悠輝の部屋
部屋の外でとんでもないことが起こっているのを、尾崎佳奈は漏れ聞こえる会話から察していた。
うちに帰りたい……
ここに来たのは座敷童子を取払うためだ。幸運をもたらす座敷童子、だがその幸運は誰かを傷つけ、あるいは生命を奪ってもたらされる。さらにその先には己の家系の破滅も待っているのだ。
一時の幸運に眼をくらませてはならない、他者の犠牲の上に成り立つ幸せなどゆるされない、その思いでここに来た。
ところが彼女が足を踏み入れたのは、座敷童子とは比較にならない化け物が跋扈する魔界だった。
御堂姉妹や鬼多見が悪い人ではないのは間違いないが、ついてはいけない。佳奈は、父から言われていた座敷童子の存在すら最近まで信じていなかった。
それがこの半日で今までの常識が引っ繰り返され、今はとにかく平穏な日常に戻ることを願っている。
眼を閉じ耳を塞いで外界を遮断し、改めて眼を開くと、そこにはいつもと変わらない普通の世界が……
「放せッ、バカ姉貴!」
襖が開いて、鬼多見悠輝が宙に浮いた状態で部屋に入ってきた。
常識の欠片も感じさせない光景だが、地に足が着いていない鬼多見を見るのは大分慣れた。
掛け布団がめくれ上がり鬼多見が敷き布団に横たわると、今度は掛け布団が肩まで被さった。
「この日をずいぶん待ったわ」
アロハシャツにコートを羽織った女性が入ってきた。息を飲むような美人だが、その顔には嘲りの笑みが浮かんでいる。
「どういうことだ?」
鬼多見が女性を見上げながらも睨む。
「あの時のこと、あたしがゆるしたとでも思った?」
「……紫織を助けに行った時のことか?」
女性の口角がニィッとさらに上がる。
「そうよ、弟のブンザイで、姉を出し抜こうなんて九億年早いわ」
「まだ根に持ってたのかッ? 結局、坂本は姉貴が地獄へ送ったろ」
「フン、あたしを撃った氷室は黒焦げになってたじゃない」
「仕方ないだろッ、あいつはおれのことも狙撃したし、ちょうど盾によかったんだ。本人も息子に殺されたんだから本望だろ」
「本望じゃ困るのよッ、永遠に苦しみ続けてもらわないと。このあたしの身体に傷を付けたんだから!」
「その分、姉貴を憎んでいた女房の全てを奪ったじゃないかッ? 最後に恐怖と絶望に叩き落としたんだから、それで満足しろよ!」
「足りない! その程度で、あんたの罪は無くならないわ」
「罪って何だよッ? おれは、姉貴にムチャをさせたくないから……」
「じゃあ、あたしの気持ちも解るわね。カワイイ弟を守りたいの」
優しい声で言いながら、鬼多見の顔面を踏んづけた。
「ンがッ」
「フフフ……あたしの悔しさが少しは解った?」
「お母さん」
今度は知らない男性が部屋に入ってきた。
「いくら自分の弟でも、人の顔を踏んだらダメだ」
静かだが厳しい口調で言う。
「…………はい」
意外にも女性は素直に従い、鬼多見から足をどけた。
「じゃあ、ゆっくりとお休みなさい、壷内親子をあたしが撲滅するまで。
一二三四五六七八九十というて、布留部由良由良と布留部」
「おぼえてろよ、チートしゅ……ふ……め……」
「いつでもかかって来なさい、何度でも返り討ちにしてあげるわ。
アーッハッハッハッハッハッ!」
スヤスヤと寝息を立てている鬼多見の枕元で、女性は豪快に高笑いを始めた。
ホントにおうちに帰りたい……
高笑いを続ける女性を見ながら、佳奈は泣きたくなった。ここに来た時点で破滅は始まっていたのかも知れない。
「まだ始まっていないわ」
「え?」
「色々驚かせてごめんなさい。あたしは真藤遙香、御堂姉妹のマネージャーです」
脇から刹那が素速く名刺ケースを渡す。
そこから滑らかな動きで一枚取り出して、遙香は佳奈に差し出した。
「あ、はい、ミケプロ所属の尾崎佳奈です……」
受け取りながら、マネージャーと声優の役割が逆だと思った。
「それから主人の英明です」
遙香に紹介され、先ほどの男性が軽く会釈した。
「おじゃましています……」
「話を戻すけれど、座敷童子はまだあなたに幸運をもたらそうとしているわ。でも、それは……」
「また、誰かを傷つけるか、命を奪うかもしれない」
佳奈の言葉に遙香は静かに頷いた。
「悠輝は眠っているから、代わりにあたしが責任を持って対処します」
「いま、ですか?」
「あなたのタイミングでいいわ」
優しく遙香が言った。
佳奈は深呼吸をした。
「いいえ、心の準備はできています」
「だいじょうぶ? 恐らくあなたは声優でいられなくなる。それに、これからの人生も……」
佳奈は遙香の言葉を遮るように首を振った。
「実家を出る時、父に言われたんです。その時は、父の思い込みだと思っていました。
だけど今はわかります、わたしの幸せは他人を不幸にして成り立っているって。そんなことが、ゆるされていいはずがありません」
彼女は遙香の瞳を見つめた。
「だから、お願いします」
遙香は佳奈の心を見透かすように彼女の瞳を見つめた。
「わかりました、あたしなら弟より上手くやれます。では、あなたの座敷童子を……」
「待ってッ、マネージャー!」
今まで大人しくしていた刹那が割り込んできた。




