9.海辺の決闘-seaside duel-(後)
「……っ、信じられない」
わたしはうめいた。
竜牙烈掌。しかも完全詠唱。
元々は品川に君臨していた魔竜の、魔力をまとった突進攻撃を再現する魔術である。魔竜は「怪獣映画に出てくる主役怪獣」と形容されるほどの大災害で、軍隊の攻撃をも蹴散らす圧倒的破壊力と、なにをされても死なない不死身性を有していたが、その再現であるこの魔術も、威力は推して知るべし。
砲撃やミサイルにびくともしない砦の外壁を一撃で打ち壊し、高位の第二世代でもまともに食らえばまず命がない。
それを谷津田くんが、あのとっさのタイミングで、大けがを負いながらも防ぎきってみせたという――その事実程度ならば、わたしは驚きはしなかっただろう。
元々、術具のブーストは想定内。隠し持つ護符の類を大量に使って防御するだろうということは、ある程度は予測できていた。
そうではなく、わたしが信じられなかったのは、その直前の彼の行動である。
あのとき。とても短い時間でめまぐるしく変わる状況を、わたしは完全には認識できていなかった。
ただ、わたしの使った魔術――消去は、元々なんのために使ったかというと、精霊刀をにぎりつぶすためだったのだ。
相手がわたしにダメージを与える手段は精霊刀ただひとつ。だからそれさえ消してしまえばいい。そう考えてのことだったが、なぜか手は精霊刀に当たらず、谷津田くんの身体に当たった。そして加速をかき消したが、精霊刀は残った。
どちらにせよ同じで、竜牙烈掌による魔力の暴風の前には、精霊刀なんて吹き飛んでしまう、と思っていたのだが――
「守り切った……いえ。違うわ。あのタイミングで、精霊刀を消させないために、竜牙烈掌をわざと食らったわね?」
「これが消えたら……さすがに、勝ち目はないから、な……」
消え入るようにつぶやく谷津田くんの、その左半身からは、ぼたぼたと血が垂れている。
左腕がほぼちぎれかけている。そこに、完全には防ぎきれなかった威力をあえて集中させたのだろう。その根元に防御環の魔術がいつのまにか巻き付いていて、止血の役割を果たしていた。
傍目にはボロボロに見える。
実際、ボロボロなのだろう。
それでも。
――谷津田久則。この恐るべき男は、最後まで精霊刀を守り通した。
己の身を守ることすら捨て、勝負が続くための最後の賭けとして、身を挺して精霊刀をかばい通したのだ。
たしかに、精霊刀がなければ彼の攻撃で脅威になるものはひとつもなくなる。たたみかければわたしの勝ちは確定していただろう。
逆にいまは、精霊刀がある以上、うかつに距離を詰められない。いまある十メートル弱の距離を少しでも詰めれば、そこから先は賭けになる。
大けがを負い、肩で息をしている谷津田くんではあるが……まだ、勝負はついていないのだ。
その判断を一瞬でして、その決断を実行した。
どちらも尋常ではない。
このとき初めて、わたしはこの相手に真に敬意を覚えた。
こいつは、第二世代ではないが――真に天性の才能と、恐るべき努力に支えられて誕生した、本当に一流の魔術戦士なのだと、心から理解した。
だが、だからこそ湧く疑問もある。
「なんであんた、横浜になんていたの?
わたしが来る前からいたわよね。このレベルの魔術戦士を、後背地で腐らせておくなんて判断が、まず信じられないんだけど」
「おまえたち……第二世代とは違うさ」
谷津田くんは、苦しそうに言った。
「俺という戦力は、多数の人間を相手にすることに向いていない。この戦闘スタイルは、第二世代を暗殺するためだけに存在する。戦場では、役に立たないんだよ」
「戦場で突出してきた第二世代を殺すのには使えるじゃない」
「その突出してきた相手には随伴の歩兵がいて、その歩兵の機関銃の掃射で俺は死ぬんだ。
忘れるなよ、第二世代。――俺は人間だぞ?」
さっきの意趣返しのように、谷津田くんは言った。
……そういうことか。
たしかに、彼のようなスタイルの兵士は、ほとんど見たことがない。『崩壊』から後、戦場の主役はもっぱら第二世代になった。もし第二世代を効率的に排除する方法が他にあるなら、第二世代はいまの地位を保てていない。
第二世代がジョーカーだとすれば、彼はただのジョーカー殺し。他のカードに対してはまったく無力な一兵士に過ぎない。
おそらく、小田原で彼のような兵士が試験的に育てられたのだろう。激化する戦争の中で、敵対勢力の第二世代を殺す切り札として。
しかし――
「第七軍があなたの活躍の場を奪った。そういうこと?」
わたしが言うと、谷津田くんはうなずいた。
そう。小田原で、彼が活躍する機会は、永遠に失われた。突如として現れた、天際波白と梶原沙姫という鉄壁のコンビが、電光石火の勢いで地域を平定してしまったのだ。
そして必要がなくなった谷津田くんは勢力間をたらい回され……そして、なにか使えるかもと思った誰かによって、横浜に配置されていた。
彼は……彼がここまでの技倆と精神を培うのに、犠牲にしたものはなんだろう。
公式には二十一歳ということになっている彼は、ケイが暴き出した資料によれば、実のところまだぎりぎり十七歳だったはずだ。つまり、おそらくは十五歳までの間に、少年兵として、この第二世代殺しの技術だけを徹底的に鍛え上げられたのだろうということが推察できる。
その彼が、突如として活躍の場を奪われた。
生きる意味を奪われたに等しい。
なにも思わないはずがない。
なにも思わないはずがないことを、わたしは知っている。
わたしも――同じだったから。
「さっきの言葉は撤回しておく」
わたしの言葉に、谷津田くんは無言で応えた。
「絶対的に有利ではなかった。この戦いは、わたしが魂と命を賭けるに値する――そういうものだと、認識を改めておく」
「律儀だな」
「でなければ、わたしはこうはなってないわよ」
お互い不敵な笑みを浮かべて。
「加速、加速、――加速!」
「火炎砲陣!」
彼が三重加速を張り直すと同時に、わたしの周囲を正方形状に五メートルほどの距離を置いて、火の囲いが覆う。
視界が若干ふさがるが問題なし。これで無計画な突進はできない――と思ったのだが、直後に彼は突進してきた。
「!? 集砲――!」
「八卦炉心!」
(しくじった……!?)
あわててわたしは飛びずさって距離を取る。彼に向かって収束した炎が、片っ端から彼の手のひらに集まっていくのが見えた。
「解放!」
そして、どん、という大地を震わす音とともに、大爆炎がこちらに降り注いだ。
「っ、くそ、このっ」
直線上に動かず、ジグザグに動きながら、なんとか距離を取って爆炎の力を削ぎ、
「大盾!」
防御術を張って立て直す。
八卦炉心。炎を片っ端から取り込んで爆発するしかない魔術――当然ながら自分の方にもバックファイヤが来るはずだが、
(そうか、三重加速を利用して、一気に距離を取ってかわしたのか!)
うまくできてる。そう思ったとき、ずきりと脇腹に痛みを感じた。
「……っ、跳躍!」
あわてて大ジャンプをしてその場をごまかす。
まだ視界不良で、相手の狙いが逸れたのが助かった。わたしの右脇腹を、軽く精霊刀がかすめて血が出ているのを確認。だが、
(一切見えなかった――この爆炎にまぎれて幻術を発動した!?)
「圧壊風廊!」
ごわぁ! とわたしの直下を暴風が吹き荒れ、あらかたのものを吹き飛ばす。その後にわたしは着地したが、
(……なるほど。これが彼の真の戦い方――三重加速の意味か)
正直、舌を巻いた。
幻術は、偽也でほぼ確実に破れる。
それは事実だったが、問題はその偽也を使うための詠唱だった。
どんな魔術でも、詠唱中に他の魔術の詠唱はできない。
ということは、偽也と唱えている短い数瞬は、わたしの隙になるということだ。
普通の相手なら、どうということのない短い隙だが――相手があそこまで加速しているとなると、それが致命的な隙になりかねない。
唱えた一瞬で距離を詰められ、精霊刀を突き込まれて死亡、という可能性を、無視できない。
非標準的な、というより非常識な三重加速という『暴挙』が生み出した、無視できない脅威だ。
だけどいま、視覚と聴覚に干渉されている現状、放置しておけばそれだけで死活問題なのも事実。
(なら、勝負を賭けるか!)
わたしは、さすがに残り少なくなってきた弾薬庫の魔術弾丸をさらに三発、追加で消費し、詠唱を大幅に省略。
ごう、とわたしのまわりで大きな魔力が渦巻き、
「光轟半球!」
爆発的な光の帯が、わたしを中心にゆっくりと広がっていく。
帯に触れればダメージを受ける。それ以上に、光がねじまがって見えればそこが幻術の発生源。攻撃と幻術対策を兼ねたこの術で時間稼ぎをし、その間に偽也を……
「え?」
相手は突進してきた。
少々のダメージなど知るかとばかりに、わたしがさっきやった行動のように、光の帯を強行突破し焼かれながら、わたしからは透明に見えるなにかが、煙を上げながら突進してくる。
自爆前提の、決死の突撃。
(ダメだ。これは、このタイミングでは、絶対に回避できない――)
わたしは目を見開き、
「よっと!」
「……!?」
がくん、とその身体がつんのめる。
……そう。先ほどと同じ。足下に展開した氷のツタによって。
――うん。まあ、やりすぎだってのはわかってる。
このために弾薬庫をほぼ空にしたのは、さすがにやりすぎだと思ってる。
だが、効果はあった。
わたしがまだ維持していた氷華散華。それが相手の足を絡め取り、全身の輪郭をおぼろげに描き出す。
そして向きと場所がわかっているいまなら、精霊刀の位置は見えなくてもわかる!
「鋏盾!」
「あっ……」
ばきん、ばきばきばき、と相手の精霊刀をわたしが作った光の大鋏が破壊しはじめ、
「偽也!」
ようやく撃てた破幻で、谷津田くんの姿がふたたび顕わになる。
――そう。わたしに向けて精霊刀を突き刺そうとして、そこをわたしの鋏に捉えられた、谷津田くんの姿が。
「こ、のお、まだ……」
「剛打撃!」
「がぁ!?」
わたしの拳が脇腹に突き刺さり、彼が悶絶する。と同時に、ばきん、という音がして、精霊刀がかき消えた。
――勝負は、それで決着した。
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「さて、尋問といかせてもらいましょうか。
なにから聞こうかしらね?」
「…………」
わたしの言葉に、谷津田くんは無言でわたしをにらみ返してきた。
わたしはあはは、と笑って、
「そんな怖い顔しないでよ。返答次第では、生かして帰すことも考えてあげるから」
「信用できるか。それにどうせ、おまえが生かして帰しても同じだ。俺は粛清されるだろう」
「そのへんは大丈夫。わたし、最近は『再生機構』にコネがあるから」
島田さんの顔を思い出しながら、言う。
彼女に預けて『再生機構』に亡命させてしまえば、谷津田くんはこちら側の指名手配を逃れることができる。どうせ被害者のわたしが生きているのだ。後は時間が経てば、うやむやになるだろう。
「そんなわけで、フレンドリーに行きましょ。フレンドシップ。大切よね?」
「……ふん」
「まず第一に聞きたいけど。
あなたのバックにいるのは誰?」
「支部長だ」
――やっぱり、そうか。
「そのさらに背後関係は?」
「わからん。どうせ主流派の元老の誰かだろうさ」
「主流派? なにそれ?」
「……おまえ、本当にモノを知らないのな」
あきれた顔で言われ、わたしはぶすっ、とした。
「仕方ないでしょ。こっちはあんたと違って、お日さまの下を生きてきたんですー。そういう裏事情みたいなのはわかんないわよ」
「まあ、椎堂卿にでも聞け。それでわかる」
「はいはい。じゃあ、次に聞きたいのはあなたのお仲間よ。
あれ、どこで雇った誰?」
「川崎の傭兵だと聞いてる。どこで雇ったかは知らないが、非合法な活動に長けた連中だ」
「なるほど。じゃあ、わたしだけじゃなくて情報課のみんなを襲った理由は?」
「一つ目の理由は、小辻みそらの足止めだ」
「小辻くんの?」
これは意外な理由だった。
谷津田くんは仏頂面で、
「あいつの戦績はそれほど派手ではないが、実力者なのはわかっていた。だから攪乱して、おまえとの戦いに手出しをさせないつもりだった。
結果として無駄に終わったがな」
「小辻くんが正確な判断をしたおかげね。
で、まだ理由があるんでしょ? さっき一つ目って言ってたものね」
「ああ。もうひとつは……おまえをうまく殺せたとして、その事件を覆い隠すための煙幕だ。
おまえじゃなくて情報課が襲われた。こうすることで、事態を隠蔽できると支部長は考えていたようだった」
「その後……今日だけど、わたしにその罪をかぶせようとしたのは?」
「あれはただのやぶれかぶれ。もう、実際のところ俺は追い込まれて、打つ手がほとんどなかったんだよ」
……そりゃそうか。
思えばこいつも苦労人である。殺したはずの、というか、確かに殺した高杉綾子が生きていたことで、完全に計算が狂ってしまった。彼自身には、なんの落ち度もなかったのに。
「じゃあ次。最初にわたしを襲ったとき、なんでそのタイミングでわたしを殺そうとしたの? そこらへんがいまいちわかってないんだけど」
「それも俺にはわからん。が……小辻の存在が大きいだろう。
あれと、第七軍に罪を着せるタイミングはここしかない。そういうつもりで、支部長は俺をけしかけたんだろうさ。……結局、なぜか殺せてなかったがな」
「なるほど……やっぱ思った通りか」
わたしは腕組みをして、つぶやいた。
谷津田くんはそんなわたしを見て、
「で、他に聞きたいことは? ないのであれば、生かすか殺すかをさっさと決めてくれ。無駄に長引くのは嫌だ」
「まあ、ちょっと待ってよ。聞きたいことをもう少し整理してから――」
「いや、もう十分だろ?」
声が、聞こえて。
とっさに横っ飛びで逃げたわたし――ではなく。
傷ついてうずくまっていた谷津田くんの方に、銃弾が命中した。
「あ、が、ご……!」
銃弾で撃たれたのは右胸。だがそこから、あふれ出る呪詛がにじみ出て、彼の身体を急速に侵食していく。
呪銃の類で撃たれたのだろう。一目見てわかった。彼はもう、助からない。
わたしが銃弾のやってきた方を見ると、そこには。
「よう高杉さん。災難だったな」
――ごくいつもの調子でそう言う、楢崎がいた。
「なんのつもり?」
「あ? そりゃもちろんナイト様のつもりさ。襲われて危なかったんだろ? 助けに入ったわけだ」
「助けに入ったって――」
もう勝負はついて、と言おうとして、思いとどまった。
明らかにこの相手は、わかっててやっている。
そんな相手とやり合うことに徒労を感じて、わたしはため息をついた。
「……まあいいわ。じゃあ、せめてここの現場の片付けくらいは、あなたがやってくれるんでしょうね?」
「わかってるわかってる。けど、勘弁してくれよもう。思う存分暴れ回りやがって、周囲の建物にまで被害が出てるじゃねえかよ……これ、横浜市から怒られるの、たぶん俺たち警備課なんだぜ?」
「知らないわよ」
言い放って、わたしは背を向けた。
――いっそ、わたしも銃弾で撃ってくれればいい。
それでわたしが死ぬことはない。たかが呪銃程度なら、どうとでもなる。
だが、撃ってくれれば、こいつを殺す口実にはなる。
(わかってるとは思うけどね)
ぎりり、と歯がみして、わたしは心の中でつぶやいた。
--------------------
こうして。
海辺の決闘。お互いが魂と生死を賭けた戦いは、なにも成果なく終わった。
敗者は死に、勝者もなにも得られなかった。
だが、このままで終わらせるつもりはない。
(見てなさいよ――こういうことをした相手を、わたしは絶対に、許さない)
雲はゆっくりと厚みを帯び、夜は雨になるかもしれなかった。
---next, no contest || restart.
【魔術紹介】
1)『防御環』
難易度:B+ 詠唱:簡易詠唱 種別:防御
リング状の防御結界を作り出す魔術。
リングとしてのお守りの機能も兼ね備えており、呪術や魔術攻撃に対する全方位への耐性を持つと同時に、リング部分に強い物理・魔法両面の耐性を持っている。いわば二重防御の魔術。
とはいえ、これを「止血」という応急処置に使うことはそれほど一般的ではない。
2)『火炎砲陣』
難易度:B++ 詠唱:完全詠唱 種別:全圧
棒状の火炎を大量に使って柵を作る魔術。難易度はそれほど高くないのだが、消費魔力がかなり多いため普通の魔術師にはなかなか手が出ない。
柵に使った火炎は任意のタイミングで射出することができ、うかつに近づいた敵を焼き殺すことができる。案外やっかいな魔術。
3)『八卦炉心』
難易度:A 詠唱:簡易詠唱 種別:封印
火炎系の魔術を吸い込む炉を作り出す魔術。
炉は任意のタイミングで爆破させることができるが、限界が来ると自動で爆散する。
高杉レベルの術者が使う火炎魔術を吸い込むなど自爆でしかないのだが、谷津田は三重加速という極めて特殊な技術を用いて爆発を逃れ、魔術を無効化することに成功した。この選択肢を迷いなく取れるところに、谷津田の練度の高さが見える。
4)『圧壊風廊』
難易度:B+ 詠唱:簡易詠唱 種別:射撃/炸裂
とても単純な、空気の塊を相手にたたきつけるだけの魔術。
空気の塊なので、上空から地面に打てば炸裂してあたりのものを吹き飛ばすし、横に打てば単純な射撃魔術として機能する。
純粋な物理攻撃に近い技なので、魔術防御で簡単に防御できる。牽制以上のものにはならない技。
5)『光轟半球』
難易度:S+ 詠唱:完全詠唱 種別:全圧
拡大する光のドームで周囲を無差別に焼き尽くす魔術。
当然ながら全圧型である。雷神旋空円などとの主な違いは、上空への死角がないこと。ただし、その分攻撃力は落ちるし、普通の魔術師は長時間維持することも難しい。
本文にある理由で、実は高杉にとっても魔力消費はぎりぎりに近かった。
6)『鋏盾』
難易度:A- 詠唱:簡易詠唱 種別:防御/斬撃
鋏の形をした盾という、世にも奇妙な形をした魔術。
相手の魔術を「断ち切る」ことで防御するという特殊な使い方ができる。それ以外の効率はあまりよくないため、特殊な状況で使われることが多い。
精霊刀をぶった切って無力化するという高杉の使い方は、この魔術の使い方としては「正統派」である。