16.予兆-sign-(後)
「……なにこれ?」
わたしは半眼で、その机の上にあるものを見ながら言った。
対策会議をする、と言われてやってきたのは志津の研究室。いつも行く検査室みたいなところとは違って、どうやら私室のようなのだが。
いや、私室が汚くないのはいいことだと思うよ?
いいことだと思うけど、整った部屋の机の上にひとつだけ置かれたソフトウェアのパッケージとおぼしき物体に、あからさまに小学生の女の子っぽい外見のキャラクターが描かれているというのは、その、なんだ。
なにこれ? としか言いようがない。なにこれ。
「……? どうかしたか?」
「いや。そのソフト、なに?」
「これか? これは『崩壊』前に売られていた音声合成のソフトウェアだ。最近三浦から取り寄せた」
「……音声合成?」
どう見てもいかがわしいソフトにしか見えないパッケージを見て、首をひねる。
「このパッケージに書かれてる「ボカロ小学生」ってどういう意味?」
「さあ? 私にとっては使えればいいものでね。
とはいえ……この音源は思ったより使いにくいな。やはり「音街ウナ」と「東北きりたん」が至高か」
イヤホンを片耳にしてパソコンと格闘していた志津は、心なしか楽しそうにそう言って、ふう、とため息をついた。
「……ていうか、なんに使うの?」
「わからないかね? 私に言わせれば、大量破壊兵器も同義だと思うのだがね」
「大量破壊兵器……?」
言われてわたしは少し考え、
「あ、まさか『詠唱』手順を合成音声で補う気!?」
「正解だ。
高速詠唱、多重詠唱、詠唱意図の複数化による工程の進化。どれも素晴らしい。事前にファイルを作り上げておかなければならないのだけが欠点だが、おつりが来るほどの恩恵がある」
「なるほどー……なるほどなるほど。なるほどなー」
わたしは言った。
「ロリコンだけを的確に萌え殺す社会浄化装置ではなかったのね」
「面白いアイデアだが、声だけではさすがに難しいのではないかね?」
平然と志津は言って、それから振り返った。
「田中くんは?」
「さっき島田さんと話してたわ。なんか用事があるんじゃないのかしら」
「では二人ともまだかね。困ったな」
「二人になにか用でもあったの?」
「ないよ。むしろ、私は今回の話にあまり関わりたくない。さっさと会議を終えて解散して欲しいというのが正直なところだ」
「まあまあ。中華街に迷惑をかけないための対策会議でもあるんだから」
「……ふむ。まあ、仕方あるまい」
志津はうなずいた。
と。
「邪魔するよ」
車椅子を動かして入ってきたのは、横峰だった。
ちゃっかり、その後ろに田中がいて、車椅子を押している。そんなことしても彼の正体はもうバレているのだが、なにかポリシーでもあるんだろうか。
そして、その後ろから島田さんがやはり入ってきて、電気ケトルの横に立った。
「ブラックではいけない人は?」
「あ、僕、ミルクと砂糖ほしいです」
「はいはい。田中さんだけ。他にはいないわね」
手際よくインスタントコーヒーの準備をしていく島田さん。できる人だ。
ぱん、と志津が手をたたいた。
「では、会議を始めようか。
議題はただひとつ。ここの関係者全員にとって問題である、新しい精神操作魔術への対抗策を練ることだ」
「技術だけでは無理なのかね?」
と、これは横峰である。
「志津くんは私の知る限り、東京圏でも随一の魔術の使い手であると認識しておる。その志津くんが対策できない魔術であると?」
「すぐには難しいです、横峰翁」
志津は冷静に言った。
「風見という、あの傭兵殿から聞いたことですが。彼によれば、どうやらあの魔術は『パーティ』の新成果だという話です」
「『パーティ』……聞いておるよ。百地当真の研究グループだな」
「はい」
志津は生真面目にうなずいた。
「彼らは本来の技術力ではさほど飛び抜けてはいません。しかし、登戸と二子玉川の間にまたがる大異界、『驚異の迷宮』の攻略を目指し、日々研鑽している。
そして異界というのは、珍しい魔術現象の宝庫なのです。未知の魔術現象を利用した、未知の作用原理による魔術となれば、私としてもすぐに抵抗することは非常に難しい」
「では、どうする?」
「ですから、作用原理を知る必要があります」
志津は言った。
「魔術の作用原理さえ知ることができれば、後はそれに対する対処を結界に混ぜ込むだけです。ですが、そのためには情報収集が必要です。時間をかければ、方法を洗い出して対抗することは可能でしょうが……」
「術者を捕らえて、そこから聞き出してしまうのがいちばん早いと?」
田中が言うと、志津はうなずいた。
「そういうことになるな」
「なるほどね」
田中はうなずいた。
(……微妙に誘導したわね、こいつ)
他の選択肢がないかのように、自分の提案ではないように、さりげなく意見を通した。
実を言うと、中華街をあの魔術から当面守る方法というだけなら、もっと簡単なものがあるのである。つまり、チカとエルを、外に放り出してしまえばいい。
放り出す、と言っても、なにも見捨てるということではない。単にわたしたちと一緒にホテル暮らしをしてもらえばいいだけだ。相手が中華街を狙う必要性がなくなれば、それでいったん問題は解決する。後は志津が時間をかけて対処すれば終わりだ。
が、それでは今後の戦いが、わたしたちにとって不利になる。
つまり、田中はいまの一言で、志津を巻き込んだのである。わたしたちを巡る、『新生の道』の内部抗争に。
(やっぱこいつ、あきれるくらい手際がいいわね……)
「ではその方針で行くとして、目処はあるのかね? 証言によれば、どうやらあの敵の目的は高杉殿たちであろうということだが……その正体も不明、居所も神出鬼没。『再生機構』も我々も、これでは手を出しようがない。どうするのかね?」
横峰が言って、島田さんもうなずいた。
「ええ。川崎の傭兵たちは、独自の情報網と行動様式で動く場合がほとんど。加えて軍人と違って、あくまで民間人だから、公式資料みたいなものもない。
相手はじっくり攻めることも、いきなり強襲することも、どちらもできるわ。昨日は、私と話していた椎堂さんは釣られて出なかったので、おそらく誰かが監視していれば精神操作の影響からは逃れられると推測されるけど……それにも限界があるものね」
「あー、それなんだけど」
わたしは言った。
「強襲せざるを得ない状況を作るって、どうかな?」
「……ふむ」
「……ほう」
「……へえ」
志津、横峰、田中がそれぞれ、反応を示した。
「考えないではなかったが。追い詰める方法があるのかね?」
「ええ、横峰さん。とても簡単な方法があるのよ」
「私も意外だな。どんな裏技だ?」
問う志津に、わたしは軽く肩をすくめて、
「相手は神出鬼没の川崎の傭兵。それはわかってるけど、雇い主はそうじゃないでしょう?」
「……いや。待って。ちょっと待って」
田中が言った。
「なんか君、ものすごく物騒なこと考えてない?」
「そりゃあ、戦いだもの。考えてるけど」
「あのさあ」
田中は渋面で言った。
「いくらなんでも、『新生の道』横浜支部を直接攻めるってのはナシだよ。
現状、僕たちが協力できているのは、君たちが冤罪をかけられているという前提があるからだ。冤罪ではなくガチでやってしまったら、『新生の道』本体が君たちを放っておかない」
「そんなのわかってるわよ」
「なら……」
「ところが、それで納得できない人間がひとりだけいるのよ。そうでしょ?」
わたしが言うと、田中はきょとんとした。
「……というと?」
「だから、支部長よ。傭兵達の雇い主」
わたしは繰り返した。
「支部長は知っている。かつてわたしが、『新生の道』でも最強格と呼ばれた強大な第二世代であるということを。そして、そのわたしがヤケになって、せめて支部長を道連れにしてやるとか言って攻撃をかけた場合、わたしは排除できるけれども、支部長も確実に死ぬってことを」
「…………あ」
田中は呆けたように、言った。
「つまり……」
「そうよ」
わたしはうなずいた。
「支部長はわたしを恐れている。おそらく最重要命令で、監視のための包囲網をこの中華街の外側に組んでいるはずよ。そんな彼らが……わたしが支部に近づいたら、それだけで確実に反応するはずよ」
「高杉殿の身を囮にして相手の包囲網をおびき出し、そしてそれを討つ。そういうことか」
横峰はそう言って、ふむ、と吟味し、
「勝てるかね?」
「たぶんね」
わたしは答えた。
「たぶん、それで勝てる。一度脅してしまえば、相手は絶対に引き下がらないし……そういう相手は絶好のカモよ。
戦力分析はとうにできている。後はそれを具体的なプランに落とし込むだけ。島田さん、田中、今日の夕方から夜でも戦力の都合はつく? 一気にやるわよ」
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「チカー?」
会議が終わって。
わたしはかつて寝泊まりしていた、懐かしの宿泊室に来ていた。
いまはそこには我が親友、藤宮千景が寝泊まりしているはずなのだが……
(いない、か)
そこに誰もいないことを確かめて、一息。
……そういえばそうだ。チカは今日から、寝床を別室に移したのだ。
あの精神操作魔術がどういうのだかはわからないが、「道に迷わせる」ものであることはほぼ間違いない。
そして、対面して二人でいるときにふらふらと出て行って勝手に道に迷う、ということはほぼないだろう。現に、昨日島田さんと話していたというエルは、なんともなかったのだ。
それがわかったため、朝に相談の上、今日からはチカはエルと同じ部屋に寝泊まりしてもらうことにしているのだった。
ふう、と吐息して、そしてわたしは。
(あ、やば)
軽い立ちくらみを覚えて、わたしはぺたん、とその場にしりもちをついた。
……壁に手をつくのはよくない。いまのわたしだと、かなりの確率ですり抜けそうになる。
実を言うと、前からそういう傾向はあった。
肉体と心が離れていく感触、というのか。幽体離脱現象みたいなのが、頻発している。
今日は朝から、ずっとだった。実を言うと、風見との戦いの間も、ずっとこれに悩まされていた。
志津には言っていない。どうせたいした助言はくれないだろうと思っている自分がいる。
……そう。わたしはこの現象の正体を知っている。
かつて志津は言った。わたしは、自己領域こそが本体で、肉体はそのおまけに過ぎないのだと。
そしていま、とうとう自己領域が、肉体と本格的に分離し始めている。
慣れればたぶん、どうってことはないと思うのだ。
いまは多少、手間取っているだけ。新しい感覚に、身体がついていかないだけ。
(やるべきこともある。戦力の分析をしないと)
港の見える丘公園で会敵した第二世代。それも、おそらくは二人。
どちらも見たことのない魔術を使っていたが、志津と風見に尋ねれば簡単に正体は割れた。
その対策を確立させて、そして作戦を練って。
もっと、もっと、やるべきことがいろいろあるんだから……
「……綾ちゃん!」
――気づくと、目の前にチカがいた。
「綾ちゃん、綾ちゃん、大丈夫!? ねえ!」
「チカ……?」
泣きそうな顔でチカは、わたしの身体を揺すっている。
わたしは。
「いま、わたし、どんな状態だった?」
「わかんないけど、死んじゃいそうな顔色してた。
それで、すごく不安になって。嫌だよ、綾ちゃん。無理しないで……」
「…………」
わたしは、なにか返そうとして。
ため息をついた。
「……うん。そうだね」
我ながら気負いすぎだ。
このまま突っ走って、結果としてどうしようもないことになるよりは、少し休んだ方がいい。
本当は、チカには頼みごとをひとつ、するつもりだったけれど――
(いまはやめとこう。身体を休めて、戦いに備えないと)
身体を抱きしめてくるチカを受け止めながら、わたしは、少し笑った。
……思い返せば。
他人にこんなに心配してもらったのは、実は生まれて初めてかもしれないと、そんなことを考えたのだ。
無条件の味方が小辻くんしかいないなどと、なんと傲慢な考えだっただろう。
わたしは恵まれている。
(……じゃあ)
谷津田くんは、どうなんだろう。
チカを助けてくれた谷津田くんの正体は、昨日のうちに志津から聞き出していた。
彼には、わたしのような味方は誰もいない。
それはとても悲しいことで……
わたしはそれに対して、なにかしなければならない。そんな気がしたのだ。
ともあれ、決戦は夕方。
泣いても笑っても、ここで決める。これ以上、事態を長引かせるつもりは、わたしにはなかった。
---next, seaside battle.




