12.靴-shoes-(後)
「『椎堂計画』ってのは、主に二つの目的で立てられたものでね」
注文したコーヒーにクリームを入れてかき混ぜながら、椎堂恵瑠と名乗った彼女(たぶん女、だと思う)は言った。
「ひとつ目の目的は、死の危険を伴う継続的な任務に対してスムーズな引き継ぎができるようにすること。思想を統一し、外見を統一し、内面も統一して、まあとにかく任務の継続性を確保するというわけだ」
「もうひとつは?」
「見ればわかるだろう? それぞれがそれぞれの影武者となる。まあ、私がケイの代わりになるのは無理だが、ケイが私になるのは容易だろう。縮めるよりは伸ばすほうが楽だしね」
「そういうものなの?」
「そういうものなのさ」
言ってエルは、コーヒーを飲んで、ふう、とため息をついた。
「本来なら私は、嫌いだったはずなんだよな。コーヒー」
「……なら、なんで飲んでるの?」
「椎堂系列の人格はコーヒー好きだってことになってるんだよ。だから飲んでる。この計画は一から十まで、全部こんなのだ」
「なんかややこしい話ね」
「そうだな。だからややこしい話はここまでだ。
私はケイ、つまり椎堂卿からの引き継ぎを行った。高杉綾子、君とそのまわりの人々を守るようにというのが、当面の行動指針だ」
「守る、ね」
わたしは腕組みをして、右の人さし指で左肘のあたりをとんとんしながら言った。
「具体的には? あなたはなにをしてくれるわけ?」
「もうやった」
「もう?」
「ああ。ここに来る前に手配しておいた。知り合いのテロ組織数件と取り引きをしてね、『新生の道』横浜支部の爆破事件、その犯行声明を出してもらった」
「……うえ?」
我ながら、よくわからない声が出た。
「意味わかんないんだけど。なんでそんなことを?」
「だからさ」
エルは軽く笑って、言った。
「甘いと言っているんだ、高杉綾子。おまえの敵対勢力が、いくらなんでも、あの程度の爆弾でおまえを葬れると考えてるわけがねーだろ。じゃあおまえがあそこにいた『意味』はなんだ?」
「…………」
わたしは息を飲んだ。
「まさか……わたしを実行犯に仕立て上げるため!?」
「だろうよ。そう考えれば、次の敵の行動はこうだ。横浜市に対して『犯罪者である高杉綾子』の逮捕協力を要請する。すぐにおまえの居場所はここからなくなるぞ」
「じゃあ……それに対抗するために?」
「ああ。他から犯行声明が出た以上、少なくとも敵は簡単に『犯人は高杉綾子です』と横浜市に説明できなくなったわけだ。
だがわかっているだろうな? これは一時しのぎの手段でしかないぞ。おそらく二日以内に、『新生の道』上層部はおまえが犯人である証拠をでっち上げて仕留めに来る。そこがタイムリミットだ。それまでになにか有効打を打てなければ、おまえは横浜から、そして『新生の道』から追い出されることになる」
エルはそう言って、わたしを正面から見た。
「私ができる手は打った。この猶予時間を使って、方針を決めてくれ。高杉」
「方針って……」
「今後の方針だよ。正直、私にはほぼノープランだ。ケイにはなにかあったのかもしれんが、いまは音信不通の生死不明、挙げ句に私が動かされる事態だ。頼りにはできない」
「課長は……生きてるんですか?」
口をはさんだチカをエルはちらりと見て、
「わからん。だが生きていても介入できる状態にはなさそうだ」
「そうですか……」
チカの返事を聞いて、わたしはため息。
そして立ち上がった。
「どうした?」
「十分ほど、時間をもらうわ」
「わかった。考えるといい」
「小辻くん。あなただけついてきて」
「あ、はい」
言ってわたしは、喫茶室から外に出た。
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喫茶室の横には展望ラウンジがあって、そこで横浜を一望することができた。
「……普段だったら、楽しく景色をながめるというのも一興だったんだけどね」
「消防車、来てますね。隣のビルに」
「まあ、そりゃあ来るでしょ。救急車もね」
小辻くんの言葉に答えて、それからわたしはため息をついた。
「本当にやっかいなことになったわね」
「高杉さん……あのエルってひと、信用できますかね?」
「いまのところ、疑う理由があまりないのよ」
わたしはそう答えた。
そう、疑う理由がない。
わたしが見落としていたことを教えることに、敵に利益があるかといえば、おそらくは存在しない。
犯行声明云々が嘘、という可能性も考えたが、どのみちわたしに情報を教えなければいいだけの話だ。エルが支部長派のスパイで、私を誤った方向に誘導しようとしている、という可能性は、この時点でほとんどないと見ていい。
……ただし。『敵でも味方でもない』という可能性は残るのだが。
(どちらでもいい。いまは支部長側への対処が最優先。一時的に味方になってくれるだけでも、いないよりははるかにありがたい)
「でも」
わたしの思考を、小辻くんのつぶやきがさえぎった。
「でも?」
「そうだとすると、あれ……あのひとはごまかしてますけど、課長、たぶん死んでますよね」
「でしょうね」
わたしはさらりと言った。
チカを連れてこなかったのはこの会話を聞かせたくなかったからである。おそらくエルも、一般人のチカを不必要に動揺させないために、そのあたりをぼかしたのだろう。
「そもそも彼女、最初に来たときに『椎堂計画の最後の一人』って言ってたもの。ケイが死んだことを確認してなければ、そんなこと言わないでしょ」
「その『椎堂計画』っていうのは、どのくらい信用できます?」
「幻術の気配はなかった」
わたしは即答した。
「だから少なくとも、彼女が幻術でケイそっくりになっているわけではないわ。……だからといって『椎堂計画』とやらが本当だって確定したわけじゃないけど」
「僕らシェイプシフターならともかく、人間があんなに身体を似せられるものなんですか? その、あのひと、あまりにも課長と似てますよね?」
「多少の化粧と整形、それから光の魔術を組み合わせればできるんじゃない? たぶんね」
幻術というカテゴリーとはべつに、単純に光をごまかして姿形を変える魔術も、なくはない。
前にも言ったように、それは『精巧な絵画を描くようなもの』なのだが、自分の身体に簡単なペイントするだけならまあ、できるかもしれない。
その程度だったら魔術の力も弱いので、そうそう感知できることもないだろう。つまり、『椎堂計画』というよくわからないものは、少なくとも実行不可能なものではなさそうだ。
……そしてもちろん、そんなことを即座にできるはずはない。十分な準備期間と練習を経て、ようやく可能になるはずだ。
その事実が、『椎堂計画』とやらの信憑性をかさ上げしている。
「じゃあ、当面はあのエルってひとは信頼してよし、って感じですか」
「そうね。その上で、今後の計画を立てましょ。
今回、完全に支部長は敵に回った。現状では和解も不可能。時間が経てば経つほど相手が有利。どう動く?」
「…………」
小辻くんは少し考え、
「こういうとき、梶原先生は……『目的を立てろ』って、そう言ってました」
「目的、ね」
わたしは考えた。
――そう。沙姫はいつでも適切だ。この場合、最も重要なのは目的である。
どの状況をゴールとするのか。それによって、取るべき手段は大きく変わる。だからどんなときでも、最初にするべきことは目的を明確にすること――そして。
(単に身の安全を確保するだけ……なら、選択の余地はないんだ。最善手はわかりきっている)
この戦いが政争だと認識した時点で、その可能性はすでに頭にちらついていた。
つまり、第七軍を頼る。
沙姫はわたしの親友だし、天際さんもわたしとは友好的である。その上、この件については、小辻くんという決定的な証人がいる。冤罪をでっち上げられたと言って泣きつけば、確実に味方になってくれるだろう。
――そしてそれがきっかけで、おそらく『新生の道』は内戦に突入する。
横浜のこの騒動で、『新生の道』非主流派はおそらく、かなりのダメージを負っただろう。主流派を止める余力はもはやなく、そして第七軍が糾弾するのは主流派のバックアップを受けた支部長である。すぐに火がついて、本格的な戦争になるだろう。
そうなったとき、沙姫はどうするだろうか?
(どうもしない。その状況も沙姫の予測の範囲内、だろう)
たぶん沙姫は何事もなかったかのように、わたしをかばって内戦に突入し、そして必勝の戦略で勝つ。
だからわたしたちの安全は確保され、めでたしめでたし。
……それでいいのだろうか?
梶原沙姫という超人の縁故に頼って、それでのほほんと生きていって、それでいいのだろうか?
思い出せ。わたしは、なにになりたかった?
なにに、憧れていた?
(……天際波白。漆黒の魔獣。あの、何者にも屈せず我が意を通す、気高い少女)
彼女と並び立ちたいと思った気持ちは、もうはるか昔に置き去りにしてきてしまったけども。
そうして覇気を失った高杉綾子は、とっくの昔に死んでいて。
それでもわたしが、こうして生きているというなら、それではいけないのだ。
(わたしは――沙姫と、並び立ちたい)
ようやくわたしは、それを自覚した。
高杉綾子が死んで、それでもわたしが生きている理由があるのなら、その理由はそれしかない。
だったら、第七軍を頼るのはダメだ。
沙姫を超人と信じて、頼り切るのはダメだ。
そもそも、さっきのことだって憶測でしかない。沙姫は――人間なのだ。
わたしと同じ……いや、わたしは人間でなくなったかもしれないが、ともかく梶原沙姫は人間なのだ。
限界は存在する。もしかするといま沙姫にとって、わたしが逃げてくることは、限界を超えた問題かもしれない。
わたしは、沙姫の友人だ。
沙姫を一方的に頼るのではなくて……互いに役に立ち、並び立って、同じ光景を見たい。
だったら、目的はなんだ?
「……横浜支部を、奪還する」
わたしは、宣言するように言った。
「支部長を引きずり下ろし、更迭して、支部を掌握する。横浜という都市での、『新生の道』の活動を、わたしが支配する。二度と、こういうことが起こらないように」
「できますか?」
「まだ検討もしてないわよ」
「でも……どうするんです? 『新生の道』の内部事情、ほとんどわからないじゃないですか。支部長を更迭するには、支部長より上の権力が必要なんじゃないんですか。それとも、暗殺するつもりですか?」
「まさか」
わたしは笑った。
「こういうときはね、外圧を使うのよ――『新生の道』の手の連中が横浜で暴れたら困る勢力が、ふたつもあるでしょ?」
「というと?」
「それは、戻ってからね。もうそろそろ、十分が経過しちゃうわ」
言ってわたしは、喫茶室を指さした。
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「そういうわけで、横浜市と『再生機構』を頼れないかと思ってるんだけど」
「まあ、そんなところだろうな」
椎堂恵瑠は、わたしの言葉に対して、わかっていたかのようにうなずいた。
意外にも彼女は、『第七軍を頼らないのか?』とは聞いてこなかった。もしかすると、それを避けたいという意向では、エルも一致していたのかもしれない。
「しかし、具体的にはどうするつもりだ? 横浜市はまだ、なんとかなるだろう。だが『再生機構』は、確実に亡命を勧めてくるぞ。高杉綾子、君ほどの第二世代を得られる機会は貴重だからな。交渉はデリケートなものになるだろうし、失敗すれば、彼らが敵に回る可能性すらあり得る」
「そうかもしれないわね」
「それでもどうにかする方法を、思いついているのか?」
「まずちょっと確認したいんだけど、ここ、盗聴の危険はないわよね? あるいは、尾行者の可能性は?」
「さすがにないだろう。いまの横浜支部にそこまでのリソースはない。あの爆発でどう転がるかもわからなかったわけだしな……ああ、もちろん私の尾行はないことを確認したよ?」
「そう。ならいいわ。簡単に言うと、まず最初に彼らには巻き込まれてもらう。こう言えばだいたい、なにを考えてるかわかるでしょう?」
「それは私も考えたが……それだけではうまく行くかな?」
「うん。だからもうひとつの手を考えてる。うまく行けば、ほとんどこちらはなにも払わずに、一方的に彼らの力を借りることが可能よ」
「ほう?」
エルは興味を持ったようだった。
「面白いな。どういう手品を考えている?」
「左右の靴ゲーム」
わたしは不敵な笑みを浮かべて、答えた。
「ま、見てなさいな。実戦経験はそれほどないけれど――わたしだって、梶原沙姫と同じ教育を受けた人間なのよ? 政治闘争のノウハウは、一応ちゃんと持ってるんだから」
---next, a tyrant of tempest.




