29.亡霊/不死者-ghosts/athanatoi-(後)
「あ……え……?」
志津は、虚脱状態のような顔で、それを見た。
研究室は、ものの見事に破壊されていた。
そして志津の魔術は不発だった。力を急激に失い、意味を消失してほどけるように空中に消えていく。
「なにが……なにが起こった……なにが」
「え? ああうん、なんかわかんなかったんだけどさ」
けろりとした声に、志津は幽鬼のような顔でそちらを見た。
そこにいたのはわたし、高杉綾子。
「まだこんなことになる前、中華街に自由にわたしが出入りできた頃に「仕込んでおいた」……つまり、研究室内の物置に放り込んでおいたわたしの本来の身体で復活したはいいんだけど、いざ中を探索してみたらへんな肉塊がうごめいてて気持ち悪いし、どうやって装置を止めればいいかの見当もつかなかったんだよね」
「ええ。だから私が指示したわ。志津方山の力の源は詠唱。だったらスピーカー類を片っ端からぶち壊せば事態は解決すると」
わたしに続いて、研究室の残骸から出てきた島田さんが言った。
「で、それに従った結果、肉塊にかけてた封印が解けたのか、なんかすんごい勢いで建物壊して飛んでっちゃったんだけどね。改めて聞くけど、あれってひょっとして関帝の本体だったりする?」
「っ……! き、貴様はぁ……!」
志津はうめきながら、手のひらをこちらに向けた。
直後、鉄杭がわたしの身体を背中から打とうとして、小辻くんに止められた。
『させません!』
「おーおー、これ、まだ撃てるんだ。もしかすると他にも隠し研究室とか作ってたのかもね。もっとも――」
わたしはにやりと笑って、
「本命施設二箇所を無力化されたら、もう中華街で絶対の力なんてものは振るえない。ま、このへんが引きどころじゃない、志津?」
「引きどころは構わないけどさ」
言ったのは田中だった。
「約束が違うじゃないか、高杉綾子。志津の研究室は資料として洗いざらい僕にくれる約束じゃなかったっけ?」
「いいけど、関帝の方追った方が早くない? あっちを幕張に提供すれば一発でしょ」
「田中大五郎! なぜ裏切った!?」
吠えるように言った志津に、田中はつまらなそうに、
「最初から言ってただろう。僕はより確実な利益を与えてくれる方につくって。高杉綾子が事前に教えてくれたとおりの展開になっていた時点で、どうあれ志津方山、君が勝てる展開には見えなくなった。なら、勝ち馬に乗るのが賢い選択だろう?」
「事前に教えた……展開……だと……!?」
「うん。まあ、そうね?」
わたしはうなずいて、
「わたしが教えたのってたしか、『松山が現れた後で、志津が状況を収拾するために本来ありえない場所に出てくるから、それが合図ね。後は爆弾が連鎖爆発する感じで進むから、わたしが現れて合図するか殺されたらそのタイミングから行動開始』と、こんな感じだったっけ?」
「そうそう。で、さっき君が不自然に研究室に寄りかかってるのを見てだいたいの事情は察したよ。おそらく高杉綾子の『本体』は、この研究室の中に隠していたんだってね」
「うん。まあ、そのままだと記憶が継承されないんで、あわてて同期してた」
ぺろり、とわたしは舌を出した。
一方で、動揺収まらないのが志津である。
「身体、だと……!? そんな馬鹿な! そんなものがあれば僕の探知網が見落とさないわけが……いや……」
途中から、声が細くなる。
「気づいたようね。見落としの理由に」
「貴様……この中華街の警備システムに、紛れ込ませたか!」
「そうだよ? だってここって、桃源郷の名残としての魔力や陰楼たちから、後付けで志津が作ったシステムまで、とにかく雑多な魔力で渦巻いてるんだもん。その中でちょっとだけ異物があったくらいじゃ気づけない。たとえそれが――志津にとって本丸たる、研究室の中であろうとね」
つまり、志津は自滅したのだ。
魔力でガチガチに固めておかないと守備できなかった彼は、それ故に小さな異物を見逃さざるを得なかった。
そして、意識がないスリープ状態のわたしの身体は、普通の人間よりも小さな、魔術反応としては本当に些末な存在に過ぎない。魔術に頼って、中華街の掌握を過信していた志津には、見えるわけがないのである。
「だから志津の敗因は簡単。「自分の魔術を過信しすぎた」のよ、あなたは。魔術以外のテクノロジーも積極的に使いながらも、結局は魔術に頼りすぎた。自分以上の魔術のエキスパートはいないと過信した。その結果がこの体たらくよ」
「まだだ。まだ、手はある……貴様さえ消してしまえば、まだ!」
「……そう。じゃあ、ここで決着つけるしかないか」
わたしは拳を構え、志津は手で印を作る。
すかさず、一斉攻撃しようとした田中や松山を、わたしは止めた。
「いいわ。この後も戦いがある。ここはわたしだけで決着をつけるわ。みんなは体力、温存しといて」
「……わかった。信じるよ、高杉綾子」
田中はうなずいて、引き下がった。
松山もなにも言わずに一歩引き、わたしと志津の間に邪魔はなくなった。
「じゃあ、行くよ。志津」
「やってみろ……やれるものならな!」
わたしは応えて、走り出した。
志津まで一直線。一切のごまかしも技術もなく、ただ単に走る。
走る。
走って、走る。
すぐに志津の身体が射程内に近づき、わたしは拳を振り上げた。
志津は、にやりと口の端を吊り上げ。
次の瞬間、その顔面にわたしの拳がめり込んだ。
なにも言わず、悲鳴すら出さずに一撃で志津は昏倒した。
一応わたしも元・軍人。戦場格闘技の一環として、人のぶん殴り方には精通している。こんだけ力込めて殴れば、普通の人間は一撃でKOだ。
「え……終わり?」
「終わり。なんか文句あるの、佐伯?」
「いや、ないけど……なんかもっと派手な駆け引きとか、なかったの?」
「ないわよ。いや、ないわけじゃないけど。志津、たぶんこちらが魔術を必ず使うと踏んで、魔術へのカウンターを用意してたんでしょ」
おそらく、竜牙烈掌はおろか、剛打撃ですらなにか致命的な反撃が返ってきたのだろう。
わたしが「自分の魔術を過信しすぎた」なんて挑発したから、それに対する意趣返しのつもりだったのだろうが。そもそも貧弱な魔術師ひとり無力化するのに、わたしがわざわざ魔術を使う必要もない。
わたしは、気持ち悪い笑みを張り付かせたまま、完膚なきまでに気絶している志津を見下ろして、言った。
「だから最初から言ってたでしょうに。わたしがあんたを見下してるより、あんたがわたしを見下してる方がひどかったって。結局、最後の最後までこの戦いはそれに尽きたわね、志津方山」
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「さて、こちらはどう出るか、それが問題になってくるわけだが」
不敵な笑みを浮かべつつ腕組みをしている椎堂課長に、芦屋がジト目で突っ込んだ。
「なにをいまさら言ってるんだおまえは。つーかそんな悠長な事態かこれ」
「わはは、さっぱりわからん!」
「だろうな」
目の前には、関帝廟。
を、取り囲む、青い色の結界の壁。
……を、謎の肉塊が突き抜けていった結果、破壊された大穴。
さっきまで、俺の精霊刀も桂木の竜牙烈掌も通さなかった青い壁をぶっ壊していった肉塊が何者だったのかは、それはそれは気になるものではあったのだが。
「どうかね谷津田。おまえからなにか意見はあるか?」
「まあ、通っていったのが関帝の重要パーツなのは確定でしょ」
「だろうな。他には?」
「結界が自動修復機能を働かせてます。そう遠くないうちに閉まるでしょうね、これ」
じわじわと閉じつつある穴を指さし、俺は言った。
「うん。それで、どうする?」
「…………」
俺は少し考え、
「関帝が次に、どんなアクションを起こすかが気になります。その前に事を起こしたい」
「突撃するか?」
「俺と風見だけ、というのはどうです? いまの関帝廟はおそらく、正真正銘の異界です。関帝の腹の中と例えてもいい。俺はともかく、他に生き残れる可能性が高いのは風見くらいでしょう」
「『セカンド・パーティ』は残すと?」
「どうせあの肉塊が来たの、高杉がやらかしたんでしょ。なら彼女が来てから、改めて考えればいい。それより、いましかできないことをするのは誰かって話です」
俺は言って、風見の方を見た。
「俺はそういう意見だが、風見の方はどうだ?」
「異論はない。だが、ひとつ忠告しておくが」
風見は真剣な目で俺を見て、言った。
「おまえの方が危険だと思うぞ、谷津田久則。わかっていると思うが、おまえは……」
「ああ、それは知ってる」
「……なるほど。その上でなお、飛び込みたいと言うのか」
「俺は最初から、志津なんかより関帝が目当てでね」
俺は言って、笑った。
「関帝に一足先に謁見できるというなら、悪くはない。リスクも承知の上だ」
「わかった。ではもう止めることはしない」
俺と風見はうなずいて、そして課長を見た。
「……ということで、どうです?」
「問題ないよ。状況が変わったらこちらは独自に動く。それでいいな?」
「はい。では、失礼します!」
言って、俺は風見と共に、閉じようとしている結界の穴めがけて飛び込んだ。
中は……見た感じ、一見して小さな廟に過ぎないように見える。
空もごく普通、と言いたいところだが、
「いきなり太陽が出てきたな」
「ああ」
中華街に俺たちが突入してから、まだ一時間は経っていない。夜明け前から始まった作戦なのだから、まだ払暁といった時刻なのだが――太陽の位置は頭の上の方で、完全に時刻がずれている。
「よく来た、客人」
声をかけられ、そちらを振り向くと、そこに一人の壮年の男性がいた。
三十代だろうか。日本のものでも西洋のものでもない、おそらくは中華風の甲冑を身にまとっている。帯刀しているが、それはおそらく武器ではなく、身分を表すなにかだろう。
「関帝の命に従い、あなたたちを迎えに来た。こちらへ」
言われて、俺と風見は、それぞれの得物を持ったまま奥へと進んだ。
(……精霊刀も鎌も、特になにも言及されなかったな)
関帝にとってそれらは脅威ではない、ということだろうか。
ともあれ、俺は素朴な外観の廟の横手から裏に回り、思ったより大きな建物だったその外廊下を男に付き従って進んで、やがて大きな部屋の前に出た。
「気づいているな、谷津田」
「ああ。……進むごとに、サイズ感が狂っていく。おそらく最初の外観が本来の関帝廟で、奥に進んだここはもう、本来あり得ざる異界なんだろう」
「こちらです。どうぞ」
男に言われるままに、俺たちは部屋の中に入る。
そこにいたのは。
無数の赤い触手を生やした、異形の肉塊だった。
「来たぞ、関帝」
俺の言葉に、関帝は一見、なにも言葉を返さなかったが。
代わりに、先ほどまで案内してきた男が我々と関帝の間に経って、言った。
「そのようだ、我が従僕よ」
「……従僕、ね」
俺は半眼で男をにらみつけ、言った。
「その男はなんだ? また俺のように誰かから作ったのか?」
「この身体は「関平」だ。概念が余っていた故、人の形を取るものとして作成した。
もっとも、こうして私が入力しなければ自律的にしゃべることすらできん。当世風には、ろぼっと、とでも言うのか、こういうのは?」
「……なるほど。いまは発声機構がないおまえの代わりに、俺たちとしゃべる装置として使っているわけか」
「そうだ。もっとも……そちらの男は特に呼んでいなかったが。見たところ人間のようだな。私には見分けがつかんが、ふむ。何者か?」
「我が名は風見大助。二つ名は『暴風の暴君』――台風の目のごとく、暴風の中心にありて微動だにせぬ男、だそうだ」
「他人からそう評されたのか?」
「この名をつけた女の評だ。正しいかどうかは俺も知らん」
風見がそっけなく言うと、関帝の本体がごろごろ、と音を立ててうごめいた。
「左様、左様。まったく不便なものよな、評判とは。そうでないのにそうであることを強要される。たとえば――」
関平の人形は後ろを指さし、
「赤ら顔と美しい髭。そんな逸話が呪いめいて作用した結果があの醜い姿だ。どうやら世界は、あんなものを髭と称するつもりらしい」
「……それで赤い触手か。そこは合点がいった」
美しい髭を讃えて、美髯公。そんな別名が関羽にはあったことを、俺は佐伯から聞いていた。
(というか、あいつはやたらと三国志に詳しかったんだよな。マニアなのか?)
と、そこで俺は、その佐伯から聞いたもうひとつの話を思い出した。
「そういえば、関平についてだが」
「これについてか。なんだ?」
「関羽の逸話は、三国志演義という「物語」と、その底本となった三国志という「史書」にあるわけだが。三国志演義では関平は養子、史書の方では実子だったそうだが、おまえはどう見ている?」
「どう見ているも、なにも」
関帝は言った。
「私に生前の記憶などない。あるのはただ、信仰として押しつけられた姿だけだ。関平も、おそらくは「物語」の方で与えられたであろう、私に従う「概念」としてしか知らぬ。本当に関平なる子が実在していたならば、当人にとって迷惑なことだろうとは思っているよ」
「……かもしれないな」
俺はうなずいた。
関帝は、ふたたび身体をうごめかせた。どうやら笑っているようだと、俺は推察した。
「追従を使わぬのだな、おまえは。この異形の私に怯えもへつらいもせず、堂々としている」
「そちらこそ、それは追従めいたなにかだろう。おまえはそういう人間を選んだのでは?」
「そうだったな、そうだった」
「……やはりそうか。おまえは、人間を理解したかったんだな」
俺は、かねてから予測していたことを、ストレートに言った。
「そうだ。だからおまえを作った」
関帝も、ごく率直に答えた。
「人間は不可思議だ。心根ひとつ見ても、醜い者も、美しい者もいる。そして心根が美しかったはずの者も、力を与えられてその心が壊れてしまうこともある。そうかと思えば、力を与えられても美しいままの者も、そして独力で力を得て、戦いに身を投じる者もいる。
特に戦いに長ずる者は個性が顕著だ。だから私の近くで戦いの果てに死んだ者を見て、これを通じて世界を見ようとした。そうしてできたのがおまえだ。命を賭して私を討ち、世界を救った勇士から借りた「桃源郷の桃」……それを通じて私は、人間の視点を得て、世界を知ることができた。もっとも――」
関帝は小さくうごめいて、
「あのこしゃくな男にしてやられるまでは、だがな」
「志津方山か」
「どうやらその男の封印を蹴破った者がいるようだな。おかげでなんとか、独力で動けるだけの力を回復することができた。まあ……まだ、不完全だが。いまの私は、この廟の外側を正確に見ることすら能わぬ」
自嘲ぎみに言った言葉に、俺は返した。
「谷津田久則だ」
「……?」
「俺の名だよ。俺は「桃源郷の桃」なんかじゃない。俺の名前は谷津田久則だ」
「妙なことにこだわるな。原型たる人格の名がそれほど重要か?」
「違う。俺は谷津田久則という名の人間だと言っているんだ」
「……おまえの視界は、たしかに共有していたが」
関帝は言った。
「だが、理解できん。おまえ自身、わかっていることだろう? その名を持った人間はすでに死んだ。おまえはそれをコピーされた、我が従僕に過ぎぬ」
「わかってない、わかってない、まったくわかってないんだ、おまえは」
俺は首を振って、その言葉を強く否定した。
「そういうことじゃないんだ。どこまで行っても、コピーだろうと従僕だろうと、そんなこととは関係なく俺は人間だということなんだよ。そしてそれはおまえも同じだ。関帝――違う。おまえは関羽だ。そんなこともわからないのか?」
---next, Guan Yu.




