F棟404号室玄関 壱
鬼多見が久しぶりと言った女を刹那は知っていた。いや、忘れたくても忘れられない。
「芦屋満留……」
思わず呻くように呟き、無意識に永遠を庇うように身を乗り出した。
コイツには二度も散々な目に遭わされている。最初は三年前、満留が陰で糸を引いていた事件を解決したため、アイドルでいられなくなった。次は一昨年、参加していたアニメのツアーイベントで怪事件を起された。その事件は刹那を抹殺するために彼女が仕組んだもので、そのために満留は関係のない人々の心を踏みにじった。
「姉さん」
永遠が再び刹那の前に出た、その瞳が燃えている。彼女は満留と戦い歯が立たなかった。
「感動の再会ね?」
相変わらず耳に付く言い方だ。
「ああ、この日を楽しみにしていた。表に出ろ」
鬼多見はあの状態で戦う気だ。
力を合わせればどんな相手にも立ち向かえるとは言ったが、まともに立ち向かうつもりはない。
止めなきゃ……
「おじさん……」
刹那の手を永遠が握った。
視線を向けると彼女は首を左右に振った。
戦う気、あんたも……
二人とも完全に臨戦状態だ、刹那はまた無力感に襲われた。鬼多見と永遠を助ける能力が自分にはない、戦力にはならないのだ。
ところが、
「丁重にお断りするわ。今日来たのは、あなたに情報を伝えるためだから」
満留は戦闘を回避しようとした。
「あいにく間に合っている」
「あらそう? 壷内玄馬ともう一人の呪術師に関することだけど」
刹那は思わず眼を見開いた、なぜそんな情報を満留が持っているのだ。
「ほぅ、それでおまえの目的はなんだ?」
鬼多見の声に険が増す。
「ボランティア、かしら。
玄馬と息子の尊には借りがあるのよ、それをあなたが代わりに返してくれるなら、私にとってもメリットがある」
「それを信じると思うか?」
「好きにすればいいわ、私はちょっとだけ時間を浪費しただけだから。
あなたたちを襲ったもう一人の呪術師は、その尊よ。
居場所までは私もわからないけど、ただ声優の連続殺人にも関わっているのは間違いないわ」
余りにも都合が良すぎる。なぜそんなことまで知っているのか、だいたい借りとは何なのか。
怪しい……この話、危険すぎる。
本当にここに来た目的はこの情報を伝えるためなのだろうか。
「じゃあ、私は失礼するわ」
満留は踵を返した。
「待て!」
鬼多見が呼び止める。
「おまえが来た、本当の理由は何だ?」
「疑り深いわね、だから情報を提供しに来ただけよ。その証拠にもう帰るわ」
「せっかくだから、もっとゆっくりして行きなさいよ」
階段の下から声が聞こえると同時に強力な験力を感じた。
満留が身を竦ませたのを刹那は見逃さなかった。
カツン、カツンと階段を登る足音が響き、アロハシャツの上にコートを羽織り、サングラスをした女性がキャリアバッグを抱えて上がってきた。
「マネージャー……」
「ただいま。
お土産もあるから、ね」
と言って身体を強ばらせる満留の肩に手を置いた。
「やめて……」
満留がこんな怯えた声を出すとは思わなかった。明らかに彼女は真藤遙香を怖れている、まるで蛇に睨まれた蛙だ。
まぁ、あたしもマネージャーは怖いけど……
「刹那、誰が怖いって?」
しまったッ、油断した!
「そういうところが怖いんだろ?」
鬼多見が代弁してくれた。
「あんたは大人しく寝てなさい!
それにしても、思った以上にガンバルわね、悠輝並みに精神防御力がある」
と言ってサングラスを外して、満留に視線を向ける。
彼女は怯えきった表情で首を左右に振っている、心を覗かないでくれと懇願しているのだ。
「だけど、愚弟に比べて経験が少ないわね。まぁ、そうそう思考を読み取られることなんてないだろうけど」
と言って、ニヤリと笑みを浮かべる。
「どちらにしろそのレベルじゃ、あたしの侵入は防げない」
満留はカッと眼を見開いた。
「イヤ、お願い……」
「お断り」
無慈悲な言葉を遙香が発すると、満留の双眸から涙が溢れ出しギュッと眼を閉じた。
「ふ~ん、なるほどね……」
満留はすすり泣きを始めた。
刹那は改めて仰天した、満留が怯えるだけではなく、こんな惨めな姿を曝すとは。
改めて自分のマネージャーが如何に驚異的な存在かを思い知る。鬼多見に言われた時はピンと来なかったが、たしかに声優界で呪術合戦が行われているとすれば、最強はブレーブだ。
「朱理、下に行ってお父さんを手伝ってきて、荷物が多くて困っているから。上の部屋に運んでね」
遙香が道を開けたので、朱理は渋々下へ向かった。




