11.再始動-restart-(前)
十八歳になる少し前のある日、谷津田久則は死んだ。
実に無様な不意打ちだった。
なにが無様かって、あれほどの激闘を繰り広げた末だったというのに、関係ない奴の横やりであっけなく死んだのだ。
命乞いのような尋問の最中、いきなり銃弾を右胸に一発。
ご丁寧なことに呪銃だったが、そんなもの必要なかっただろう。しょせん人間の彼にとっては、胸に銃弾を受ければ死ぬ。化け物とは違う、当たり前の話だ。
そんなわけで、谷津田久則は死んだ。
ここからが問題である。
では、この俺は?
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「……………………あれ?」
ぼーっと突っ立っていた俺は、そこでふと、我に返った。
暗い場所。空を見ると夜で、しかも雲が垂れ込めているようだった。雨になるかもしれない。
きょろきょろとあたりを見渡す。
見覚えのない、赤い建物が建ち並んでいる街並みだ。
つまりは、中華街である。
「なんで俺はこんなところに……?」
困惑して、あたりを見回してみる。
赤塗りの建物。数々の露天商店。難しい漢字。
中華街でしかあり得ない。だが、なぜ?
俺はここまでやってきた経緯を思い出そうとして、
【いや、もう十分だろ?】
「がはっ……!」
吐いた。
反射的に胃の中のモノを全部吐き出し、しゃがみ込む。
自分の身体を蝕んだ死の感覚に耐えきれず、何度も何度も嗚咽を繰り返した。
「が、が、が……!」
――わけがわからない。
自分は、あの海辺で。
死んだはずなのに。
「が、はっ……! くそ、わけが、わからない……!」
とりあえず吐くモノを全部吐き捨てて、うめく。
自分が吐き出したものを見ると、固形物はほとんどなかった。長く絶食していた証拠にも見えたが、それだけではどれだけ時間が経ったかもわからない。そもそも、殺された日は朝からひどい有様で、食事も満足に喉を通らなかった。
なにが理由でこうまで歯車が狂ったのか。
高杉綾子を殺しそびれた理由が、俺にはまだわかっていない。だから――いや、それはいまの状況と関係がない。やめよう。
「この状況は……なんだ?」
立ち上がって、つぶやく。
疑問点が多すぎてわからないので、少し整理してみよう。
まず、なぜ自分はここにいるのか。
次に、どのくらい経過したのか。
それから、死んだ自分が生きているのはなぜか。
全部わからないことで、全部深刻な疑問だ。
(とりあえず、自宅に戻ろう)
そう思った。
一応は『新生の道』職員である俺が、中華街に侵入したなどとなったら、なにを言われるか――などと体裁を取りつくろうのは、やめだ。
ここは気持ち悪い。
とにかくこの場所から逃げ出したくて、俺は帰宅を決めた。細かいことは、それからだ。
口に残った胃液を吐き出して、俺は歩き出した。
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まず最初に俺がやったことは、建物の上へと魔術で登ることだった。
「跳躍……」
小さく詠唱して自分にかかる重力を軽減し、建物から建物へと飛び移る。正面から出ようとすればどうやっても警官に見とがめられるので、空から出るのだ。
もちろん、そういう場所にも魔術的なセンサーがあるかもしれない。バレる可能性はあったが、
(かまわない。外から内へ侵入した場合には閉じ込められるかもしれないが、内から外への移動なら、バレたところで、行方をくらましてしまえばいい)
思いつつ、空中を経由して外へ。
人目につかない程度に距離を取ってから、念のために幻術を発動して地上に降りる。たしか、この通りを西へ行くと、右手にスタジアムが見えたはず。
ふと気になって腕時計を見ると、十一時を指していた。どうりで人通りがないはずだ。路面電車も、この時間だとかなり本数が少なくなっている頃だ。
家に帰ると言ったが、記録上の俺の家自体は、ここからかなり遠く、鶴見川の南岸沿いにある。もう少し北に行くと関帝結界から外れ、そこから先は武蔵小杉や鶴見といった砦群の支配地域だ。
もちろん、そんな遠くて不便なところは普段から使っていない。代わりに、俺の所属する派閥が用意した隠れ家がいくつかの場所にあって、そのどれかを転々としているのが俺の普段の生活だ。
そんな生活をしていれば痕跡が出て誰かに感づかれる、と横浜に来た当初は思っていたのだが、結論から言えば問題はなかった。なにしろ、『新生の道』の内部には小さな派閥がぐっちゃぐちゃに分かれて対立していて、俺みたいな生活をしている工作員は、そこら中にいるのだ。
普通の工作員だと思われる分には問題がない俺みたいな人間にとっては、かえって都合がいい。
(一番近いのは……馬車道のところだ)
「加速、加速……」
支部から近すぎるため、意図してあまり使わないようにしていた隠れ家だが、いまは緊急事態だ。加速魔術を使って走り、先を急ぐ。
なお、使うのは重加速までだ。
俺が戦闘で好んで使う三重加速は、空気との摩擦と魔力の過干渉でものすごく加熱するため、長距離を走るのに適していない。その上制御も難しく、実は直進以外の運動がほぼできなくなる。
そこを、直進からの停止を交えて別方向に直進、とやって無理やり曲がる機動もあるが、やたら集中力が要る上に、足にも負担がかかり、そして空気との摩擦もさらにひどいことになる。路上で骨折したり火だるまになりたくなければ、やるべきではない。
高杉綾子ほどの第二世代と単騎でやり合う、などという無謀を実現させるには、それほどの無茶を通す必要があった。
――それが通じたかと言えば、通じなかったのだが。
加速する身体と反比例して、思考がクリアになっていく。
ポケットを探ると、高杉戦でほぼ使い切ったはずの護符が、ほとんど未使用のまま残っていた。
高杉は自前の魔力で詠唱短縮を実行できるのだろうが、俺のような凡人には到底無理。
普通にやったら魔術の連打速度で打ち負けるので、個人ではとうてい買えないほど高価な護符を、盛大に使い果たした記憶があるのだが、全部残っている。
……あの戦いは幻覚? それとも、記憶の改ざんをされた?
(ないだろう。数分以上維持できるような高性能な記憶改ざんは、幕張の研究者たちですら開発できていないはずだ)
となるとむしろ幻術か……しかし、だとすれば誰が、なぜ?
考えているうちに、隠れ家の入り口につく。ごく平凡な、古びた三階建てのビル。その二階だ。
一階には不動産屋が、三階にはいくつかの会社のオフィスが入っていたが、二階は俺の所属する派閥が借り切っている。
俺は加速を切って鍵を使って中に入り込み、鍵を閉めた。
デジタル式の時計を見る。やはり夜の二十三時。まだ日付すら変わっていない。そしてその日付は、たしかに俺が高杉綾子と戦った日付だった。
念のためにパソコンを立ち上げて、そちらの日付を調べてみる。何年も経っていて月と日だけ同じ、という可能性を疑ったのだが、それもなかった。
ということは、俺の記憶が正しければ、まだ今日は、俺が殺されたその日だということになる。
(時間が経っていれば俺の死がニュースになっている可能性もあったが……それで確認はできないか)
ため息をついて、それから俺は、デスクの下のコードを壁の穴につなげた。
あの『崩壊』以後、東京圏では無線通信はひどく困難になったが、有線での通信は生きている。
特に横浜は三浦と同盟を組んでおり、三浦から海底ケーブルの類が外とつながっているおかげで、横浜内部ではインターネット回線をパソコンで使うことが未だに可能だ。まあ……ハードウェア、ソフトウェア的に、対応不可能になって見れないサイトも非常に多いのだが。
既知のセキュリティホールも多いので、普段はネットに繋ぐなというのが、東京圏でのパソコンの基本原則である。
逆に言うと、緊急事態に使うことは許されているわけで。そしていまは緊急事態であると、俺は判断した。
チャットソフトを呼び出し、派閥の上司に向かって状況を報告する文章を書く。
自分には殺された記憶があるが、それにもかかわらずなぜか生きて――
(待て)
止まる。
心臓の鼓動が速くなる。
なぜその可能性を考えなかったのか。
考えろ。俺を殺したのは、誰だった?
高杉綾子ではない。
(――楢崎。下の名前は知らない。警備課の職員で……主流派に所属する男)
警備課自体、その上の母体である派閥は主流派寄りである。そして楢崎の素性自体はよく知らないが、後ろ暗い仕事を手がけていることは知っていた。
つまり、情報課の高杉綾子などとは違って、本来ならば味方の派閥に属しているはずなのだ。あの男は。
もちろん、あの状況で彼が、高杉綾子を暗殺できたわけがない。専門家である自分ができなかったことが、楢崎のようなごく普通の諜報員にできるということもないだろう。
だからそもそも楢崎があそこに来た理由は、俺を殺すためでしかあり得ない。
つまり。
(もはや俺の上司を含めた派閥全体が、俺を殺しにかかってる――?)
なぜ。どうして。考えようとして、すぐに思い当たった。
要は、取り引きだ。非主流派――情報課の所属する派閥は、この一件で佐伯博孝を失っている。である以上、非主流派が主流派の被害なしで引き下がる可能性は低い。だから取り引きとして俺を殺して『バランスを取って』、和解しようとした。
(……だとすると、これは自殺行為だ)
上司に報告するのは、自殺に等しい。
俺はもはや、主流派からすると、生きていること自体が望ましくない人間になってしまった。
俺は書いている文書を消してチャットソフトを閉じようとして、
「……あ」
気づいてしまった。
自分の使ったソフトが、既読未読の情報を相手に送るタイプであること。
そして未読メッセージの存在に。
(まずい、既読情報を送って――!)
あわてて俺は立ち上がり、一目散にそこを逃げようとドアに触れて、
次の瞬間。大爆発が、ビルそのものを完全に崩壊させた。
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「げ、ほっ! ……くそ、そういうことかよ……!」
ビルの残骸からかろうじて這い出しながら、俺は毒づいた。
そう。これはたぶん、そういう仕掛けだったのだ。
俺が死んだ後に、この隠れ家に非主流派のエージェントが情報収集に来たときの、手荒な歓迎用の仕掛け。
裏を返せば、それは俺の派閥が、俺が死んだと確信しているということだ。
おそらく他の隠れ家もすべて、この処理が行われているだろう。正しい解除の方法を知っている主流派の掃除屋さんが来るまでは、侵入者に反応して『爆破による隠蔽処理』が働く仕掛けだ。
性格が悪いのは、入った瞬間ではなく、情報を得て部屋を出る瞬間に発動すること。より逃がしにくい構造であり、また、パソコン操作のログはインターネットにつなげた時点で自動的に相手に送られていて、どんな情報を漁ろうとしたかもわかるようになっているはずだ。
たぶんカメラも設置していただろう。……とすると、俺の姿を映した映像も、上層部に送られてしまったのか。
(幸いだったのは、護符が残っていたことだな)
そのおかげで、とっさに高度な防御魔術を発動させて、難を逃れることができた。
だが、このままここにいたら、その後の処理をしようとする部隊と鉢合わせになる。
(どうする?)
味方はどこにもおらず、昨日までの味方はすべて敵。その上、その俺が生きていること自体を相手に悟られてしまった。
(どうする?)
かといって対立派閥はおそらく俺を信用しない。連絡を取る方法もない。俺に味方は誰もいない。
(どうする?)
――なら、俺はどうすればいい?
歯がみして考えながら、どこかそれを醒めた目で見ている自分を、俺は感じていた。
……そもそも、根本的な問題として。
幻覚でもなく、記憶の改ざんでもなく、勘違いでもないのなら。
「俺は、なんで生きてるんだ……?」




