20.海辺の決闘、再演-seaside re-duel-(前)
「迷惑だ」
志津はいつものように、特に迷惑だと思ってなさそうな口調で言った。
わたしはけらけら笑って、
「まーいいじゃない。そもそも、みなとみらいならどれだけ暴れてもいいって前に言ったのは志津でしょうが」
「そこまでは言ってない。
それにみなとみらいとは言ったが、よりによってなんでランドマークタワーなのかね」
「さっき取り壊し予定だって聞いたから、気分で。なに、まずいの?」
「その様子だと深く聞いてないようだがね。あの案件は私の管轄だぞ?」
「へ、そうなの?」
それはさすがに想定外だった。
志津はため息をついて、
「関帝結界の中心点の話は……しなかったかね、君には。あれの重心は名前に反して、この中華街にはないのだよ。計測してみるとわかるが、それはみなとみらい、それもランドマークタワー周辺にあることがわかっている」
「へー……そうなんだ。
じゃあ実は、ランドマークタワーの取り壊しって、その調査目的だったの?」
「そうだ。本来ならば慎重に、慎重に行わなければならないものなのだが……」
「慎重にやらないと、まずいの?」
「…………」
志津は少しだけ沈黙し、
「そもそも、そこはさほど重要じゃない」
と、返した。
「私にとって重要なのは、そこで行われることが、よりによって私の研究対象二人の戦いだということだ。私にとって、君たち二人はどちらも極めて興味深い存在だ。それが、どちらかが、下手するとどちらとも、破壊されてしまう可能性があるというのは、私にとって喜ばしいことではない」
「んー、まあ、そうねー。でも志津、最近ぶっちゃけ私には飽きてきてない?」
「なぜそう思う?」
「前より研究のための調査が雑になったかなって」
「それは認めるしかないな。正直、現状では研究対象として、君よりも彼の方が魅力的だ。君は理論の予測通りの存在だったが、彼はまだ何者かすらわからない」
「前に聞いたときは、陰楼の変種みたいな話じゃなかったっけ?」
「そこまで荒っぽい言い方をしたかね、私は」
「や、多少わたしの勝手なまとめ入ってるけど。大筋間違いじゃないでしょ?」
谷津田くんがチカを守ったあの日、わたしは志津から、あらかた彼の正体についての話を聞いている。
陰楼が消えて、代わりに現れたのが彼。そして、彼の性質はかなり陰楼に近いという。強烈な再生能力、関帝結界からのバックアップ、中華街との好相性。違うのは少なくとも自我があって、自律的に動いていることくらいか。
陰楼が周期的に動く存在だったという話も、そのときに初めて聞いた。その性質は谷津田くんには受け継がれなかったようだが……
「どちらにしろ、それはわかったとは言えないだろう。なにしろ陰楼自体が正体不明だったのだ。陰楼の変種と言われても、わからないものがさらにわからなくなりましたと言っているだけだ」
「まあねー」
「……考え直す気は、ないのだね?」
「ここで暴れておかないと、どうせわたしたち、そう遠くないうちに激突するだろうからね」
そう予感したからこそ、あのときわたしは戦いを提案したのだ。
どうせ殴り合うことになるなら、制御可能な環境下でやり合おうと、そう決めたのだ。
志津に言いに来たのは、わたしなりの善意である。さすがになにも言わずに戦ったら面食らうだろうという、その程度。
ああ、でも、そういえば。
「そういえば、志津って谷津田くんのことをなんて呼んでるの?」
気になったことを聞くと、志津は首をかしげた。
「なんて、とは?」
「谷津田久則、という名前は使ってないんでしょ? わたしのときと同じで」
「まあ、そうだな」
志津はうなずいた。
「その名前を使うことは、違う二人を混同することだ。私には許容できない」
「そういうとこ、本当にガチガチよね、志津って。じゃあなんて呼んでるのよ?」
「『彼』とか『君』以上の呼び名はつけてないよ」
志津はさらりと言った。
「というか、それは君だって同じだろう。私が君に、なにか決まった名前を与えたかね」
「聞いたことはないけど……それはそれとして名前、つけてるんじゃないの? ほら、論文とかで発表する用のやつ」
「それは現象の名前だろう。君の個体名じゃない」
「谷津田くんはそうでもないんじゃない? あれは当該する現象が彼以外にいないんじゃないの?」
「いまは、そうだな」
志津は言って、ため息をついた。
「そんなことはどうでもいい。せっかく名前がないんだから、自分でつければいい。私は彼の親ではないのでね。名付ける義務もない」
「あらそう。まあ、そうかもね」
「……というか、この件についてはむしろ、君の方が考えなければいけないのではないかね」
「ん? わたし? なんで?」
「君の名前。そろそろ自分でも考えた方がいいのではないかね。いつまでも死者の名を騙っているのはよくないだろう」
「対外的にはわたし、自分の正体を明かす気はないんだけど?」
「それはそれでいい。だが内面の問題だ。
君が、死した高杉綾子から離れた存在として、真に自分として名乗るに足るもの。それをそろそろ、選ぶ必要があるのではないかね?」
志津の言葉に、わたしは肩をすくめた。
「なんだ。そんなこと。わたしの名前は――」
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必要な準備を一通り済ませて、わたしはみなとみらいへ向けての道を歩き出した。
そろそろ夕刻に差しかかる頃。昼はあんなにも晴れていたのに、夕方になったら少し、雲が出てきた。
(まあ、すぐに雨が降る、って感じでもないと思うけど)
わたしは思いながら、赤レンガ倉庫のあたりを横切って、みなとみらい地区への道を急ぐ。
その途中で。
「よ。息災だな」
と、見知った顔が話しかけてきた。
「あらエル。今日はここにいたの?」
「まあなー。聞いたところじゃ、みなとみらいで谷津田とバチバチやるんだろ?」
「へえ。ほとんど誰にもしゃべってないはずなのに不思議ね。それって志津情報? あんた志津とそんなに近かったっけ?」
「馬鹿言え。これは谷津田本人から聞いたんだよ。おまえがいろいろ駆け回ってた間、私は中華街でヒマしてたからな。それなりに仲良くもなった」
「ていうかエル、あんたはいつまで中華街に居候してるつもりなの? チカですらもう、今日の昼には安全が確保されたってことで、自分の家に帰ったってのに」
「私は特別だからなー。『椎堂計画』のせいで、「椎堂恵瑠」をずっと隠して生きてきた。それが椎堂恵瑠に一度なってしまった以上、こう、どう動いたらいいかが見えなくてな」
「よくわからない。どういうこと?」
「つまり私の家は、『椎堂恵瑠』名義で契約してないんだよ。だから帰るのがどうにもな、と、まあ、そういう話だ」
「あー、なるほどねー……」
考えてみれば、こいつもいろいろややこしい奴である。
椎堂計画。椎堂なにがしという名前の似たようなスパイをたくさん作って、それによって仕事を実行する特殊な計画。
そのために、外見だけではなく内面まで似せるという、なんというかスパイ業界の暗黒面を見せられる感じの計画だったが。
「……というか。実は『新生の道』の中のポストすら別名義だったり?」
「うん。だから実は横浜においてわたしは、どこの勢力にも所属しないプー太郎だ」
「あはははは! なにそれおもしろい!」
「だろ?」
爆笑するわたしに、エルもにやりと笑う。
……しばし、沈黙が降りた。
「なあ、高杉」
「なによ、エル」
「考え直さないか?」
言われて、わたしは首をかしげた。
「なにが?」
「隠すなよ。おまえだって薄々勘づいてるだろ。だから誰にも行く先を告げず、ここ二日間、謎の空白時間を作ってなにかやってる。……そうだろ?」
「おや、バレてたか」
わたしは肩をすくめた。
そう。ここ二日間――正確には、山下公園で子供達をボコボコにしたあの戦いの後から、わたしは空白に乗じて、いろいろと小細工をしている。
事件の後処理を始めとして、やらなければいけないことは山ほどある。その「やらなければいけないこと」に混じって、少しずつ、わたしだけの秘密の時間を作っていた。
その間になにをしていたか?
……まあ、いろいろ。いろいろだ。
この話は小辻くん以外には一切明かしていない。そうとう注意深く監視してないと気づかないはずだが……田中ですらおそらくは気づいてなかっただろうことに、エルは気がついていた。
「少し話して、それから情報収集すればわかるだろ。中華街は、志津方山は、そして谷津田久則は――なんかヤバい。理性で語れる話じゃない。だが、すぐ一歩先に地雷が埋まってる予感がひしひしとする。……そうじゃないか?」
「うん。わかるわ」
わたしはうなずいた。
そう。理性で語れる話じゃない。だが、この案件は――というより横浜は、なにかおかしい。
なにかおかしいことが起こっている。わたしが生き返ったこと。谷津田くんが生き返ったこと。そうそう都合良くいくかという案件が、次々と起こる。
その正体は、わたしにもまだ見定められていないが……
「ありがとね、エル」
わたしが言うと、彼女は首をかしげた。
「おい。なんか私、礼を言われることを言ったか?」
「だってその忠告、たぶんあなたの心からのものでしょ?」
「――……」
エルは軽く頬を掻いた。
「まあ、うん。そうな」
「だからありがとうって。誰もが怪しいと思ってるだろうあなただけど……わたしは、あなたがちゃんと、心を持ってわたしに忠告してくれたことを忘れない。友人と言える間柄かどうかは怪しいけれど、エルとわたしの間には、ちゃんとした絆があったのよ」
「おい、よく素面でその恥ずかしい台詞が言えるな」
エルは迷惑そうに言って、
「だいたい私の心なんてあってなきがごとしだよ。『椎堂計画』は対象の内面まで変える。椎堂恵瑠なんて名前を名乗ってる私の心が本物なのか、誰にもわからないんだぜ?」
「それ、悩むべきところ?」
「……逆に聞きたいね。おまえは悩まないのか、高杉綾子? いや、おまえは高杉綾子じゃないんだろう? 高杉綾子の偽物として高杉綾子のふりをしているおまえの心は果たして本物なのか偽物なのか。おまえは考えないのか?」
言葉にわたしは、肩をすくめた。
「あら、だってわたしは――」
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今回はみなとみらい地区に、わたしは海の近くから入った。
前回は検問所を正規ルートで通ったのだが、今回は不法侵入だ。いま『新生の道』の職員としてのわたしのポジションが公的にどうなってるかがいまいち読めないので、めんどくさい話になるのを避けたのである。
そんなわけでわたしは、海沿いにある個性的な外観の建物の横を素通りして、まずは三本でっかいビルが建ってるよくわからない建物に入った。
さっきの建物の名前はパシフィコ横浜。ここはクイーンズスクエア……とか、言ったはず。たしか。
まあ、よくもこれだけの建物を作ったものである。
十数年も立ち入り禁止にされ、いまも訪れる者がほとんどいないここは、廃墟のような風情を漂わせている。が、それはそれとして、圧巻の光景だ。
建物は上に広く開放され、時折そこを通る空中通路みたいなのも見える。一方で、右手側には奈落の底まで続いているんじゃないかというようなエスカレーターがあって、その底は暗くてまったく見通せない。
たしかここは、前に手に入れた資料だと、地下鉄の駅だったんじゃなかっただろうか。いや、確かめに行く気にはならないけど。
ともあれ、そこはわたしの目的地じゃないので、スルーして奥へ。
わたしはいったん下の階へ移動して、さらに進む。
さっき歩いていたのは「二階」だった。そのまま行っても本来ならランドマークタワーへ行けるのだが、いまは解体工事の準備中である。通行はしづらいだろう。
いや、まあ、魔術でちょちょいと立ち入り禁止の柵を破壊しちゃえばどうとでもなるだろうが、工事の人の迷惑を増やすのは忍びない。
田中の情報によると、一階の通行はまだ規制されてないのだとか。いや、シャッターの類は下ろせるのかもしれないが、工事の人の便利な通用口として、そのまま置かれているとかなんとか。
一階と言ったが、広々と上に空間があった二階とは違って、こちらは地下街のようにしか見えない。
そしてやっている施設もないので、ところどころに明かりがあるだけのそこは、不気味な空洞だった。迷宮、といった風情すらある。
それを抜けて、ずっと奥へ。
しばらくすると、雰囲気が目に見えて変わった。
と言っても、廃墟であることには変わりがない。ただ、建物自体が、昔はここでいろいろやってたんだろうなという、そういう作りに変わっただけ。
ランドマークプラザという建物である。
左手にある非常口を無視して奥へ。
エスカレーターがあったが、いったん無視して、さらに奥へ。
するとちょっとした庭のような、空に向かって開けた場所に出た。
たしかここを左手側に行くと、ランドマークタワーの本体……だが。
「思うに。これだけ広い場所で、待ち合わせ場所の詳細も告げないというのはある種、不誠実では?」
空から声が降ってきたので、天を仰ぐ。
谷津田久則。
彼は、このプラザの上、おそらくは五階部分と思われるところの手すりからこちらを見下ろして、にらみつけていた。
わたしは腕を腰に手を当て、上を見上げて、
「そうねー。わたしも来るのは初めてだったから。ごめんね」
「どちらでも構わん。戦いならさっさと始めるぞ」
「え、なんで?」
わたしが素で言った言葉に、谷津田くんは首をかしげた。
「おまえが言ったんだろ。ここで決着をつけると」
「決闘をする、じゃなかったっけ? まあどっちでもいいけど。
ただ、いまいちわたし、わかってないのよね。なんで谷津田くん、わたしのこと嫌いなの?」
「第二世代の化け物を好きになる道理などないだろう。俺は――」
「だぁーかーらー」
わたしは、ため息をついて言った。
「もうその理屈はどうでもいいでしょうが。人間だったときならともかく、いまや君だって不死身の化け物でしょ?」
「俺は――俺は……」
「かつてどんな教育を受けたかとか、どういう生き方をしてたかとはべつに。いまわたしと君は対等でしょうが。対等なものを一方的に嫌うとか、よくないでしょ?」
「……俺にだってわからない」
谷津田くんは、うなだれてそう言った。
「俺にだってわからないよ。そもそも俺の人生はすべて、生きるためのものだった。
生きるための人生だった。そのためならなんだってした。誰かを殺すことも、誰かに仕えることも。全部生き延びるために、そのためだけにやってきたんだ」
「…………」
「だけどそれは、谷津田久則という人間の話だ。俺じゃない」
彼はそう言った。
「ああ、わかってたさ。俺はもう人間じゃない。谷津田久則でもない。志津方山なんていう底なしの化け物ですら、意味がわからないなんて言うような怪物だ。
だからわからない。わからないんだ。なあ、高杉綾子。いや、高杉綾子じゃないんだろう、おまえは?」
彼は……苦しそうに、言った。
「なんでおまえはそれができるんだ? 以前となにも変わらないように、傲岸不遜に己を扱って。高杉綾子を名乗って、高杉綾子でもないくせに、高杉綾子みたいに戦ってる。
なんでそんなことができる? おまえはなんで俺と違ってそんなことができるんだ。答えろよ。なあ」
心底から、苦しそうな言葉だった。
張り叫んでいるわけでもないのに、わたしにはその声は、絶叫のように聞こえた。
なら、わたしは心から、誠実に答えねばならない。
だから答えた。
「なに言ってるの。わたしは――」
「わたしは高杉綾子だよ?」




