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8.佐藤明美の人生

「これは1人で見てたら気が滅入るわ………」


苦笑混じりに明美がそうこぼしたのは人生鑑賞会が始まって1週間が経った頃。最初のうちはそれぞれの“これから人生”について意見を口にしていたが途中から無言が増えた。


「はぁ………」


今日も鑑賞会が始まって早々にシェアハウスのリビングに誰ともしれないため息が響き渡る。ちなみに画面の中の“これから人生”はようやく寝返りを覚えた所だ。


「いや………人生は長いものだと言うけど………これは長くない?」


人生が長いのは当たり前だと琴美に宣っていた明美は鑑賞会の為に準備した発泡酒で喉を潤しながら死んだ魚のような目で呟く。


「ですよね………」


同じように机に準備した宴会のつまみをボリボリと噛み締めながら琴美は同意する。


「………やっと寝返りですもんね」


そう答えながらも聡子はポテトチップスの袋を開けていた。自身のタブレットから目を離しはしないが三者三様のスタイルで他人の“人生”を鑑賞する。


「それにしても子供って意外と手がかかるもんなのね」


代わり映えしない映像を見ていた琴美がそう言うのに明美が苦笑した。


「当たり前じゃないか。産んで終わりじゃないからね。赤ちゃんは泣くのが仕事みたいなもんさ」


「明美さん、詳しいんですね?」


明美の言葉に聡子は意外そうに目を瞬く。今まで明美が自分の過去に触れるような発言をしたことは聡子がここに来てからした事はなかっと。


「…………………………」


言葉にはしなかったが同じ感想を抱いた琴美も目を向けると明美が苦笑を深くする。


「………まぁね…二人よりは長く生きてから知ってる事もあるさ」


そう言うと明美は缶ビールを持ち上げて肩を竦める。


「ま、それはいいとしてちゃちゃっと成長して欲しいもんさ」


その言葉に琴美と聡子は顔を見合せると深く頷いた。




ーー深夜


“プシュ”


缶のタブが空いた音が暗いリビングに響く。すっかり灯りの落ちたリビングに冷蔵庫からの光が漏れる。


「はぁ~、生き返る………」


そんな中で聞く者が聞いたら“もう死んでるんじゃ…”と複雑そうな表情で突っ込みそうな事を口にした佐藤明美はごくごくと喉を鳴らして命の水を流し込む。風呂から上がってすぐに冷えたビールを飲むのが今も昔も唯一の楽しみだ。


「はぁ………幸せ…」


瞬く間にビールを飲み干した明美はもう一本を取り出して扉を閉める。どこか気だるげな姿のままそのままリビングのソファーに移動して2本目のタブを開ける。無言で口をつけ、ぼんやりと天井を仰ぐ。珍しくセンチメンタルな気持ちになっているのは自分の言葉で過去を思い出したせいかもしれない。


「ま、分かってるのは………私はあの2人みたいに綺麗な人間じゃないって事ぐらいか」


あの2人に話したことはないが明美は人生に“本当の幸せ”や“素晴らしさ”といった意味を感じた事がない。明美の知る人生とは辛いものだけだ。


ーーそう


明美の生まれた家は本当に貧乏で最低だった。父親は酒乱。酒を飲んでは人が変わったように妻や子供に手を上げる人だった。明美を筆頭に7人の弟妹と両親に祖父と祖母が身を寄せあって生きていた。でもそれだけの家族が生きて行くだけで精一杯。特に長女とはいえ、女だった明美には学校を出た後の道は働くこと。集団就職で故郷を離れ、初めて訪れた都会は眩しかった。働き始めた会社で恋をして、夫となる男と結婚して子供にも恵まれた。小さい頃の不幸が報われたと明美は幸せでいっぱいだった。


なのに………


「ごめんなさい!ごめんなさい!」


最初のきっかけはなんだったのか分からない。子供が生まれてすぐに夫に殴られた。夜泣きがうるさいという言葉と共に暴力が振るわれた。小さい頃に受けてきた暴力を思い出して明美は身体を丸めて震えながら謝ることしか出来なかった。その日、自分の気がすむまで殴った夫はその日以降。いつもと同じ優しい夫に戻った。


次に殴られたのは2人目の子供が生まれてから。それも何がきっかけなのか分からないままにその日からずっと夫から暴力を受け続けた。幸せだと疑っていなかった人生。子供が生まれて素晴らしいと思っていた人生はまるで真っ黒な色に染まった。夫が帰ってくれば些細なきっかけで豹変して殴ってくる。それでも耐え続けられたのは子供の存在があったから。


けど………


「離婚する」


夫が突きつけてきたのは離婚の二文字。


「え?」


意味が分からずに瞬きする自分に嫌そうに顔を歪めた。


「君の理解力がない所が嫌いなんだ。子供は全て僕が引き取る。母さんが孫は欲しいらしいからね」


「そんな!2人は私の子供よ!」


向かいあって座った机を叩いて訴えるも夫の表情は変わらない。向けるのは侮蔑の籠った視線だけ。


“好きだよ”と囁いてくれたあの日の夫はいなかった。


「働いていない君があの2人を育てられると思っているのか?これだから馬鹿な女は嫌いなんだ」


そう言って席を立つ夫を目で追うも明美には反論する気力はなかった。




「明美ちゃん~」


しだれかかってくる煙草臭い男に明美は作り笑顔を向ける。


「やんさん、ちょっと飲み過ぎよ」


家を追い出され、生きていくために夜の街に明美はたどり着いた。少し年は食ってはいたが、事情を知ったママに拾われた。色んな男に笑顔を向けて、機嫌をとって生きていく中でどんどん心は病んでいった。


最後の瞬間は今でも思い出せない。


覚えているのはオンボロアパートの煤けた天井。


ーーー疲れた


その思いと共に睡眠不足を理由に大量に処方された睡眠薬を飲み込んだ。そこから先の記憶は明美にはない。次に覚えているのは白い門の前。そこに立つ渋い顔をした男性からこう言われた事。


「自殺したようだな。君は罪を償う必要がある」


その言葉を聞いた瞬間。明美は大声を上げて笑ってやった。


「辛いだけの人生の方が罪よ」


その後は自身と同じように自殺をした人間だけが集められた場所で説明された。


ーー自殺をした人間はお勤めをこなす必要があると。


「馬鹿らしい………」


自分がここに来ることになった経緯を思い出した明美はすっかり温くなったビールの缶を机に置いて吐き捨てる。三人で“これから人生”を見守る中で触発されるように思い出した自分の過去(前世)。過酷な人生の中で自分の唯一の宝であった息子とも別れたきり死ぬまで会うことはなかったし、彼らがどんな風に育ち、どんな人生を歩んだのかすら知らない。だからこそ、未だに思う。


ーー自分の人生に価値はあったのかと。


目の前で子供を産み、昔とか少しずつ違う常識の中でも育つ姿を見ると沸き上がるのだ。息子の成長を見守れなかったという自分の後悔が。泣き笑いの表情で天井を見上げて明美は目を閉じた。


「……こんなどうしようもない思いなんて知りたくなかった………」


一筋、涙を溢すとやりきれない表情のまま明美は温くなってしまったビールを一息に飲み干した。

更新が大変遅くなりまして申し訳ありません。


いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

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