!
ようやく隙間に入った。あとは一匹目と同じことを行う。こちらも次第に動きが鈍くなってきたので、しっかりとトドメを刺す。
二匹が完全に死んだことを確認してから残心を解く。
『良くやりましたね、フタバ!』
「はい! これもツグミ様のおかげです!」
『実際に戦ったのはフタバですよ。今の動きを忘れないように、ね』
「フタバ! でかした! 一人で二匹は難しいと思っていたが、良くぞやり遂げた!」
いざというときの助太刀のために控えていたヨシノリ兄上と数人の門下生が近付いてくる。
「ありがとうございます、兄上! ただ私は一人ではありません」
「おおっ、そうであったな。ツグミ様、いつもフタバを助けていただき、ありがとうございます」
『可愛い『妹』のためですから、『姉』として当然ことをしているだけですよ、ふふっ』
今では兄上の方が年長に見える。出会った当時からの癖か、そのまま様付けで呼んでいる。
「⋯⋯ツグミ様は、私にとっては母のような存在です」
『あらあら、フタバったら、こんなに年の近い母娘なんていませんよ、うふふ』
ツグミ様の姿は出会ってしばらくしてからはっきりと「見える」ようになってきた。その当時から見た目は変わっていない。最近は「姉」という言葉を推してくる。精霊様の見た目は自分である程度変えられるらしい。
「⋯⋯分かりました、姉上! いつもありがとうございます!」
『まあ! フタバったら! 本当に素直で良い妹に育ちましたね! うふふっ』
⋯⋯ツグミ様が嬉しそうにすると、こちらの心まで暖かくなる。
『ん? フタバ、少し怪我をしているようです。良く見せてくれませんか?』
「さっき少し擦ったのです。大した怪我ではないので⋯⋯」
『いいから、見せなさい!』
「はい⋯⋯」
ほんのかすり傷だったけど、ツグミ様が集中すると、怪我の周りに小さな薄い緑の光が集まりだす。やがて光に覆われたところの怪我が治っていく。
「おお! いつみても素晴らしいお手並みです、ツグミ様」
『大したことではありませんよ。この力は周りに存在するもの全てのものの中にあるのです。それらに少し力をお借りしているだけですよ』
ヨシノリ兄上の感想に、ツグミ様がいつも通りの答えをかえす。
ツグミ様に手伝ってもらいながらなら、とても小さな怪我であれば、私にも治せるようになってきた。ほうっておいても三日ほどで治るような小さな怪我だけど。
『はい、できましたよ、フタバ。女の子なんですから、もう少し自分を大切に、ね?』
「はい、ありがとうございます! ツグミ様!」
いつもの柔らかい笑顔と一緒に気遣ってくださる。ツグミ様が私に憑いてくださった日から、あの冷たい感じはしなくなった。
このままずっとツグミ様と一緒にいられれば良いのに⋯⋯
ドクン
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「きゃっ!」
くすぐったくて、思わず声が出てしまった。ちょっと恥ずかしい⋯⋯
ここはツカハラ家の湯殿。ヒトミさまの湯浴みのお手伝いをしていたら、いつの間にか私の方が洗われていた。
一瞬魔物に狙われたときみたいな気配を感じた。すぐにその感じはなくなったので、気のせいだったのだろう。
「ヒトミさま。その、あまりにも畏れ多いので、あとは自分で行います⋯⋯」
「ふふ、よいではありませんか、フタバ。これも『いちゃいちゃ』ですよ。こうやっていけば『親密度』が上がるのです。これもツカハラ家のためですから、うふふ」
「え、でも、恥ずかしいので⋯⋯きゃあっ!」
「あぁ、何て初々しい! ここに私の理想郷があった! 我が人生に一片の悔いなし! はっ! つい『地』が⋯⋯」
ヒトミさまの言葉使いは、ときどき変わられる。外の世界とやらの言い回しだろうか?
「ええ、おほん。フタバ、今のは気にしないで下さい⋯⋯」
「は、はい、 ぁッ も、もちろんです、 ぁ ァァ⋯⋯」
その間もヒトミさまの手は止まらない。ヒトミさまの眼差しは私の心を暖めてくださるけど、何か別の場所が熱を持ってきたようだ。
「ん? フタバ! 怪我をしているではありませんか、良く見せて下さい!」
「かすり傷ですので⋯⋯」
「いいから、見せなさい!」
「はい⋯⋯」
今日は色々なことが起こった。特に大きなカマキリ型の魔物のときには死すら覚悟した。もしヒトミさまが来て下さらなかったら、今頃は⋯⋯
ドクン
ヒトミさまが集中すると周りから薄い緑色をおびた小さな光が集まってくる。
⋯⋯こんなところも似ている。
小さな光は外から見える怪我だけではなく、痛めた手足の腱や筋肉も治してくれる。心も体も奥の方から暖かくなってくる。
「できましたよフタバ。せっかくのキレイな珠のようなお肌なのですから、もっと大切に、ね?」
「はい、ありがとうございます! ヒトミさま!」
⋯⋯少し違う感じがするけど、こんなところも似ている。
ヒトミさまのお世話をするはずが、逆にお世話をされて怪我まで治していただけた。不思議と暖かくて懐かしい感覚に包まれる。この気持ちがずっと続けば良いのに⋯⋯
ドクン
⋯⋯心のなかで、何かがザワリと動きだす。
私はそれを知っている。
ああ「また」だ。
もうあんな状態にはなりたくない。
私の暖かさはみんなアレに持って行かれる。
⋯⋯ツグミ様⋯⋯どうかお力添えを⋯⋯
こんなところでうずくまりたくない。
「あの時」より、自分は強くなったはずだ。
何より今はヒトミさまがいて下さる。
私は必死に心の平静を保とうとする。
ちょっとした切っ掛けで崩れてしまいそうだけど⋯⋯
□□□□
いやー、良かったよ! このゲーム? を作った人は神だね!
私は湯殿でのことを思いだして、ニマニマしてしまう。
この世界の再現度は異常なほど高いと思っていたけれど、まさかあれ程とは!
いや、もちろん年齢制限は守ったよ? 自由度も高いので、鋼の自制心で「腐の感情」は抑え、健全な範囲に錬成しましたが、何か!?
⋯⋯自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
ともかくだ! この「世界」は必ず守り切る!
少なくとも、私の年齢制限が解除される、その日まで!
「あ、あのー、ヒトミさま?」
「何だい、フタバ? フフッ」
「そ、その、話し方がまた⋯⋯」
おっと、危ない、危ない。
いや、アブないの私の方かも? いやいや、私はちゃんと明文化されていない社会的一般通念まで守る人間デスヨ。本当ダヨ?
「⋯⋯どうしましたか、フタバ?」
「⋯⋯こちらの部屋で、よろしいでしょうか?」
「えぇ、十分ですよ。ありがとう、フタバ」
フタバにツカハラ家の客間まで案内された。部屋の調度品は高級そうだけど豪華過ぎることもなく、なかなか居心地が良さそうだ。
「すぐにお休みになられますか? でしたら寝具の用意もいたしますが⋯⋯」
うーん、今の体は睡眠が必要なさそうだけれど、私が寝たことにしないと他の人も休めないだろうし、どうしようか?
「⋯⋯あ、あの、もしヒトミさまさえよろしければ、少しお話ししても良いでしょうか?」
私が悩んでいると、フタバが少し思い詰めた様子で聞いてくる。さっきは「ほんの少し」やり過ぎてしまったので、怒っているのかも!?
ああ! 心当たりがありすぎる!!
「お、お話しですか? も、もちろん構いませんよ。 ⋯⋯そ、その前に、せめて当番弁護士制度を使わせて下さい!」
気分的には民事訴訟の被告ではなく刑事訴訟の被告人だ! こうゆうこともあろうかと、法律の学習用アプリもしっかりやった! いまこそ成果を見せるときだ!
「と、とうばん、べんごし、ですか?」
ああ! そうだった! ここには弁護士制度もない! くっ、かくなる上は自分で身の潔白の証明⋯⋯は、無理でも、せめて情状酌量の余地ぐらいは取ってみせる!
ん? 弁護士制度がない?
ということは法律もない?
いやいや、私はどこかの詐称「遵法精神のかたまり」ではありませんヨ?
明文化された部分はもちろん、明文化されていない社会通念まで守る模範的な人間ですワヨ!
ここにいる人達を見れば、何らかの行動規範があるのは明白!
明文化されていないからと言って、何をしても良いなどと、微塵も思ってイナイヨ? 本当ダヨ?
「⋯⋯いえ、少しお話しがしたかっただけなのですが、だめでしょうか?」
おや? どうやら訴訟沙汰ではないようだ。
「もちろん構いませんよ、フタバ。私はあなたを依り代にさせてもらっている、ただの精霊でしかありませから」
罪の意識? のせいか、いつもより謙虚になってしまう。
「っ!!!」
「『ただの精霊』だなんて、そんなことは絶対にありません!」
「ヒ、ヒトミさまは、私と兄上の命の恩人ではありませんか!!」
「それにいつも私を気遣ってくれて、大事にしてもらえているのは分かっています!!!」
「フ、フタバ、少し落ち着きましょう⋯⋯ね?」
急にフタバが大きな声をだす。
やっぱり、怒らせてしまった?
でも、ちょっと違うような⋯⋯あっ⋯⋯
気が付くとフタバの目には光るものがあった。
私はそっとフタバを抱きしめ、ゆっくりとしたリズムで、あやすようにゆるく背中をたたく。
「⋯⋯こんなところまで似ている⋯⋯」
誰と比べられたのだろう?
いや、それは今気にするところじゃない。
二人でそっと座るが、フタバは離れようとしない。むしろ強くしがみ付いてくる。
大切な人が既にいなくなっていることを、認めるのが怖かったときの「私」のようだ。
⋯⋯フタバが落ち着くまで、このままでいよう。
⋯⋯無言の時間が過ぎていく。
□□□□
「⋯⋯ごめん⋯⋯なさい⋯⋯ヒトミ⋯⋯さま」
フタバが小さな声で謝ってくる。
まだしがみ付いたままだけれど。
「⋯⋯いいえ、構いませんよ、フタバ」
私はずっと同じリズムで、フタバの背中をゆっくりたたきながら、問題のないことを伝えようとする。
⋯⋯そう言えば、最初の練習も言葉が通じず、手を添えて伝えていたっけ。
今夜Bレベルのフロアで、二つ目にデバッグしようとしていたアプリだったかな? ずいぶん前のできごとだったような気がする。
私は自分のナノマシーン再現データを使い、少し体温を上げた。
次いで周りのナノマシーンの再現データを使い、フタバが楽にもたれ掛かれるようにソファーもどきを作りだす。
「⋯⋯あたた⋯⋯くて⋯⋯やわら⋯⋯かい⋯⋯」
先ほどからフタバの語彙が幼い子供のようになっている。「私」はこの状態を知っている、いや「覚えて」いる。
私はあの事故で大切な人を全て失った。
それを認めることが怖くて言葉まで失った。
今のフタバは昔の私だ。
AIで動くNPC?
とてもそうは見えない。
こうして「トラウマ」に苦しんでいるじゃない!
ここまで「再現」する理由が分からない。
⋯⋯私は初めてこの「世界」を作った「存在」に対して恐怖を感じた。
「⋯⋯お⋯か⋯あ⋯⋯さ⋯ん」
「っ!」
何を怖じ気付いている!
この「世界」を守れる人は、私だけかも知れない。
もっと言うと「フタバ」を「外の世界」から守れるのは「私」だけだ!!
大切な存在を目の前で失う光景なんて、例えゲームの中であっても、もう二度と見たくない!!!
私は「ここ」に来た理由を思い出す。
≡≡ エモーショナル・シンパシー率が規定値を超えました ≡≡
≡≡ これより第2段階に入ります ≡≡
⋯⋯またあのログが流れた。