5.再生機構-the renaissance agency-(前)
「な、なんであんたがいまここにいるのよ、佐伯!?」
わたしは思わず言った。
対して、窓の外にいる佐伯は表情一つ変えず、
「言うべきことがあるから、戻ってきた」
「戻ってきたって……許可は? 管理してる横浜市側の許可がないと中華街には入れないでしょう?」
「ああ。実際には、通行証を管理している椎堂課長の許可がないと入れない」
「じゃあなんで……」
「だから出なかった。簡単な話だろう」
「出なかったって……」
たしかに、昼からいままで一度も中華街を出ていなければ、通行証は必要ない。
ないが……夜までこの人気のない中華街に居残るとか、普通あり得ないだろう。
「なんで? ていうか、ケイはそれを許可したの?」
「おまえな、うちの課がなんだと思ってるんだよ」
「え?」
「情報課。名前こそ普通に見えるが、要するにスパイ組織だぞ、俺たちは。立ち入り禁止区域に合法的に入れるなんていうおいしい立場を手に入れて、ただで帰るわけがないだろうが」
「あ、じゃあ中華街を独自調査してたってこと?」
「表向きの理由は、そうだ」
「表向きって……」
「本当の理由は、高杉。おまえに忠告したくて残ってたんだよ、俺は」
言われて、わたしは首をかしげた。
「忠告? なんの忠告?」
「油断しすぎだっていうことだよ。
考えてみろ。ただでさえ、おまえは殺されかかったんだぞ? それも戦場ではなく、安全なはずのこの横浜市街で、暗殺されかかったんだ。だっていうのに、間抜け面して油断してるからイライラするんだよ」
「わたしはそこまで油断しているつもりは――」
「椎堂課長」
佐伯の声が、わたしの言葉を中断させた。
「……? なに、ケイがどうかした?」
「だから椎堂課長を警戒しなさすぎてるんだよ、おまえは。昼の話で、それとなくやばそうな方向に行くのを制御されてたの、おまえ気づいてないのか?」
「え、マジで? でも――」
「そもそもおまえ、椎堂課長を昔から舐めすぎてないか? たしかに課内では愉快なサボり魔みたいな風体を装ってるが、ありゃ恐ろしいレベルの怪物だぞ」
「怪物って。ケイがなにをしたって言うのよ」
「二年間、横浜で情報課長を勤めてる」
「それがなにか?」
「その前の情報課長は一ヶ月で暗殺されてる」
「…………」
わたしがぽかーんとしているのをよそに、佐伯は続けた。
「その前は二週間で更迭されてる。その前は一週間で依願退職。追える限りの情報課長を追ってみたが、いまの支部長が横浜に来てから、情報課長は一ヶ月以内に暗殺されるか更迭されるか辞めるかの三択だ。それが二年も保っていること、それ自体がおかしい」
「そりゃ、そうなのかもしれないけど――」
「さっきもそうだ。軽い方向性を添加する風を装って、我々が結論を出すのを巧妙に封じてた。個人を追求しようとしたら組織の話に変えられ、それがまとまりそうになったらうまいことわからない風に締めて。俺も意識して追求は避けたけど、あれ絶対に作為が入ってるぞ」
「じゃあ、佐伯はあの小辻くんの犯人捜しについて、結論を出せたってこと?」
わたしは半信半疑で尋ねたが、佐伯は平然と返した。
「もちろん。ついでに言えば椎堂課長も、すでにこの結論までは至っていると見たね」
「じゃあ、わたしを殺したのは誰で、黒幕はなに?」
「殺した下手人は谷津田久則。黒幕はうちの支部長だ」
実にさらっと、佐伯は言った。
……谷津田久則。
わたしが殺された翌日、なに食わぬ顔で支部に顔を出していたときに、異常なオーバーリアクションでわたしから逃げ出した、彼だ。
まあ、たしかに異常な対応だったので、あり得なくはない。が。
「谷津田さんがやったっていう証拠は?」
「ない」
「はあ? なにそれ?」
眉を寄せたわたしに、佐伯はぶすっとして言った。
「状況証拠はあるんだ。だが確定証拠がない。そのへんはいま、課長が詰めてるところだ」
「あー、じゃあそこは確実にケイも同じ意見ってことなんだ」
「そもそもおまえが倒れたあの日、殺されたって噂の出元を探ればすぐにわかることだ。普通は隠蔽するところだろうが、小辻に濡れ衣を着せてすぐ解決するつもりだったんだろうな。だからほぼ確定。後は経歴とか能力とかを漁って退路をふさげば詰みだ」
「うん……で、黒幕が支部長ってのはなんで? 支部長って、あのなんかいつもクネクネしてるひとよね?」
「消去法やっただろう。残ったのは『新生の道』本体と第七軍、あと横浜だって」
「そうね。そこまではわかったけど」
「横浜が黒幕なら、志津に対してこんなところにおまえを匿う許可は出さないだろうよ。ああ、一応言っておくと、課長が倒れたおまえをあっさり志津に預けた理由は、『志津方山が横浜市の許可を得て中華街の調査をしている』っていう極秘情報を持っていて、相手の素性に疑いがなかったからだぞ?」
「うげ。そこまで知ってたんだ……」
「逆に言うと、課長の思惑は『横浜が主導した暗殺なら、中華街でとどめを刺しに来るだろうから確証を得られる』ってことだ。おまえ、さりげなく生贄にされかかってるぞ」
「まあ、そのくらいは……覚悟してなかったわけではないけど」
ごにょごにょと言い訳を述べる。正直、完全にそこまで腹を据えていたかと詰問されれば、苦しい。
「で、第七軍。この可能性が少ない理由はおまえにもわかるだろう?」
「……まあ、うん。天際さんと沙姫のやり方じゃないわね」
「なら残ったのは『新生の道』の本体だ。上からの指示か支部長の独断かはこの際どうでもいいが、どちらでも支部長が関わってないってことはないだろう。だから支部長が黒幕。納得したか?」
「それはわかったけど……動機は? わたし、『新生の道』本体に恨まれるようなこと、なにかしたっけ?」
「おまえがなにかしたとか、そういうのはどうでもいいんだよ。問題はおまえの立ち位置だ」
「立ち位置?」
「おまえは、新生の道の第二世代養成機関、『輝きの滝』の育てた最大のエースだろうが」
「まあ、そうね。あの施設の名前なんて、いま思い出したくらいだけど」
「だからおまえはダメなんだよ。施設の動向を調べてないだろ?」
「え? どういうこと?」
首をかしげたわたしに、佐伯はずい、と指を突きつけた。
「あそこの第二世代はほぼ全員、第七軍シンパだってことだよ。おまえにも自覚くらいあるだろう?」
「――……」
すとん、と腑に落ちた。
そう言われれば、それはその通りだ。
あの施設の連中にとって、わたしと沙姫こそが施設の誇りであり、そして目標なのだ。そして沙姫は第七軍の重鎮だし、わたしは第七軍に参加こそしていないが、沙姫や天際さんを始めとする第七軍の首脳と仲がいいのも事実。
……というか、わたしが横浜に左遷された理由自体、第七軍の軍事行動を秘密裏にサポートしたのがバレたというものだったりする。こうなると言い逃れができない。
しかし――
「その程度が暗殺の理由になるか、って顔をしてるな、おまえ」
「うん。その程度が暗殺の理由になるの?」
「なるんだよ。本部と第七軍はいま、致命的に仲が悪い。それこそ、いつ内戦になってもおかしくない程にだ」
「……。
そこまで、切羽詰まった話なの?」
思わずわたしが声をひそめると、佐伯はうなずいた。
「考えてもみろ。第七軍ってのは、なんだった?」
「天際波白が、追放同然で送られた小田原を平定して、そこで作り出した戦力集団――」
「そう。あいつらは『新生の道』の正規軍ではない。第一軍から第六軍までのどこにも入らない異端だ。それどころか、おそらく天際司令は、天際波白が彼を憎んでいると考えている」
「でも、だけど……」
「そう。だけど、第七軍は倒せない。比較すれば、ギリギリ『新生の道』本体の方が戦力は整っているらしい。だが、だからといって第七軍と本格戦争など始めてしまえば、結果として『再生機構』側が南下してくるのに耐えられない。共倒れする未来が見えているから、『新生の道』は第七軍を表向き排除できず、味方として迎え入れるしかないんだ」
佐伯はそこまで言って、ふう、とため息をついた。
「無駄な努力だよ。どうせ内戦はそのうち起こる。第七軍と本部の仲はそこまで悪化している。だからこそ、第七軍の戦力をいまのうちに可能な限り削いでおこうと、本部はいろいろ画策している」
「でも、わたしは……」
「おまえも、『輝きの滝』のメンバーも、第七軍に所属はしていない。だがいまの段階だと、いざ内戦が起こったら彼らは第七軍につくと本部は踏んでるんだ。だからおまえを殺そうとした理由はそれだ。『第七軍に近づいたら殺す』というメッセージを、内部に発信するためだろう」
「……それで、彼らが思いとどまるかな?」
「知らん。上の思惑と連中の思惑は別だろうし、やぶ蛇になるかもしれん。だがそういうことが『動機として成立する』ほど、本部と第七軍は決定的に断絶している。これだけは事実だよ」
「…………」
わたしが沈黙していると、佐伯はわたしを鋭くにらみつけた。
「本題はここからだ。ここまではただの推理。推理だから間違っている可能性もあるが、蓋然性……つまり、もっともらしさという面ではそれなりに有力な推理だ。で、椎堂課長はどうする?」
「ケイが?」
「要約すれば、これはつまり『おまえと支部長の対立』ってことになるわけだがな。これを『情報課と支部長の対立』にアップグレードするのか、それとも支部長側について黙殺するのか。それが現時点では見えないんだよ」
「ああ、そういう……」
ようやく、話がつながってきた。
「たぶん昼の時点でもう、椎堂課長はいま言った推理まで到達してる。その上で、どうするかをその場で決めかねたから、話を強引に打ち切ったんだ。最終的に彼女がどういう判断を下すか、俺には予想がつかない」
「なるほどねえ」
「おい、真剣に考えろ。おまえの話なんだぞ」
「佐伯さあ」
「なんだよ」
「ありがと。心配してくれてるんだ」
わたしが言うと、佐伯は憮然とした顔をした。
「おまえな。俺をからかってる場合か」
「あら。本心から言ったのよ? あんたがわたしのことをそこまでフォローしてくれるなんて、珍しいじゃない」
「ピンチの後輩が馬鹿みたいな間抜け面でぼーっとしてるからだ。でなきゃこんな苦労はしねえよ」
「あら。そっちこそ珍しく先輩面してるじゃない。いつもは若輩者みたいな顔でかしこまってるのに」
「悪人面に言われたくない」
「んふふ」
「なんだよ」
「困ったら顔の評価で逃げる癖は抜けてないわね、前から」
「うるせえな。そっちこそ、いつもと違ってキレないんだな。珍しい」
「だってギャラリーいないところで喧嘩してもむなしいだけでしょ?」
「おまえギャラリーのために喧嘩してたの?」
「その方がエンタメ性があると思って」
「よくわかった。次からおまえの扱い方を改める」
苦々しい顔で言う佐伯と、けけけと笑うわたし。
とても珍しい、この二人にしてはおだやかな空気だった。
と、佐伯がふと、真面目な顔に戻った。
「……これは聞こうかどうか、実は迷ってたんだけどな」
「ん?」
「なあ高杉。おまえ、なんで『新生の道』やめないんだ?」
わたしはぱちくり、と目をしばたたかせた。
「なんでって……それは……」
「前線で戦ってるならわかるさ。逃げ出せないしがらみとかまあ、いろいろある。だが、実際おまえがいるのは、横浜の情報課なんていうどうでもいい組織だ。
いや、どうでもいいは言い過ぎかもしれんが、少なくともおまえのスキルを有効に活用できる職場じゃないだろう。ぶっちゃけ、もうここにいるメリット、あるのか?」
「それは――」
わたしは、答えようとして、少し考えて。
空を見上げて、はあ、とため息をついてから、佐伯に向き直った。
「やめて、安全になる保証もないし。消極的選択よ」
「……そっか」
おまえも苦労するな、と佐伯はつぶやいて、そして背を向けた。
「明日からは、もう少し油断しないようにな――」
言い放って。
佐伯は、月明かりが薄く照らす、中華街の闇へと消えた。
わたしは――しばらく、固まったままだった。
そう。わたしの言葉は本心だ。
この『新生の道』をやめることは、できる。『施設』の学費滞納分くらいは即座に返済できるだけの給料をもらっているし、それを支払って離脱することを『新生の道』が拒否すれば、亡命してもいい。
だが、亡命して『再生機構』に行こうと、あるいは川崎の傭兵あたりになろうと。もしくは民間人になってそのへんで暮らそうとしても、いまより安全で安定した暮らしはたぶん望めない。
中途半端な『わたしの能力』が、それを許さない。
飼い殺されている現状でも、それ以上の環境があるわけでもないのだから、移動する理由にならない――
(なんて、ね)
はは、と笑う。
いまのは、高杉綾子の話だ。
だけどわたしは『高杉綾子ではない』らしい。志津の受け売りによれば、だが。
じゃあ、わたしの望みは、どこに行けば叶うんだろう――?