戌亥寺
ソレは戌亥寺の門をくぐりこちらへ向かってきた。
ガッシリとした体躯で髪と髭は伸び放題、手には剥身の剣を握っている。
大きい……
紫織は何よりもソレの大きさに驚いた、三メートル以上はあるだろう。無論、人間ではない。
悪いモノだ。
勉強不足の紫織にはソレが何か判断するだけの知識はないが、危険な存在であることと自分たちに悪意を持っていることはすぐに判った。そして、普通の人には視えないことも。
彼女が掃き出し窓が開く様子を思い浮かべると、自動ドアのように開いた。
掌をソレに向ける。
「オン・インダラヤ・ソワカ」
雷撃が掌から迸りソレに命中した。
いや、ソレが素速く構えた剣に雷撃は跳ね返され、紫織たちのいる茶の間に向かってきた。
「うわッ」
背後で思わず明人が悲鳴を上げる。
紫織は自分たちに届く前に雷撃を消した。
「さがっていて」
祖父が優しい声で言った。彼女を安心させる笑顔だが、いつもと一つだけ違う。眼が笑っていない。
ジィジ、怒ってる……
いくら表面を取り繕っていても、紫織には祖父の怒りが充分に伝わってきた。
「ジィジ、アレなに?」
「多分、スサノオっていう式神だね」
「シキガミ?」
「そうだよ、お姉ちゃんの所にいたのと一緒だよ」
紫織と法眼が言葉を交わしている間に、式神スサノオは剣を振り上げた。
まだ十数メートル離れているが、紫織は直感的に危険を感じた。
政宗が唸り声を上げる。
「ジィジ!」
振り降ろされた巨大な剣は石畳を粉砕し、地面を切り裂きながら見えない刃が向かってくる。
「心配いらないよ」
祖父の言葉通り見えない刃は途中で消滅した。
「叔父ちゃんの必殺技と同じで、全然役に立たないねぇ」
カラカラと笑う、悠輝の裂気斬で法眼はかすり傷以上のダメージを受けたことがない。
「オン・マリシエイ・ソワカ」
「あッ」
法眼が真言を唱えると、明人が声を上げた。彼にもスサノオが視えるようになったのだ。
「明人、済まないが、アレを破壊し終えたら雑巾を持ってきてくれ」
裸足で掃き出し窓から外に降りて、法眼は頼んだ。足を拭くつもりなのだろう、やれやれと言いたげにスサノオに近づいていく。
剣をスサノオが再び振り上げた。
「オン!」
右掌を突き出すとスサノオの巨体が吹き飛び、寺門から飛び出し続く階段を落ちていった。
「やった……」
背後で明人が声を上げた。
「まだだ」
門の向こうから再びスサノオの姿が現われた。
ふえてる!
スサノオが三体に増加している。
「なるほど、面白い仕掛けだ」
「お師匠!」
「取り乱すなッ」
その言葉に明人は沈黙したが、さすがに顔が青ざめている。
ジィジ、だいじょうぶかな……
紫織も心配になってきた。
スサノオは一斉に剣を振りかざし、法眼に斬りかかる。
法眼は難なくその攻撃を躱すが、見えない刃で境内にある石灯籠やプレハブの道場が破壊される。
しかし庫裏と本堂には見えない刃が届くことはなかった、法眼が験力で防いでいるのだ。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カンッ」
三体のスサノオが一斉に焔に包まれ、瞬く間に灰燼に帰す。
「今度こそ、やったか……」
先ほどとは違い、呟くように明人が声を漏らした。
ところが彼の祈りも虚しく、地面から次々にスサノオが現われた。
数えると二四体もいる。
スサノオたちの猛攻が開始された。
法眼は見事に躱し続け、庫裏と本堂も攻撃から守られているが、いつまで持つのか紫織も不安になってきた。
おぢちゃんか、お母さんがいればいいのに……
思わず心の中で呟いた。
「何でお母さんより、叔父ちゃんが先なの?」
「えッ?」
思わず両手で口を塞ぐ。
母の存在を自分の中に感じ、口が勝手に動いた。
「紫織ちゃん、何言っているの?」
明人が心配そうに覗き込む、彼の顔色は青を通り越して真っ白だ。法眼の窮地に紫織までおかしくなっては堪らないのだろう。
政宗は紫織から距離を取りお座りをした、遙香の存在に気付いている。
「お母さんの声がした」
さらに明人に不安そうな顔をされた。
「明人くん、あたしが紫織の口を使って話すのが、そんなに不思議?」
彼は眼を見開いた。
「遙香さんッ?」
「そうよ、紫織が呼んだから来たの」
「よんでないよ、いたらいいなって思っただけ」
「似たようなもんでしょ?」
「あの、何だか落語を聞いているみたいなんですけど……」
明人が遠慮しがちに言った。
「仕方がないでしょ、紫織の口を使って話さないとあなたに伝わらないんだから」
「は、はぁ……」
紫織は祖父に群がるスサノオたちに改めて視線を向けた。
「ふ~ん、爺ちゃん、かなりピンチね」
「お母さん、助けてあげて!」
「イヤ。
……と言いたいけれど、アレには叔父ちゃんとお姉ちゃんも虐められたから、お母さんも黙っているわけにはいかないのよね」
紫織は祖父に勝るとも劣らぬ怒りを母から感じた。それを察した政宗は部屋の奥の方へ逃げていく。
「明人くん、紫織のクツを取ってきて」
「はい!」
急いで玄関に行って戻って来る。
「どうぞ」
差し出された靴を受け取り、紫織は礼を言って掃き出し窓から表へ出る。
祖父は不動明王金縛りを使いスサノオたちの動きを封じようとしているが、数が多くて苦戦している。
「不細工なドローン相手にずいぶん苦戦してるわね」
紫織に一体のスサノオが斬りかかる。
「インダラヤ・ソワカ」
巨大な雷がそのスサノオを包み、跡形もなく消滅した。
「ふん、これぐらいの威力があれば増殖させずに済むみたいね」
「遙香、無闇に消滅させるな」
法眼が攻撃を躱しながら窘める。
「何でよ?」
紫織も母に身体を操られ、次々に繰り出される式神の攻撃を容易に避けていく。
「これだけ式神を一人の人間が使えると思うか?
ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダンマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カン・マン」
会話の合間に真言を唱え『不動明王金縛り』でスサノオを動けなくする。
「できるヤツもいるんじゃない?」
遙香も面倒臭そうに長めの真言を唱えスサノオを金縛りにする。
「それなら構わん。だが他の人間たちを利用していたら別だ」
「なるほどね……」
何がどういうことなのか紫織には解らなかった。
「つまり悪くない人たちを捕まえて、そこから力を吸収しているかも知れないってこと。そのせいでコレをやっつけると、捕まっている人たちにダメージが行っちゃうかもしれないのよ」
遙香は敵の攻撃を躱しながら説明する。
何となく解ったが、自分の口が勝手に動いて説明するのは変な気分だ。
「ダメージが行くとどうなるの?」
「最悪、死んじゃうわ」
「えッ? さっき一人……」
「紫織、緊急事態です、忘れましょう。
ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダンマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カン・マン!」
攻撃を躱しつつ真言を唱える。
母のこういう所が紫織は本当に怖い。
「確かに緊急事態だな。こいつらの動きを封じたとして、さて次はどうするか?」
話している内容と一致しない呑気な口調だ。法眼は次々に式神の動きを封じ、残りは十体を切った。
紫織の頭の中に、叔父が「不動金縛り」と言っているイメージが浮かんだ。じぶんの記憶ではない、母の情報だ。
「不動金縛り!
邪魔なら燃やしちゃえば?」
式神をまた一体動けなくして、遙香がいい加減なことを言う。面倒なので真言を唱えるのをやめたらしい。
「それで金縛りが解けて増えたらどうする? かなり厄介な式神だ、想定外のことが起こりかねん」
三体が同時に法眼に斬りかかるが、「オン」と彼が唱えると逆に吹き飛ばされた。
「じゃあ放っておけば? 向こうもあきらめて手放すわよ」
「そしてまた襲ってくる」
「イタチごっこね……」
母が溜息を吐くのを紫織は感じた。
「方法は三つね」
祖父が頷く。
「相手の被害を無視し、お前がしたように消滅させていくか……」
法眼は次々繰り出される攻撃を避けつつ、一体を盾にした。どうやら自分たちの攻撃で増えることはないらしい。
「逆に消滅させない程度のダメージで増やせるだけ増やして、向こうが音を上げるのを待つか」
「どちらも却下だ。いくら何でも一つ目は無茶だし、二つ目はこっちが先に音をあげそうだ」
「じゃ、三つ目、相手の力を遡って呪術師を直接攻撃する。爺ちゃん一人の験力が足りなくてもあたしと紫織、そして政宗もいるからなんとかなるでしょ」
「そうときまれば残り五体、とっとと動きを封じるかッ」
法眼が印を結んだ途端、式神たちの動きがピタリと止まった。
「やめよ、鬼多見法眼」
一体のスサノオから声がした。
「スゴーイ、このドローン、スピーカーマイク付きなんだ」
遙香がバカにしたように言い、式神たちを睨み付ける。
「降伏する気になったか?」
祖父が不敵な笑みを浮かべる。
「冗談を、貴様ごときに誰が降伏などするか」
「じゃあ交渉決裂ね、ぶっつぶしてあげるわ」
遙香が紫織の験力を引き出す。
「いいのか? 返りの風は貴様達だけに吹くわけではないぞ」
遙香が験力を手放す。
「ふ~ん、脅しってわけ、マニュアル通りの悪党ね」
代わりに彼女の怒りが増すのを紫織は感じた。
どういうこと?
「返りの風ってのは呪術でやられたらやり返すってこと。この悪者はそれを紫織の家族だけじゃなく、友達や知り合いまでターゲットにするぞって脅しているの」
紫織の頭にクラスメイトや稲本にいる友達の姿が浮かんだ。本当に皆が狙われるのだろうか。
もし本当だったらどうしよう……
身体に幾つも穴が開き血だらけの叔父と、ボロボロになった姉の姿を少し前に視たばかりだ。
あの二人だから死ななかったが、普通の人間なら無事じゃ済まない。紫織の中に恐怖と焦りが湧き出す。
彼女は姉が修行しているのを少し冷めた眼で見ていた。朱理は友人を失った後悔から力を欲していたから一生懸命だったのだ。
今、初めて大切な人を失う恐怖を紫織は感じ、姉の思いを少しだけ理解した。
「やりたければやれ」
法眼の言葉に紫織は眼を瞠った、祖父がそんな無責任な言葉を発するのが信じられない。
「強がりを言うな。
最初に我らに手を出してきたのは貴様の息子だ。しかし、貴様と娘が手を引くというのなら無かったことにしてやる」
祖父の顔から笑みが消えた。
「答えは変らん、やりたければやれ。
ただし、やるなら泣いて己の死を乞う覚悟をしてからにしろ。
俺はお前を決して赦さん」
法眼の瞳がギラギラと異様な輝きを放つ。
「交渉は決裂だな」
「さっきあたしが言ったでしょ、壷内玄馬」
遙香が言い終えると同時に式神は瞬く間に姿を消した。
「お母さん、ジィジ、だいじょーぶなの?」
法眼はしゃがみ、いつも通りの優しい顔と眼をして紫織の頭を撫でた。
「勿論だよ、ジィジが皆を守るから」
「父さん、悪いけどアイツはあたしの獲物だから」
紫織の口を使って母がまた勝手に喋りだした。
法眼が何か言いかけたが、
「アイツはあたしのかわいい娘を丸焼きにして、弟が穴だらけにされるのを助けた。だから絶対に譲らない」
と、遮るように言葉を続けた。
「それを言うなら、俺は眼に入れても痛くないほど可愛い孫を丸焼きにされている」
「息子はかわいくないでしょッ? あたしは弟も多少はかわいいの!」
法眼は紫織を、いや遙香をジッと見つめた。
「あの莫迦を置いていったことに負い目を感じているのか?」
「そうよッ、聞かなくたって知っているでしょ! あの子が必要としている時に、あたしは居なかった。なら今できることをするまでよ」
「彼奴が望んでいなかったとしてもか?」
「悠輝が何を望むかじゃなくて、あたしが何をしてやれるかなの!
あの子が望むのは、独りで何でも抱え込むことだから」
「解った、ならばお前の好きなようにしろ」
あきらめたように言うと法眼は立ち上がった。
「じゃ、紫織、お母さんはお姉ちゃんのところに戻るから。
ちゃんと野菜も残さず食べるのよ。
爺ちゃんも、紫織の好きな物ばかりじゃなくて栄養バランスを考えてね」
いきなり母親らしいことを言う。
「「はい……」」
紫織と祖父は同時に返事をした。
「お母さん、いなくなっちゃった」
遙香の存在が紫織の中から消えた。
「こわいねぇ、ママは」
いつもの激甘の祖父に戻った法眼が、紫織の手を取った。
そして改めて境内を見回す。
紫織も首を巡らせた。
本堂と庫裏以外は滅茶苦茶だ。プレハブの道場は完全に潰されており、石灯籠や地蔵菩薩、鐘撞き堂に不動堂も作り直した方がいい有様になっている。おまけに石畳は割れ、地面には大きな陥没が幾つもでき、とても人が出入りする場所ではなくなってしまった。
「これで手を出すなと言われてもな……」
坊主頭を撫でながら、珍しく法眼がぼやいた。




