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亡霊と不死者の時間-Things separating ATHANATOI from ghosts-  作者: すたりむ
第一章:殺人事件⇒殺人事件?
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4.重なる幻想-phantasmagoria-(前)

 目の前を、赤く染まった黒い人影のようなものが通り過ぎていく。

 もちろんそれは人影ではない。陰楼(かげろう)と名付けられた、中華街を闊歩する、よくわからないなにかだ。

 そんな夕刻に沈む中華街を窓の外に眺めながら、わたしは物思いにふけっていた。


 ……あのとき。

 君は高杉綾子ではない。そう言われたあのときのことを思い返す。

 ショックを受けていない自分に、むしろ驚いた。というのが、率直な感想だ。もしかすると、心の奥底ではなにか理解していて、ある程度の覚悟ができていたのかもしれない。

 むしろ、その後に伝えられた言葉、そちらが問題だった。

 わたしはそれを、ゆっくりと思い返す。



--------------------



「高杉綾子じゃない……なら、わたしはなに?」

「知らんよ」


 わたしの問いに対して、志津は冷淡に応じた。


「私が話を聞いて理解したのはそこまでだ。それに、そもそも君に名前などない(・・・・・・・・)。高杉綾子ではない、未だ名付けられぬなにかだ」

「…………。

 まあ、趣旨はわかったけど」


 わたしはため息をついて、改めて尋ねた。


「じゃあなんでわたしは二回目に倒れたの? それについて、なにか予測してたわけ?」

「死んだからだろうな」

「死んだって……」

「死んだ肉体をなんらかの形で蘇らせたはいいものの、無理があったんだろう。頭痛とか筋肉痛のようなものがなかったか? それを解決しないまま動かし続けてたから、無理が累積して結局また死んだ(・・・・・)んだ。このままだと再起動しては死んでを繰り返しそうだったから、いったん私の研究室に引き取って調整することにした。その結果がいまだ。違和感はないかね?」

「……若干、鈍痛が頭にあるわ」

「ではそれは後でもう少し処置をしよう」

「いや、それはわかったけど。ちょっと待ってよ。話を聞いていると、まるでわたしが高杉綾子の死体を見て、そこに乗り移って寄生した怪生物みたいに聞こえるんだけど……」

そんな程度(・・・・・)なら、私も気楽だったんだがね」


 志津は、にこりともせずに言った。


「そこの小辻みそら氏のように、人間に化けた異界の生物というのであれば、そんなものはいまの東京圏にありふれているし、たいした問題でもない。だが私がそのとき予測したのはべつの可能性だった。そして調べた限りでは、私の予測は不幸にも的中している可能性が非常に高い」

「……? 不幸にも?」

皆川第三公準(・・・・・・)


 志津は詩でも吟ずるかのように、その言葉を口にした。


「という名を、聞いたことはあるかね?」

「聞いたことならあるけど、内容は覚えてない」

「そうか」

「……それが、なにか?」

「君の存在は、皆川第三公準に違反している」


 志津は淡々と、だが若干のいらだちを含んでいるかのような口調で、そう言った。


「昔話をしてもいいかね」

「関係のある話なら、どうぞ」

「いまでは『崩壊』と呼ばれている、東京圏が変貌した大異変――あの直後、僕が所属していた皆川研究室では、その異変の現象を解析しようとしていた」

「皆川静夫の研究チームの話ね」

「そうだ。さしあたり僕たちは、研究を始めるに当たって、用語を統一することにした。まず、『崩壊』前には絶対に起こらなかった物理的でない現象のことを『魔術現象』と呼ぶ。その魔術現象を人為的に再現することを『魔法』と呼ぶ。さらにその魔法のための具体的な手続きのことを『魔術』と呼ぶ。……こんな風にだ」


 志津は淡々と、講義するように言った。

 わたしは、一人称が変わっていることを指摘しようとして、無粋なのでやめた。どうせどちらかがロールプレイ、はったり、まあそんなものの一つなのだろう。


「現在使われているほとんどの魔術体系は、皆川先生のチームが作ったプロトコルに従う魔術だ。起動(キャスト)詠唱(ハム)投射(コンクリート)の三手順からなる『皆川式魔術』――これを作るに当たって、僕たちはひとつの、重大な目標を掲げていた」

「どんな?」

「あらゆる魔術現象は、原理的に魔術で再現できるべきである」


 志津は言って、それから若干苦い笑いを浮かべた。


「元はプログラミング言語の理念だよ。『人類に計算できるあらゆるものを原理的に計算できること』――チューリング完全性と言うんだがね。僕たちはそれを、魔術でも目指したんだ。だがそのためには、『魔術現象はここまでできる』というのが、わかっていなければならない。時間をかけて調べた僕たちのチームは、魔術現象はこういうルールに従っていなければならないという「公準」を見つけていき、それぞれに第一から第五までの名前をつけた」

「それで?」

「皆川式魔術は、第一から第五までの皆川公準系を満たすあらゆる魔術現象を、原理的に再現できる」


 志津は言った。


「幸いにも、しばらくはそれでうまく行った。我々が観測するあらゆる現象は、第一から第五までの公準をすべて満たしているように見えた。ところが『崩壊』から五年後、とある盲点があったことが明らかになった」

「盲点?」

「『自己領域』だよ」


 志津の言った言葉は、わたしにもなじみ深いものだった。


「君は自己領域という言葉がなにを意味するか、知っているかね?」

「魔術師が魔術を生成するための場でしょ? 東京圏の人間なら誰でも例外なく持っていて、自動防御、自己再生の魔術を常に発動させている。強力な第二世代(セカンド)ならば自己再生によってあらゆる毒を跳ね返し、自動防御で戦車の砲弾を真っ正面から無傷で受け止めるわ」


 わたしはすらすらと説明した。このあたりは、魔術を勉強した人間ならば基礎の基礎だ。

 志津はうなずいたが、その後でため息をついた。


「そう。僕たちもそう思っていたのさ。それが盲点だった」

「なにが?」

(くら)()亜里砂(ありさ)は知っているか?」


 志津の言葉に、わたしはうなずいた。

 というか、志津より有名なひとだ。第一次品川調査隊、生還者『六人』の中で最も若い一人。神童の名高き才媛。


「いまの品川調査隊の隊長でしょ? 幕張で一大魔術研究団体を作ってるって聞いてるけど」

「ああ。まあ僕にとっては後輩と言っていい存在だ。だいぶ若いがな」

「それがなにか?」

「あいつがあるとき言い出したんだ。『この自己領域も魔術現象じゃないのか』とな」

「それは……」


 わたしが答えに詰まっていると、志津は笑った。


「魔術を生成するための場だと、君は言ったな。実を言うと僕たちもそう思っていた。自己領域というのは魔術の起点であって、それ以外のなにかではない――ところが倉田はそれをひっくり返した。そして次に、『自己領域を魔術として見ると、皆川の第三公準を満たさない』ということを示してみせたのさ」

「それは……」


 皆川の第三公準。話が戻ってきた。

 つまり、核心に差しかかったということだ。


「それ以降僕らは議論を重ねてね。そもそも自己領域を単独の魔術と見なせるかどうか。自己領域は複製できるのか。いろいろ研究したのだが、誰も確たる解答を与えることはできなかった。そもそも、現存している魔術はすべて皆川公準系に従う現象しか作れないのだから、我々が魔術として自己領域を作れることはあり得ない。だがへんな盲点があるかもしれない。そんなことを議論して十年近くが経ち、まあこの問題はいいじゃないかというような雰囲気になったこのタイミングで――突如として現れたのが、君だ」

「わたし……つまり、わたしの正体は」

「ああ。つまり君は高杉綾子の自己領域(・・・・・・・・・)だ。普通は、人間が自己領域を操って魔術を使う。だが君はそれが逆転していて、自己領域が人間を操っている。だから肉体が死のうと自己領域は消えず、中途半端な自己再生で生きてる状態だけは取り戻した。それがいまの君だよ」


 志津はそこまで言って、乱暴に髪をかき分けると、吐き捨てるように言った。


「そう――君は冗談みたいに空前絶後の奇跡だ。この志津方山が、信じられない(・・・・・・)などという言葉を使いたくなるほどにね」



--------------------



 そんなことを言われてもなあ、と思うのだ。

 わたしにとっては、わたしはわたしでしかない。

 高杉綾子。十九歳。公式記録においてMG水準比1500以上を達成した、たった三人の人類の、その三番目。

 上を見上げれば、そこには『漆黒の魔獣(ダーク・ビースト)』と『月読(ツクヨミ)』の名を冠した二人の怪物。その基準で行けばわたしは落ちこぼれ。ついていって食い下がろうにも、その道ははるか昔に閉ざされた。

 かといってまわりから見れば、無視できる才能ではなかったのだろう。だから持て余され、疎まれ、左遷され、あげくに暗殺までされてしまった。そして結局、その暗殺を防ぐこともできない程度の才能だったのだ。

 なんというか……中途半端。宙ぶらりんの人生。

 そんなものに、奇跡だの空前絶後だのといまさら言われても、困るのだ。

 平凡に堕して生きていこうと決めたのに、いまさらひっくり返されても、困るのだ。

 挙げ句に、わたしは実は高杉綾子ではないときた。つまり落ちこぼれ、平凡というこの自己評価すら、わたし自身のものではないという。

 頭がこんがらがって、整理できない。なんだこれ。


「調子はどう?」


 という声がかかったので、振り返るとそこに芦屋さんがいた。


「芦屋さん? なんでここに?」

「ケイの使い。様子を見に行けって」

「小辻くん以外に? でも、違う課のあなたが来る必要は――」

だからこそでしょう(・・・・・・・・・)

「……なるほど」


 たぶん、『情報課が単独でなにか隠し事をしている』と思われるわけにはいかない、とか、そんな事情だろう。あのちびっこはやる気がないようでいて、そのへんの嗅覚はちゃんと鋭い。

 と、そういえば。


「芦屋さんはわたしの事情、どのくらい知ってるの?」

「ちゃんと志津先生から説明を受けたのはケイ一人」


 芦屋さんは言った。……ということは、さっきの場に同席していた小辻くんで二人目か。

 それはありがたかったが、逆に気になることがあった。


「じゃあ上にはどう報告したの? ケイが報告したってことよね?」

「私たちが聞いたのと同じような説明でしょうね。『強い第二世代(セカンド)特有の病状で、難しいから数日うちで預かる、と志津方山に言われた』ってところじゃないかしら」

「なるほど」


 志津はわたしの状態を公表するか否かをケイに一任。そしてケイは当面隠す方向に動いた、ってところか。

 それだけ気を回しながら、小辻くんにはノーガードだった志津の対応に、若干気にならないものがないわけでもなかったが……

 それ以上にわたしは、芦屋さんが持ってきた装置に興味を持った。


「その装置はなに? なんか鞄からコードがいっぱい出てるけど」

「魔力状態の測定装置。さっき(しま)()さんっていう、ここの助手さんから渡された」

「え、ここって助手とかいたの?」


 さっきの説明のときにまったく出て来なかったから、気づかなかった。


「島田さんは島田さんでいろいろ事情があって手が回らないから、と渡されたわ」

「ふうん……」


 まあ、とにかく検査を受けること自体には異存はない。わたしは素直に、装置から伸びるコードを腕に装着した。

 ほどなくして、ぴぴっ、という音。


「ん、計測できたみたい」

「なにを計測したのかわかる? 正直、この機械はわたし、初めて見るんだけど」

「わからないけど、機械の表面には数字があるわよ。417.23と書いてある」

「……? 心当たりないわね。なんの数値なのかしら」

「KK指標だよ」


 突如として部屋の入り口から聞こえた声に振り向くと、そこには志津と、それについてきたらしい小辻くんがいた。


「KK指標だ。MG指標とはべつの魔力指標でね。こちらの方が状態による変化が少ない」

「ふうん……」


 わたしは首をかしげて、ぜんぜん違うことを聞いてみた。


「MG『水準比』って言わないんだ。専門家ほど正式名にこだわるって印象だけど」

「堅物の学者ならそうかもしれんがね。私は魔法使いだ。意味が伝わればそれ以上は求めんよ」


 志津はさらりと言った。……どうやら、なにか別種類のこだわりがあるようだ。

 さておき。


「で、KK指標? なんかMGと違って意味が取れないわね。どういう指標なの?」

「勘違いしているようだから最初に指摘するが、KKもMGも人の名前由来だぞ?」

「え、マジ?」


 MGはてっきりMAGICの略だと思ってた。恥ずかしい。


「KKは岸と神崎が作ったからこの名前。MGは皆川先生と倉田だ」

「…………。

 なんでKじゃなくてGなの?」

「当人に聞いてやれ。きっとすごく嫌がるぞ」

「?」


 志津が珍しく笑いをこらえるような表情をしていたので、わたしは首をかしげた。


「それはともかく」


 と、志津の愉快そうな表情は一瞬で引っ込み、仏頂面に戻った。


「MG指標はどれだけ多くの魔力を一度に出せるかを測る。いわば瞬発力だ。それに対して、KK指標は平常時の自己領域の抵抗力(・・・・・・・・)を測る。こちらは総魔力量、転じて持久力を測っていることになるな」

「へえ……関係はあるの?」

「強い相関があるようだ。もちろん例外もあるがね。KK指標で417なら、MGだと1650前後といったところか。普段と比べて変化は?」

「あまりないと思う……ここ数年、魔術の鍛錬をまともにしてないし」


 わたしは正直に言った。全盛期のMG値は1900を越えていたのだが、いまはこんなものだ。


 その後志津は二、三ほど問診的な質問をしてから、芦屋さんと一緒に部屋を出て行った。


「……で、小辻くんはなんで残ってるの?」

「いえ。さっきちょっと、言いそびれたので……」

「?」

「志津先生からは、高杉さんの状態について口止めされてるんです。『間違いなく味方である者以外には、教えない方がいい』って」

「それはそうでしょうけど……」


 じゃあ志津は、いや、あるいは志津と協議したケイが、小辻くんについて『間違いなく味方』だと判断したってことなのだろうか。


(まあ、それはいいや……)


 なんだか考えるのが面倒になって、わたしはまた外の空を見た。

 もうだいぶ暗くなってきて、月が空に出てきていた。

 月明かりに照らされて、陰楼(かげろう)が徘徊する中華街の街並みは、いつもよりずっと幻想的に見えた。

 ……それはそれで嫌になって、わたしは小辻くんに視線を戻す。

 彼は難しい顔をして、なにかを考えていた。


「あの、高杉さん」

「なに、小辻くん」

「これって、殺人事件ですよね」

「……まあ、そうね」


 なにを言い出すんだ、と思いつつ、うなずく。

 すると小辻くんは、きらりと目を輝かせて、


「つまり探偵の出番ですよね!」

「え?」

「すごい憧れてたんです、探偵! どんな難事件もずばっと解決! 犯人はあいつだ!」

「……小辻くんって、そういう本とか好きなの?」

「大好物です!」

「あ、そう」


 人は見かけによらないなー(シェイプシフターだけど)、と思っていると、小辻くんは勢い込んで話しかけてきた。


「それでですね高杉さん。提案なんですけど」

「なによ、小辻くん」


 問うと、小辻くんはぐっと拳をにぎって、こう言った。


「事情聴取から始めましょう。アリバイを確認して、真犯人に近づくんです!」

【余談】

 前に投稿した【中林さんの天球儀】をお読みの方は気づくと思いますが、要するに高杉さんのいまの状態はマリイと同じです。

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