新川土手
鬼多見悠輝は真藤朱理を連れて稲本団地の近くを流れる新川の土手へとやってきた。
辺りに人気がないのを確認する。
「朱理、本来なら人形を川に流して呪詛返しは終わりだ。でも今回は人形を作る時間が無かったからこけしで代用した」
悠輝の言葉を一つ一つ噛みしめるように聞いて姪は頷いた。
「人形は紙を折って作る小さな人形だから、大きな川に流せばボロボロになって誰かが手にすることはまずない」
「でも、こけしだと誰かが拾うかも知れない……」
我ながら叔父バカだと思うが聡明な姪に思わず頬が緩む。
「その通り、だからおまえの焔で焼いた上で川に流す」
そう言ってこけしを差し出すと、朱理は受け取ろうとしたが途中で手を止めた。
「どうした?」
「うん……おじさんがやった方がいいと思って……」
消え入るような声で言いながら朱理は俯いた。
なるほど、原因は姉貴が残していった記憶か……
朱理が怒りの感情を爆発させ魔物を焼き尽くした記憶を、遙香は悠輝の頭に残していった。
まったく、こういうことは叔父じゃなくて母親がやるべきだろう。
時々遙香のデリカシーのなさに辟易とする。朱理は来月から高校生、男性の悠輝が立ち入らない方がいいこともあるのだ。
「朱理、験力のことで悩んでいるのか?」
悠輝の言葉を聞いた途端、ハッとしたように顔を上げる。
さてと、どう伝えるか……
できれば朱理の記憶を持っていることも知られたくないが、悠輝は嘘や隠し事が大の苦手だ。
「おじさん、知っているの?」
探るような眼で悠輝を見上げる。
思わず溜息が出た、嘘を吐けばさらにややこしくなる。
「ああ、お母さんが叔父ちゃんの頭に記憶を残していった」
朱理は再び俯いた、暗くて見えなくても真っ赤になっているのが判る。
「ゴメン……」
思わず詫びてしまう。
朱理は首を左右に振った。
「わたし、やっぱりダメだよ、験力を使う資格なんてない」
「おまえは暴走したわけじゃない」
「でも暴走しかけたよ!」
キッと顔を上げて反論する。
「違う、アレは違うんだ」
悠輝は言葉を慎重に選んだ。
「験力は自然界に存在するあらゆる物から力を集める、これはいいな?」
朱理は何を言ってるのという顔をしたが、一応頷いた。
「験力を引き出すと、自然界のそれぞれの力に違いがあることをおまえも感じているはずだ。朱理、何の力を強く感じる?」
「え……それは、生き物が発している力だけど」
今度は悠輝が頷いた。朱理は生真面目なので験力についてもよく勉強している。
「生き物は鉱物や植物よりもはるかに生気が強い、生気こそが験力の根本をなすモノだ」
悠輝は言葉を切り再び何と表現すればいいか考える、姪とは本当に話したくない内容だ。
わざとらしい咳払いをする。
「生気とは何かを生み出す力、子孫を生み出す力だ。植物が受動的なのに対し、動物は能動的に子孫を増やす。だから生気も強い、つまり『生きる』力が強いんだ。そして『生』とは『性』に通じている……」
話しの先が読めたのだろう、朱理は三度俯いた。
悠輝も自分の顔が火照っているのを感じた。何だか姪にセクハラしているようで居たたまれない。
かといって途中でやめる訳にもいかない、ちゃんと験力について朱理に理解させる必要がある。
照れ隠しでしかない咳払いをまたする。
「結論を言うと己のキャパを超える験力を使用すると性的快感を覚える。しかし、それは暴走じゃない」
「え?」
朱理は再び悠輝の顔を見上げた。
「感情を爆発させて験力を使うとそうなることが多い。たしかに感情の高まりと験力は密接に関係しているから、それが暴走の引き金になることはあり得る」
「じゃあ、やっぱり……」
「だから違う。もしおまえが暴走しかかったなら、この辺一帯が焼け野原になっているはずだ」
悠輝は両腕を広げて周りを示した。
「おまえは……その……あくまで……験力から性的快感を覚えただけだ」
最後の方は物凄く早口になった。
姪に対して自分は何を言っているのだろう。
案の定、朱理は小さくなってモジモジしている。
「ぎゃ、逆に言えば、朱理自身が今までより大きな験力を使えるようになった証拠だ。
おまえ自身がそれだけの験力を使える『器』になったんだよ。
その感覚もいずれ慣れるから……
それに、万が一、朱理が暴走しても叔父ちゃんが必ず止める。
だからこれを燃やしてくれ」
改めてこけしを差し出す。見た目はただのこけしだが、中には刹那を死に至らしめようとした呪が込められている。
朱理は小さく頷いてこけしを受け取った。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」
不動明王呪を唱えると朱理の手の中でこけしが焔に包まれ、瞬く間に炭になっていく。
「よし、もう大丈夫だ、川に流してくれ」
朱理は完全に炭になっているこけしを川に投げ込んだ。
「これで御堂にかけられた呪は完全に消えた。かけた相手には呪詛返しが起きているはずだ」
「それってどうなるの?」
朱理の質問に悠輝は首を振った。
「一概には言えないな。最悪、命を落とすこともある。
人を呪わば穴二つって言うだろ?
呪詛っていうのはリスクが高いんだ」
朱理は黒い川面を見つめていた。
「おじさんは昴みたいだね……」
「スバル? おれはクルマの運転はしないぞ」
朱理は苦笑した。
「違うよ、わたしがオーディションを受けた『デーヴァ』ってアニメの主人公」
そう言えば原作を読んだ。たしか昴は……
「似てない!」
思わず強い口調で否定する。
「どうして?」
「叔父ちゃんはあんなシスコンじゃない!」
「そこッ?」
『デーヴァ』の鳴神昴というキャラクターは、何かというとお姉ちゃんお姉ちゃんと言って従姉に甘えている。そんな人物に似てるなんて心外だ。
「何でまたそんなことを思った?」
朱理はまだ何か悩んでいるのだろうか。
「うん、実は昴役に決まったんだけど……」
ん? つまりそれは……
「おめでとう!」
悠輝は思わず朱理を抱き上げた。
「やったじゃないかッ、主役だ!
しかも今度は男役、凄いよ、朱理ッ!」
「お、おじさん、降ろしてッ!」
朱理が脚をバタバタさせる。
「あ、ごめん……」
慌てて地面に立たせる。
「もう……」
「で? それなら叔父ちゃんじゃなくておまえが昴だろ?」
朱理はしばらく沈黙した。
「ちょっと自信が無くて……」
「男役をやることが?」
「それもあるけど、わたしは昴みたいに強くも正しくもない。誰も助けることができないわたしは、琴美なのかなって……」
琴美……?
その名前に聞き覚えがある。たしか『デーヴァ』のヒロインで、グレていたのが途中で更生して主人公たちと一緒に敵をやっつけていた気がする。たしか彼女も炎をつかっていたが、それよりも……
「いや、違うな。そもそもおまえ、グレてないだろ。
それに最近は『叔父ちゃん、叔父ちゃん』言わずに、御堂のことを『姉さん、姉さん』言っているんだから、やっぱりおまえが昴だ」
若干、刹那に対する嫉妬も混ざる。
「だからそう言う問題ぢゃない!」
悠輝は眉間に皺を寄せた。
「じゃあどういう問題なんだ?」
「もういいよッ、おじさんに話したわたしがバカだった!」
朱理はプイッと背を向けると、足早に置いたままになっているTEMPTを取りに向かう。
まったく、難しい年頃だな……
鬼多見悠輝に年頃の少女の気持ちなど到底理解できない。