9.海辺の決闘-seaside duel-(前)
空は黄昏。
薄く出ている雲が引く赤いラインが、これから流れる血の色を連想させる。
――そんなことを考えてしまうのは、わたしがなにかをためらっているからか。
みなとみらい地区が立ち入り禁止と志津は言ったが、その表現は正確ではない。
というのも実は、立ち入り禁止は少し前に解かれている。ただし、人は戻ってきていない――それが正確な表現だ。
あの『崩壊』直後の混乱で、みなとみらい地区には危険な暴動やテロリズムが横行したらしい。結果として市民に一律立ち入り禁止措置が執られたのだが、最近はもうそういうこともないし、そろそろ復活させましょうということで、立ち入りは許可されるようになった。
ただし、入るときには、市民証なり他の身分証明書なりを、警備の警官に見せる必要がある。
そんな状況で商業施設が戻ってくるはずもなく、みなとみらいは相変わらず閑散としたままだ。
さておき。
わたしは視察を目的とする訪問、と警官に説明し、みなとみらいは奥深く、北側の開発が途中で途絶えた、公園のようなビルの谷間の緑地にやってきていた。
もちろん、視察なんかを目的とはしていない。
「引き延ばすのはガラじゃないわね。
出てきなさい。いるんでしょう?」
わたしが声をかけると、相手は案外あっさり、姿を現した。
谷津田久則。
かつては平凡な一職員に見えていた外見は、しかしいまは激しい闘志に塗り固められ、まるで別人みたいだ。
シルエットは嫌味なほどに中肉中背。表情を見なかったことにすれば、誰が見てもそのへんの一般人だと断言しただろう。よく言ってうだつの上がらない新入社員、といったところか。『新生の道』横浜支部では私服での通勤を許可していたが、その服装もこれまた特に個性のないグレーのスーツである。
どこから見ても普通です、と主張している彼の外見は……暗殺者としては、逆に、理想的なのだろう。そういう風に作られた、そういう外見だった。
「解せないな」
そんな彼が、最初に言った言葉は、それだった。
「なにが?」
「この状況で、絶対的に有利だったのはそちらのはずだ。俺は、おまえをどうしても仕留めなければならない。それ以外の選択肢はない上に、指名手配されるまでのタイムリミットは限られている。だから俺は、限られた時間の中、小辻が守っているはずのおまえを、なんとかして殺さなければならなかった。
だがおまえは持久戦を捨て、それどころか小辻の護衛すら捨てて、俺をここに誘い込んだ。……なぜだ?」
「三つくらい勘違いしているわね」
わたしは腕を組んで、言った。
「第一に、時間が稼ぎたいなら小辻くんなんかに頼る必要すらないのよ。わたしはただ中華街に籠もればいい。あそこにはさすがに手を出せないでしょう?」
「…………」
そう。体調が悪くなったとか言い訳をして、一週間ぐらい中華街に逃げ込めばいい。
それで谷津田くんはチェックメイトだ。対象を殺すこともできない暗殺者をかばい立てする人間はいない。普通に上層部から切られて、後はお尋ね者として流浪するなり、亡命するなり、あるいは捕まって死ぬなり、少なくともわたしとは関わりのない人生が待っている。
「第二に、わたしは単に自分の身を守りたいだけじゃないの。自分がやったことを理解していないの? これ以上人死にを出さないようにするために、わたしは可及的速やかにあなたを排除しないといけない。
だから誘った。今日中に決着をつける方法はこれしかなかったから、小辻くんは置いてきた」
そう。中華街に逃げ込むにせよ、小辻くんと防御を固めるにせよ、やることは持久戦になる。
そして持久戦になれば、ヤケを起こした谷津田くんは、わたしをおびき出すために情報課の連中を手当たり次第に襲う可能性があった。そんなことをしたらますます彼の立場は悪くなり、上層部からかばってもらうハードルが上がるとしても……死なばもろともの精神でチカなんかを殺されたら、それこそたまったものではない。
と、わたしはここで、意図してくちびるを釣り上げた。
「そして三つ目――勘違いしているようだけど」
口だけで、嫌味に笑い、
「わたしが絶対的に有利なのは変わってないわよ、人間。自分の技倆にうぬぼれるのも大概にしなさいよ――ここにいるわたしは、おまえたちが化け物と呼ぶモノだ」
谷津田くんはそれを聞いて、忌々しげに舌打ちをした。
「……やはり、おまえたち第二世代は嫌いだ」
じゃりっ、と片足を前に踏み出し、
「自分がそう作られたことはわかっている。第二世代暗殺専門の兵器。だから第二世代を無条件で憎むよう、刷り込みを受けた。
――その理解をした上で。やはり俺は、第二世代が大っ嫌いだ。己の腕力で世界を変えられると思い上がる増上慢。そしてそれ以外の人間をなんとも思わない精神性。反吐が出る」
「気が合わないわね。わたしは……わたしたちは、それをこそ目指したのよ」
天際波白のことを思い出す。
自分の運命は自分で決める。他者を傲然と無視するその強いまなざしは、ずいぶん遠いものになってしまったけれど。
未だに――わたしの憧れだ。
わたしでない高杉綾子から、わたしが受け継いだ憧れだ。
ふう、とわたしと谷津田くんは同時にため息をつき、
「装備、幻想火薬庫」
「祝福を受けし原始の刃、出でよ」
静かに二人とも、つぶやいて。
わたしの身体の中に、魔術でできた仮想の弾薬庫が生まれる。
そして谷津田くんの手に、光を束ねた精霊の刃が形成される。
――海辺の決闘は、ここに始まった。
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「加速!」「加速!」
直後に二人が取ったのは、奇しくも同じ行動だった。
加速魔術による身体能力強化。それと同時に、ふたりとも相手に向かって突進を開始する。
「加速!」「加速!」
重加速の起動も同時。格段に速くなった状態で振り抜く相手の精霊刀をかわし、わたしは谷津田くんとすれ違う。
「太陽光の矢!」「影縫い拘束……っ!?」
読み勝った。わたしが集めた太陽の光が、彼が縫い止めようとした影を消し去って空振りする。そのまま集めた光をわたしは谷津田くんに向け、
「……っ、跳躍!」「加速!」
撃ちつつ跳躍、したそのすぐ下を谷津田くんの身体が、精霊刀ごと通過していくのを感じる。
(うっそ、三重加速!? そんなの制御できるの!?)
わたしは心の中で舌打ちし、
「魔法の矢、速射!」「矢返し結界!」
……っ、読み負けた。わたしの打ち出した魔術弾丸、合わせて38発は、相手の結界に絡め取られてそのままわたしの身体へと戻ってくる。
まだ跳躍中。敵が着地際を狙ってくる。対処する余裕はない。なら!
「氷華散華!」
爆発的にわたしの周囲に展開した氷の華が、魔術弾丸を食い止めると同時に、着地先の地面に着弾し広がっていく。
わたしは跳躍の魔術を解除。地面に予定よりも早く降り立つ。
谷津田くんが着地際を合わせようと突進してきていたならば、氷に絡め取られるか、タイミングを逸してしまっていただろうが――いない。
「そこ!」「な!?」
ぎじゅじゅじゅじゅ! と音がして、振り抜いたわたしの腕と、三重加速のとんでもない速度で近接した谷津田くんが振り回した精霊刀が干渉。びしゃり、と血が飛び散るが――負けてない。精霊刀を押し返す!
「自己領域のバリア……!? 違う、これは魔術か!」
「竜牙烈掌!」
「つっ、あ!」
しゃがみ込んでわたしの手をかわした彼に、
「剛打撃!」
「ぐはっ!?」
わたしの足刀が炸裂。うめきながら彼は距離を取った。
そのまま彼は、わたしから一定の距離を保ちながら、円形に動いて様子をうかがっている。
おそらくは次のわたしのアクションへのカウンター狙い。だが、
(展開が速い。相手に主導権を渡すべきじゃない)
「いいでしょう。その誘いに乗ってあげる。
受けて立てるか、雷神の旋風――!」
ごう、とわたしの身体を流れる魔力が悲鳴を上げる。
わたしの装備術、幻想火薬庫に用意された弾薬を、一気に三つ消費。威力の底上げをし、詠唱の短縮をし、範囲の拡大をする。
そして詠唱短縮。魔力を筆を動かすように精緻に流し方を変え、詠唱のさらなる短縮を図る。
さっき精霊刀を受け止めたときに無詠唱で無理に発動した小盾のような小技ではない。これはわたしですら、全力でやらないと発動できない、全圧型の大技――
「雷神旋空円!」
爆発的な雷がとどろき、周囲の大気、大地、なにもかもを焦がしていく。
その雷撃の渦の中心にいたわたしに――空中から急襲しようとする相手を認めて、わたしは笑った。
(やっぱそう来るよね……)
全圧型の範囲攻撃魔術に共通した話だが。自分自身を中心とした攻撃魔術は、自分に攻撃しないための安全策が常に講じられている。
平たく言うと、わたしを中心とした雷撃結界を発生させるこの魔術は、わたしのまわりだけは安全なのだ。
敵からすれば、その安全地帯に入り込んでしまえば、一方的に攻撃できる。
だからこそわたしは笑った。
「よっと!」
「なに!?」
わたしは身体を動かし、あえて雷の中に飛び込んだ。
ばちばちばち、と身体を雷撃が打つ。わたし自身が全力で行使した魔術だ。無傷では済まないが――第二世代、それも上位の存在であるわたしの自己領域の自動防御を完全に抜き通すほどの攻撃力ではない!
つまりわたしの作戦は――
(雷撃で牽制すると思わせておいて、雷撃の中心に敵をおびきだすこと!)
「消去!」
「……っ、なめるな!」
ぱちゅん、ぱちゅん、とわたしの手に命中した雷撃が消滅していくのを見て、地面に着地した――わたしがさっきまでいた、雷炎の中心にいる谷津田くんが吠えた。
そして跳躍して逃れようとして、
「……!?」
目を剥く。
自分の足に、氷のツタが絡まっているのを見て。
そう。わたしは途中で撃った氷華散華を、幻想火薬庫の弾薬を十個近くも使って、まだ維持している。
すべてはこの奇襲のため。
わたしの手が谷津田くんの身体に触れ、彼の身体ががくん、と遅くなる。
加速の解除。それは、彼に逃げる手段がなくなったことを意味していた。
「終わりよ」
「く、そっ……!」
「竜牙烈掌!」
魔力が巡り、そして。
およそこの世ならざる、異様な破裂音が響き渡った。
【魔術紹介】
1)『太陽光の矢』
難易度:B- 詠唱:簡易詠唱 種別:射撃
太陽光と書いてあるが、厳密には「近くの光のエネルギーを集積し、弾丸にしてたたきつける」魔術。
明るい場所だとかなりのエネルギーが出せる他、自然光を弱点とする魔物に大ダメージを与えられるなどの副次効果はあるが、基本的には「燃費がいいだけの射撃術」であり、燃費を気にしなくていい高杉が使う必然性は少ない。
逆に言うと高杉がこの魔術を使ったのは、「相手は影に仕掛けてくる」と読み切ったからである。読みが外れたとしてもさほどのリスクはなく、読み勝ったときのリターンは大きかった。
2)『影縫い拘束』
難易度:B+ 詠唱:簡易詠唱 種別:呪術
文字通り、相手の影を縛って、行動を制限する魔術。
影を縛ってなぜ行動が制限されるかというと、これは「類感」という呪術の一形態である。当人と似たものを縛ることで当人自体に束縛の呪いをかける、というのがその理屈。
しかし影が消えてしまっては効果は当然なくなる。今回はこれを、高杉に完璧に読まれていた。
3)『氷華散華』
難易度:A+ 詠唱:完全詠唱 種別:全圧
周囲に無差別に氷の華を発生させる魔術。
単純な攻撃魔術として通用する他、氷を使って敵の攻撃を防いだり、足を絡めたりと汎用性は高い。
ただし、維持にかかる魔力はそうとうなものであり、これをずっと維持している高杉の消費はとてつもなく高い。高杉でなければ実行しようとすら思わなかっただろう。
4)『小盾』
難易度:C 詠唱:簡易詠唱 種別:防御
小さな防御結界を生成する魔術。
難易度が低い代わりに大盾ほどの範囲カバーはできない。が、防御力自体はそれなり。高杉ほどの術者が使えば、数秒ならば精霊刀すら押し返せる。
ただし無詠唱で発動というのは離れ業である。この無茶だけのために、高杉は火薬庫の弾薬を消費している。
5)『雷神旋空円』
難易度:S+ 詠唱:完全詠唱 種別:全圧
雷撃の嵐を周囲に発生させる魔術。
単純だがその威力は強力無比。戦車くらいなら数秒でスクラップにするだけの破壊力がある。全圧型でもここまでの威力のある技は珍しく、必然的に詠唱の長さも魔力の消費も跳ね上がる。
高杉はそれをさらに強化して使っている。弱点である頭上を除いては一切近寄れなくなるはずで……そしてそこを衝かれることこそが、高杉の狙いだった。
6)『消去』
難易度:A+ 詠唱:簡易詠唱 種別:魔力操作
その名の通り、魔術を解除する魔術。
かなり難易度の高い魔術である上に、手で触れないといけないという強固な制約があるものの、よほど強度の高い魔術でない限り、この魔術で解除することができる。
しかし今回、高杉の狙いは不発だった。その理由は次回でわかる。