F棟504号室 壱
尾崎佳奈はまだ真藤家にいた。
窓からどんよりと曇った空を見上げる。
座敷童子はもう彼女に憑いてはいない、しかし何かが変わったという自覚はなかった。
ここから戻れば、再びいつも通りの生活が始まる。そんな風に思ってしまう。
右手の甲に視線を落とすと、昨日あった痣がなくなっている。それが唯一、昨日までとは違うことを佳奈に示していた。
どうなるんだろう……
実感はないものの漠然とした不安はある。どんな形で不幸が自分に降りかかるかは遙香も解らないと言っていた。
自業自得かな……
「佳奈ちゃん、だいじょうぶ?」
名前を呼ばれて我に返り、後を振り向いた。
「はい、平気です」
笑顔を浮かべてみせる。
「ムリしないで、不安なのは当然よ」
御堂刹那は佳奈の隣に立って外を眺めた。
「あたしも不安だから」
「刹那さん……」
佳奈に取り憑いていた座敷童子は、今、刹那に憑いている。
「ごめんね、佳奈ちゃんの幸運を横取りして」
「幸運なんかじゃありませんよ」
そう、これは幸運などではない、呪いだ。少なくとも、これからは誰かを殺そうとする夢は見ずに済む。
「刹那さんの方こそ、だいじょうぶなんですか? 仕事なら真藤マネージャーがいれば充分なのに……」
「仕事は、ね。でも、それじゃ永遠を守ることはできないから。
それに、これからはマネージャーにも頼らないつもり」
「え?」
刹那はちょっと悲しげに微笑んだ。
「反省したの、あたしのやっていることはやっぱり間違っているって」
刹那は視線を窓の向こうに向けた。
「アイドルやってたころ、ある拝み屋の依頼を受けたの。依頼人は他事務所のアイドルとマネージャー、得体の知れない〈影〉に憑かれたんで何とかしてほしいって内容だった。
でね、結局〈影〉の正体は、依頼主のマネージャーにそそのかされたアイドルに、突き飛ばされて、クルマにはねられた先輩の生き霊だったの」
「生き霊……」
刹那は窓から遠くを見つめたまま頷いた。
「正直言って、生き霊になったアイドルは、佳奈ちゃんどころか今のあたしより人気もなかったし、知名度もなかったと思う。あたし、『御堂の永遠じゃない方』ってことで多少有名だから……」
遠くを見つめていた刹那の視線と肩が落ちる。
「あ、いや、そんなことは……」
なんとかフォローしようとする佳奈だが、いい言葉が見つからない。実は自分も刹那のことを「御堂永遠のお姉さん」という認識をしていたからだ。
「それはともかく、彼女を突き飛ばしたアイドルにとっては価値のあるモノだった。咽から手が出るほど、彼女のポジションが欲しかったのよ」
再び顔を上げて刹那は話を続けた。
「当時、あたしはその気持ちが解らなかった。他人を傷つけて、ましてや生命を奪ってまで人気や知名度、そして仕事が欲しいとは思っていなかった」
「当然ですよ!」
佳奈は力強く言った。その思いがあったからこそ、今、自分はここにいる。
刹那は佳奈の顔に視線を向けて悲しげに微笑んだ。
「今のあたしは佳奈ちゃんみたいに言い切ることができない。だって、マネージャーの異能力や永遠の七光りを利用して、仕事を取っているもの。
まぁ、永遠のバーターはいいとしてマネージャーの方は完全にアウトよ。
あたしはいつの間にか、そうまでして、声優の仕事をしたいって思っていた……」
「刹那さん……」
「でも、もう終わりにしないと」
刹那の視線は再び空に向けられた。今日はどんよりと曇っている。
「アニメ声優だけがお芝居じゃない。どこかの劇団に参加させてもらってもいいし、思い切って自分が座長になるっていう選択肢もある。
やろうと思えばどこだってできるのが、お芝居でしょ?
それに、お金が無ければバイトをすればいい、ってあたしの場合拝み屋だけど。
そのために『ザッキー』を佳奈ちゃんから譲り受けたんだから」
そう言うと彼女は視線を左斜め下に向けた。恐らくその先に座敷童子がいるのだ。
ザッキー?
刹那は座敷童子に名前を付けたようだ。
でも、ザッキーって……
このネーミングのセンスはイマイチ理解できない。
刹那は遙香にも頼んだのだ、座敷童子を佳奈から自分に移し替えて欲しいと。




