6.赤い街路-red town-(後)
少し絶句していた楢崎は、すぐに気を取り直して苦笑した。
「……いや、困ったね。なんでそう思った?」
「べつにたいした推理ではないよ。このタイミングで、中華街に運び込まれたときのことを詳しく聞こうとする動機を考えてみたら、『同行者を疑っている』と見るのが自然だ。そして身元がはっきりしている私が疑われている可能性は少ないと判断した。とすれば、後は情報課とやらが疑われていると考えるのが自然だろう」
「なるほど……アンタ、ただ者じゃないってのはマジだったんだな……」
言って楢崎は、大きくうなずいた。
「ああ。まあそういうことだ。警備課は情報課を疑っている。そして情報課から来た情報をいったん捨てて、関係者の証言と照合してみようということになったわけだ」
「え、でも待ってよ。なんで情報課が疑われてるの? 他の課の可能性は?」
「芦屋が言ってただろ。課の単位で、高杉さんほどの第二世代を強襲できるほどの戦力を持っているのは情報課と警備課だけだ。そして警備課は警備課を疑わない」
「それは……まあ、そうだけど……」
わたしがうなると、楢崎は笑った。
「芦屋がなにを考えていたかはいまいち不透明だがな。推理の場に両方の課を呼んでバランスを取るなんて、理財課の一職員が考えることじゃねえぞ。あいつはあいつで怪しいんだが……まあ、いまはそれはいい。
ともかく、あのときの推理自体が、警備課に見せたなんらかのパフォーマンスだった可能性とかを疑ってるのさ、課長は。俺はあんまりその線はないと思ってたんだがねえ。そういうわけで、どちらかと言えばマジで疑ってるというよりは、その可能性をつぶしに来たってのが本音のところさ」
「あー、そういうこと」
「で、どうなんだ? 実際、そういう話があるんだったらマジで相談に乗るぜ?」
「悪いけど空振り。いまのところ、わたしにその種の事情はないわ。そして情報課は……完全にシロかどうかはわからないけど、少なくとも犯行が起こった時点では、無関係だったと思う」
「へいへい。やっぱそうか……」
楢崎は言って、メモにペンを走らせた。
わたしはそれを見ていて、ふと思いついたことを言った。
「ねえ」
「なんだ?」
「小辻くんって疑われてないの? その、最初は第一容疑者だったみたいだけど」
言って小辻くんの方を見ると、彼はあわてた風で、
「え、僕、疑われる余地あるんですか!?」
「いや、わたしは疑ってないけどさ。警備課から見たらどうかなって。いちおう、犯行と同じタイミングで横浜に来たわけだし」
「まあ、そうだな」
楢崎は言って、あごひげをこすった。
「実を言うと、小辻さんを洗い直してみようって線はまず最初に考えられたんだ。そして、すぐ立ち消えた」
「なんで?」
「俺の前で、第七軍関係者だって言ったろ? その話の裏を取ってみたらすぐ取れた。横浜に来るときの紹介人に早見健太郎って名前があってな。高杉さんも知ってるだろ?」
「――……なるほど」
早見健太郎。
第七軍、天際波白の直属部隊。使える者なら人でも人外でも分け隔てなく、平等に酷使し平等に優遇する最強の近衛兵団――百鬼夜行。その首魁。
当然ながら、第七軍の大幹部である。こんな名前が出てきたら、小辻くんが第七軍の関係者であることを疑う相手はいないだろう。
「で、まあ、高杉さんが第七軍の上の方と仲がいいってのは有名だからな。そこが襲撃ってのも考えにくいだろう、ってのが課長の言い分さ。結果、警備課は小辻さんについては、もう疑ってない」
「なるほど……って、わたしと第七軍が仲がいいって、そんな話になってるの? なんで?」
「なんでって言われてもなあ。あんたと、あそこの大参謀の梶原沙姫って、同じ施設の第一期の優等生なんだろ? 当然、仲がいいと思われてるだろ」
「あ……あはは……」
わたしは苦笑した。
……実績は過去を覆す。小田原に行く前の沙姫が、『優等生』だったなどという事実は存在しない。
どちらかと言えば、落ちこぼれ。いじめられっ子で、本の虫で、戦いになんて到底行けない弱虫の泣き虫。
だが、そんなことをいま言っても、むしろ信じる者の方が少ないかもしれない。それほどに、彼女の武功は突出していた。
昨日の、佐伯の言葉が頭をよぎる。
(あれ?)
そういえば、佐伯は少し、いまの楢崎とはニュアンスが違うことを言っていたような……?
「やっぱ、前線に出たいかい?」
楢崎の言葉に、我に返る。
「なんで?」
「いや。ライバルにどんどん置いて行かれてる、なんて思ってるんじゃないかと思ってな。あんたも前線で手柄を立てて活躍をしたいのかな、なんて、そんなことを考えただけさ」
「あはは、まさか」
わたしは笑った。
「前線なんて危険なだけでしょ。遠ざかってせいせいするわ――活躍なんて、そんなものどうでもいいしね」
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その後、楢崎はいくつか簡単なことだけを聞いて、さっさと帰っていった。
「……で。志津と島田さんはいつまでいるの?」
「問診!」
「あ、そう」
いつものように不機嫌そうな島田さんと対照的に、いつものように静かな志津が前に出た。
「昨日の戦闘の後で違和感は?」
「あ、特にないわ。ダメージも負わなかったし」
「なるほど。よい兆候だ。頭の痛みなどは?」
「事件が起こる前に戻った感じ。目に見える違和感はないわ」
「よろしい。どうやら治療はいい方向に作用しているようだ。念のためにもう少し経過を見た方がいいが、日常生活に戻る準備は整ってきた、といったところかな」
「そう。なら、提案なんだけどさ」
「なんだね」
特に感情を見せない志津に、わたしは言った。
「もう今日の夕方には出ちゃっていいかな? 家、ずっと空けとくのはちょっとね」
「え、ええええええええ!?」
叫んだのは、なぜか残っていた小辻くんだった。
「あれ? 小辻くんは帰らなかったの?」
「帰ってませんよ! それより高杉さん、急すぎませんかそれ!?」
「そう?」
言ってわたしが志津に目を向けると、彼はやはり動揺していない顔だった。
「勝負を賭ける気かね」
――やっぱり、こちらの狙いは見通し済みか。
「うん。まあ、昨日の島田さんとのぶつかり稽古で、動けることはわかったし」
「なにがぶつかり稽古よ! あれは戦闘よ、戦闘!」
むきーと叫ぶ島田さんは置いといて、わたしは志津に挑戦的にほほえんだ。
「いちばん手っ取り早いのはこれでしょ。ね?」
「それは否定しない。が、リスクの高い選択肢だと思うがね」
「わたしもそう思うけど、昔から宿題はすぐやる派でね」
「あの、なんの話ですか?」
小首をかしげて問う小辻くんに、わたしは告げた。
「いや。だからわたし、殺人者に襲われたわけじゃない」
「はい。そうですね」
「なんでまた襲われないかって言うと、立ち入り禁止の中華街にいるからでしょ?」
「それはそうだと思いますけど」
「だから出て行けばまた襲ってくるだろうし、それを返り討ちにすればこの事件は終わりかなって」
「ええええええええええええ!?」
小辻くん、本日二度目の絶叫である。
「いくらなんでも博打すぎませんか!? 僕が守るにも四六時中ってわけにはいかないんですよ!?」
「…………」
「? どうしました?」
「いや、ちょっと、こっちの話」
わたしはこほん、と咳をした。
いやー……わたし、『守る』って他人から言われたの、人生初なんじゃなかろうか。実は。
小辻くん、なにげに強気である。
「まあ、大丈夫よ。相手はわたしがなんで生き延びたのか、それ自体を知らないんだし。
殺すための確実な手段を知らないってのは、それ自体がだいぶ不利でしょ。いくらなんでもそのハンディキャップ込みで、しかも襲ってくることを警戒しているわたしが、遅れを取ることはまずないわよ」
「で、でも、やっぱり危険ですよ。
ほら、警備課だって情報課だって、それぞれ動いて犯人の確保にいそしんでくれているじゃないですか。それを待ってからじゃダメなんですか?」
「駄目。今日の楢崎を見たでしょ? ぜんぜん見当外れの調査してたじゃない。これだと捜査がいつまでかかるかわからないわ」
「でも、それでも――」
「なにより」
わたしは言った。
「彼らは知らないでしょ。わたしが『本当は殺された』ってこと。殺人未遂か、それとも悪質ないたずらか――それすらわからない状況で捜査しなければならない彼らは、当てにできない。これが最善手よ」
そう。これがあるから、当てにはできないのだ。
他の解決策を取ろうにも、彼らは正確な事情を知らない。小辻くんとケイは例外だが……小辻くんはともかく、ケイはちゃんと働くかを判断できない。
昨日の佐伯に言われるまでもなく。裏事情を一切考えなくても、ケイは気まぐれなところがあって、仕事したくないと思ったら仕事を放り出してしまう悪癖がある。頼りにすることは難しいだろう。
「最善手、ね。……果たしてそうかな」
と、ぽつりとつぶやいたのは、志津だった。
わたしは小首をかしげて、
「なにが?」
「少し言い過ぎと思ったまでだ。手っ取り早いという点では同意するが、最善手かね」
「志津も小辻くんと同じ意見ってこと?」
「いいや」
彼は首を振って、続けた。
「私の意見はもっと簡単だ。君の事情を『新生の道』内部に公開してしまえばいい。それで二、三日ここに滞在していれば、だいたいの問題は安全に解決するだろう」
「…………」
「? それ、どういうことです?」
沈黙したわたしの代わりに、小辻くんが尋ねた。
志津はつまらなそうな顔で、
「さっきの話の肝は、つまり彼女の事情を『新生の道』の捜査部門が知らないから問題だということだっただろう? だったら明かせばいい。それだけで捜査部門は、この事件を殺人事件として正当に扱えるようになる。信頼性はぐっと上昇する」
「……そうだけど」
「なぜ、そうしない? 君の反応を見るに、この考えを思いついてはいたのではないかね」
「いや、だって、そうしたところで捜査が簡単に終わるかはわからないし」
「確実な襲撃一回とどちらがリスクが高いかね。私の案に従えば、捜査が邪魔になって、相手が襲撃を取りやめる可能性もありうる」
「……そういうグレーな終わり方は好きじゃない」
「だとしても、君のやり方は性急に過ぎる」
志津は言って、ため息をついて、
「怖いかね?」
と、出し抜けに聞いてきた。
……こいつ、そこまで踏み込んでくるか。
「怖いって、なによ。わたしが、もはや人間でなくなったということを、他人に知られるのが怖いとでも――」
「は、はは、はははははははははは!」
志津は爆笑した。
あまりの変わりっぷりに、島田さんと小辻くんはドン引きしている。普段ほぼ笑わない志津がいきなり爆笑したら、そりゃそうもなるだろう。
わたしは。
「……志津。あなた、嫌なやつね」
「ははは! まあそう言うな。あんな滑稽な言い訳をされれば、私とて笑いもするさ」
「そんなに滑稽だったかしら?」
「当たり前だ」
と、突如として志津は笑いを止め、いつもの仏頂面に戻った。
「君が、高杉綾子が、第二世代の中でも飛び抜けた出来の怪物の一人が、……いまさら人間でなくなった? そんなこと元から思われていただろう。君がそんなことを恐れるなど、冗談も大概にしてくれ」
「じゃああなたは、わたしがなにを恐れていると言いたいの?」
「知れたことだ」
志津は言った。
「高杉綾子だろう? 君が顔色をうかがっているのはただ一人。もはや死んでしまった自分の原型が自分をどう思うか、それだけを気にしているのではないかね」
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実を言うと、薄々気づいてはいた。
志津方山。この怪物のような魔法使いが、わたしのことを一度も高杉と呼んでいないことに、薄々気づいてはいたのだ。
わたし自身、考えないようにしていたことを、彼は考えていた。それは、わたしが誰かという、アイデンティティに関わる問題だ。
わたしは高杉綾子ではない。
わたしはただ単に、高杉綾子の姿と、高杉綾子の記憶を引き継いだだけの、高杉綾子ではないなにかでしかない。
そのわたしが、実は高杉綾子ではないことを公開したとしたら?
答えは『なにも変わらない』。
だって他人からすれば、わたしが高杉綾子であるかどうかなんてどうでもいいことなのだ。
高杉綾子の記憶を持っていて、高杉綾子ができることをできるなら、それは高杉綾子だと、みんな思うだろう。他人からすれば、そういうものだ。
だけどわたしは――それがとてつもなく、気持ち悪い。
わたしが、高杉綾子でないまま、高杉綾子を乗っ取ってしまうことが、たまらなく気持ち悪くて――
「だから、せめて高杉綾子は生きたままでいてもらおうと、そう思った。そんなところではないかね?」
「……やっぱ嫌な奴よ、あなたは」
「当たり前だろう。私は魔法使いだぞ? この世遍く真理を探究せんとする者が、性格がいい道理はあるまい」
志津はごく淡々と、そう言った。
それから、
「はっきり言えば、その悩みには出口がない。
高杉綾子が君のことをどう思うか? そんなものは簡単だ。死者はなにも思わない。だから重要なのは、君がどう思うかだけだろう?」
「そんなの……わかっているわよ」
「横浜だ」
志津が唐突に言ったので、わたしはきょとん、とした。
「なにが?」
「かつての『崩壊』以降、なにもかもが変わった。君くらいの年の人間だと実感がないかもしれんがね。私は、『崩壊』前の方が長く生きているから、それこそ天変地異が起こったと感じたものだ。
だが、横浜は残った。元の姿のままで。元の世界はこうだったのだと言わんばかりに。しかし私は思うのだよ――本当にそうか?」
「本当に……?」
「実は横浜も変わっているのではないかね。たとえばこの中華街が、人気のない陰楼の庭と化したように。みんなそれに気づいていて、でも横浜は変わってないねと言う――君のようにだ」
志津はそう言って、窓から空をながめた。
「本当にこの都市に必要なのは、正当な弔いなのだろう。そしてそれができるのは、いまの横浜だけなのだ。
君もそうだ。高杉綾子を弔えるのは君だけだ。そのことだけは覚えておきたまえ。今後どう身を処すにしてもだ」
「……そうね」
わたしは、このときだけは素直に、うなずいた。
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結局、わたしはその日の夕刻には、中華街を出発した。
「情報課とやらには連絡をしておく。それと、しばらくは毎日問診に来るように。入り口を守る警官に名前を言えば通れるようにしておく」
「世話になったわね」
「なに。たいした労力ではないよ。それにこの数日は面白かった。
では、さらばだ。――健闘を祈るよ」
言って、志津は中華街へと去って行った。
しばらくそれを見つめていたわたしだったが、
「行こうか、小辻くん」
「はい!」
わたしは中華街に背を向けて、歩き出した。
ここから先は、わたしの戦い。
誰にも邪魔させないし、誰にも迷惑をかけない。
そんな甘いことを考えていたことの報いをわたしが受けるのは、当たり前の話だった。
---next, mistakes.