15.自分自身-myself-(後)
「『椎堂計画』……椎堂恵瑠……だと……?」
俺は混乱して、その女を見つめた。
たしかに、不自然なほど似ている。
名目的には課長という立場で、つまり上司。そして俺が横浜に来た当初には、主な監視対象として指定されていた人物――椎堂卿と、この椎堂恵瑠と名乗った女は、異常に似ていた。
姉妹という説明でも説明しきれないほどの類似。かといって、同一人物と言うには背丈が違い過ぎる。
だが。
「『椎堂計画』なんてのは、都市伝説だろう。できるはずがない」
「あはは、そう来たか」
椎堂恵瑠は、そんな俺の言葉を、軽く笑い飛ばした。
「だが私からすれば逆だ。谷津田久則、おまえが生きてるはずがないんだ。死体は複数人が確認してるし、その中には椎堂卿も含まれていたんだからな。
だがおまえは生きている。これはとても神秘的だ。それに比べて『椎堂計画』は、そこまで不条理なものだったかね? ん?」
「……反論できないのが苦しいな」
苦々しく、俺は言った。
椎堂計画。それは、椎堂英という名の優秀なスパイを用いて考案された、人体改造を伴う多重スパイの育成計画の名だ。
椎堂英とよく似たスパイを大量に用意し、それらを神出鬼没に入れ替えさせることによって、機密情報を盗み出す。
この「よく似たスパイ」というのがただの整形手術による顔似せ程度ならば、それはまあ、超常的なものとは言えなかっただろう。だが『椎堂計画』は、思想の統一や魔術の使用といった、本当に「ありとあらゆること」をして、これを完璧に実現するという触れ込みだった。
もちろん、それが実在したという証拠はない――『椎堂某』という名の職員が『新生の道』のいろいろな部署にいたことは事実だが、スパイ活動を行っていたという証拠は特になかったはずだ。
第一、
「魔術で外見を似せるなんてのは、無理だろう。要はそれは『幻術でごまかす』ということだ。そして幻術は、すでに知られている対策法が大量にある」
「ふふん」
椎堂は上機嫌にそう言って、それからぱん、と手を打った。
「なら、どうかね谷津田よ。ここで情報交換と行かんかね?」
「情報交換だと?」
「そう。私は『椎堂計画』のトリックについての情報を渡す。代わりに、おまえはおまえの事情を教えてくれ。それでとんとんだろう?」
「…………」
少し、俺は沈黙した。
(おそらく、俺の情報を隠すのは無意味だ)
こいつに対して隠し通しても、高杉が志津に聞くだろう。そして、志津が俺のことを秘密にする可能性は低い。
ならば、この取り引きは実質ただで情報が手に入ることになるが……
「そんなに悪い取り引きじゃないと思うんだがな……不服か?」
椎堂の言葉に、俺は顔を上げた。
「いいだろう。ただし、そちらからだ。そして、開示された情報が不十分だと判断したら、俺はなにもしゃべらない」
「なるほど。……ま、それでもいいよ」
椎堂はそう言って、それから笑った。
「さて、幻術でごまかすことが、スパイ活動に不適という話だったかな?」
「ああ。それは間違いない」
確認するまでもなく、それは東京圏の魔術師にとっては常識である。
高杉綾子との戦闘を思い返せばよい。戦闘中のただのめくらましとして使うだけでも、三重加速などというキワモノが必要だったのだ。
訓練を受けた魔術戦士には、かけた瞬間に察知される。そうでなくとも、機械式のセンサーもすでに開発されていて、そして見つかったら偽也で即座に破られる。
要約するに、幻術というのは使いにくい。まったく使えないわけではないが、使い道はとても限られる。
もちろん、有効な使い方は模索されていて、俺もその使い手のひとりではあったのだが……
「セレンディピティ、という言葉を知っているかね?」
椎堂はいきなり、話題を変えた。
「セレン、なんだって?」
「セレンディピティだ。ちゃんとした英単語だぞ。オックスフォードの有名な辞書にも載っているんだ」
「意味はなんだ?」
「これがとても説明しにくいんだよ」
椎堂は言った。
「対応する、うまい日本語訳がないんだ。語源はよく知られているらしいんだがね。スリランカという国を舞台とした童話のタイトルにちなんで、その童話でよく起こる出来事の数々をセレンディピティと呼ぶんだとか」
「……で、結局意味はなんだよ?」
「おまえ、ポストイットって知ってるよな?」
「また急に話題が変わったな」
「変わってないよ。私が読んだ本にこういう話があったんだ。あるとき科学者たちが、とても強くくっつく糊を作ろうとした。ところができあがったのは意図したのとは違い、ほんのちょっとしかくっつかない糊だった。しかし科学者たちはそこでふとひらめいて、その弱すぎる糊の使い道を探した――で、できたのがポストイット。この「ひらめき」が、セレンディピティという言葉で表されるものなんだという話だった」
椎堂の言葉は謎めいていたが、少なからず暗示的だった。
「セレンディピティ……つまり、使えないと思っていたものが、まったく別の目的に使えると気づくこと、といった意味なのか?」
「それも意味のひとつだ。さっきも言った通り、この言葉は難解でね。簡単には説明しづらい……が、『椎堂計画』の話をするのなら、その理解で十分だよ」
「だんだんわかってきたような……つまり、おまえたちが使ってたのは」
「ああ」
椎堂恵瑠は、うなずいた。
「とんでもなく弱い幻術。それこそが『椎堂計画』の核心だった。最初は強力な幻覚によって椎堂英の完全なコピーを作り、手足のように使役する計画だった『椎堂計画』は、このセレンディピティによって、まったく違う形で実現するに至った」
「だが、弱い幻術というだけでは説明できないだろう。
俺の目から見ても、おまえと椎堂課長は信じられないほど似ている。これが弱い幻術の影響だとはとても……」
「だから逆なんだよ、それは。似せるための方法は化粧や整形外科や、あと光の魔術とかだ。最後のは簡単には使えない――自分の上にペイントするようなものだからな。だが見た目をペイントする程度の魔術なら、常時発動させておいてもたいした負担にはならない。一度も切らなければ複製はそれだけで完成する」
「では幻術は使わないのか?」
「いや、使うよ? たとえば……こんな風にな」
言って椎堂は、手を軽く振って、
「虚構幻想」
なにかの魔術を発動した。
(…………。
なんだ?)
「おまえにはどう見える? 谷津田」
「どう見えるもなにも……」
俺はあきれた口調で、言った。
「なにも変わらん。術の発動前と発動後で、変わったと思えるところがない」
「そりゃあそうだろうね」
「……だが、本当に少しだけ、幻術の気配がある。おまえ、一体、なにをした?」
たしかに椎堂の言う通り、彼女の魔術は本当にささやかな幻術だった。
幻術の気配が薄すぎて、もし目の前で発動されたのでなければ、見逃してしまっただろう。
注意深く観察しなければ、専門家である俺ですら見落とすほど弱い幻術。だが、それではなにも……
「この幻術の効果は二つある」
椎堂は言って、指を一本立てた。
「第一の効果は、わたしが椎堂卿と似ているという『印象』を隠すものだ」
「……なんだって?」
「だから、発想が逆なんだよ。似ていないものをそっくりに見せるんじゃない。元から似ているものを、似てないように見せるために、幻術を使ってるのさ。誰が『次の椎堂』なのかを、わからなくするために」
俺はあっけにとられた。
確かに……確かにそれなら、つじつまは合う。
誰かが椎堂卿になりすますには強力な幻術が必要だが、逆に椎堂卿と似てないと思わせるだけなら、たいした力は必要ない。
椎堂はもう一本、指を立てて、
「第二の効果は、私の注目度を下げるものだ。こいつのことはあんまり意識しなくてもいいか、と無意識のうちに思わせる。これもまた、たいした効果ではない」
「それは……しかし、俺にいま効いているようには見えない。なぜ?」
「そりゃおまえ、ずっと私を見続けて、話し続けてるんだ。印象なんて変わらんだろうし、話してる相手を注目しない馬鹿がどこにいる?」
「……そういうことか。結局、これは平時にこそ効く魔術だな」
似てないと思わせるための小細工。注目されず潜伏するための小細工。
どちらも小細工で、戦闘のような非常時には効果はない。だが、日常的にいつも使っているとすれば?
「そして隠れた三つ目の効能があるんだ」
椎堂は、さらに指を一本伸ばした。
「この魔術の真に素晴らしいのはそこだ。いいかね、私が椎堂卿の近くにいて、『椎堂計画』とは無関係な一般職員を装って、この魔術で潜伏していたとする。一方でおまえは素人ではないから、この魔術、つまりは幻術が使われていることに気づくかもしれない。気づいて破幻魔術を実行する。どうなる?」
「それは……」
「答えは簡単だ。どうもならない。せいぜい、私の印象が少し普段と違うな、という程度の変化しか起こらない。おまえはたぶん、幻術が使われていたと思ったのは気のせいだったと思い込むんじゃないかな。結果として私が幻術を使っていたことはバレない。そしてほとぼりがさめたところで、私はまた同じ術を使い直し、それで元通りだ」
俺は、だんだんとこの魔術の、その凄みというものを理解しつつあった。
確かにそれは、こいつの言う『セレンディピティ』に違いない。
おそらく『椎堂計画』の立案者たちは、最初はバレないほど弱い幻術で、椎堂の外見を似せることを考えていたのだろう。
だがそれはできなかった。できなかったからあきらめた――というのが、この都市伝説を聞いた当初の俺の考えだったのだが、実際には違う。
彼らは、『弱い幻術でできること』を探した。
幻術の弱さが弱点にならない、むしろ強みになる方向性を模索して……その結果、最初から似ている人物を似てないと誤認させるという、まったく違う使い道を見つけたのだ。
その効果は派手ではない。俺が小田原で培った、第二世代殺しのための技術としての幻術と比べれば、本当にささやかなものだ。
ささやかだが、それ故に見破れない。
そして組織に浸透するスパイが使えば、それは長期間に渡って、少しずつ組織を蝕む毒になる。
おそらく、この椎堂恵瑠という女は。
「おまえ……もしかして、ずっと『新生の道』横浜支部にいたのか。椎堂卿に似ていない誰かとして」
「そうだよ? おまえとも、廊下で挨拶したことは何度もある。誰も私の正体には気づかなかったがね……横浜支部で私のことを知っていたのは、椎堂卿だけだ」
椎堂はそう言って、笑った。
「さて、これが『椎堂計画』の正体ってわけだ。おおむね疑問には答えたと思うが、対価を支払ってもらえるかね?」
「……まだだ」
俺は首を横に振った。
「『椎堂計画』が実在していたかもしれないとは、思うようになった。だがそれなら、その『計画』の目標はなんだ? おまえはいま、なにを目標として動いている?」
「そんなの決まってるだろ。椎堂卿の引き継ぎだよ」
椎堂は即答した。
「そもそも、『椎堂計画』自体は、とっくの昔に破綻してたんだ。椎堂英は死んだ。他の椎堂シリーズも、大半が記録にない形で処分された。生き残ったのは卿と恵瑠、この二体のみ。
だから椎堂卿がここの情報課に配属されたのは、言ってみれば在庫処分みたいなものだったんだよ。知っての通り、ここの支部長殿はくせものでね……いつ暗殺されるか、あるいは罪をでっち上げられるかわかったものじゃない情報課長を、少しでもつないで、派閥の勢力を保つ。そのための生贄さ」
「だが、椎堂課長は……」
「うん。二年も務めた」
椎堂は、あっけらかんと言った。
「誰にとっても予想外だったのはそこだ。椎堂卿はうまくやりすぎた。ほとんど『主流派』が掌握していた横浜に介入して、『非主流派』の派閥力がある程度通用するようにしてしまった。結果として、『椎堂計画』は見直されたわけだ。椎堂卿が万が一倒れたとき、私がバックアップとして動く。そのような形にね」
「では、おまえは」
「ああ。『非主流派』の横浜での代表として、その勢力を維持し、可能なら拡大する。そのための『椎堂計画』。そのための、最後の生き残りだ」
「椎堂課長は……死んだんだな」
俺が言うと、椎堂はきょとんとした顔をした。
「なにをいまさら。最初から言ってるだろう――私が『椎堂計画』の最後の生き残りだ、と」
椎堂はあっさり言ったが、俺には別の感慨があった。
俺、つまり谷津田久則は、そのうまくやった椎堂卿の監視のために、横浜に送り込まれた人間なのだ。
いや、人間だった。
いまは……
「で、そろそろいいだろ。教えてくれよ。
谷津田久則。元、小田原の暗殺者にして、『主流派』の刺客のひとり。高杉綾子を暗殺しようとして、返り討ちにあって死んだはずのおまえが、なんで生きて中華街にいるんだ?」
「わからん」
俺は言った。
「志津によれば俺はコピー品らしい。詳しくはあいつに聞け」
「ふむ。なるほど。本人からの許可があれば、あるいは彼も教えてくれるかね?」
「俺は逆に、高杉の方が気になっている。ずっと疑問に思っていたんだが……もしかすると高杉も、『俺と同じ』なのか?」
言うと、椎堂は肩をすくめた。
「それこそ志津さんに聞いてくれ。私も詳しくは知らんよ。
ただまあ、ちょっと違うんじゃないかね。谷津田久則の死体は処分されたが、高杉は死体が生き返ったような状況だったと聞いている」
「……そうか」
言われて、少しだけ感慨があった。
どうやら、谷津田久則は高杉綾子の暗殺に失敗してはいなかったようだと、いまさらながらに知ることができた。
それは、少しだけ救いだった。
「で、こっからはべつの話になるんだけどさ」
椎堂は、なんでもないことのように言った。
「というか、もうただの好奇心でしかないんだけど。おまえ、これからどうするの?」
「俺は……俺には、なにもないよ。
もう『主流派』は俺を切り捨てている。それに、俺は志津に縛られていて、中華街を出る許可が与えられていない――そもそも、自由がないんだ」
「さっき藤宮千景を助けてなかったか? あれは自由ではないと?」
「それは気の迷いだ。忘れろ」
「きしし、案外女子には優しいタイプだったんだねえ、谷津田くんよ。私はそういうの、嫌いじゃないぜ」
「……そもそも、俺は『谷津田くん』ですらないだろう。コピー品だと、さっき言わなかったか?」
俺が言うと、相手は鼻で笑った。
「なにをいまさら。それを言うなら私たちは……『椎堂計画』の全員は、ただの椎堂英のコピー品だよ?」
「…………」
「『椎堂計画』は、対象者の思想すらいじくる」
椎堂は、なんでもないことのように言った。
「だから私は、『椎堂恵瑠』ではなかった私は、『椎堂恵瑠』になった時点で自分を失ったのさ。もう私は、元々なにを考えていた、どんな人間だったのかすら覚えていない。
私からすれば、おまえがコピー品だの自由がないだの、馬鹿げてると思うね。だっておまえは、少なくとも谷津田久則と名乗れるじゃないか」
「…………」
「やれやれ。隙あらば『非主流派』にでもスカウトしようかと思っていたんだがね。その腑抜け方だと時間が必要だな。
出直してくる。おまえは少し、頭を冷やしたほうがいいぞ、谷津田。自分にはなにができるのか、休暇と思って見つめ直すといい」
椎堂恵瑠はそう言って、その場を立ち去った。
「……勝手な……ことを……!」
俺のなにがわかる、と言いたかった。
だが、言えなかった。
椎堂恵瑠は、少なくとも俺よりもずっと、自分がないことを受け入れていた。
では、俺は。
谷津田久則の記憶と、谷津田久則の姿形を持ち、谷津田久則のココロを引きずっていながら谷津田久則ではない。この俺は、俺という存在は、いったいなんなのか――?
答えを出してくれる人間は、どこにもいなかった。
---next, the time of ghosts.
【魔術紹介】
1)『虚構幻想』
難易度:D+ 詠唱:簡易詠唱 種別:幻術
効果は本文の通り。
極めて簡単に使える、極めて弱い幻術で、ほんの少しの効果を出す。戦争続きで、即効性のある攻撃魔術ばかり研究されてきた東京圏では、この魔術は異端の発想であると言える。




