音楽、つまり俺の…
おおよその人口が二〇万人の猫神市。そこに一人の音楽好きの青年がいた。
俺は福山和治。一八歳。趣味・特技はアコギで、三度の飯よりもアコギが好きだ。生まれてから一度も彼女なんか作ってなくて、音楽に明け暮れている。夢はミュージシャン。そんで、そんな夢をいつまでも追いかけるなと口煩い兄と無関心な両親との四人暮らし。ちなみに、中華料理屋『猫美飯店』でバイト中。
そんな俺は、まだ蕾のままの桜並木道を一人歩いていた。
「君を大切に想えば想うほど──」
俺はイヤホンから耳に流れる歌を口ずさむ。いつもの癖だ。プレイヤーの音は公共の乗り物や場所以外では、常に最大。周りからあまり良くないと言われてるけど、一向にやめる気はない。まぁ自分でも最近耳が遠くなったかなって思っちゃってるけど。
けど俺は音楽を聴き、口ずさみながら考える。いつも考える。
自分の夢と周りの環境とそれらの反応について。
夢であるミュージシャンを諦めろと口うるさい兄。好きなようにやれるならやってみろと無関心の親。クラスメイトからは不評と好評。三者四様の意見。それでも俺は、俺の夢は折れない。そんなに柔なものじゃない。それに夢を諦めるのは嫌だ。ってゆうか諦める人が嫌いだ。
理由は家庭環境から始まる。
俺の家庭は極普通の一般中流家庭で誰一人欠けてない。
実に平和でのどかな家庭だけど、俺はこの家族が本当に嫌いだ。──特に「気構え」が嫌いだ。
母さんの実家は合気道の家元で、けど母さんは家を継がずに出た。
家を出た理由は期待。
合気道の才能を持ち、負け知らずだった母さんに家庭や彼女の周囲は当然の如く期待した。合気道一本でやってきた母さんは世間には疎かった。つまり母さんは「外」の世界に憧れていた。
だから高校生の時、全国1位になった。それは合気道を辞め自由に暮らす夢の為だった。けど待っていたのは自由に暮らすレールじゃなくて、跡継ぎになるレールだった。有終の美を飾れないなら、と家を出た。そしてオヤジと出会った。
で、その当時のオヤジは売れない「ミュージシャン」だった。けど母さんと暮らす為に当ての無い活動を止め、一生懸命に働いて稼いだ。もちろん働くのは悪いことじゃない。俺だって働いてる。けど俺には、この選択が妥協に思えて仕方が無かった。男だったら自分のやってたことぐらいやり抜けって思った。音楽で食っていけるように頑張れよって思った。だから、オヤジにそう言ったら一言だけ返ってきた。
――仕方が無かった。
俺の一番嫌いな言葉だ。
仕方が無いから諦める。仕方が無いから途中で逃げ出す。俺は、こんなのは弱い奴がすることだって思う。たとえそれが必要な行動と知っていても。
「――夢か。どうしたもんかなぁ。兄貴はオヤジみたいにちゃんと考えて、もっと良い時間の使い方をしろってうるさいし。オヤジも母さんも、現実を見れるからとか言って、まともに話も聞かないし……はぁ…」
あれこれ考えていてると近所の公園に着いた。
(…そういえばよく来たな)
小さい頃、ここには兄と一緒に来た思い出があった。まだ仲がよく、家庭や社会なんかを知らないし、音楽だって知らない頃だった。
「だから、おれが勝てるって言ったら勝てるんだよ。だからあいつらを泣かしに行くぞ」
「無理だよ、兄ちゃん。だって向こうは5人もいるんだよ? 絶対に無理だよ…」
「うるさいなぁ!ぐだぐだ言ってないでさっさと行くぞ!」
「あっ!ま、待ってよ。兄ちゃん!」
兄貴はいつもケンカしていた記憶がある。
それにあの頃は俺のほうが現実的で、状況を把握できていた。夢を見ていたのはいつも兄貴の方だった。
「なのに……今では思いっきり立場逆転して、兄貴がお前は夢の見すぎだってキレる状態だもんなぁ……。全く、親方さんも兄貴に現実教えすぎだっての」
俺は兄貴の仕事場の上司ってゆうか監督である親方に文句を言いつつ、公園の中央へと進んだ。公園の中央にはまだ時計塔があったり、ブランコとか滑り台とか砂場の縁が一緒くたに古びていて、時期は春前なのに、どこか哀愁を漂わせた冷たい風景だった。
(こうゆうのを歌詞に出来たら人気出るかな…ってありゃ?)
ぼーっと公園をほっつき回っていた俺の目の前に、ブランコに揺られる見知った奴がいた。
「よ。こんなとこで何してるわけ? しかもボーっとしちゃってるし。大丈夫か?」
「へっ!? え、あ、ふ、福山くん。あ、あははは…恥ずかしいな。変な顔だったでしょ? でも、大丈夫だよ。ちょっとボーっとしてただけだから、あはは」
そういって無理に笑おうとしていたのは、俺と同じクラスの桐壺恋だ。特徴的な黒くて長い髪が自慢らしく、しょっちゅう気にしている。付き合ってる奴の好みに合わせているらしい。らしいって言っても、俺がその付き合ってる奴から合わして貰ってるって聞いたから確実だ。
「いや…あの顔はちょっとって顔じゃなかったぜ? なんか悩みでもあんの? つかあるよな。んかったらあんな顔しねぇよな。聞くだけ聞いてやるよ。どうせ光のことだろ?」
「あはは…やっぱり分かる? まぁそうなんだけどね。最近、更にヒートアップしちゃって、私も手の施し様がないぐらいなの。なんていうか、究極の板ばさみ?」
「だろうな。女子の世界ってのはよく分かんないけど、見ててなんかドロっとしてるよな…。光も男子の間じゃ評判悪いし。確かにベタ惚れなのは分かるけど…加減ってものがあるよな、普通」
「まぁね…。けど普通が通用しないのが光くんだしね。通用したら光くんじゃないかも」
桐壺の彼氏、御門光は、過度の桐壺中毒だ。
登校から教室の席位置に昼飯に下校、おまけに休日も独占。ほんと、お前寄生虫?ってぐらいにベッタベタ。
まぁ帝がそんなだから、桐壺は『御門光溺愛団』に入団してる女子から非難の目を日々浴びせられている。っていうか、これもあのバカ光が勉強から運動まで校内で目立ちまくるのが悪い。
顔も素行も能力も、どれを取ってもトップ。そりゃファンもできるよって話。
「お前も大変だよなぁ…。ってかさ! いつも一緒って疲れるし、女子の目も痛いんだから、今度一緒に遊びに行こうぜ? 気晴らしにな」
「え!? …でも光くんうるさいよ?」
「気にすんなよ!! あいつは俺の言うことだけは聞き入れてくれるんだから。幼馴染パワーってやつ?」
「……うん。じゃぁお願いしよっかな。期待するよ?」
「任せろ!! 『友達として遊ぶのは楽しいけど、なんか彼氏には向いてない』って称号は伊達じゃないぜ!!」
「自分で言ってて悲しくない?」
「めちゃくちゃ悲しいです」
「あはは、でもありがとう。だいぶ気が楽になった。あ、そうだ!! 一曲聞かせてよ!!」
「はぁ!? それは勘弁してくれよ…つかお前否定派じゃなかった?」
「え?私は肯定派だよ?光くんはバカにしてるけど」
「…あっそ。ってかほんと物好きだねぇ……。つうか、まだ完成してないからダメ」
「けち」
「けちで結構! つうかあの、猛烈爆走中のアレは噂のバカか?」
「…っぽいね。じゃぁ行くね、今度はちゃんと聞かせてね?」
「完成してたらな。光には俺から言っといてやるよ」
「ありがとう、ほんと。ああやって相談のってくれて嬉しかった。じゃぁね」
そういって桐壺は光の方に走り去った。
「……言い過ぎだっての。俺が人助け。……似合わないにも程があるっての」
けど、自分でもそんな性分じゃないって思ってるけど、嬉しかった。
俺は、誰かを、微力ながら助けることができた。ほんのちょっとの達成感を感じた。
でも俺の心は、夢は、揺れ動かないし折れることも無い。
どうやら、待ってくれて楽しみにしていてくれる人たちがいるみだいだし。
公園はやっぱり哀愁を漂わせている。けど、纏ってる空気は、なぜか春前なのに、暖かで春真っ盛りだった。
……俺も現金な奴だ。