第一章 謎の美少女―なんで私なの!?―(前編)
暑いですね~、とりあえず何とか誕生日前に書き上げました。まずはサワリの部分を。
ドイツやオーストリアでは「フォン」ってつくからって貴族出身ではないそうですが、彼女は由緒ある貴族です。…一応。
「…は?」
それが日本での私の第一声だった。
「あの…ええっと…何?」
続けて第二声。我ながらよく日本語で言えたと思う。
私の見ている目の前で、一人の美少女が、片膝をついて深々と頭を垂れている。
空港の入国審査を終え、手荷物を受け取ろうと向かう私の前に、彼女が現れた。
まるで親友の到着を待ちわびていたかのように、一直線に私に向かってきた彼女は、牧師が礼拝で朗読するかのような厳かな聖句を述べたかと思うと、私の前にかしづいたのだった。
ちょ、ちょっとやめてよ、人の目があるじゃない!
「…あ、あのさ、よくわかんないけど、まず立って?立とう、ね?」
慌てて私はその手を取ると、彼女を立たせる。
すると、彼女は私の手を握り返しつつ、こう言った。
「お手をお煩わせしてすみません、救世主様。こうして触れていただけるなんてうれしいです」
「それはいいから!」
あたふたしつつ、私は彼女を見る。
聖人か何かを見るような眼差しを私に向けてくるその子は、どこかの学校の制服らしきブレザーを着ていた。流れるような豊かな黒髪が目を引く。穏やかな色白の風貌をしており、その細い身体には柔和で淑やかな空気をまとっている。
ひとことで言って美人だ、と思った。個人的にすごく好み。言っている事柄が決定的におかしくなければ、だけど。
多分に困惑の表情を浮かべる私のことはおかまいなしに、彼女は私にさっきの“聖句”じみた言葉の続きを話し始める。
「今日、この国においでくださった貴女様に、私のことをお話します。私の住まう世界が瀕する危機と、そこで果たされるべき貴女様の使命について。その使命を助けるために私がすべきことについてをお聞きください…いえ、聞いていただく必要がございます」
彼女の口調は徐々に強まっていく。ははぁ…そういうことね。私は彼女の意図を見抜いた。
「わざわざ入信を進めに来たのにごめんなさい。宗旨替えするつもりは毛頭ないわ」
そう言い捨てて、私はさっさと歩き始めた。
「待ってください、救世主様!どうか私の言葉を…!」
呼び止める声が後ろに響くが、一瞥すらしない。宗教の勧誘なら間に合ってるわ。
「布教活動お疲れ様。ほかを当たりなさいな」
こういう手合いはあんまり関わっちゃダメよね。私はさっさと自分の荷物を取りに、足早に立ち去る。
はぁ~、来日早々変な子に出くわしちゃった。すごい美人だったけど、ああいう子まで勧誘してくるなんてね。見た目に騙されちゃいけないわ。日本人は自分のことを『無宗教』って言い切るくらい信仰心がない、とはよく言うけど、その分信徒獲得に躍起なのかもね~、この国の新興宗教って奴は。
軽くうんざりしながら、私はふと後ろを振り返る。そこにはさっきの彼女の姿はなく、私と同じく日本に足を踏み入れた人々の雑踏があるばかりだった。
そういえば、彼女、どうやってここまで入ってこれたのかしら?
軽い疑問が頭をよぎったが、その時の私はさして深く考えることはなかった。
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しかし。
彼女との“再会”は、そのすぐ後に訪れた。
「救世主様」
「え…わっ!!」
いつの間に…!私は驚愕のまま、目の前の黒髪の少女を見た。
それは私がモノレールに乗り換えて数十分、そろそろ二回目の乗換駅が近づいてきた頃。
スマートフォンに目を落としていた私は突然の声に顔を上げ、あまりのことに大声を上げのだった。
ほかの乗客が驚き、奇異の目をこちらに向ける。
「あ、すいません…」
周囲に詫びつつ、私は驚き半分、怒り半分で目の前の美少女をにらんだ。彼女はこちらのことなど意に介さぬ様子で口元に笑みを浮かべている。
「な…なんであんたがいるのよ!…つけてきたのね!?」
「ご想像にお任せいたします、救世主様」
「それやめてよっ!私をそんなご大層なものに祭り上げたって無駄なんだから!!
どんなに入信を勧めたって、あんたの崇めてるカミサマだか教祖サマだかに頭下げるつもりなんか毛頭ないってば!!」
必死にトーンを抑えて小声で言い返すけど、向こうは相変わらずにこにこして、平然と言い返してきた。
「いいえ。私は宗教家ではありませんよ?貴女様に何かに帰依することを求めてお声掛けしたわけではありませんが、貴女様が私にとっての救世主であるという認識に違いはありません。
でも、お恥ずかしいとおっしゃるのでしたら、お名前で呼ばせていただきますね。フォン・エーベルフェルト様」
「…あんた、絶対バカにしてるでしょ…!」
そうこうしているうちにモノレールが停まり、ドアが開いた。
すかさず私は立ち上がり、かばんを持ち上げてドアに駆け寄る。
「あっ、お待ちを…」
「ごめん、私は先を急ぐの!これ以上あんたの与太話につきあう義理はないわ!!」
再び言い捨てて、私はホームに飛び出す。目の前の人垣を押しのけて、乗り換え口へと走った。
ここまで追っかけてくるとか、なに考えてんのかしら。それに救世主?一体私のどこにそんな要素があるってのよ。いくら日本語ができるからって、私は日本に来てまだ半日と経っていない、右も左もわからない身だってのに!
このままじゃ日本人そのものに悪い感情が生まれてしまいそう。とりあえず考えを変えなきゃ…。
やもやしたモノを抱えながら、私は乗り換えの電車が待つホームへの階段を駆け下りる。どうやったら彼女を“撒ける”か、思案しながら。
…そういえばあの子、どうやって私の姓を知ったのかしら?
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「フォン・エーベルフェルト様、見つけました」
「んひゃあっ!?」
その後も。
「どうか私の話を聞いてください!」
「嫌よっ!!」
ホームで、電車の中で、改札で、コンコースで、あらゆる場所で。
「あの!!どうかお話を…!!」
「もぉ~!しつこ~~いっ!!」
私は彼女に追いまわされた。
さすがにこの頃になると、私もさすがに何かがおかしいことに気付き始めた。
電車に乗る場所をわざと乗り換え口から遠くしたり、同じ方向に行く別な電車で途中の駅まで行ったり、わざと乗り逃して後から来る電車に乗ったり。とにかく、今の私にとり得るあらゆる方法で彼女の追跡をかわそうと試みたのだ。
それなのに、彼女はまるでこちらの動きを読んでいるかのように、たちまち私の前に現れた。そう、先回りや待ち伏せなどではなく、私の目の前にいつの間にかいるのだ。こちらが既に目をくらませたと思い、安堵のため息をついたときには、その視界に彼女がいる…まるでテレポートでもしたかのように。
「待ってくださ~い!貴女の力が必要なんですよ~!!」
「来るな~っ!!」
そのたびに、私は必死に走る羽目になった。
一応、体力には自信があるつもりだけど、これを都会の雑踏の中で何度も繰り返すのだからたまらない。荷物も手にしているのだからなおさらだ。
「はぁ、はぁ、はぁ…なんなのよ、もうっ!!」
それは何度目かの追いかけっこの末。乗換駅である新宿でのことだった。
必死になって走り回った挙句、私は駅の行き止まりまで追い詰められていた。
「お疲れですか?フォン・エーベルフェルト様」
相変わらず涼しい顔をして彼女が近づいてくる。彼女だって走っているだろうに、息ひとつ切れていない。
「誰の…っ、誰のせいだと思って…っ!!」
肩で大きく息をしながら、私は叫んだ。もう半ば自棄だ。
「何が…何が悲しくて来日そうそう追い回されるわけ!?あんたみたいな変質者にっ!!冗談じゃないわ!!」
彼女をにらみ据えて悪態をつく私に、彼女は語りかけてきた。静かに、また諭すように。
「私のことはどのように思っていただいても構いません。貴女の住まう世界の常識からすれば、私は異質な存在であることに間違いないのですから。
しかし、私はその貴女の助力が必要なのです。他の誰かでは代わりの効かない、貴女の助力が。
貴女の協力を取り付けるまで、私も引き下がることはできないのです」
それは静かな…でも脅迫とも違う、確固たる意思の表明だった。
「…それが、…あんたのカミサマへの信仰だっての?」
半ば気圧されつつ、私が言うと、彼女はそれを明確に否定した。
「申し上げたでしょう、私は宗教家でも何かの信徒でもないって。神ごときの気を引くために、こんなことはいたしません。
必要なのは、貴女ご自身に私の意志を理解していただき、貴女ご自身が助力の意を決めていただくことです」
「…それで、私が…、あんたの意に沿うとでも?」
「そうしていただけるまで、私は何度でも貴女の前に現れます。貴女がどこへ行こうと、またどれほど拒絶しようと、私自身の使命を完遂するまで。
そしてそれまで、何があっても…」
「もういい」
彼女の言葉を私はさえぎる。彼女の真摯な眼差しに嘘はなく、強い自信と覚悟が見えた。あまりにもまっすぐなそれが、私の魂にひとつのモノを呼び起こした。
どうしようもなく、冷たいモノを。
「もういいわ。そうやって自分の手前勝手な都合を押し付けようってんなら、私もあんたを拒んでやるから。あんたが何を言おうと、何をしようと、私みたいなどうしようもない女、何の役にも立たないってわかるまで拒み抜いてやるわ」
底冷えのするような冷たい口調。自分でもそう思えるくらい、冷徹に私は言った。
私がドイツ人だから?あまりに典型的な白人だから?日本語が流暢に話せるから?単にこの見た目?顔つき?金髪?私に対して一体何を期待してるのか知らないけど、私は貴女が思うような有能な女でもスバラシイ女でもないの。沈黙の中、私は名も知らない彼女の双眸を見据えた。
彼女も私の眼を見つめていたけど、少し間をおいて口を開いた。
「…そうですか」
そのひと言から、こちらの意志に(一応は)理解を示したような印象が感じられた。
「私も少々強引に過ぎたようです。貴女に出会えた喜びに舞い上がってしまったのでしょうね。
いずれまたお目にかかることでしょう、それでは失礼します」
そう言い残して、彼女はきびすを返すと私の前から立ち去った。
逃亡劇のあっけない幕切れに、私は何も言えないまま、その後姿が人ごみに消えるまでただ眺めていた。
「…バカ」
我知らず、つぶやく。脳裏に浮かぶのは彼女の、透徹した瞳。
長い黒髪のゆかしい美少女という、私の好みの容姿であるだけに、なおさら魂に焼きついてはなれない…私自身のつまらないこだわり、妄執の類までも見透かしたような、あの眼。
一体、私の…私なんかの、何がいいのよ。
私の中に湧き上がった冷たいモノは、湿気を含んだ地下道の空気に触れて変質し、途方もない苦い毒に変質した…ように思われた。ここ数年、私をさいなむ苦い毒に。
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『ルスティ、お前は国を離れるがいい。今のお前は独りになるべきだ』
そんな父の言葉で、私は極東・日本への道をたどることになった。
特に抵抗や反発は感じなかった。日本という国に悪感情がなかったのも理由のひとつだけど、とかく人と違うことがしたかった、他の留学生が選ばないような国に行ってみたいという思いがあったからだ。
もともと、私の家と日本は浅からぬ縁がある。今をさかのぼること100年あまり昔、第一次世界大戦において、中国・青島でドイツ帝国軍の士官として従軍していた私の五代前の先祖は日本軍との戦闘で捕虜となり、日本で厚遇を受けて戻ってきた経験があった。それ以来、フォン・エーベルフェルト家では日本との関係を重視するようになり、時代が1970年代になると日本の商社とも積極的に交流している。私が日本語が得意なのもそのためだ。
かくて、私の先祖が捕虜として降り立った国へ、私は留学という形で向かう。特に運命的なものは感じなかったけれど、縁というモノは奇妙な形でつながるものだ…後になって思い返せば。
そう、後になってから。その時の私は、自分の中に溜まった苦い毒をどうにかすることに精一杯で、自分が途方もない土地に足を踏み入れることになることなど想像だにしなかった。およそ800年の歴史がある(ということになっている)フォン・エーベルフェルト家の人間の中で、もっとも特異、かつ出鱈目な体験をすること、ましてやそこへ自分を招きいれた人物が途方もない使命を負っていることなど…、そしてそれが自分の生き方にどんな化学反応を起こすかなど、所詮小娘に過ぎないその時の私には理解の範囲を超えたことだったのだ。
つづく