22.桃源領域-XANADU-(前)
(……まずい)
(まずいまずいまずい)
(まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい!)
地下、佐伯の隠れ家の中。
俺は緊張に身をこわばらせながら、あたりの状況を必死で確認した。
現在、破壊された壁をはさんで、こっちとあっちに分かれている状態だ。
こっちには佐伯と俺。だが佐伯はおそらく戦力外。
あっちには椎堂恵瑠と、そして風見大助。彼のトレードマークである、鎌形精霊刀は展開済みだ。
そう、精霊刀をあちらは展開済みなのだ。
俺はまだ展開していない。これは致命的な出遅れだ。
彼我の距離は、だいたい5メートルほど。風見の本来の歩法なら、即座に飛び込んでこようというものであるが、足場が悪い。
がれきによって、踏み込むのが若干やりにくくなっている。それに助けられた形で、相手はすぐ踏み込むことができていない。
だがこちらの劣勢には変わりない。
(せめて10メートルあれば……くそっ、どう動く?)
この場合、手持ちの護符をどう使って序盤を立て直すかが問題になる。
精霊刀は詠唱の短縮効率が極めて悪いことで知られている魔術だ。いまの手持ちの護符を全部使えば即座に展開できるだろうが、そうなると加速に護符を回せなくなって、その後の展開で詰む可能性が高い。
では、加速に護符を回して精霊刀を後回しに、という考えも浮かぶのだが、ランドマークの時のような極端な多重加速は無理だ。通路が狭すぎて、十全に速度の威力を発揮できない。
一番活路があり得そうなのは……加速をそこそこにして距離を取り、精霊刀を展開する時間をがんばって稼ぐアイデアか。
だがこの風見相手に、そんな隙を稼げるものか……?
(だとしても、もうやるしかない……!)
覚悟を決めてにらみ据える俺に、風見は特に表情も変えず、つまらなそうに――ただし隙だけは一切見せずに、鎌を少し持ち上げて、
「谷津田」
という声によって、俺と風見の挙動は中断した。
二人が戦闘に入る瞬間、まさに互いに動き出そうとするその直前に、狙ったように声が滑り込んできたのだ。
声を出したのは、未だソファでリラックスした態勢を崩していない佐伯である。
「おそらく警戒していると思うが、安心しろ。椎堂恵瑠に戦闘能力はない。なんなら隙を見て狙うといい」
(……は?)
言っていることがよくわからず、俺は固まった。
すると、椎堂恵瑠が、不快そうに鼻を鳴らした。
「言ってくれるね。まるで私のことをなにもかも知ってるような口ぶりじゃあないか」
「なにもかもは知らないさ。だが、俺の前でのんきに口を開くような間抜けであることは知ってるがね」
「……。なんだって?」
訝しむ椎堂恵瑠に、佐伯はあくどい笑い顔を向けた。
「おまえが課長の擬態してるってんなら笑いぐさだよ。課長は、椎堂卿は、そんな間抜けだけは絶対にしない人間だった。俺、佐伯博孝の前に情報を転がすいかなる真似も危険だということを、彼女は熟知してたからな」
「知ったかぶってくれるじゃないか。『椎堂計画』の完成度にケチをつけるとは、おまえは何様だ?」
二人で言い争いを始めるのを見ながら、俺はようやく、佐伯の行動と言動に対する理解が追いついてきていた。
(……ああ、ああ! そういうことか!)
佐伯が言葉にしたこと自体は単純。俺は「風見大助」という圧倒的な『戦力』に対して、それだけを警戒対象としてどう立ち回るかを考えていたが、佐伯は「椎堂恵瑠を狙う、あるいは人質に取る、さらにはそれを牽制材料として風見からアドバンテージを取る」というまったくべつの方法論を提示した。
いや、正確には、「俺が」その方法論を取ろうとしていると決めつけた上で、「俺が」実は椎堂恵瑠にも戦える力がある可能性を警戒していると決めつけ、そしてその懸念を勝手に払拭したのだ。
結果として、この戦法は相手にも伝わり、それが牽制となって、相手の行動を一定程度封じることになった。
これだけでも驚嘆すべき手際だが、それだけではない。
(こいつ……俺と風見がまさに戦闘に入ろうとするその一瞬を、意図して狙ったのか!?)
椎堂恵瑠は風見に対して、佐伯は殺していいと言っていた。それはつまり、もう会話に値する相手と見なさないという宣言だ。
この時点で相手は、完全に戦闘モードに入っていた。ここで佐伯から会話の材料を提示しても、相手が応じる可能性は皆無だっただろう。
また、戦いが実際に始まってしまったら、もう会話する隙はなくなる。その場合もまた、入り込める余地はなかっただろう。
だが、戦いが始まる直前。俺と風見が、戦いのことだけに集中し、最初の一手を繰り出そうとしたその瞬間に「声で割り込んだ」結果、予想外の入力に押されて両名の動きがいったん止まった。
そしてその結果、すでに戦闘に入るだけだったはずの局面が、様子見しながら会話する状態まで「戻ってしまった」。
これをすべて、佐伯が狙ってやったのだとすれば。
(化け物だ……)
こいつは高杉綾子みたいなのとは別種の、やはり普通の人間を超越した怪物だ。
「『椎堂計画』ねえ」
その化け物であるところの佐伯は、楽しそうに相手の言葉を反芻した。
「細かいところは聞いてないが、コピースパイ量産計画なんかのなにが有効だと思ったのやら。だいたい、おまえと椎堂卿はなにも似てねえよ」
「それを私の落ち度にされると不愉快だね。椎堂卿は『椎堂計画』の落ちこぼれだ。あれと私を一緒にされたら困る」
言った椎堂恵瑠に、すうっ、と佐伯は表情を消して、
「じゃあおまえ、いまなにやってんの?」
「……意味がわからないのだが」
「いや。俺もまだ全貌はまったくわからないんだけどさ。『椎堂計画』ってたぶん、内面まで含めて統一性出してる感じだろ? だがおまえの引き継ぎ元はその統一を拒んだ椎堂卿だ――じゃあ何を引き継いだんだ、おまえ?」
「私は、椎堂卿の仕事を引き継いで、この横浜での『非主流派』の力を拡張しようと、」
「断言するが引き継げてない。あの椎堂卿が、この状況で俺を殺す短慮をすることはあり得ない」
「言ってくれるな……! なんの根拠で私を貶めるんだ、佐伯博孝!」
「いや、だってな?」
佐伯は軽く笑った。
「課長の考えを俺よりわかってないおまえが椎堂卿のコピーとか、笑えるじゃん。俺がなんでこんな時間稼ぎしてたか、まだわかんねーの?」
「――! 風見!」
言われて風見が一歩踏み込もうとして、
その横手から、暴風のように白い塊が突撃してきた。
「死の舞踏、陽!」
ばきぃ! というにぶい音がして、その白い塊は風見に弾かれ、室内に転がり落ちながら変化し、人の形になった。
「いったたたた……課長、佐伯さん、あと谷津田さん! 無事ですかっ?」
「小辻!?」
俺は目を疑った。
そこにいたのは、高杉の側近にして梶原沙姫が送ってきた援軍。
第七軍の最精鋭、百鬼夜行の最古参メンバーにして、シェイプシフター種の魔物。小辻みそら。
油断ならない戦力であることは知っていたが、それより。
「あー……うん、ちょっと痛かった。この護符の防御ってホントに効いてんの? いたたた……」
「椎堂……椎堂卿」
「課長と呼べ馬鹿。まだクビになってねーぞ」
おそらくは、獣化した小辻に乗ってきたのだろう。吹っ飛ばされた反動で部屋の壁際まで飛ばされた椎堂卿は、俺の言葉にそう言って応えた。
「突発的に、連絡なしで死んだことにしておいた俺だが、死んだことにした場合の手順は前もって課長と決めている。である以上、非常事態には連絡が伝わるような工夫もしてある。
だから課長からの援軍を待ってればそれでよかったんだよ、俺は。絶対的有利な状況と見て、相手の構えを見誤ったな」
「……わからない」
椎堂恵瑠は、くちびるをかみしめて言った。
「わからないわからないわからない! 椎堂卿、おまえが生きているのはまだ許容範囲だ。だが、ならばなぜここに来た! どんな行動原理で動いているにせよ、おまえが死んでいなかったというアドバンテージは圧倒的だったはずなのに、なんでこんなタイミングでその手札を切ってるんだ、おまえは――!」
「あ? なに言ってんだこの芦屋郁枝。頭でも打ったか?」
さらりと言った椎堂卿の言葉に、椎堂恵瑠――否。
(理財課の芦屋郁枝。そういえば、課も違うのにずっと椎堂課長と一緒にいた……)
芦屋は、殺意と表現するのさえ生ぬるいような視線を課長へと向けて、うなった。
「だいたい、おまえはなにをしている! 我らが『椎堂計画』の使命を放り出して、いったいなにを……!」
「そんなクソ計画いまだに引きずってるのはおまえだけだよ芦屋。なんつーか、痛々しかったぞ? 好きでもねえタバスコとかマスタードべたべたの激辛料理を無理して食って、それを悟られないように無表情キャラ演じてるの。佐伯あたりが見たらバレバレに決まってんだろ。なあ佐伯?」
「まあ、はい。そうですね」
しれっと佐伯はうなずいた。
椎堂課長はのんびりと、
「そして断言するが、いまのおまえは絶賛暴走中だ。『椎堂計画』とか引っぱり出して私を引き継いだつもりなんだろうが、私はこんな状況でそちら側につくような軽挙だけは絶対しないよ。そんなこともわからない奴が、椎堂英のコピーだとか。はは、笑わせる」
「……っ、失敗作が……言ってくれるじゃないか!」
「その失敗作ってのも私が意図的に作った風評なんだがなあ。そういうのも解説しないとダメか?」
ごく平然と椎堂卿は言って、それから俺に顔を向けた。
「んで谷津田。過去にあれこれあったが、いまは休戦して共闘しないかね。とりあえず、状況がわちゃわちゃしすぎてて手駒も情報も足りない。協力してくれるならありがたいんだがな」
「それは……」
俺は一瞬だけ考え、
「もうちょっと、落ち着いてから考えます」
「了解。うん、前より成長したな、おまえ」
嬉しそうに笑う椎堂課長。
(なにを見ていたんだ、俺は……)
自分の見識のなさを恥じる。
おそらくは、例のセレンなんとかという変な幻術を使った小細工で、この椎堂卿は意図的に印象を変えていたのだろう。
だが、それでも。俺は元々、こいつを監視する目的で、横浜に派遣されてきたのだ。
にもかかわらず、いつも監視していた椎堂卿と違い、ここにいる椎堂卿はまるで別人のようにエネルギッシュで、隙がない。
……おそらく。佐伯は、その鋭い眼力で、この課長の正体を見切っていたのだろう。
そして椎堂課長も、佐伯のその眼力を見抜いて、側近として重用していたのだ。表だからとか裏だからとか、そういったこととは一切無関係に、その能力を第一に重視して。
(なるほど。これは勝てない――支部長ごときには御せないわけだ)
「撤退を進言する」
ぼそりと、つぶやくように言ったのは、風見だった。
椎堂恵瑠……ではなく、芦屋郁枝。芦屋は、ぎろりと鋭い目で風見をにらみつけ、
「働かない気か、傭兵!」
「単純に勝算の問題だ。谷津田久則は、ただ一人であっても油断ならない戦力。それに加えて小辻みそらは、強者のサポートに慣れた手練れだ。ここで無理に強攻しても、我々が全滅するだけで勝ち目がない」
ぎりぎり、と芦屋は歯を食いしばったが、やがて軽くため息をついた。
「くそ。せめて撤退時の安全は確保しろよ、風見」
「承知している」
「待った!」
声を上げた俺に、ぴたり、と二人の動きは止まった。
「なんだ?」
「風見……おまえ、なんでそっち側にいるんだ? おまえは高杉の味方だったんじゃないのか?」
「また妙なことを言っているな、谷津田」
風見はつまらなそうに言った。
「俺は傭兵だ。小辻みそらの支援任務は終わった。だから新しい雇い主に雇われて仕事をしている。たまたまその仕事で、敵味方が入れ替わっただけだ」
「…………」
「傭兵とはそういうものだ。おまえも、頭にたたき込んでおけ」
言って、風見は芦屋を連れて、悠然と歩み去って行った。
敗者とは思えない、いっそ威風堂々とした去り方に、俺があっけに取られていると。
「谷津田」
と、椎堂課長が、俺に向けてなにかを投げてきた。
思わず受け取ると、それはなにかの粉が入った袋だった。
「聖別した塩だ。使っておけ。ここが見つかったのはおまえに探知魔術が取り付けられていたせいだと、私は推測している。ここからどこに移動するにしろ、それは切っておかないとまずい」
「あ、ああ、どうも」
言われて、俺はあわてて塩を振りまいて、軽く魔力を流して自分の周りの呪術経路を切る儀式をした。
(仕掛けたのは志津か。くそ、つくづく嫌な相手だ)
「とはいえ、状況はよくわかりませんね」
と言ったのは、佐伯である。
「おまえにもわからんか、佐伯」
「俺にも限度がありますから。椎堂恵瑠……いや、芦屋ですか。彼女、なんで志津に協力してるんでしょうね?」
「まあ、それについてはいろいろ、こっちも予測を立ててはいるがな」
椎堂課長はそう言って、肩をすくめた。
「まずはなにより、移動が先だ。この場は敵に割れてしまったからな。安全地帯への退避、それが終わってから、細かいことを話そうじゃないか。な?」




