6.赤い街路-red town-(前)
翌日の朝、歯をみがきに洗面所に行ったら島田さんとばったり出くわした。
「あ、おはよう」
「……ふん」
相手は鼻を鳴らして、わたしのあいさつに答えた。
「一応言っておきますけど、昨日の戦いは中断。私はまだ負けてないからね」
「あーはいはい。はいはい」
「はいは一回!」
「はーい」
そんなやりとりを経て洗面所で歯をみがいて、顔を洗ってから部屋に帰ったら島田さんがいた。
「……なんでいるの?」
「検査!」
「え、今日は島田さんがやるの?」
「もう顔を隠す理由がないでしょ。わかったら座る」
「はいはい」
「はいは一回!」
なんてやりとりをしながら、てきぱきと装置を準備していく島田さん。
その様子だけを見ると、たしかに知的美人っぽかった。……というか、戦闘とか無理にしなければ、ちゃんと知的美人なんじゃなかろうか、このひと。
そんなこんなでまた例の装置を接続し、ぴーっという音とともにいくつかの数値が計測された。
島田さんはそれを見て顔をゆがめ、
「やっぱり健康そのものの数値じゃない……」
「まだ言ってるの? ていうか、さすがに昨日の志津の説明は聞いてたでしょ? わたしがどういう状況なのかも」
「ううう、知ってるけど!」
地団駄を踏む島田さんだった。
あの後、こいつは『新生の道』のスパイですスパイ! と叫ぶ島田さんに対して、懇切丁寧に志津が説明していたのを横で聞いていたわたしである。
志津の方にはなんの戸惑いもなく、それどころか島田さんが『再生機構』のスパイだという情報にも、なにひとつ動じていなかった。というか、気にしてすらいなかった。
となると、志津……というより、志津のスポンサーであろう横浜市は、中華街にスパイを入れてもいいと判断しているのだろうか。
あるいはもっと直接に、志津が横浜市に面倒くさがって報告していないだけ?
…………
などと考えているうちに、全部の検査が終わっていた。
「KK呪耐値、416.58……知ってはいたけど、やっぱり化け物じみた数値ね」
「そういえば、なんでMG値じゃなくてそっちを測るの? 昨日、志津からは特に説明がなかったけど」
言うと島田さんは、ふんと鼻を鳴らした。
「MG水準比は、握力計で握力を測ってるようなものなの。だから弱く改竄しようとすればいくらでもできるわ」
「あー、なるほど。そう言われてみればたしかに」
「だから兵役逃れにMG水準比をごまかそうとする連中が後を絶たないのよ。KK呪耐値にうちの機関が目をつけたのはそのためね」
「それは『再生機構』の、第二世代に対する待遇が悪すぎるんじゃないの?」
わたしは言った。
というか、『再生機構』は昔、第二世代を人間と認めていなかった、という話まで聞いたことがある。無理やり隔離して大量の死傷者を出したとかいう噂も。
真偽はわからないが、『崩壊』以降の事物を敵視する『再生機構』なら、あり得そうな話だ。と同時に、本来ならば旧政府直系で勢力も大きい『再生機構』が、いまいち戦力を伸ばせない理由でもある。
現代戦の要である強力な第二世代の不足は、それほどまでに深刻だ。
「『新生の道』の方面だと、第二世代を輩出した家には恒久的に年金付与とか、戦果を挙げるごとに支給金アップとかが普通で、お祝いになるわよ。待遇が悪いからごまかされるんじゃないの?」
「……ぐうの音も出ない正論ね」
島田さんはげっそりした顔で言った。……おや、反論しないんだ、これ。
少し気になったが、とりあえずわたしは話題を変えることにした。
「でもこれ、具体的にMG値とどう関係あるの? 志津は簡単に計算してたけど」
「二乗相関があるって聞いたわ。10で割って二乗すると、だいたいMG値はそれと一致するって」
「その計算が正しいとすると、天際さんとかの魔力も測れたりするのかしらね?」
「無理だろうな」
突如として聞こえた声に顔を向けると、ちょうど志津が部屋に入ってくるところだった。
「無理って? どういうこと?」
「天際波白。彼女の噂はいろいろ聞いて、私も興味を持っていてね。ざっと聞いたところによると、MG値の測定ができなかったんだろう?」
「そうよ」
わたしはうなずいた。
前代未聞の『MG値測定不能』。どれだけ高性能な計算装置を使っても、異常値が出て測れないのだとか。『最低でも一兆は越えているはず』という、笑えない話だけが知られている。
当然、そんな状況だと、まともに魔術を使えるはずがない。志津が言った通り、MG値は魔力の『瞬発力』だ。普通の魔術なんか使ったら、一発で魔力を使い果たしてすっからかんになり、その代償に魔術は暴発してなにが起こるかわからない。
だから天際さんは、通常であれば囚人に付けるような魔術拘束衣を、いつも身にまとっている。
ただの拘束衣ではない。黒い呪詛がにじむ、常人ならば着ただけで呪いで発狂するような、魔力をぎりぎりまで抑制する真っ黒な魔術拘束衣を、常に付けていなければならない。『漆黒の魔獣』の二つ名は、それが由来だ。
そこまでしてようやく、MG値が2000を割って『普通に』魔術が使えるようになる。
まあ、ある種の怪物なのだが、KK値とやらを使えばもうすこしまともに魔力を測れそうにも思えるのだが、志津が『無理』とはどういうことなのか……?
問いかけるわたしの視線に、志津はそっけなく答えた。
「私はその噂から逆算したKK値でなにが起こるかを測定してみた。結論は以下の通りだ。天際波白、彼女はMG値に比して異常に魔力が少ない、一種の奇形だ」
「はあ?」
わたしは思わず、声を挙げた。
「冗談でしょ? 彼女に対して『魔力が少ない』なんて形容、初めて聞いた――」
「もしKK値が、MG値から逆算できる通りの値なら、一歩歩くごとに魔力嵐が起こる」
「…………」
わたしは沈黙した。
「そしてそれは、彼女が身につけているという拘束衣では封じられない。だからもし、彼女が普通に暮らせているというのなら、KK値はMG値と比べて異常に少ないとしか考えられない」
「……なにもかも、彼女は特別ってことなのね」
「君だって知っているだろう? そんなことは」
そっけない志津の言葉に、わたしはうなずいた。
そして、首をかしげる。
「あれ? そういえば志津はなんでここに来たの? 解説に来たってわけでもないだろうし、検査は島田さんだけで十分よね?」
「ああ。だから別件というか、君に客だ。入れていいかどうかの判断を頼む」
「入れていいかどうかって……誰なの?」
わたしの言葉に、志津は答えた。
「一人は小辻氏。もう一人は昨日も来た男だ。楢崎、とか名乗っていたな」
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「……なんでこの取り合わせ?」
わたしの言葉に、あははと笑って小辻くんが答えた。
「すいません。今日は僕、案内人なんです。楢崎さんがどうしても、って言って。高杉さんの身柄は情報課の管轄下なんで情報課の職員が同行しないと、ってので、僕に話が」
「ああ、うん。それはわかった。でも楢崎さんは? 昨日はなんか、ここになんで呼ばれたかわからない、みたいな顔してたじゃない」
「そんな顔してたか? 俺、お見舞いって言われて素直に来たら推理ゲームが始まったから、あぜんとしてただけなんだがな」
楢崎はあごひげをさすりながら言って、笑った。
「なに、昨日の話をうちの課長に報告したときの話でな。課長は知ってるよな?」
「ええ。片嶋さんでしょ? ダンディな男前よね」
「外見はああだが実は熱血系でな、あのひと。小辻さんが事件解決のために奔走していると知って、『我々も彼を見習おう。一層励むのだ』と来た。そんで俺がもう一回、事情を調べに来なきゃいけなくなったわけだ」
「あらまあ」
人は見かけによらない、ということか。
そこでわたしはくるん、と首を動かし、
「あれ、島田さんは同席するの? もう検査終わったのに」
「当然でしょ。お互いもぐり込んでる身、せめて情報くらいは仕入れないとね?」
「てっきり島田さんはここに盗聴機くらい仕掛けてると思ってたのに」
「仕掛けられる隙間があったら仕掛けてるわよ。でも、志津先生のオフィスにそんな隙があるわけないじゃない!」
「おい、なんの話だ?」
「島田さんが『再生機構』のスパイだって話」
「はあ!?」
楢崎が目を剥いた。
「マジかよ。じゃあここでの話って筒抜けなのか?」
「そうね。事情聴取だっけ? とりあえずそれを踏まえて話をしてね、楢崎さん」
「い、いや。同席をご遠慮願うって方向はないのかよ」
「ないわ」
「ないのか……」
めんどくさいことになった、という顔を隠しもしない楢崎。
ちなみになんで同席を拒まないかというと、わたし自身が楢崎の方を警戒してるからなのだが、これは言わないでおく。
代わりに、
「後で情報が抜けたときにあわてふためくより、最初から情報が抜けてるほうがまだましでしょ。いてもらった方が、油断を防げていいと思うわよ」
「そういう考え方もあるか……いや、でもなあ。やりにくいのは変わらないし、『再生機構』があんたの事件に関わっている可能性も、まだあると思うんだが」
「その線はたぶん消えたかなあ。昨日いろいろあったし」
「?」
楢崎は首をかしげたが、わたしは特に補足説明することはしなかった。
代わりに、志津の方を向いて、
「で、なんで志津がまだここに残っているかはよくわからないんだけど。なにかまだ用?」
「いや、ただの好奇心だよ。君たちはなにかと面白い。ただの野次馬だと思ってくれていい」
「ふうん……?」
わたしは若干の違和感に首をかしげた。
自分でもなにか説明できない、奇妙なものを感じたのだが、それを言語化できない感じ。
とはいえ、説明できないものにこだわる理由もない。とりあえずわたしはそれを棚に上げた。
「じゃ、その事情聴取とやらを始めましょうか。こういうのは手っ取り早い方がいいしね」
「そうだな。
ま、気楽にしてくれていい。加害者の可能性がある相手ならともかく、あんたは被害者だ。事情聴取っても、気軽なものさ」
楢崎はそう言ってから、笑みを消して真面目な顔になった。
メモとペンを取り出し、
「まず、襲われたときの状況から聞こうか」
「ケイには話したんだけどな、それ」
「あのぐーたら課長が警備課のために一日や二日で報告書上げてくれるわけないだろ。だからわっかんねーんだよ」
「でしょうね。まあ、隠すことでもないので正直に言うわね」
言って、わたしは自分が殺されたときの状況を、「なぜか殺されなかった」という若干の脚色を加えて、楢崎に話して聞かせた。
楢崎は腕組みをして、
「後ろから襲われた。相手の顔は見ていない。小辻に拾われたときは、すでに気絶していた。そして、なぜか服だけに攻撃された跡があった……か」
「うん。そういうこと」
「相手の顔を見ていない、ってことだが、あんたは一流の戦技魔術師だろう。そんなの相手に、簡単にそんなことができるのか?」
「痛いところを突くわね……まあ、迂闊だったことは認めるけど」
「それにしても、相手は素人ではない。そういう理解でいいんだな?」
「ええ、それでいいわ」
「よし。じゃあ次の質問だ。今度は中華街に運び込まれたときのことだ」
楢崎は言った。
「話は聞いているが、細かいところを補足したい。聞かせてもらえるか」
「……って言っても。わたしは意識を失っていたから、そのときのことはほとんどわからないわよ?」
「ああ。それでもいいから聞かせて欲しい。もしかしたら、なにかの手がかりになるかもしれん」
「わかった」
わたしはうなずいた。
「場所は山下公園から、横浜スタジアムの方へ移動する方向だったと思うわ。合同慰霊祭の音が聞こえてきていたと思う」
「同行者は?」
「情報課から課長のケイ、佐伯、チカ、小辻くん。それと理財課から芦屋さん」
「なんでその同行者になった?」
「ケイが集めたの。小辻くんの横浜就任歓迎会。まあ、あのとき小辻くんはわたしを襲撃した犯人かもしれないと疑われていたから、情報課は疑っていませんよっていうサインのつもりだったと思う」
「倒れたときの状況は?」
「話していたら急に身体が動かなくなった、って感じ。それ以上は覚えてないわ」
「むう……」
楢崎はメモを取る手を止めて、小辻くんの方を見た。
「じゃあ小辻さんに聞いとこうか。その後どうなった?」
「えと、急に倒れた高杉さんを見て、みんなあたふたしてたんですけど、そこにハカセが――」
「ハカセ?」
「はい。ハカセです」
「誰だよ?」
「私のことだ」
発言したのは、志津だった。
彼は珍しく、軽く笑って、
「なに、ある種の諧謔、遊びだよ。小辻氏には少しだけ仕事を手伝ってもらったからね。私は自分の助手に対しては、私をハカセと呼ぶことを求めている」
「……変な遊びだな」
「実を言うと意趣返しみたいなものだ。私は博士号を持ってなくてね。『崩壊』以後、大学院は機能不全を起こしてそれどころではなかったし……とまあ、そんなことはどうでもいい」
志津は言って、笑みを消した。
「余計な口出しはしないでおこうと思ったが、思いついてしまったのでな。少し楢崎氏に、質問してみたいのだが」
「ん? まあいいが、なんだ?」
「ああ。君、いや、あるいは君の上司か。もしかして情報課を疑ってないか? つまるところ、敵は彼らの身内だという可能性、そしてさらに言うと、彼らにそれを言い出せない事情がある可能性、具体的には誰かを庇っているとか、そんなところを疑っているのではないのかね?」