3.陰楼の庭-the garden of hazes-(前)
最初の印象は、どんくさいやつだな、程度のものだった。
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五歳のときに規格外の魔力数値を計測したわたしは、住んでいた地域を仕切っていた『新生の道』との契約に基づいて、彼らの魔術師育成用施設に預けられた。
施設の名前は覚えてない。滝がどうとかだった気がする。そもそも入っている子供達はみんな施設のことを『施設』以外の名前で呼ばなかった。あれは、そういうところだ。
まあ、そうは言っても、ちょっと外出禁止で魔術とか戦技の授業があるだけの、ごく普通の小学校に近い雰囲気のところではあったと思う。特に、内部の人間関係はそんな感じだ。
人間関係。
学校というのは人間関係を固定された場だ。社会に出てからのように、付き合う人間を選択する権利は子供たちにはない。『同じクラス』というのは年齢や大人の都合で恣意的にラベリングされ、その結果、気に入らない人間と隣の机になることもある。
とはいえ、わたしはその種の人間関係で困ったことは特になかった。
理由のひとつは、『施設』の中で最年長世代だったこと。もうひとつは、特に個性のない優等生だったことだろう。個性のある優等生ならば、派閥を作って君臨するとか、逆に調子に乗っていじめの対象になるとか、いろいろあったのかもしれない。けれどわたしは『単に優秀』なだけの生徒だった。友達付き合いも浅くはあったが、深い付き合い自体を持たなかった。
そんなわけで、なんとなく誰からも距離を取っていたわたしは、小学校特有のやっかいな人間関係には悩まされずに済んでいた。後から考えると、それはとても贅沢なことだったのだろう。人間関係に悩まされなかったのは、この『施設』所属時が最後だった。
後で彼女に聞いたところによると、この幼い頃にわたしと彼女は一度だけニアミスしていたらしい。彼女は典型的な落ちこぼれのいじめられっ子で、そのいじめの場にわたしも同席していたというのだが、記憶にない。興味がなかったのだろう。いじめというのは被害者にとっては重大事だが、傍観者にとってはどうでもよく、加害者にとってはさらにどうでもいい些細な遊びに過ぎない。だからわたしの記憶にはなにもないのだが、後で彼女からわたしがかっこよく大暴れしていたと聞いて首をかしげた。本当に記憶にないのだ。そんな大立ち回りをする義理も興味も、当時のわたしにはなかったのだから。
さておき。
そんな感じで『施設』に入って六年くらい経った頃、わたしは『魔獣』の話を聞いた。
魔獣というのは、あくまで二つ名というかあだ名というか、そういうものだ。わたしの所属する『施設』を管理する『新生の道』。その指導者たる天際司令の養女にして、わたしよりも四つも年下なのにもう実戦投入され、戦果も上げているという、超強力な大魔術師。
聞いた時には、さほどの興味は湧かなかった。まあそういう子もいるんだろうな、という程度の認識だ。
だけどその子が『施設』を見学に来ることになって、実際に対面したとき、わたしの心はたしかに揺さぶられた。
人間関係を求めず『単に優秀』だったわたしが、初めて『それ以上』を欲した。
颯爽とした立ち振る舞い。なにかに挑戦するような強い目線。そしてなにより、自分より年下でありながら、自分の運命は自分で決めるという決然とした態度に、人間として惹かれた。
騒々しい数日間の見学が終わってから、『魔獣』への憧れを口にする人間は猛烈に増え、ファンクラブみたいな部活動を結成するグループまで現れた。
だけど断言する。あの中に、わたしほど『魔獣』への憧憬を真剣に抱いていた人間はいなかった。
並び立ちたいと思った。
彼女と対等になりたいと、共に戦いに赴きたいと、そう本気で考えた。
そのために鍛錬に全力を尽くす――などという、『単に優秀』な生徒が取る道を、わたしはそのときはっきりと拒絶した。このままごく順当に伸びていっても、絶対に『魔獣』には追いつかない。そういう確信があった。
だからわたしは、教員にただ教えられるレベルに満足せず、『合理的に戦闘能力を伸ばす方法』を自力で模索すべく、図書室の資料を片っ端から調べ始めた。
――彼女との出会いは、その図書室の中でだった。
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と、劇的な話みたいに言ったものの、やっぱり当時の彼女の印象は薄い。
彼女が図書室の中にいたのは、歴史の勉強が趣味だったというのと、いじめっ子があまり寄ってこない場所だからという、非常に消極的な理由だった。その事情を知ったのもかなり後になってからで、当時のわたしにとっては、なぜか図書室に行くとよくいる、なんかどんくさいへんな子、という以上の認識は特になかった。
少し会話したこともあるかもしれないが、なにぶん図書室である。あいさつ以上のものではなかっただろう。
わたしが本格的に彼女に興味を持ったのは、定期的に『施設』を訪れるようになった『魔獣』が、彼女と話しながら歩いているところを見たときからだったと思う。それはわたしが図書室に通い始めて、一年以上経ってからのことだった。
べつにそれ自体に心揺さぶられた、というほどではない。ただ、意外な取り合わせだったので興味を持った、という程度だ。興味を持ったので、直接彼女に聞いてみた。すると『魔獣』とは、趣味の一部が一致していて話が合うのだという。どういう趣味か、と尋ねたら、歴史という答えが返ってきた。
当然ながら、『施設』のカリキュラムに歴史なんてない。この『施設』は徹頭徹尾、将来戦闘マシーンになることを約束された子供たち――この頃にはもう『第二世代』と呼ばれるようになっていた、『崩壊』前後に生まれて『崩壊』後の東京圏に適応した、異常に強大な魔力を持った選ばれた子供たちを、戦えるように鍛え上げることだけを目的としていたのだ。
だから彼女が歴史を学んだのはこの図書室でのただの趣味。そして、『魔獣』が歴史を嗜んだのも、たぶんただの趣味だったのだろう。
ただの趣味だったからこそ、二人は親しくなったのだ。
わたしの方はと言えば、当然ながら歴史にはさほどの興味はなかったわけだけれど。それがきっかけで、彼女と話すことは多少ながら多くなった。
そうこうしているうちに、わたし自身に転機が訪れる。自分で調べて自分で行う、自主トレの成果が思った以上に現れだしたのだ。
ここで少しだけ話を脱線させると、魔力の測り方というのは、『崩壊』直後にはものすごくたくさんあって、それぞれの地域でそれぞれのやり方が取られていた。が、五年くらい経った頃には、横浜国大の調査チーム……後に品川調査隊と呼ばれるようになる面々が作った、MG水準比という名前のもので統一されていたと思う。
このMG水準比、通常の訓練された魔術師が10程度。それに対して、あの『施設』で作られた、施設収容の基準値は100以上である。後にこれが、魔術師が第二世代という名で呼ばれるための、東京圏共通の基準になった。
わたしが十二歳になって最初に測ったMG値は812。それに対して、十三歳になる直前のMG値は1355。十三歳になってすぐ、わたしのMG値は1500を突破した。
現代の魔術理論で、あらゆる魔術を術具の助けを得ずに使いこなせる境界値が、MG値で1500前後である。ここを突破したのは『新生の道』側では『魔獣』の子とわたししかいなかったわけで、俄然わたしのまわりは、新しい期待の星としてわたしを持ち上げ始めるようになった。
さすがにそこまで突出すると嫉みの対象になったのか、わたしは陰湿な嫌がらせの対象になりはじめた――のだが、それはすぐに収まった。
理由は、わたしが拳で収めた……とか、そういう物理的なものではなく。
わたし以上に陰湿ないじめの対象になっていた彼女がいじめられている場に通りがかったわたしが、その場でこう言ったことである。
「あの『魔獣』のお気に入りであるその子にそんなことするなんて、あんたたち度胸あるのね。そんなに死に急ぎたいの?」
この発言はまたたく間に拡散し、彼女はいじめられなくなった。と同時に、そういう連中にとってはいい薬だったのだろう。わたしに対しての嫌がらせも同時に、なりを潜めることになったのだった。
わたしにとっては、そんなことはどうでもよかった。
ただ、ひとつ。
わたしがそれを言ったとき、彼女が責めるような目でわたしを見ていたことだけが、少しだけ心の中でトゲみたいに残っていた。
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嵐のように転機はやってくる。わたしが十五歳になる少し前、『魔獣』が小田原を攻略する、というセンセーショナルな噂が流れた。
小田原。
当時わたしたちは、実習と称した実戦に駆り出されるとき以外に外界を直接知る機会を持てなかったが、一方で情報を封鎖されていたわけではない。『施設』を出入りする業者や教師、それから図書室に置いてある新聞などを起点として、耳ざとい連中はだいたい、小田原がどういうところかを知っていた。
いわく、『新生の道』ですらつけいる隙がない魔境。
いわく、大内乱地帯。
いわく、第二世代がゴミのように使い捨てられる戦場。
いわく、厚木から持ち出された戦術核が使われた。
いわく、戦術核ですら勝負が決まらず、まだ内戦は続いている。
そんな感じだった。とにかく、戦乱と無法が入り交じる、恐ろしい場所だったことは間違いない。
そこに『魔獣』が攻め入る。しかもそれに当たって、どうやら『施設』から第二世代を一人借り受けて、補助戦力にするらしい。
この噂がわたしの耳に入ってきたのはだいぶ後だった。というのも、どうも『魔獣』に取り入って抜け駆けしようとした連中が、意図的に情報封鎖まがいのことをしていたらしい。
なので知ったとき、わたしはあわてて教師の元に行って、『魔獣』と共に戦うことを志願したいと申し出た。この申し出は受け入れられ、上層部で審議するので結果を待て、と言い渡された。
この話が出たとき、わたしは選ばれないことをみじんも考えていなかった。内心では、『魔獣』にとって頼れる戦力になり得るのはこの施設では自分だけだという、確かな確信があった。時折駆り出される実習で、わたしよりよい成績を出した人間がいないことも認識していた。
だから、数日後になってわたしが選ばれなかったことを知ったときには、ものすごく愕然とした。当然、教師に食ってかかった。なぜわたしが選ばれないのか説明しろと。
最初は機密を盾に説明を拒んでいた教師だったが、まあ、たぶんわたしが怖かったのだろう。しぶしぶながらに、『魔獣』側からの候補の指名があって、それに『施設』は従うことになった、という旨を打ち明けた。
とっさに思い浮かんだのは、わたしに対して情報封鎖していた誰かが『魔獣』に取り入って、うまくやったのかという疑念。だが、わたしは即座にそれを自分で否定した。願望とかではなく、『魔獣』があいつらに御せるなどということがあるとは、とうてい思えなかったのだ。
だからわたしはぜんぜんべつのことを聞いた。選ばれたのはカジワラサキですか、と。
教師は、一瞬あっけに取られた顔をした後、すぐ真顔に戻って、機密事項だから答えられない、と言った。
――なにかが、わたしの中ではじけ飛んだ。
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人間、完全にぶち切れるとかえって冷静に見えるような行動をするらしい。わたしがそのあと最初に行ったのは、情報の裏取りだった。
優等生としてのコネを利用し、名声を利用し、あるいは魔術を使ってだまし、教員たちの秘密資料を手に入れたわたしは、たしかに『魔獣』が彼女を希望したこと、『施設』側も彼女を放出することに了承したことを確認した。
そこで今度はわたしは、彼女に直接聞くことにした。
といっても、表立って聞いてもはぐらかされるだろう。と考えたわたしは、夜の訓練を行うからと体育館を借り受ける申請を出し、その上で彼女を夜の体育館へむりやり呼び出して、経緯を問い詰めた。
その結果わかったのは、彼女がこの件について、なにも聞いていないし知らない、ということだった。
これには拍子抜けした。わたしはてっきり彼女が『魔獣』と相談の上で、小田原に同行するように決めたのだと思っていた。だが実際には、なんと『魔獣』は彼女には一言も相談せず、上層部と交渉してこの人事を決めていたのだ。
わたしは、それを聞いて若干、心が静まった。というか、彼女に同情さえした。小田原なんていう鉄火場に、ただ友人だからという理由で放り込まれる彼女はかわいそうだと思ったし、そういう身勝手なことをしようとする『魔獣』に対して多少、失望を覚えたりもした。
だからわたしは、半分以上純粋な親切心から、彼女にこの話を辞退するように勧めたのだった。彼女は気弱で臆病な落ちこぼれだったし、辞退しないと死ぬ可能性が高かったし、当然そうすべきだと思っていた。
彼女はそれに対して、ところで小田原ってどういうところなの、という、悠長なことを聞き返してきた。
だからわたしは親切に、小田原についてわたしが知る情報を教えてあげた。
いわく、『新生の道』ですらつけいる隙がない魔境。
いわく、大内乱地帯。
いわく、第二世代がゴミのように使い捨てられる戦場。
いわく、厚木から持ち出された戦術核が使われた。
いわく、戦術核ですら勝負が決まらず、まだ内戦は続いている。
そんなことを、大仰に語って聞かせた。相手の心を折るように。わざとおびえさせるように。
彼女はそれを聞いて、しばらく腕組みをして黙っていた。
その横顔は、図書室では一度も見たことのない顔で、わたしは彼女を見ているうちにどんどん、不安になっていった。
だからダメ押し気味に、あんなところに行ったらあなたはすぐ使い捨てられて殺されるわよ、なんてことを、彼女に言った。
すると彼女はうん、とうなずいて、
「ごめん、綾ちゃん。わたしは行くよ」
……そうだ。そういえばこのとき彼女は「綾ちゃん」と言ったのだ。となると、あのときにはいまから考えると思ったより、彼女とわたしの仲はよかったのだろうか。
ともかく。
わたしは相手の意図がつかめなかったので、なんで、と間抜けな言葉を返した。
すると彼女は笑って、
「だって友達が、助けを求めてきたんだから。逃げられないよ」
――と、忘れられない、その一言を言った。
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わたしは激怒した。
実を言うとあまりに怒りすぎて、そこから先をよく覚えていない。覚えているのは、徹底的に彼女を痛めつけたことだ。最初は怪我をさせないようにおびえさせて、なんて考えていたが、彼女がまったく引かない以上、どんどん暴力はエスカレートしていった。
最終的にこの騒動は、騒音を聞きつけた教師達が駆けつけてきてわたしを止めたことで、幕引きとなった。
――彼女は。
最後まで、逃げなかった。ごめんね、ごめんね、と言いながら、それでも一歩も引かなかった。
最低限、「友達が助けを求めてきた」という思い上がりを矯正しようとしたのだが、それすらかなわなかった。『魔獣』との友情について、彼女はわたしが介入することを、徹底して拒んだのだ。
そして、その三日後。彼女が、寮にあったわたしの部屋を訪ねてきた。
その三日間、わたしは自分の卑劣さ、矮小さに耐えられず、ずっと引きこもって泣いていた。一方で訪ねてきた彼女は、あっけらかんとして、わたしに謝罪ひとつ求めなかった。
というか、別人のようだった。彼女は見違えるようによくしゃべるようになっていた。そして、わたしが引きこもっていたこの三日間のうちに、自分が教師と交渉したり頭を下げたりして、自分が全部悪いってことにして綾ちゃんをおとがめ無しにしておいたから、なんてことを言った。
わたしがとげとげしく、恩を着せるつもりか、と言ったら、だから恩を着せてるんだよ、とあっさり返してきた。
拍子抜けしたわたしに彼女はにっこり笑って、それからこう告げたのだ。
――小田原のことを調べたい。だから手伝ってほしい。