新川土手 弐
「キャー!」
耳障りな悲鳴が鼓膜を震わせる。
ふと気付くと、いつの間にか人混みの中に来ていた。玄馬の変わり果てた姿に衝撃を受け、周りが見えなかったのだ。
合神呪を使った尊は身長が三メートル近くあり、全身の皮膚が黒ずんだ金属の輝きを放ち、更に全裸なのだ。
周りにどんどん人が集まり、スマートフォンで撮影が始まる。
「撮ってんじゃねェ!」
尊は行き先を阻む人間たちを蹴散らしながら進んだ。
魔人の力で殴られた人間の顔は潰れ、腹部を蹴られた人間は内臓を破裂させ息絶える。
「どけェッ、どけェッ、どけェ!」
邪魔な人間たちを撲殺しながら尊は進んだ。
「ギャッ」
聞き覚えのある声の断末魔が鼓膜を震わせた。
思わず声の主に視線を向ける。
そんな……
ここにいるはずのない女性が、顔を歪め口から血を吐いて倒れていた。
彼女とは二十年近く、直接会ってはいない。彼が初めて愛したと言っていい女性だ。
ところが彼女は彼の愛を受け入れてはくれなかった。それに納得できない尊は、力ら尽くで自分の物にした。やり方は満留ですでに経験済みだ、それに彼女がいくら抵抗しても彼には呪力がある。思いのままだった、彼女が妊娠するまでは。
彼はまだ高校生で、始末は玄馬がした。
「美佐……」
思わず、名が口からこぼれた。
視線を感じ振り返ると、殺戮しながら通ってきた道には、いくつもの知っている顔があった。
それはかつての恋人や、レイプした相手、そして呪術で殺した相手もいた。
いずれも苦痛に顔を歪め、尊を睨んでいる。
こんな事、ありえない……
彼はある可能性に気が付いた。
これは幻覚だ!
あり得ない事が起こっている以上、自分が幻を視ていると考えるのが合理的だ。それに真藤遙香は幻術を得意としている。いつかけられたかは判らないが、あの女は何故か呪力を打ち消すことができない化け物だ、何をされても不思議ではない。
こんなモンにオレは惑わされねぇ!
尊は無視して、その場から離れようとした。
「逃がさない……あの時みたいに……わたしを一方的に傷つけて……」
死んだはずの美佐が脚にすがり付いた。
「放せ!」
乱暴に振り払おうとしたが、信じられない力で掴んでいて離れない。
「なんでアタシを殺したの……」
名を思い出せないが、式神を打って殺した声優の少女も脚に絡みつく。
「どうして私を捨てたの……」
一度抱いただけの女もすがり付いてきた。
「ねぇ、おしえてよ、わたしが何をしたの……」
呪詛で殺した者、捨てた女たちが次々に身体に貼り付き、身動きができなくなる。
「うるせぇッ、消えろ、消えちまえ!」
すべては真藤遙香が視せている幻だ。そう頭では解っていても、身体に感じる亡者の力は本物だ。合神呪で鋼のように固くなった皮膚に彼女たちの爪は食い込み、痛みを感じる。それに尊の力も今は人間ではあり得ないほど強いはずなのに、まったく動くことができない。
しかし、それこそが今の状況が現実でないことを物語っているとも言える。
彼は霊力で幻覚を打ち払おうとした。
なんだ……
美佐や玄馬のことで混乱したため気が付かなかったが、霊力を引き出せない。いや、霊力自体感じられない。
これも……幻覚だ!
亡者のせいで身体が動かせない尊は己の唇を噛み、その痛みで幻を打ち払おうとした。
鋼の唇を刃の歯で傷つけようとするが、痛みを感じない。更に力を込めると唇と歯、両方が欠けた。
「ッツゥ……」
これが『矛盾』の答えだろうか、鋭い痛みが歯と唇に走ったが美佐たちの姿は消えるどころか、貼り付く亡者の数が増えていく。
しがみついた指先の爪が食い込み痛い。この痛みの方が自分で傷つけた場所よりも強い。
「クソッ、なんで消えねぇんだよ!」
叫んだ瞬間、頬に衝撃が走り、身体が吹っ飛んだ。
眼から火花が飛び散り、何が起こったのかも把握できない。
「いつまで寝てる、サッサと立て」
怒りの滲む声がする。そちらに顔を向けると若い男が見下ろしていた。
カルト潰しの幽鬼……?
此奴も幻覚か、鵺に噛まれて死にかけているはずだ。だからこそ、さっきは御堂永遠に憑依していたのだから。
「なに、幽霊を見たような顔してやがる。それとも、おれが怖くて土下座でもする気か?」
一気に頭に血が登る。幻覚かどうかなど、どこかへ行ってしまった。
「フザケるなッ、このザコが!」
尊は立ち上がり、悠輝に殴りかかった。
その拳はあっさり躱され、懐に飛び込んできた悠輝の裏拳が鼻に命中する。
「ガッ」
痛みに思わず顔面を押さえる。
悠輝は素速く間合を取り、踵落としを脳天に喰らわす。
一瞬意識が遠くなり、再び尊は地面に沈んだ。
「どうした、もう終わりか? キメラやスケルトンに守ってもらうか、ハルクもどきに変身しなけりゃ戦うこともできないのか?」
尊は立ち上がろうと藻掻いたが、身体に力が入らない。
どうしてだ、あの程度の攻撃で……
やっと彼は自分の身体の変化に気が付いた。首をずらし、己の掌に視線を向ける。
まるでミイラのような乾燥した肌、黒ずんでいるのは合神呪の名残か。
「な……」
確かに時間は経っているが、せいぜい一時間程度のはずだ。実際、さっきまで合神呪で強化された肉体だった。
なにが起こりやがった? これも幻覚か……
「来ないならこちから行く!」
悠輝が近づこうとすると、彼の身体が横に吹っ飛んだ。
「ったく、死んだらどうすんのよ。これ以上、苦しめられないじゃない」
真藤遙香が広場に入ってきた。そう、ここは稲本団地中央広場だ。




