4.重なる幻想-phantasmagoria-(後)
翌日、昼ごろ。
「そんなわけでまずはこのメンバーからです! 犯人はこの中か外にいる!」
「おい、なんの情報もねえぞそれ」
ひたすらテンションの高い小辻くんに、佐伯がジト目で言った。
隣にいたチカが首をかしげて、
「んー? というか、あたしは綾ちゃんのお見舞いって聞いてきたんだけど……違うの?」
「俺もそう聞いてるんだがね」
言ったのは、楢崎である。わたしが倒れたあの日、横浜支部に現れた小辻くんを最初に押さえ込んだ、警備課のごついひとだ。
ちなみにここは志津の研究所の、わたしに割り当てられた一室である。志津からは大きな会議机をひとつ貸してもらっていて、それを囲んでの話し合いという形を取っている。
楢崎はその机のまわりの面々をながめながら、
「まあ、なんかまとまりがないメンバーなんで、裏があるとは思ってたけどな。
しかしよくわからん。小辻さんよ、なんでこのメンバーに声かけたのか、まずそこを教えてもらえるか?」
「芦屋さんの推薦ですけど」
「……。よりによって、そいつにアドバイス聞くのかよ。正気か?」
うんざりした顔で、楢崎はマイペースにキムチ弁当をがっついている芦屋さんを見た。
と、その芦屋さんが顔を上げた。
「まるでわたしの推薦が不適切だったかのような言い方ね」
「そう言うなら、このメンバーの選定理由を教えてくれよ。なんか理由があるんだろ?」
問われて芦屋さんは、まずケイを指さし、
「情報課長のケイがいるのは当然」
「……まあ、そうだな」
「藤宮さん、佐伯さんは同じ情報課で、事情をだいたい知ってる枠」
「それはわかる」
「わたしも事情を知っているので、理財課代表」
「なるほど。それで俺は?」
「事情は知らないだろうけど、警備課代表」
「……なぜ?」
「高杉さんとあの日、接触した警備課の人間はあなたと片嶋課長だけ」
芦屋さんは言って、それで説明終わりとばかりにキムチ弁当に向き直った。
……沈黙。
「いや、いやいやいや。俺が聞きたいのはそうではなくて、なんで警備課代表が必要なのかって話なんだが」
あわてて尋ね直した楢崎に、芦屋さんはめんどくさそうに口を開いた。
「戦力の問題」
「戦力?」
「総務課、人事課、理財課、情報課、警備課。『新生の道』横浜支部が持つ五課の中で、第二世代に傷を与えるだけの戦力を持てるのは情報課と警備課だけ」
「…………」
「だから呼んだ。それでは不服?」
それだけ言って、芦屋さんはまたキムチ弁当に戻っていった。
楢崎はため息をついて、
「まあ、事情はわかったがな……そうか。じゃあこれからやるのは、二日前……いや、三日前の深夜か。高杉さんを襲った襲撃者は誰か、って話でいいんだな?」
「そうなるとは思うけど、こっちも確認。わたしの状態を、楢崎さんはどこまで把握してるの?」
「上からお達しがあったところまでだよ。襲撃の影響で体調を崩して、志津方山と名乗る魔術師に調整してもらうために中華街に滞在中」
わたしの言葉に、楢崎はすらすら答えた。
……なるほど。昨日のうちにある程度予測していたが、やはりそんな感じで通したのか、ケイ。
楢崎は、わたしの部屋を見渡してふん、と鼻を鳴らした。
「しかしまあ、広さはあるがうさんくさい部屋だな。防衛装置の気配がびんびんにするぜ。
なあ高杉さんよ、志津ってのは信用できるのかい? というか、本物の『あの』志津方山なのか?」
「それはまあ、間違いないと思う」
わたしは素直に答えた。
ここ一日、志津とちょいちょい会話をしての感想である。発想、知識、どちらも飛び抜けている。間違いなく常人ではないし、なにより……
「立ち入り禁止の中華街に研究施設を作って、あげくに外部訪問者を選別する権限まで持ってる。ただの魔術研究者がこんな尋常じゃない待遇をもらえるなんて、志津方山レベルじゃないと無理でしょ」
「そりゃそうだな……つうか、逆に志津方山だったとしても納得しかねるよ、俺は。ここでなにを研究してるんだ?」
「それこそ秘匿されてるでしょう。危なっかしいから直接聞くのも避けてるわ。
あと楢崎さん、この会話がたぶん盗聴されてるってのは理解してるわよね?」
「そりゃもちろん。油断はしてないさ」
楢崎は肩をすくめて、言った。
「で、小辻さんに聞きたいね。集めた以上、なにか犯人を見つける手がかりがこのメンバーから得られるアテがあるのかい?」
「え? ないですけど」
「…………。
聞いた俺が馬鹿だった」
「い、いやいやいや、待ってください! とりあえずアレですよアレ、今回の企画はいわゆるブレインウォッシュってやつです!」
「ブレインストーミングだろ?」
「あ、それですそれ!」
嬉しそうに言う小辻くん。……どんどん彼の株が下がっている気がするけど、大丈夫だろうか。
「まあ、問題の切り分けから考えるべきだろうな」
と発言したのは、いままで黙っていたケイである。
「切り分け……というと?」
「たとえば、実行犯の話をしよう。楢崎、おまえ高杉に背後から襲いかかって勝てる自信、あるか?」
「あるわけないでしょう。高杉さんはレジェンドですぜ?」
「だろうな。小辻は私にはわからんが……この中の他のメンバーで、高杉に手傷を負わせる能力持ちはいないと、私には断言できる」
「綾ちゃん強いですからねー」
芦屋さんからキムチ弁当のおすそわけをもらっていたチカが言った。
ケイはうなずいて、
「だから実行犯の割り出しは容易だ。なにしろ実行可能な人間が少なすぎる。少し調べればすぐさ」
「えー……そうなんですかー……」
「なぜ小辻のテンションが下がってるのかよくわからんが」
ケイは言って、それから笑った。
「だから提案しよう。この際、考えるべきは背後関係じゃないのかね?」
「背後関係?」
「そう。つまりは『どの組織が黒幕か』。これならもう少し、考える意義がある問題になると思うがね?」
ケイの言葉に、みんなが顔を見合わせた。
「どの組織か……か。たしか、椎堂課長の見立てでは、襲撃者は内部犯なんですよね?」
「そうだ」
佐伯の言葉に、ケイはうなずいた。
佐伯は少し考えて、
「じゃあ大組織ですね。うちに暗殺者を潜入させられるレベルですから」
「そうだな。だから地方都市レベルの勢力は考えなくていい。
佐伯、リストアップしてくれるか?」
「まずは『新生の道』と『再生機構』。この二勢力は東京圏屈指ですから当然挙がるでしょう」
佐伯はすらすらと答えた。
「次に、いわゆる独立市――先の二勢力と従属協定を結んでいないのが、この近くだと三つあります。川崎、横浜、そして三浦」
「そうだな。後は?」
「後は『第七軍』ですかね。小辻を疑うならこれも候補に入るでしょう」
「え、僕、まだ疑われているんですか?」
「まあ、挙げただけだから気にするな。高杉を襲ったやつの個人的な動機でなければ、この六つのどれかが黒幕でしょうね」
さらりと佐伯は言った。……さりげなく有能ムーブしてる。むかつく。
「ふむ。では、ついでに私見を聞こうか。佐伯的にはどれが犯人だと思う?」
「断言はできませんけど……『再生機構』の可能性は薄いかと」
「ほう?」
ケイが面白そうに目を光らせた。
「一番怪しいところを意図的に外したな。なんでだ?」
「あちらさんにとって、いま横浜って地雷案件なんですよ。登戸の所属が変わったでしょう?」
「――……。
なるほど。じゃあその線は消えるか」
ケイはうなずいて、長考に入ってしまった。
そのままケイがなにもフォローしないので、なんとなく場に沈黙が降りる。
こほん、と遠慮がちに佐伯が咳をして、
「……一応、解説しようか?」
「頼むわ。さっぱりわからん」
楢崎の言葉に、佐伯はうなずいた。
「つまりな、いまの東京で『北』と言ったら『再生機構』で、『南』と言ったらうちら『新生の道』なわけだが。その南北の境目はどこだっていうと、少なくともこの近辺では、多摩川になるんだよ。
二子玉川、狛江、調布、是政――このあたりの、多摩川北岸沿いにある有力砦群は全部『北』の従属下だ。そして、それに加えて……」
「なるほど、登戸がひとつだけ、多摩川の南岸に突出してあったわけだ」
楢崎の言葉に、佐伯はうなずいた。
「そう。その時点では、『南』側の攻めるポイントはほぼ登戸に集約される。逆に『北』側は登戸からどう攻めることもできるし、川を挟んでいる地の利を得て防御は盤石。つまり要約すると、登戸を持っていた間、『北』は攻撃側だったわけだ」
「そりゃそうだが、横浜となんの関係があるのかね?」
「まあ聞けよ。その時代だったら、『北』が野望を膨らませて、横浜から『南』側を追い出してしまおうと考えることも可能だった。だけどいまはそうじゃない。『北』、横浜をいま取っても、維持できないだろう?」
「あ……」
佐伯の言葉に、わたしは得心した。
「そっか。登戸を第七軍が取ったから……」
「防御側に回った。つまり、『新生の道』は本拠地である横須賀から戦力を投入し放題、対して『再生機構』は川崎経由で先の多摩川沿い砦から戦力を動かすことになるが……そんなことをしたら、登戸を取った第七軍がいつ攻めてくるかわからない。だから横浜を維持するのは無理だろ?」
「じゃあ実は、『北』っていまは横浜だとピンチなの?」
「現状維持を最も望んでいるのは『北』だろうな。三浦との安定した通商を維持するためには、川崎-横浜のラインが最低限中立でいてくれないと困る。
そういうわけで、『北』はいまのところ、横浜で下手打ってもめ事を起こしたがらないと見た。だから容疑者からは外していい」
佐伯はそう言って、ちらりと小辻の方を見た。
「実際のところ、それほど大きな事件だったんだよ、第七軍による登戸砦の電撃奪取ってのは。いまいち、みんなぴんと来ていないようなところがあるんだが、あそこで行われていたのは単なる一地方都市の取り合いではなくて、主導権の握り合いだ。あれに『南』が勝利したってのは、歴史が変わりかねないほどの快挙だったんだよ。噂に聞く、梶原沙姫の神算鬼謀の結果だな」
「……そうなんですか?」
小辻くんが、珍しくげっそりした顔で疑問の言葉を述べた。
佐伯が首をかしげて、
「なにかおかしなことでも?」
「いや、僕、たぶんもう知られているように第七軍関係者ですけど。あのとき梶原先生、めちゃくちゃ不機嫌でしたよ。本部の陰謀で攻めなきゃいけなくなったって言ってました」
がたたんっ。
言葉に、椅子を倒しそうな勢いで立ち上がったのは、ケイだった。
「……マジで?」
「ケイ。どうしたの? いきなり立ち上がって」
「いや。改めて恐ろしいものの存在を目の当たりにしただけ。……くわばらくわばら。やっぱ第七軍は怖いわー」
「?」
わたしはよくわからなかったが、ケイがそれ以上説明しなかったので、とりあえず置いておいた。
「さて、じゃあ『北』はなしってことで。……川崎もないかな?」
「ないと思うよー」
言ったのは、チカだった。
「あたし、川崎出身だけど。親の仕事を見てる限り、横浜に手を出してる余裕なんてなさそうだったよー。北から来る魔物の対処で手一杯」
「……そういやチカって、川崎のお偉いさんの娘さんだっけ」
わたしはうなずいた。
今度は楢崎が肩をすくめて、口を開いた。
「じゃあ俺からも。三浦の可能性は低い」
「それはなんで?」
「警備課はあそこと、武器の仕入れ関係でつながっててな。つい最近、三浦で政変があったのは知ってるだろ? あれ以降、あそこは内部がガタガタでさ、横浜にまで手を伸ばせる状況じゃない」
「政変って……魔王・田中信三が失脚したっていう、あの?」
「そ。あれから、三浦では魔王の娘を担ぎ上げる一派と、民主化を狙う一派で分裂しててな。横須賀に隙を見せられないから表向きは対決してないが、内部はめちゃくちゃだ。外をうかがう余裕なんてとてもとても」
「そうすると、残りは……」
「横浜。『新生の道』本部。第七軍。この三つかな。……第七軍を除外していいなら、二つになるが」
「どの勢力にしろ、リスクを冒してまで高杉を排除する積極的理由がないんだよなあ。困ったことに」
ケイが腕組みして、言った。
佐伯は同意してうなずいた後、
「なのでもう個人的怨恨の線で考えたほうがいいんじゃないですかね? ほら、高杉っていかにもうらみ買いそうな人格だし」
「あんたがそれを言う? いつ路地裏で刺されて始末されてもおかしくなさそうなモブ顔のくせに」
「意味わからん。あと悪人顔のおまえに言われたくない」
「あー! また悪人顔って言った! 気にしてるって言ってるでしょうが!」
「先に顔を話題にしたのはおまえだろ!」
ばんっ、と部屋の扉が開け放たれた。
「少し静かにしてくれんか。落ち着いて集中できん」
「「ごめんなさい」」
わたしたちは現れた志津に、平謝りしたのだった。
……盗聴されてるとかそういう次元じゃなかった。ダダ漏れだった。次から気をつけよう。
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そんなわけでみんなは帰り、夜になった。
わたしは大通りをうごめく影楼と、それを明るく照らす月をながめていた。
身体の痛みや違和感はさっぱり消えている。ここ数日の志津の『処置』は、明確にわたしの身体を正常時に戻している。
志津曰く、
「そのうち、自己領域の支配権は身体に依存しなくなる。身体が損傷しても平気で動けるようになるかもしれんし、身体を置いて自己領域だけで暮らすことすら可能かもしれんな」
「不死身ってこと?」
「それはないだろう。たとえば魔竜の銀の吐息でもまともに浴びれば、魔術構造が原型を保てなくなって消滅する。
物理攻撃への耐性は上がっただろうが、死から逃れられたわけではない。気をつけて行動することだ」
とまあそんなわけで、やっぱり中途半端なのがわたしなのだった。
空を見上げると月。月には、特別な思い入れがあった。
まだそれほど親しくないころ、沙姫との会話で、月について話した記憶がある。彼女は歴史の勉強が趣味ということだったが、その実歴史だけではなくて、ありとあらゆる知識の収集に貪欲だった。
「月っていうのは、珍しい星なんだよ、綾ちゃん」
と、彼女は言った。
「太陽を回っている大きな星、いわゆる惑星のまわりを回っているのが衛星なんだけど。衛星の中でも、月っていうのはめちゃくちゃ大きいの。
地球との直径の比で言うと4:1。こんなに大きな衛星ってほとんどないんだ。仮に人類が生まれた星が火星だったら、その衛星のフォボスとダイモスはずっと小さいから、夜は地球よりずっと暗かっただろうね」
沙姫はたぶん、ただのうんちくとして語ったのだろうが、わたしがそのときに感じたのは、もっとずっと違う感覚だった。
中途半端だな、と思ったのだ。
惑星と呼ぶには、そのまわりを回らなければならないという従属関係がある。かといって、衛星と言うには自己主張が激しすぎる。
当時はその程度のことを考えていたが、いま考えてみれば、それはとても暗示的で。
(ああ、なんて、わたしみたい――)
だから月を見るのは、なんとなく嫌いだ。
自分を見ているようで、なんか嫌なのだ。
じゃあなんでいま見ているんだろう。自分でも、よくわからない。
調子がよくなろうと違和感がなくなろうと、わたしを巡る混乱した状況は変わらないわけで。
ああ、本当にわたしは、なにを――
「なにを似合わないため息なんかついてるんだ、おまえは」
声をかけられ、ふとそちらを振り向く。
そしてわたしは、ぽかーん、とした。
「……佐伯?」
佐伯博孝。
わたしの天敵みたいなその男は、いつもの仏頂面で、夜の闇の中にたたずんでいた。
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