1.再起動-reboot-(後)
「で、ここですよね」
「……そうね」
朝食後。
わたしたちは、わたしが倒れた――わたしの記憶でもそうだし、小辻くんの主張でもそうなっている――場所に、繰り出していた。
べつに怪しいところがあるわけでもない、普通の道である。
「手がかりもなにもあったもんじゃないわね」
「ですよね」
「……ん? そもそもなんで小辻くんはここ通ってたの?」
「僕ですか? 僕は家に帰る途中だったんですけど」
「どこから?」
「どこからって……え?」
わしぃ! とわたしは小辻くんの顔面をわしづかみにした。
「考えてみればやっぱ怪しいのよねあなた。どうしてピンポイントでわたしが倒れている通りを通ったのかしら?」
「痛い痛いいたいです高杉さんやめて!」
「ちなみに答えないと魔術でお仕置きの刑よ」
「答えます! 答えますから手で僕の顔面つかんで持ち上げるのやめてください!」
ちっ、と舌打ちしてわたしは手の力をゆるめる。
どさっ、と音を立てて地面に崩れ落ちた小辻くんは、涙目でつぶやいた。
「うう……ひどい」
「ほら、さっさと答える。はりーはりー」
「だからぁ、第七軍の連絡員と桜木町駅で会って、それから帰る途中だったんですよ。なにしろ翌日……もう今日ですけど、今日は初めて横浜支部に顔を出す日でしたから、準備がいろいろあって」
「桜木町で会って、なんでここを通るのよ」
「え? だって普通にここ、帰宅路じゃないですか」
「え、だって路電使わないの?」
「あんな怖い乗り物、使いたくありませんっ」
「…………」
うむ……なんというか、筋自体は通ってる。
通ってるけど。
「路電は使ったほうがいいわよ。せっかく横浜にいるんだし」
「で、でも電車ですよ?」
「そうだけど」
「いきなり爆発したりしませんか?」
「しないしない」
「いきなり人を食う怪物に襲われたりは?」
「しないしない」
ある意味典型的だなあと思いながら、わたしは手を横に振った。
「まあ、電車の話は後回しにしましょ。
で、ここでわたしが倒れていたと。不審者のたぐいは見なかったのよね?」
「そうなりますね」
ふむ。とうなって、わたしは空を見た。
横浜の空だ。
あの『崩壊』の後もまったく影響を受けていない、雲も遮光円盤も浮いていない、気味が悪いほどに青くて青い空。
「海も青いんでしょうね、この分だと」
「? 海って青いんですか?」
「まだ見たことないの?」
「時間がなかったんで」
と、小辻くん。
「時間と言えば、いまって何時なわけ? 時計見てくるの忘れちゃったけど」
「もうそろそろ十時だと思います」
「うげ、大遅刻ね……」
わたしはうめく。
参ったなあ。めんどくさいことになりそう。
と思ったら、
「え、これから出勤する気なんですか!?」
と、小辻くんに驚かれてしまった。
「そうだけど。なに、問題あるの?」
「い、いえ。だって」
「?」
「誰が襲ってきたかわからないんですよ。その……危険じゃ、ないですか?」
と、彼は言った。
ほう、とわたしは、少しだけ彼を見直した。
(それに気がつく程度には知恵も知識もあるってわけね。根っから馬鹿ではない、か)
だがしかし、いまはもうちょっと考えないといけないタイミングなのだ。そこをまず教えないといけない。
「危険かどうかって言ったら、まあ、危険かもしれないわね」
「そ、そうでしょう? なら、」
「でも小辻くんさ、気づいてるかしら? わたしを襲ったのが誰かはまだわからないけど、もし支部の中に犯人がいるのであれば、小辻くん大ピンチよ?」
「え?」
どういうことですか、という顔で小辻くんがわたしを見る。
わたしは、指をぴっ、と立てて、
「相手はわたしを殺したと思い込んでいて、実際わたしは今日まだ出勤せず、そしてちょうど今日から出勤する予定の新入りがひとり。
――まあ、濡れ衣着せるには最適よね?」
「ぼぼぼぼ僕がですかっ!?」
「だからその濡れ衣をさっさと晴らしておかないとやばいんだって。いまのうちに行かないと手遅れになるわよ」
「い、行きます。行かせてくださいっ」
あわててついてくる小辻くんを見て、わたしは内心でため息をついた。
(内部犯、か)
できればそうでないと、思いたいところではあるが。
この時代、この組織では――その可能性は、決して無視できないのも、事実だった。
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さて。このへんで、わたしたちが住む街である横浜について解説しておいた方がいいと思う。
これはよく知られた話だが、横浜は十五年前の『崩壊』以後の東京圏の標準的な街と異なり、砦の体裁を取っていない。
魔術が顕現し魔物が跋扈し、外部との連絡は絶たれ異界により外界と断絶した東京圏――その中で、最低限に文明的な暮らしを維持するために考え出された、魔力変換システム。それが、砦だ。
これは山手大結界、つまり旧山手線から各接続路線へと供給されて流れてくる莫大な魔力を利用したシステムで、これによって線路、特にかつての駅周辺に密集して住み、そこを防御結界で守って集落とする。そして同時に、魔力を電力に変えるタービンを使って、住環境を整える。
魔力嵐が頻繁に吹き荒れる東京圏では必須の居住設備なのだが、横浜ではそれがない。
どうしてないのかというと、横浜は東京圏の中でも異例なほど魔力環境が安定していて、そもそもそんなシステムの必要性がないのである。
山手大結界からの魔力も、流れてきてはいるのだが……横浜では、なぜか弱い流れしか観測されない。
より下流の横須賀などではそうでもないので、これがなぜなのかというのはわかっていない。この、自然の魔力流が非常に弱くなる領域は関帝結界と呼ばれていて、この内部にいる限り、我々は『崩壊』の前と似たような状況を満喫できる。
横浜では、灰色のはずの空は青く、赤いはずの海も青い。
青い、青い街だ。
さておき。
東京圏では、線路というのは上述したように特別な意味を持つ。つまり、山手大結界との共振魔法円効果によって、魔力流を流しやすい特質を自動的に獲得するのである。
よって本来なら、線路を新たに引くというのは無理だし、ましてや交通に使うなど論外なのだが……横浜では、関帝結界の影響で、それが許されている。
そこで、それを利用して『崩壊』後に新たに作られた交通機関が、路面電車だ。
ガソリンの供給が絶たれ、電気自動車もお高い昨今、横浜の交通を支えているのは間違いなくこの路面電車システムである。
なのだが。
「うう……線路怖い線路怖い線路怖い……」
「……まあ、外の感性だとこうなるわよね」
電車の中でガクブルしている小辻くんを見て、わたしはため息をついた。
関帝結界の外では、線路なんて近寄っただけで身の危険があるレベルである。そうとうな訓練を積んだ人間が防護服を着て、ようやく近寄って短時間の作業ができる程度だ。
だからまあ、感性としてはわからないでもない、んだけど。
「ほら、無駄に怖がってないで外でも見なさい。海が見えてきてるわよ」
「線路怖い線路……え?」
小辻くんは言われてふと顔を上げ、
「わあ……!」
歓声を上げた。
横浜の海、である。
青い海原はどこまでも続き、空の青もどこまでも続いているかのよう。
……まあ、実際はそうでもない。目をこらせば遠くの海はちゃんと赤く見える。空は――変わらず青いけど。
通常、東京圏の空は灰色で、東京湾の海は赤い。けど、実はある理由によって、そのふたつは非対称だ。
海の赤色は攻性プランクトン『ポセイドゥン』の色であり、海は塗りつぶされているのに対し。
空の灰色は不安定魔力の塊である遮光円盤の色であり、こいつは地上数百メートルくらいの位置にぷかぷか浮かんでいる。つまり――数百メートルより上は変わらず、青いままなのである。
もちろん、雲があったらそうはいかないわけだが。そんなわけで、関帝結界の中心付近から海を見ると、遮光円盤は水平線近くにあってほとんど見えないのに対し、ポセイドゥンは普通にばっちり見えちゃうのだ。
……どうでもいい差だけど。その場に行けばしょせん、海は赤いし空は灰色だ。
「これが、本当の世界の色……ですか」
「……んん?」
小辻くんの言葉に、ひっかかりを覚える。
本当の……と言われると、若干の違和感を覚えるような。
「どうかしたんですか、高杉さん?」
「え? ああうん、なんでもない」
いかんいかん。ただでさえ頭痛いんだから、余計なことは考えない。
「あ、着いた。ほら降りるわよ小辻くん」
「え? あ、は、はいっ」
言って、わたしたちは電車から降りた。
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新生の道、横浜支部。
旧自衛隊を母体とし、横須賀の軍事互助組織として誕生した組織である『新生の道』の、いわば横浜における大使館的なポジションの建物だ。
こいつは旧神奈川県庁の第二分庁舎――が、アクシデントで崩れ落ちた後の跡地に建てられた新しい建物である。
間違いなく一等地。
なのだが。
「あの……高杉さん」
「なにかしら、小辻くん」
「なんかボロくないですか? この建物」
「仕方ないでしょ。『崩壊』後の建築物なんてこんなもんよ」
四階建ての、みみっちい薄茶けた建物を見ながら、言う。
「でもあっちの建物はすごい立派ですよ?」
「あれは『崩壊』前にあったもの。
……まあ、しょせんこんなもんよね。現実なんて」
なまじ一等地にあるだけ、貧乏くささが半端ない。
まあ、ここで外観を眺めていても仕方がないので、わたしは小辻くんに向き直った。
「じゃあさっさと行きましょ。手続きとかあるだろうし」
「あ、はい。では」
「ああ、それと小辻くん、ちょっと建物へは先に入ってくれないかな?」
「え、なんででしょう?」
言いながら小辻くんはドアノブに手を伸ばし――
「え?」
次の瞬間、がしっと内部から手が伸びてきて彼の口をふさぎ、そのまま有無を言わさず内部に引っ張り込んだ。
悲鳴ひとつ上げる暇がない。
……うむ。やっぱり。
わたしは余裕を持ってその後からドアノブをがちゃりと開き、
「やっほー楢崎さん。今日も元気?」
「なんだ、高杉さん。あんたかい」
小辻くんを押さえつけていたその筋骨隆々の男――警備課の楢崎は、そう言って立ち上がった。
どうやらわたしを見たことで、警戒が解けたのだろう。ごつごつしたその手が、小辻くんの口から離される。
「ぶはっ! ……な、なんですかいきなりっ」
「悪いが不審者対策でな。今日は怪しいアポなし訪問者には、こうやらんといかんことになってるんだよ」
楢崎の言葉に、わたしは割って入った。
「なにかあったの? 誰かここで狙撃でもされたとか?」
「近いな。どうも、誰か殺されたらしい」
楢崎の言葉に、わたしは眉をひそめた。
……おやまあ。
ここで彼がそんなことを言うとは、やっぱりアレかな。
「いつものデマじゃないの?」
「わからん。だが上層部の動きがただごとじゃなくてな。かなり信憑性がある話だってよ。
まあ、俺たち下っ端はどっちみち、従うしかねえんだがな」
「そう。それって――」
「あ、楢崎さーん」
声が、建物の奥から聞こえてきた。
そちらを見ると、ふたりの人影。片方は背が高くてひょろっとした男で、短めに刈り込んだ頭と慣れてなさそうなスーツが新入社員を連想させる。もう片方は背が低いというより、ちびっこと言った方が適切なちんちくりんで、サイズのあってないスーツを着崩していてかなりだらしなく見える。
両方とも、知り合いであり、同じ課の同僚だ。楢崎が声をかける。
「おう、谷津田さんか。それに椎堂課長も。どうした?」
「いえ、支部長に言われてですね、殺された――」
ぴたり。
彼の挙動が、止まった。
視線はしっかりわたしを見ている。
図らずも、お見合いになる。
……ふむ。
「うらめしやー」
とりあえず言ってみた。
瞬間。
「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
絶叫して、谷津田さんは階段を駆け上って逃げていった。
「い、生きてる生きてる生きてる生きてるううううううううううううううううううううう!?」
「……失礼ねー。乙女を見るなり逃げ出すとか」
「乙女っていう柄か?」
「あんたも失礼よね、ケイ。
ていうか、その様子じゃやっぱり、そういうことなんだ?」
「どういうことか知らんが、殺されたって噂なのは確かにおまえだよ、高杉」
ちんちくりんな彼女――わたしが所属する情報課の課長であるところの椎堂卿は、表情ひとつ変えずに平然と言った。
「ふむ。そこで倒れているのは、新任の小辻みそらくんで間違いないかな?」
「あ、はい。そうですっ」
「なによケイ、彼のこと知ってるの?」
「知らんわけがないだろう。情報課配属の新人が来ることを情報課長が知らないとか、問題じゃないか」
胸を張って言う、ケイ。
……ちなみに、そういう問題行為を量産しているのがこのちびっこ課長なのだが、それは言わないでおこう。
「よし、話がある。ちょっと二人ともついてこい」
「はいはい。
小辻くん、早く立ちなさい」
「あ、はい!」
言いながら、わたしたちも奥の階段を上っていった。
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「さて、この資料室だったら問題なかろう。人はまず来ないし、盗聴の危険も少ない」
ケイはがちゃんと鍵をかけながら、言った。
「――で、どう思う、高杉?」
「その前に確認させて」
わたしはそう返す。
「殺されたのはわたしで、殺したのは小辻くん。少なくともうちの上層部はそう認識している。それで間違いない?」
「え、ど、どういうことですかっ」
「だからあ、さっき言ったじゃない。濡れ衣かぶせるのに小辻くんは最適なんだって。
で、そういうことよね?」
「正解だ」
ケイはうなずいた。
「て、ことは」
「そうだな。――たぶん、犯行は内部犯だ。誰かが高杉を殺して小辻に濡れ衣をかぶせようとした。それ以外の可能性ならば、ここまで迅速に上が動かんだろう」
ケイが言った。
さすが情報課課長、つまりはスパイの元締めである。抜けているようでいて、こういうときの頭の回転はものすごく早い。
「ところで高杉、おまえなんで生きてるんだ?
私もてっきり死んでると思ってたぞ。ここまで確定的に上層部が動いている以上、死体の確認はきっちり済ませたものとばかり」
「いや、そのへんはわたしも、実はよくわからないんだけどね……」
いちおう、わかっている状況だけでも説明してみる。
ケイはふむ、とうなずいて、
「では相手は、高杉が死んだと勘違いして去ったと考えるのが無難かな」
「そう……だと思う、けど」
「ふん、間抜けめ。この時点で小辻のアリバイも完全にできたことだし、これはいっちょ、上の泡を吹かせる時が来たってことかな」
ケイはぐるんぐるん腕を回してる。
「どうする?」
「さしあたっては小辻の容疑を晴らしてくる。警備課と支部長を当たるから、その間小辻は情報課から出るな」
「え、というと?」
「不用意に出歩いてたら警備課にいきなり引っさらわれて拷問されて死ぬ可能性があるってことだよ。いまの上のノリはそういう状況なんで、まずは高杉が生きていることを納得させなきゃどうにもならん」
「ひいい、わかりましたっ」
顔を真っ青にして、小辻くん。
ケイはにやりと笑って、
「ま、運がよかったな、小辻。
高杉が生きていたのは最大限の僥倖だ。それにおまえと高杉がそろって顔を出したのもな――きっかり一時間後には、おまえの身分は保障されている状態に戻ると約束しよう」
と言った。
後になれば、このとき。
すでにパズルのピースはそろっていて、しかしわたしは普段の体調ではなく、判断力はにぶっていた。
しかしそれでも思わずにはいられない。この時点で最善の手が打てていれば、まだしも――否。
おそらくは、それ以前。昨日の時点までに最善手が打てていれば、と。思わずにはいられない。
とにかく。
わたしが置かれたこの状況は、後になって考えるとつくづく八方ふさがりだった。そして犯人が、どうしてわたしが生きているのか首をひねっていたまさにそのとき、わたし自身は急速に死につつあったのだ。
---next, blues.