8.推論規則-modus ponens-(後)
「てわけで、容疑者確定記念ー。いえーい!」
「いえーい、じゃないわっ!」
わたしの言葉に、げっそりした顔でケイが突っ込んだ。
ここは赤レンガ倉庫内部のカフェである。あの後、さすがにあそこで話し合うのも微妙だったので、関係者であるケイ、チカ、小辻くんを連れてわたしはここにやってきていた。
ずずー、と抹茶フロートをすするわたしにケイは渋面で、
「まったく、自信ありげだったから任せてみたら……情報課の部屋が戦場になったらどうする気だったんだおまえは!」
「いや、絶対逃げると思ってたわよ? あそこに味方いないし。相手には味方がいたんだから、いったん合流を検討するでしょ」
それがあったから、わたしはああも単純なあぶり出し作戦を決行したのである。
「このままだと谷津田さん……いや、年齢も詐称してたんだった。年下だよね? 谷津田くんは、わたしを襲った容疑で広域手配。『新生の道』と友好的な全地域でお尋ね者よ。残った可能性は『再生機構』への亡命か――」
「あるいは、その『新生の道』の上層部にかくまってもらうか、どちらかだな」
ケイが投げやりに言った言葉に、わたしは視線を向けた。
ケイは厳しい顔で、
「わかってるのか、高杉? おまえは谷津田の退路を断ったんだ。あいつがトカゲの尻尾切りされずに『新生の道』上層部に身分保障をされて匿ってもらうためには、最低限使えるコマであることを実証する必要がある。間違いなく近いうちに、おまえに襲いかかってくるぞ」
「それでも……あいつを野放しにしているよりは、マシじゃないかと思います」
と、いつもより控えめながら、きっぱり言ったのがチカである。
「このまま野放しにしてたら、情報課でさらに死人が出たかもしれない。それに、綾ちゃんにへんな疑いをかけられて情報課が分裂しちゃったかも」
「まあ……そうだな」
ふう、とケイはため息をついた。
「ある意味、これは既定路線だったのかもしれん。しかしそうなると、高杉にはなんとしても勝ってもらわないとならん。
小辻、そこで昨日の話だ。そろそろ報告を頼む」
「え? どういうこと?」
「昨日言っただろ。小辻には別件をやってもらっていると。その報告だ」
ケイの言葉に小辻はうなずいた。
「はい。谷津田さんの尾行の件ですよね」
「……そんなことしてたんだ」
「こう見えてシェイプシフターですからね。正体を隠しての尾行は得意分野ですよ。天際さんにも、そこは得意分野だから死ぬ気で磨けって言われてたんです」
「……シェイプシフターであることは、漏れてる魔力量から推定できちゃうんだけどなあ。ホントにバレなかった?」
「ぶっちゃけバレてもいいのさ、尾行自体は」
と言ったのは、ケイの方である。
「正体についての確証がなければ相手方に証拠は与えない。そして気づかれていても尾行は相手へのプレッシャーになる。
それでどうだった? 相手はなにをしてきた?」
「谷津田さんは二人の、ガラの悪いひとと話をしていました。そして谷津田さんが去ってそれを追おうとしたら、その二人が襲いかかってきて」
「なるほど。尾行は直接排除に来たか。どうなった?」
「一人に重傷を与えて、もう一人は逃げました。傷で逃げられなくなった一人を確保しようか迷ったんですけど、尋ねたら情報課職員の同時襲撃とか言い出したから――」
「放り出して高杉を守りに行ったわけか」
「すみません……」
「いや。その優先順位でいい。ともかく、その重傷を与えた相手の正体が知りたいな。なにか気づいたことはあるか?」
「えっと、あまり確実なことは言えないんですけど……装備術、って言うんですか? それを使ってました」
「装備術を?」
無視できない情報だった。
装備術。それは、近年急速に広まりつつある最先端の戦闘用魔術システムである。同時に複数使うことはできないが、強力な付与効果を与えてくれる戦闘支援の魔術系統だ。
そのルーツは、山手大結界と近く、常に魔物の脅威にさらされている川崎において、魔物退治を請け負う傭兵たちが編み出したものである。もちろん、川崎の外であっても、一流の戦技魔術師ならば身につけていても不思議ではないが……
「いくら小辻くんが玄人とはいえ、二対一で後れを取るレベルの連中が使う術じゃないわね。十中八九、川崎の傭兵と見ていいわ」
「なるほど。傭兵を金で雇い入れたか」
ケイがうなった。
「するとそいつらは本当に使い捨てだな。たぶん詳しい事情も教わっていないし、谷津田以外と接点があるかどうかも怪しい。そちらを捕らえて情報を吐かせる線は無しか」
「やっぱり、谷津田くんを直接叩かないとダメね」
「おい。早まるなよ高杉。
いくらおまえが強いとはいえ、相手もヤバい奴だ。おまえ自身が言ったことだろう――谷津田が襲ってくるとして、まずは逃げて小辻との合流に徹しろ。二対一なら問題なく勝てるだろう?」
「まあ、そうね」
わたしは素直にうなずいた。
が。
(悪いけどケイ、今回わたしはそういう手は取らないよ)
と、心の中で、こっそり付け足したのだった。
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状況の整理が終わって解散し、わたしは中華街へいつもの診察のために行くことにしたのだが……
東ルートから行こうと山下公園のところを通りかかったところで、
「わははははマスカレード仮面G、リニューアルしてただいま参上!」
「あー……まだやってたんだこれ」
なんというか、ここ数日いろいろありすぎて、懐かしさを覚えるレベルである。
というか、かなり気合い入れてボッコボコにしたはずなのだが、あのおっさん、もうステージに立って大丈夫なんだろうか。
とまあ、遠巻きにして見ていると、彼らは無事ショーを終えて、解散ムードになった。
わたしは司会席で立ち尽くす島田さんに近寄って、
「ああ、いつも素敵です松山課長……」
「あいつって課長だったの?」
「ひょんげえええええ! ななななぜここに高杉綾子!」
「いや、ちょっと通りすがっただけだけど……リアクション大きくない?」
そこまでおおげさに驚かれると、なんかこっちが悪いことした気になってくる。
「おのれ……またしてもショージャックに来たわね! でも安心しなさい! あの回なんか好評だったから、そのうち出番オファーするかもだから!」
「いや聞いてないっていうか、好評だったの? マジで?」
「アンケートの集計結果めっちゃよかったわよ。『あのこわい悪の女幹部のひとはまた出ないんですか』って投書がいっぱい」
「……子供達から?」
「大きなお友達たちからは『次はエロエロなコスチュームで』って注文も来てるけど」
「よしわかった。絶対出ない」
「まーまーそう言わずに。まーまー」
「なんか妙に愛想いいわね。なにか企んでる?」
「べつに企んでないけど。ただ、志津先生のところで立ち聞きしただけでも、なんかそっちの組織、しんどそうじゃない? 再就職先をお探しなら、『再生機構』はいつでも歓迎するわよ?」
「またえらくかるーく裏切りを勧めてくるわね……」
「なにしろ切実だからね、こちらの人材不足。いまなら家族とかもエージェントに依頼して秘密の亡命手続きを取るサービス付きだけど」
「でもこのショーとかに強制出演させられるんでしょ?」
「いいじゃない! 子供達の夢を守る仕事よ!」
「集客にノルマ課せられてるって聞いたけど」
「……果たせてないとボーナスの査定に響きます」
「うわあ……」
やっぱりブラックじゃないか。
「ま、どうしようもなくにっちもさっちも行かなくなったらそちらを頼るかもね。
で、どうする? 一緒に中華街行く?」
「あ、いや、片付けは手伝わないと。志津先生には遅れて行くと伝えてちょうだい」
「はいはい。わかりましたよー」
というわけで、ごく穏健にわたしと島田さんは別れた。
……敵の方が味方より信頼できるようになりつつあるあたり、政治ってホント、業が深い。
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「てわけで、島田さんは遅れるらしいけど。問題あるかしら?」
「特にない」
と、いつもの仏頂面で言ったのが志津である。
なんか今日は、えらくがちゃがちゃと重たい金属の機械を組み立てている。初めて見る装置だ。
「それはなに?」
「自己領域の形とゆらぎを正確に測定するための装置だ。ありあわせの材料で作ったから不格好だが、一応役割は果たせるだろう」
「へえ……」
「なにしろ、君は昨日、中華街前で派手にやり合ったわけだからな。検査しておくに越したことはない」
「まあね……って、昨日の騒動はやっぱ把握してたんだ」
昨日の診察は結局、あの事件のせいでキャンセルした。だから志津には詳細を伝えていないはずだが……まあ当然、中華街を守る警官が見ているか。
「詳しい話は聞いていないがね。解決しそうか?」
「難しいところ。とりあえず、ひっ捕まえて拷問すればなんかわかるかなって考えてるんだけど」
「相手が末端だと、それも容易ではないと思うがね。
どうも君はことを簡単に捉えようとする嫌いがあるが、もう少し慎重に推論を重ねた方がいいのではないか?」
「そんなことしている間に一人、仲間が死んだわ」
「……そうか」
はあ、とわたしは、ため息をついた。
「なーんかね、どう捉えていいか自分でも、迷っているのよ」
「なにが?」
「殺された奴。横浜に来た当時からいままで、ずっと喧嘩友達みたいな相手でね。ここのところちょっとだけ仲がよかったのも事実だけど、恋仲って言われるほど深い仲でもない。
そういう奴に死なれて、そりゃ同僚の死だから復讐心みたいなのもないではないんだけど。距離の取り方がわからない、っていうか」
「命を賭けるほど相手を憎むには、自分の中で殺された相手のポジションが中途半端だ、と?」
「そんな感じ」
わたしの言葉を聞いた志津は、はあ、とため息をついた。
「そもそもそんなことを言っても、心は決まっているんだろう?」
――やっぱり、こいつはなにもかもお見通しか。
「まーね。べつに佐伯の死なんてなくても……相手は高杉綾子の仇だし。さすがに手を抜くわけにはいかないでしょ」
「私からは特にコメントはないが……ちゃんと勝てるのかね。君は興味深い研究対象だ。いきなりいなくなられると、こちらも困る」
「その目算は立っているから大丈夫よ。
とはいえ、背後関係を洗い出せるかは微妙ね。ちゃんとけじめつけとかないと、今回みたいなことがまたあったら困るわ」
「そうだな」
志津はそっけない言葉。
「……なに? なんか、気になることがあるの?」
「いや、そういうわけではないが……君たちの人間関係を見て、ひとつだけ、どうしてもよくわからなかったところがあってね。少し気になっているまでだ」
「というと?」
「小辻みそら」
ささやくように、志津は言った。
「……? 小辻くんが、なにか?」
「彼がなぜこのタイミングで横浜に来たのか、そこに若干の興味がある。事件のあった当日に横浜に到着というのは、できすぎではないかね?」
「まあ、それはそうだけど……」
志津はさらになにかを言おうとして、苦笑した。
「踏み込みすぎたな。忘れてくれ」
「べつにいいわ。気にしてないもの。
そうだ、志津。この横浜で、人気がなくて大暴れしても問題ないところとかに心当たり、ない? 中華街周辺をまた壊して回るのは気が引けるからさ」
「ふむ? ならば、みなとみらいだな」
「みなとみらい?」
「ああ。ここから北、旧桜木町駅から東側に広がる、かつては栄えていた商業地域一帯――そして、理由あって立ち入り禁止となった、廃墟群。あそこなら誰も、文句は言うまいよ」
志津はそう、そっけなく言った。
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道を歩きながら、わたしは考えていた。
――実を言うと、この後の予定はすでに立っている。
おそらく相手は、わたしを尾行している。そして魔力状況を感知する限り、小辻くんはいない。
小辻くんというか、シェイプシフター種の弱点だ。竜族並みの魔力を常時消費している彼らは、普通の魔術師の簡単な感知魔術ですら引っかかるほどに、とにかく目立つ。だから相手は小辻くんの気配は察知するし……だからこそ、小辻くんがいると襲ってこない。
今日中に決着をつけるためには、わたしはわざと、一人になる必要があった。そしてそのタイミングは、小辻くんが未だ別件でわたしから離れている、いましかない。
みなとみらい――なんの理由かはわからないが、廃墟となったその地区を目指して歩きながら、わたしは先ほどの志津の言葉について考えていた。
小辻くんが横浜に来たタイミング。
それが、わたしが殺されたタイミングと完全に一致する。
偶然ではないだろう。だが、怪しいというほどでもない。おそらく黒幕は、第七軍関係者の小辻くんが横浜に来ることを見て、わたしの暗殺を決めたのだ。うまく第七軍の勢力を削ぐために。小辻くんにすべての罪をかぶせられるように。
それはわかっているのだが……なにか、もやもやする。
志津の言ったように、わたしはなにかを、重大ななにかを、見逃しているのではないだろうか?
わたしは小辻くんのまわりの人々を、一人ずつ考えていって、
「あれ?」
そして、それに気づいてしまった。
小辻くんがなぜこのタイミングで横浜に来たのか。
その志津の言葉の意図に――そして、その背後にある事実に、気づいてしまった。
「……やばいな」
もし、わたしの想像が、完全に正しいとしたら。
もし、わたしの考えている通りの理由で、小辻くんが横浜に来たのだとしたら――
(この事件は、たぶんこれでは終わらない――)
少し、雲が出てきていた。
---next, seaside duel.