10.なかったことに-no contest-(後)
隣の黄金町駅まで歩いて路面電車に乗り、馬車道駅で降りて、そこからさらに路地の方へと歩く。
旧関内駅の、東エリア。職場に近いため本来ならば慣れ親しんでいるはずの場所だったが、わたしとは少し疎遠なところだ。
「このあたりはたしかに飲食店多いけど、飲み屋がメインだからわたしはあんまり来ないのよね」
「そうなんですか?」
「まあ、『崩壊』前の法律に義理立てしてるわけじゃないけど。でもいちおう未成年って区分じゃない、わたしって」
「たしか二十歳からだったんでしたっけ、お酒飲めるのって」
「よく知ってるわね。そういえば小辻くんは何歳なの?」
「十三歳ですね」
「うげ、マジか……」
想像してたより若かった。外見年齢より、さらに三歳くらい若い。
いや、『崩壊』以後に「発生」した、という視点から見れば、魔物たちの年齢は全員、十五歳未満であることになるのだが。しかし彼らの自己申告ではあるものの、『崩壊』以前には「別の世界」で暮らしていたのが、『崩壊』後にこちらに呼び出されたという魔物も少なくない。
その真偽は置いておいて、だから彼らの年齢についての主張はまちまち。五百歳以上と自称する魔物も普通に実在する。
逆に小辻くんが十五歳に満たないということは、東京圏で普通に親から生まれたのかもしれない。そのあたりの突っ込んだことは、デリケートだから聞かないけど。
「ここです」
と、小辻くんが指さしたのは、こぢんまりした小さなレストランである。
道を挟んで反対側には、えらくでっかいビルが建っている。十階建て以上だろうか……間違いなく、『崩壊』前からあるビルだったのだろう。
「ま、とりあえず入ってから考えましょ。行くわよ、小辻くん」
「は、はい」
言ってわたしたちは扉を開け、店員にケイの名前を告げる。
すると店員はうなずいて、わたしたちを奥へと案内してくれた。
着いた先にあったのは、どちらかというと和風のいい店にありがちな感じの個室である。座敷ではないが、テーブルが隔離されていて、外からでは見えない。
「個室、ねえ……なにが待ってるやら」
「探知魔術、使います?」
「いまさらそんなことしても意味ないでしょ。
いざとなったら即座に撤退戦になるから、覚悟だけはしといてね。小辻くん」
「は、はいっ」
二人で話し合い、覚悟を固めて扉に手をかけ、引き開けた。
すると、そこにいたのは。
「おー、やっときたか。もう料理だいぶ食っちゃったけど追加頼むか、高杉?」
いつもの調子のケイと。
そしてその横に、もう一人の人物がいた。
「ふむ。……呼んでいたゲストとは、高杉氏でしたか」
「なんだい、とっつぁんは不満かい?」
「いえ。そちらの方針がそれであれば、特に言うことはありません」
仏頂面で答えた、彼の名前は片嶋信夫。
いつもクールな、警備課の課長さんである。
「ケイと、片嶋さんねえ。なんの集まりなの、これ?」
「いいから入ってきて食えよ。香辛料多めだけどうまいぞ、この骨付き肉」
「そもそもここってなんの料理屋なの? あ、あと追加注文するならウーロン茶と、そこのピザっぽい料理がいいかな。お腹空いてるし」
「地中海料理だってよ。まあとにかく好きに頼め。どうせここは私のおごりだ」
「ん、経費で落とせるの?」
「できるわけねーだろそんなの。これ極秘会談だぜ? だから個室借りてるんだろーが」
会話しながらケイの言うままに、わたしと小辻くんはテーブルに着く。
ケイはさっき言ってた骨付き肉に自分でかじりつきながら、
「夕方、徒労だっただろうからな。せめてものねぎらいってやつだ。まあ好きに食えや」
「ふーん。てことは、この二人は知ってるってわけだ。夕方わたしがなにをしてたか」
「ああ。率直に言うと谷津田は私がそこのとっつぁんに暗殺を依頼した」
ケイはけろりとした顔で言った。
「だからまあ、高杉のもくろみ通りにはいかなかっただろうが、まあ勘弁してくれ。あそこであのまま行ってたら大惨事だったんでな」
「……楢崎があそこに来た理由が、あんたの依頼ってのはさすがに予想外だったわ。ケイ」
「ん? なんだとっつぁん、楢崎なんて使ったのか。大丈夫だったのか? あれたしか、どこの派閥のスパイかまだ洗い出せてないんじゃなかったのか?」
「だからこそ、衝動的に高杉氏に殺されてもこちらの懐は痛まないので。適役でした」
顔色一つ変えずに片嶋さんは言った。
(……これは、本格的に黒い話っぽいな)
少し、自分の中での警戒レベルが上がった。
「いいわ。まず話を聞こうじゃない。なんであんたがわたしの邪魔をしたのか、それを聞いてから判断を――」
「いや、その前に注文しろよ。飯、食わないと、回る頭も回らねーぞ」
「……わかったわよ」
わたしはベルを鳴らして店員さんを呼んで、適当にメニュー表からいくつか注文をした。
そしてメニュー表を小辻くんに回して、彼が注文して店員が去ったところで、一息。
「盗聴の危険はないでしょうね、ケイ」
「さあ? あるかもしれん。だいたい、そこの片嶋のとっつぁんがスマホ持ってるからな」
「スマホって、あのスマホ?」
わたしも聞いたことしかない機材である。
スマホ、つまりスマートフォン。『崩壊』前にはかなり普及していたという小型通信端末で、三浦から輸入すればいまでも最先端のものが手に入るが、
「『崩壊』以後の東京圏じゃ、魔力の干渉で無線通信がかなり厳しいし、それ以上にインターネットとやらがぶつ切りになっちゃってまともに使えないって聞いたけど。違うの?」
「いや、有線ならまだつながってるぞ、インターネット。三浦が海底ケーブルの維持に成功してる。
まあそれでもたしかに使い道は限られるし、『崩壊』前ほど便利な代物じゃあなくなったが……スマホには通信以外にもカメラ機能とか録音機能とか、いろいろついてるんだよ。どーせいまも会話、録音してんだろ、とっつぁん?」
「否定はしません。否定しても信じられないでしょうから」
涼しい顔で、片嶋さんが言った。
「わかったわかった。じゃあ聞くわ。なんであんなことしたの?」
「逆に私が聞きたいね。なんであんなことした? 高杉」
「わたしはわたしなりに、この事件を解決しようとして――」
「無理だ」
ケイは珍しく厳しい顔で、わたしの言葉をさえぎった。
「無理だよ、高杉。そのやり方じゃ無理だ。どうやっても勝てない。袋小路だ」
「どういう意味?」
「まあ、待て。順番に整理しよう。おまえは『この事件』と言ったが、この事件とはなんだ?」
「それは、わたしの殺人未遂から始まって、情報課の職員の一斉攻撃にまで発展した……」
「ああ。では次に『解決』とはなんだ?」
「それはだから、犯人を捕まえて、これ以上の攻撃が起きないように……」
「あのなあ」
ケイは鋭い目で言った。
「犯人を捕まえたからどうなるんだよ。この件の犯人ってどうせ支部長だろうが。佐伯から聞かなかったのか?」
「……聞いた。けど」
「つまりは権力者だ。その権力者の暗殺未遂をおまえが暴いた。どうなると思う? さらに上が正当に裁いてくれるとか、そんな夢物語を期待してるのか?」
「…………」
わたしは言葉が継げなかった。
夢物語。つまり、現実には。
「現実には、逆効果だ。おまえが事態を暴いて白日の下にさらしたとして、その結果起こることは、支部長の顔に泥を塗るだけ。そして権力欲の権化な我らが支部長殿は、自分の身を守るために即座に反撃に出てくる」
「……更迭は、無理?」
「無理だろうな。私の予想だと、支部長はたぶん即座に高杉の罪をでっち上げにくる。同僚であった谷津田の殺害とか、そんなところかな」
「でもわたしは、谷津田くんを殺そうとはしてなかった――」
「じゃあ佐伯の殺害でもいいよ」
「…………」
絶句したわたしに、ケイはあっさり続けた。
「どっちでもいいんだよ。適当にでっち上げたその罪状から、支部長は攻勢をかける。それで状況が混乱すれば、少なくとも支部長の立場は守れるからな。
問題はその後だ。たぶんそれを契機に、『新生の道』横浜支部は内部分裂する。支部長派と非支部長派での本格的な抗争が開始して、安全どころの騒ぎじゃなくなる。おまえは強いから無事かもしれんが、私も藤宮も全員死ぬぞ」
「…………」
無造作に言われたその言葉に、わたしはなにも言えなかった。
わたしは、殺人事件というものは、犯人を捕らえて自白させれば解決すると、無邪気に思い込んでいた。
だがこれは、そもそも殺人事件ではなかった。
政争だったのだ。
谷津田くんと戦うその寸前にそこに気づいたものの、それでも裏で糸を引いてた支部長の首までは取れると思っていた。そして、それで問題が悪化することはないだろうと。
だが、いまケイの言葉が、その前提をひっくり返した。
わたしの行動が、全部裏目に出るという可能性を提示された。そして、おそらくは考え得る限り、最悪の状況になると。
「ケイ」
「なんだ?」
「教えて。この事件の背後関係を。政治的にどういう裏があって、どういう理由でわたしが狙われたかを」
「いいだろう」
ケイはうなずいた。
「で、高杉自身はどこまで知ってる? 我ら『新生の道』の裏事情」
「支部長から聞いた話では、課ごとに裏に派閥があって、五つの派閥が争っているって……」
「またずいぶんとかび臭い話を聞かされたな」
ケイは苦笑した。
「……間違ってるの?」
「間違ってはいないさ。だが正解でもない。だいたい、『新生の道』の軍事部門は第一軍から第六軍で六つに分かれている。五つじゃないだろ。それは『新生の道』の民間部門の古い派閥分けだし、いまのこの争いとはぜんぜん関係ない。目くらましの情報だ」
ケイは言って、ため息をついた。
「よし、歴史から話そう。そもそも『新生の道』ってのは、なんだ?」
「横須賀を中心とした軍事組織で、『崩壊』後にいち早く体制を整えたことで勢力を拡大した――」
「『崩壊』後の歴史だけを見ればそうなんだろうがね」
ケイは肩をすくめた。
「おまえさんは小さかったからわからんだろうが、『崩壊』前の秩序を知っている私なんかからすれば違う見方も出てくる。つまり『新生の道』ってのは、クーデターを起こした自衛隊だ」
それはもちろん、わたしも聞いたことがある情報だ。
自衛隊。『崩壊』の前に存在した、日本を防衛するための軍事組織。その重要拠点が横須賀にあったことも、『新生の道』の母体になったことも知ってはいたが――
「『崩壊』直後、なんとか都庁を死守しようとした旧政府が魔物の群れで壊滅して、その残党の首都再生機構がグダグダなことをやっててな。それで、だったら俺たちがやってやるぜ! ってなノリで、政府をぶっちぎって勝手に活動し始めた自衛隊が『新生の道』だ。クーデターとか自衛隊って名乗ると体裁が悪いんで、表向き横須賀市を巻き込んで民間団体みたいな顔してるがね、ありゃただのカバーさ」
「じゃあ……」
「んでまあ、そういう建前でカバーしたときに、一応民主的な組織って体裁を作るために作られたのが評議会だ。この評議会の評議員の議席は、『新生の道』立ち上げ時に権力を握ってた連中が持っててな。自衛隊3、在日米軍1、横須賀市3ってところか。この評議員の連中を通称して、私たちは『元老』って呼んでる」
……元老。
その言葉には、聞き覚えがあった。
「谷津田くんは、この事件の黒幕を『主流派の元老の誰かだろう』って言ってたわ」
「私も同意見だな」
ケイはそう言って、片嶋さんを見た。
片嶋さんもうなずいて、
「おそらくそうでしょうな」
「だそうだ。意見が一致したな」
「主流派って、なに?」
「いまの『新生の道』はおおざっぱに二分してるんだよ。主流派と非主流派にな。ちなみに私は非主流派で、片嶋のとっつぁんは主流派だ」
ケイは言った。
「主流派と非主流派を分ける境界線は、どこ?」
「第七軍への態度」
わたしの問いに、ケイはさらりと答えた。
「佐伯から聞かなかったか? いまの『新生の道』本体は、第七軍と極めて仲が悪い。内戦が不可避だろうという観測まで出つつあるのが実情だ。
その中で――二つに割れてるのさ。『第七軍が逆らうならば全面対決もやむなし』と考えている主流派と、『第七軍と争って消耗するより、むしろ第七軍と仲が悪い現上層部をすげ替えて内戦を回避すべし』と考えている非主流派にな」
「主流派と非主流派って、そういう分け方なんだ……」
「実際には、もっとぐっちゃぐちゃだがな。少なくとも元老たちは、この考え方の違いで真っ二つだ。非主流派が非主流派たる所以は、その首魁が昔の横須賀市長だってことかな……軍事力のバックボーンが少ないから、どうしても強く出れなくてな」
「じゃあ、この事件は……」
「ああ。非主流派が確保しようとしていた『高杉綾子』という戦力を潰そうとした、主流派側の策謀だ」
ケイは断言した。
……おおよその事情はわかった。
整理してみれば、たしかにわたしの考えていた解決策は、ただの下策でしかなかった。
そもそも『新生の道』に三権分立などない。犯人を司法に突き出して解決できるのは、相手が司法権力をにぎっていないときだけである。
むしろわたしの浅はかな行為で、対立が表面化する危険性があった。一度火がついたらあとはもう終わり。『新生の道』は内戦へまっしぐらに突入し、すさまじい数の死人が出ることにもなりかねなかった。
そう考えると、ケイが谷津田くんを暗殺してでもわたしを止めたことは、正しい。
正しいはずだ。
だけど。
「……だけど、じゃあどうやったら解決するの? この件、このままだとさらにわたしへの攻撃が続くことになる。それはさすがに看過できないわよ?」
「ああ。だから政治の争いは政治で決着する。そのために今日はとっつぁんを呼んだのさ」
「……つまり?」
「これは主流派と非主流派の政治会談だ」
ケイはそう言った。
「すでにあらかた話はついているが、繰り返そう。つまるところ、被害者は1対1でイーブンだ。主流派は谷津田を、非主流派は佐伯を失った。この損害比を以て、今回の件は痛み分けとしようってことだ」
「痛み分けって、つまりなかったことにするってこと?」
「そうだ」
「でも、実際はイーブンじゃない。わ――」
わたしが。死んで。
という言葉を、ぎりぎりでわたしは飲み込んだ。
ケイが、強い目で制止していることに気づいたからだ。
(そうか。片嶋さんに、わたしが死んだことを伏せたいのか……)
主流派に、わたしの真実を伏せたいのだ。
おそらくは切り札として。『なぜか殺せなかった』という体裁の方が、今後同じような形でわたしが狙われる可能性が減る。それに『殺し方がわからない』ことが、わたし自身の生存率を引き上げることにもなる。
……その代償として。相手との和平というカードを飲むしかないが、そうするべきというのがケイの判断。
わたしはぎり、と歯がみして。
「……わかったわよ。それでいいわ」
「理解してもらえて助かります」
片嶋さんが、わたしに一礼した。
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その後どんな話をしたのかは、よく覚えていない。
ともかく、結論としてわたしは、和平の案を丸呑みせざるを得なかった。
おそらく。裏でケイは、わたしが見ているよりはるかに多くの工作を行って、この和平案をとりまとめたのだろう。
それがわかったから、わたしも強く出られなかった。
けれど。
「高杉さん……大丈夫ですか?」
「……ええ。大丈夫よ」
小辻くんの言葉に、うなずき返す。
「小辻がいてよかった」
最後にケイが言った言葉を、思い返す。
「小辻でなければ、おまえをここに呼び出すことができなかっただろうからな。私からの電話だったら来なかっただろうし……梶原沙姫はいい仕事をしてくれたよ」
そう。沙姫はいい仕事をした。
わたし――高杉綾子が暗殺寸前まで追い詰められていることを見抜き、生き延びた場合に備えて、味方を派遣してくれた。
谷津田くんとの戦いの直前に、思ったことである。沙姫がわたしに小辻くんをよこしたのは、その時点で沙姫から見てどうしようもないほど、わたしが危うかったということなのだ。援軍が引き金となってわたしが殺されてしまう危険性を考慮してもなお、送らざるを得ないと彼女が判断するほどに。
そんなことにも気づかなかった鈍感な高杉綾子は、残念ながら殺されてしまったが。それでも、わたしが残った。
そしてわたしは、単純な戦いだけしか経験しておらず、沙姫のように頭も回らないので、気づいていなかったが……単純な戦いではない陰謀戦において、小辻くんほど頼りになる人間はいないのだ。
ケイの言う通り、小辻くんは横浜のどの勢力とも利害関係がない。
つまり、無条件でわたしの味方なのだ。そんな存在が一人いることが、どれほど心強いことか。
……そんなことを考えているわたしは、たぶんこれでは終わらないと予感しているのだ。
まだなにかある。あるのだろう。そう思っている。
「小辻くん」
「はい?」
「頼りにしてるわよ」
「はい!」
わたしの言葉に、小辻くんは笑顔でうなずき、
「……っ、雨?」
ぽつんと感じた気配に、わたしは渋面で言った。
「夕方からかなり曇ってましたからね。降ってきたんですかね」
「参ったな……路面電車まではすぐだけど、降りてからけっこう歩くのよね」
「僕、折りたたみ傘持ってます。貸しますよ」
「いいわよ。小辻くんの家も、そんなにここから近くないでしょ。
どうせ家に帰ったらシャワー浴びて着替えればいいわ。じゃあ、おやすみなさい」
「あ、はい……」
そんな会話をして、わたしは彼と別れた。
後はそのままわたしは帰って、シャワーを浴びてから、死んだように眠った。
だから、その後にこの街で起こったことを、わたしは知らない。
爆破されたビルも、雨の中の銃声も、魔法のような魔法も、わたしとは関係のないところで起こったこと。
雨は夜が更けるにしたがって、どんどん強くなっていくようだった。
---next, shoes.




