7.人生鑑賞会始動
「は~、今時の出産って男が立ち会うのか~」
自身の担送り出した“これから人生”の出産を眺め、明美はしみじみと呟く。その感想に同意見だった琴美は“うんうん”と頷きながら突っ込む。
「明美さん、それ分かる!私も凄く驚いたから」
その感想に聡子もすかさず同意する。
「ですよね!私達の時代は出産は女の戦い。男はしゃしゃり出るなが通常でしたもんね」
自分の画面から目を離しはしないが聡子も不可解な表情だ。あれから長すぎる『他人の人生』を鑑賞する会が設立され、鑑賞会が始まった。その中で、琴美だけが1人だけ息抜きと言わんばかりにタブレットではなくTVを見ているのは明美の提案に同意したからに他ならない。
「ね、どうせなら3人一緒のスピードで人生を鑑賞したいから私と聡ちゃんが追い付くまで待ってくれないかしら?」
早速、机に小山に近いほど積み上げられていた酒とつまみ手に鑑賞会を始めようとした瞬間、明美が“いいこと”を思い付いたと言わんばかりの表情でそう提案したのだ。その提案に琴美も異論なく頷いた。
「別に構わないわ。別に急いだ所で私の“これから人生”が急激に成長する訳でもないし」
そう琴美が答えると明美と聡子は顔を見合せて頷く。
「なら、決まりね!」
「少しお待たせしますが、すぐに追い付きますから!」
そう宣言し、早速と言わんばかりに自身の見送った“これから人生”を見る為にIDを打ち込む姿を琴美は遠い目をしながら見守った。そして、自分と同じように悲鳴を上げた2人の突っ込みには“でしょ!でしょ!”と手を取り合って共感したのだ。
“仲間がいるって案外悪くないのかもね”
再び画面を食い入るように眺めてぶつぶつと呟く2人を横目に琴美は嘆息する。“これから人生”を鑑賞すればするほど2人と同じように自分の生きた時との違いに驚きは耐えないし、いまだベッドの上でひがな“泣く”ぐらいしか仕事のない相手を眺めてもいまだ人生の素晴らしさは分からない。そこまで考えて琴美はふと口元を緩める。
“でも………実際、可愛いかったのは事実ね”
画面の向こうで優しげな両親に囲まれて産声を上げた赤子を眺めた時、色んな思いがこみ上げなかったと言ったら嘘になる。婚約者を失い、家族を戦後処理という大義名分の元に奪われた琴美が行き着いた先は場末の娼婦。
「いくらだ?」
行く宛もなく、ふらふらとさ迷い歩き………空腹から歩く気力もなくなって道に座り込んだ琴美に声をかけてきたのは兵隊服姿の男。戦後、混乱を極めた日本は物資が少なく、長く戦前の服を着る人間も少なくなかった。初めは男の言うことが理解出来ず、ぼんやりと見上げるだけだった琴美に男は苛立ちを隠しもせず、問い詰める。
「いくらだって聞いてんだ!」
その怒声に驚いて何も言えずにいる間に男に手を引っ張られ、物陰に連れ込まれた。驚いて、悲鳴を上げて抵抗すれば殴られた。
「買ってやるんだ。有り難く思え」
その言葉の後は口に出したくもない恥ずかしめを受けた。
なのに……
「ほら」
事が終わって涙する自分に男が投げつけた金と………握り飯を見つけて琴美は息を呑む。
「つっ……!」
慌てて、握り飯に這い寄ると手に握りしめて口をつける。誰もに祝福されて、彼の妻になる筈だったのに自分はなんと惨めなことだろう。そう思いながらも男が投げつけた握り飯を手にとって口に頬張る自分はもっと浅ましい。
「ううっ………………」
後から後から溢れる涙をそのままに琴美は男が投げつけた握り飯を飲み込んだ。
その後は戦後の日本を考えれば、他にもいた女性と同じように生きてきた。日銭を稼ぐために身体を売って食べ物を得る。その繰り返し。必死すぎる毎日に余裕はなくて楽しさを感じることなどなかった。
そして………
「どうしよう………」
相手が誰とも知れない男の子供を身籠った。誰に相談していいのか分からずに立ち尽くした。どうしたらいいのか分からないままに臨月を迎え、産気付いたことによって産婆が呼ばれ子供を産んだ。
「ああ………」
難産の末に産み落とした赤子が産声を上げた時、琴美の胸を何とも言えない気持ちが競り上がった。1人では生きていくことが出来ない小さな命が“生きている”と上げる声に命を感じた。
「あんたの子だよ」
産気付いて無理やり産婆に取り上げてもらった赤子を抱いた時のあの気持ちは言葉に出来ないものだ。あの瞬間だけは確かに自分は幸せだったと言えるかもしれない。産婆が差し出す子供は小さくてなんとも頼りなかった。しかし、胸に微かに灯った暖かさは何とも言えない気持ちを抱いた。複雑な気持ちの中でこの子を抱えてどうしたらいいのかと悩んでいたのに神は自分に親になることすら許してくれなかった。
「なんで……」
産んだ子供は名前をつける間もなく、3日もたたずに亡くなった。それもそのはず、生まれることには生まれたが乳なんて満足にも出なかったし、琴美自身が重度栄養不良の身体で産んだ子供は弱かった。場末の娼婦でしかなかった自分が食べられる食料なんて残飯以下のものだったのだから。
“最後は………乳を吸う力すらなかったわね”
腕の中で冷たくなる我が子を抱きながらこの世の無情さをどれだけ憎んだか分からない。
仕方ない……誰もが疲れきった表情で呟いた。
仕方ない……誰かがこの世の理不尽さを嘆いた。
それほどに終戦間際の日本は混乱を極めた。僅かな食料は高騰していたのだ。
“結局……誰の子供かもわかんなかったけど”
婚約者も家も家族も亡くした自分に残った道は春を売ることのみ。浅ましいと思いながら、その日の生活の為に色んな男に抱かれた。そんな中、身籠った子供。可愛くもなければ何とも思っていないつもりだった。中絶する金もなく、産むしかなくなって産んだ赤子に情がわくことはないと感じていた。
だが………
確かに愛情を感じたのは事実だった。そこまで考えて琴美は目を伏せる。
「……過去のことね」
ポツリと口から溢れた言葉に自虐的に笑うと琴美はTVのチャンネルを変えた。
ーその3日後
「よ、ようやくね………」
この3日でどことなく窶れた明美が疲れた表情で自分のタブレットを前にため息を吐く。
「…琴ちゃんが窶れるのも分かった気がする」
明美の横で同じように疲れた表情をする聡子もぐったり気味だ。戦前、戦後の日本を生きた自分達には信じられない常識を目にする度に叫べば疲れもするだろう。自分と同じ時間を経験した2人を前に琴美は自分もタブレットを前に置いて覚悟を決める。
「それじゃあ、始めましょう」
そう2人に声をかけると琴美は3日ぶりの“これから人生”へと向き直った。
「あら、遊んでるの?」
DVDプレイヤーのスイッチを入れた途端。穏やかな慈愛の籠った声が琴美の耳に届く。
「あ~」
その声に自分が呼ばれていると分かった赤子は画面越しの自分にも分かるほど花を咲かせたように笑う。それにクスクスと笑った女性が手を伸ばすと赤子がキャッキャと甲高い笑い声を上げる。
「ゆーちゃんはいい子ね」
その声に琴美は目を細めた。まだ小さい彼の名前を知ったのは少し前。自分の送り出した“これから魂”の名前は市川幸哉と言うらしい。自分の息子も無事に生きていたらこんな風に笑っていたのだろうかと考える。
『出来たら、普通に生きたいですかね………』
自分が前世に貯めたポイントを使いながら次の人生を設計しながら彼はそう穏やかに笑っていた。
『出来たら、争いのない時代で………許されるなら最後まで家族に囲まれて行きたいな~とは思います』
そう語る彼自身も覚えていない筈の前世に対して何かしら感じていたのかもしれない。覚えていない筈の前世の生に何を彼は感じてそう口にしたのだろう。
『僕は凄く不器用だから、誰かに頑張ってと応援してもらわないと生きていくことなんて不可能かなと思って』
苦笑気味に………でもどこか達観した表情で彼が呟いた言葉が胸に残った。生まれる前から人生を選べるほどポイントを持ちながらも不安なのは同じということに安堵した。そしてそんな彼がどう生きるのかに興味を抱いた。
「やっぱり……まだ歩かないのよね」
ため息か安堵のため息か分からないが“ふぅ”とソファーに背を預けて息を吐く。目の前で満面の笑顔を浮かべる彼の姿が3日前と何ら変わらないのを眺めながら琴美は我知らず口元を緩める。
「まぁ………そううまくいかないわね」
画面を見つめてそう呟く。見るまではあんなに憂鬱だった気持ちが嘘のように晴れていくのを感じながら琴美は穏やかに笑った。
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