戌亥寺
「紫織ちゃん、政宗、申し訳ない」
孫と愛犬に手をついて頭を下げる師匠を門脇明人は生温かい眼で眺めていた。
息子の悠輝や甥で弟子でもある明人に対しては非常に厳格で威厳があるのに、孫とペット、取り分け孫の前では厳しさの欠片もないただのジジバカになってしまう。
彼らがいる茶の間には朱理が出演したアニメのブルーレイボックスや演じたキャラのグッズ、そして彼女のポスターなどが所狭しと飾ってある。
さらに法眼は本堂にまで御堂永遠のポスターを貼ろうとしたので、さすがに遙香が御堂永遠は御堂刹那の妹という設定なのだから、素性が公になると迷惑だと止めたらしい。
庫裏に入ってくる人の中には眉を顰める者もいるが、その辺を法眼はまったく気にしない。
まぁ、事情を知る人たちのほとんどが朱理を応援してくれているので、それほど心配はないだろう。むしろ公認のファンクラブを結成しようという動きすらあるくらいだ。
この二年で法眼のイメージは大きく変った。
「何でも好きな物買ってあげるからね」
「お師匠、またそんなことしたら遙香さんに叱られますよ」
「黙っていれば平気だよね~」
紫織の機嫌を取ろうと法眼が猫なで声で言うと、その甲斐あってか紫織はニコニコと微笑む。
黙っていても判るのがあんたとあんたの娘だろ、と内心ツッコミを入れつつ何を言っても無駄なので放っておく。
「明人、政宗にササミを多めにやってくれ」
やれやれと思いつつ犬用の無添加ササミを取りに行く、政宗はこれが大好きなのだ。
それにしても……
法眼の予言は見事に当たった。昨日、拝み屋の依頼を終えて戻ってきた彼は、大量の食料を買い込んできたのだ。
朱理が呪術者に襲われ何とか退けた。しかし返りの風が吹き、近いうちに再び生命を狙われ、戌亥寺にも被害が及ぶと言った。
明人は昨年、志望校の高野山大学に合格し通っていたが、春休みに入ったので戌亥寺に戻っていた。そこでこの騒ぎに巻き込まれたのだ。
彼は半信半疑だったが、紫織のおやつの準備をしていたら法眼が紫織と政宗を呼んだ。
いつもと変らぬ様子で紫織が「アタシ、マサムネくんとウチに行きたい!」と言う。
法眼が「いいよ」と軽い調子で答えたが、その横顔に緊張を感じ明人は再び朱理が狙われたことを悟った。
験力が無い彼には法眼たちが何をしているか正確に把握はできない。それでも二五〇㎞以上離れた八千代市にいる孫を、呪術により助けようとしているのは判った。
法眼が真言を唱え終わると紫織と政宗の意識が無くなり、明人は慌てて介抱しようとしたが法眼に眼で制された。
しばらくすると紫織と政宗の意識が戻り、今度は法眼の意識が無くなっていたらしい。
らしいというのは、法眼は真言を唱え終えた後と変らぬ座禅を組んだ姿勢のままだったため気付かなかったのだ。
そして法眼は座禅を解いた途端、紫織と政宗に平謝りを始めた。詳細を聞かずとも何があったかは見当がつく、また悠輝と喧嘩をして時間を潰していたのだろう。
自分も母親と上手くいっていないが、鬼多見の父子は本当に仲が悪い。戌亥寺に悠輝が居るときは誇張ではなく早朝に必ず殴り合いをしている、まるでラジオ体操の代わりのように。
一昨年は悠輝がほぼ一方的にボコボコにされていたが、次第に彼の攻撃が法眼に当たるようになり、最近では勝てないまでも法眼を追い詰めるようになっている。
とは言え、法眼はまだ本気を出していない。
明人は台所に仕舞ってある政宗のササミを出した。梵天丸もこれが大好きだが彼は朱理たちと共に稲本に帰ってしまった。
因みに悠輝は頻繁に戻ってくる、彼は郡山と八千代市を行ったり来たりして二人の姪を守ろうとしているのだ。
帰省中に厄介事が起こるなんて……
自分の運の無さにウンザリするが、この状況に昂揚している自分がいるのも事実だ。
明人の目標は大学卒業後、得度をして僧の資格を得たら公務員になることだった。しかし、このところ探偵という選択肢がチラついている、間違いなく天城の影響だ。
探偵という仕事の九割以上が浮気調査なのは知っている。それでも天城の自由さを見ていると、自分も探偵になりたいという想いが湧き上がってくるのだ。
そして今、呪術者同士の争いに巻き込まれて少しワクワクしている。
まったく、ぼくも鬼多見の血を引いているってことか。
我ながら呆れる、鬼多見に関わっていたら生命がいくつあっても足りない、そもそも呪術がらみなら自分にできることはないのだ。
そんなことを考えながら、彼は政宗のおやつを少し多めに持って茶の間に戻った。
「政宗、ほら……」
部屋に入ると先ほどまでとは空気が一変していた。
何だ……
法眼が厳しい顔で掃き出し窓を見つめている、その先にあるのは戌亥寺の門だ。政宗は紫織に寄り添い、二人の視線も同じ方に向いていた。
明人も寺門を見たが、彼の瞳に映るのは誰もいない見慣れた風景だ。
しかし、そこに良からぬモノが存在するのは間違いない。




