7.失敗-mistakes-(前)
翌日。朝。
「あらあらホントに無事でよかったわぁ。もーホント心配してたんだからね高杉ちゃん!」
「……あ、はい」
わたしを見るなり駆け寄ってきたそのひとに、わたしはあいまいにうなずいた。
ここは支部長室。そして目の前の男は花小路貞夫。うちの支部長だ。
痩せ型でぱりっとしたスーツをまとったナイスミドルの外見から繰り出されるこのオネエ口調には、最初たいへんなインパクトを受けたものである。結婚してないという話だったが、噂だとめちゃくちゃお金持ちらしいので、愛人とかがいるかもしれない。その性別がどちらなのかは、考えないことにしておこう。
ともかく。
無事を報告するためにやってきた支部長室で、わたしはこのひとに詰め寄られて微妙に引いてる。というのがいまの状況だった。
……苦手なんだよなあこのひと。なんか初対面から、どうも受け付けない。
(おまけになんか、佐伯に吹き込まれちゃったし)
わたしを襲った黒幕がこのひとだという言葉を、頭から信じているというわけではないのだが、それでも不信は残る。
「身体は大丈夫なの? 後遺症は残ってないの? 大丈夫?」
「あ、はい。預かり先がとても手際よかったんで。まあ、しばらくは業務終わった後で立ち寄ってチェックしなきゃいけないって言われましたけど」
「中華街の志津方山よね。報告は受けているわ。たまたま陰楼の実地調査をしていたんですって?」
「相手方の研究目的にはあえて踏み込まなかったんですけど……滞在していたのは事実です」
と、こうして受け答えをする限りは普通の、ごく善良そうなひとに見える。わたしがちょろいだけなのかもしれないけど。
「ともかく! こちらとしても、二度とこういう件がないように手を尽くすつもりよ。高杉さんも気をつけてね」
――ふと、その言葉を聞いて、わたしは興味を覚えた。
「支部長的には、今回の件の黒幕って、誰だと思いますか?」
と、質問してみる。
佐伯は、支部長が黒幕だと言った。だがそれは推理でしかない。現段階では断言できない。
だから、支部長が黒幕でないなら誰が黒幕になり得るか。あるいは黒幕ならばどうごまかすか――そこが気になったのだが。
支部長は少しだけ考えて、それから言った。
「黒幕。つまり、高杉ちゃんを襲った誰かのバックにいるのが誰かってことよね」
「はい」
「つまり、高杉ちゃん的には、今回の件は個人的なものや、あるいは突発的な通り魔ではないという考えなのね?」
「もしその種のものなら、わたしに対処できないとは思いにくいので」
と、ここまでは想定していた問答通り。
通り魔ならば、第二世代殺しに特化した精霊刀はまず使わない。そしてわたしの不意を突けるレベルの戦技魔術師が襲ってきたとして、バックに誰もいないとは考えづらい。
支部長はうなずいて、
「そうね。現段階では可能性はたくさんあるわ。椎堂課長は内部犯の可能性を疑っているようだけれど――だとしても背後に外部勢力の手が伸びてないという保証もないし」
「そうですね」
「でも私の考えでは、たぶん黒幕も内部だと思うわ」
と、支部長が言ったので、わたしは目をぱちくりさせた。
「内部?」
「ええ」
「それは……『新生の道』の上の方、ということですか?」
思わず踏み込んでしまう。
「そうよ。ねえ高杉ちゃん、あなたはなんでこの横浜支部に五つの課があるか、ご存知?」
「五つの課がある理由、ですか?」
それは……考えたこともなかった。
「五つって、総務課、人事課、理財課、情報課、警備課ですよね。ただの役割分担じゃないんですか?」
「そうだったら簡単なんだけどね……たとえば理財課。ここはどういう場所?」
「横浜支部の財産を管理する場所ですよね。名前は特殊ですけど、経理担当みたいな」
「総務課の経理担当が扱えば十分だと思わない?」
「…………」
わたしが沈黙すると、支部長はため息をついた。
「元々『新生の道』は、横須賀にあったいくつかの組織が、『崩壊』を機に手を取って立ち上げた団体よ。
在日米軍、自衛隊、それから横須賀市と、その他いろいろな組織を束ねていく過程で、いろいろと軋轢もあった。そこを収めたのはいまの天際司令の功績なのだけれど……軋轢は収まっただけで、なくなっていない。いまなお、『新生の道』には五つの派閥があって、内部で争っているの」
「その五つの派閥が、課に反映されてる……?」
「ええ。あなたもこの際、覚えておいた方がいいわ。
もしあなたが狙われたのが、この闘争に関係することだとすれば、それは情報課の派閥を狙うどこかの犯行である可能性がある。それがどこなのかはわからないけれど――そういう可能性があることは、意識しておいた方がいいわね」
「わかりました」
わたしはうなずいて、それから尋ねた。
「ところで支部長自身は、どの課の派閥なんですか?」
「そりゃ総務課よ。だから総務課、この支部でいちばん大きいでしょう?」
--------------------
その後、二、三のやりとりを経て、わたしは支部長室を辞した。
……うーん。
(思った以上に突っ込んだ話だったな)
というのが、正直な感想である。ちょっとした好奇心からつついてみたら、やたら大きな蛇が藪から出てきた感。
しかしどこまで信じていいものか。そこはちょっと引っかかるところではある。
一応、佐伯の説ではあの支部長が、わたしを襲った黒幕であるって話だったし……
「なにをこんなところで突っ立ってんだおまえは」
「うきゃっ!?」
背中から声をかけられて変な声が出た。
「さささ佐伯!? なんでここにいるのよ!」
「おまえを探してたんだよ。支部長室に行ったって言ってたから。いま出てきたところか?」
「そうだけど……なんの用?」
「芦屋から伝言だ。手伝って欲しいってさ」
「え、なにに?」
「知らん。そこまで聞いてない。
まあ情報課で待ってりゃ来るだろ。じゃあな」
「あ、うん」
わたしがうなずくと、佐伯はそっけなく、その場を去って行った。
……むむう。
(あれだけ人を不安にさせといて、そのそっけない態度、なに?)
微妙にイラッとする。今度会ったらとりあえず蹴ろう。
--------------------
情報課に行くと、谷津田さんがちょうど出てくるところだった。
「あ」
「やっほー」
わたしの挨拶に、ぎこちなく谷津田さんは手を上げ、そのまま去って行った。
……あからさまに怪しい。こちらはクロかも。
そんなことを考えながら情報課のオフィスに入り、知り合いと挨拶してから机に向かうと、
「あれ?」
いろいろとやっていたはずの書類仕事の跡が、きれいさっぱりなくなっていた。
「どしたのー? 綾ちゃん」
「あ、チカ。なんか……わたしのいないうちに、机が掃除されてるような」
「あー。あたしにも一件来たよ。綾ちゃんの仕事の引き継ぎ」
「え、マジで?」
「たぶんいま、綾ちゃんは仕事、抱えてないことになってたんじゃないかな」
チカはあっさり、そう言った。
なんのために、と考えて、すぐ気がつく。
(そりゃそうか。わたし、死ぬ予定だったんだ)
誰だかはまだわからないが、黒幕が手を伸ばしていたということなのだろう。わたしが死んだ後、つつがなく業務を遂行できるように、わたしの仕事を引き継ぐ態勢を作っていた。
でも、それなら情報課の課長であるケイが関わっているのでは?
…………
「綾ちゃん?」
「ごめんチカ、ケイの居場所ってわかる?」
「んー、わかんない。机にいないことは確かだけど」
「そっか……」
「見つけた」
「うおわっ」
「あ、ふーみんだ」
突如として後ろから声をかけられたことにのけぞるわたしと、平然としてるチカ。
……ここ最近、背後取られすぎじゃないかなわたし。油断してない?
「び、びっくりした。なんの用、芦屋さん?」
「二人に用事。ちょっと来て」
「え、なんで?」
「移動した後で説明する」
芦屋さんは無表情だった。
だが、その、微妙な緊張感を察して、わたしはため息をつく。
「……仕方ないわね。どこ?」
「こっち。チカさんもおねがい」
「はいはーい。手伝うよー」
あっけらかんとしたチカと一緒に、わたしは情報課のオフィスを出た。
--------------------
で、着いた先は、以前小辻くんとケイと一緒に来た「資料室」だった。
えらく大量の本やら資料が置いてあるその場所で待っていたのは、
「ん、高杉に藤宮か。ご苦労」
「ケイ? それに佐伯も……なんでこんなところに?」
「ここは私の城でな。盗聴機の類も常に検査していて、そうそう危険がない。そのあたり情報課のオフィスは駄目だからな」
「駄目って、なにが?」
「おまえ気づかなかったのか? おまえが倒れた日、私はおまえについてなにも聞かされてなかった。それなのに翌日にはもう引き継ぎの準備ができてたと来てる。課長補佐の誰かに内通者がいるぞ、あそこ」
「普通、そういうのって課長の許可を得ないとできないんじゃないの?」
「ハンコ押すだけの仕事になにを期待してるんだおまえは。それに異動ならともかく、仕事の引き継ぎ程度なら私の許可なんぞ必要ないよ。だからやりたい放題できるってことだな」
無駄に偉そうに胸を張って言うケイ。……いや、それ、情報課の内部をまったく把握できてませんって告白なんじゃないのか。
「とまあそんなわけで、サボったり秘密の仕事のときにはここに来ることにしているわけだ、私は」
「サボってることは否定しないのね……秘密の仕事ってのは?」
「佐伯から聞いてねーの? 私が誰を疑ってるか」
「それは……」
わたしは佐伯を見た。
たしかこいつからその話を聞いたとき、ケイについてもあることないこと悪口を吹き込まれたような気がするんだけど……
佐伯は肩をすくめて、
「確かに伝えましたよ」
「だろ? 中華街に残って調査するって言ったから、絶対接触に行くと思ってたんだ」
「え? え? なんの話です?」
「聞けよ藤宮ー。こいつこんな顔して、中華街の調査とか私に言い訳して高杉口説きに行ってたんだぜー?」
「違うわっ!」
思わず大声を出す佐伯。面白い。
「それじゃあ、えーと……」
「まあ待て高杉。確かにここは私の城だが、それでも確定証拠がない状況で、特定個人だけを調べた痕跡を残したくない。ここの鍵は私が占有してるが、それとは別にマスターキーがあるしな」
「それはわかったけど、じゃあどうするの?」
「いい機会だ。情報課の大掃除をする」
ケイは宣言した。
「具体的に言うと、おまえの仕事をちょいちょいした連中を根こそぎ洗い出す。そのための素行調査だ。なにぶん漁らないといけない資料が膨大でな、資料整理と打ち込みを頼む」
「なるほど。それでこの人数ってわけね」
わたしはようやく納得した。
チカ、佐伯、わたし、芦屋さん――図らずも、小辻くん歓迎会と同じメンツになったその場を見て、
「あれ? そういえば小辻くんは?」
「ああ。あっちには別作業を頼んでる。
――本当に理想的だよ、小辻みそら。彼を送ってくれた誰かさんに感謝だな」
「? なんの話?」
「こっちの話だ。それより高杉、あれ取ってくれ。私の背では手が届かない」
「えー、あんな重そうなのを? ああいうのは男の佐伯にやらせなさいよ」
ぶーぶー言ってわたしは佐伯を指さした。
佐伯は仏頂面で、
「林檎を片手で潰せる奴がそれを言うか?」
「普通できるでしょ。なに、佐伯はできないの?」
「できるかっ」
「よいしょ。ほらけっこう重いわよこれ。はいケイ」
「おう。って重!? おまえこれいま片手で持ってなかったか!?」
とまあ、そんな感じで。
思いのほかハードな、資料整理の仕事が始まったのだった。