5.“これから人生”の人生の始まり
“では、いってらっしゃいませ。よい人生を”
あの世からこの世に向かってそんな言葉に見送られ、人生に旅立った魂達。“これから人生”である彼らの人生最初の試練は出産である。
ーーそして今、“これから人生”は人生を始める為にこの世に誕生するという偉業を成し遂げ、大きな産声を上げていた。
「オギャア、オギャア!」
「まぁ、可愛い赤ちゃんね!」
「お母さん、お疲れ様でした。男の子ですよ」
分娩台の上で人生イベントの一つである出産に挑んだ母親が生まれたばかりの赤子を抱いて優しく………微笑み…………微笑………いや……泣き笑いか………。
「ちょっと待って、ここから?」
“ピッ”とタブレットの一時停止ボタンを押した琴美はタブレットを前に思わず、突っ込みの声を上げる。今まで何の疑問を抱いていなかったが確かに“人生設計”は生まれる場所も含めて行われる。その為、出産という人生の始まりから始まってもおかしくないがこれはさすがに最初過ぎないだろうか。思わず、渋面を作った琴美は深いため息を吐く。
「………しかも、出産からって人のトラウマをどれだけ抉り出すのよ」
琴美の人生は戦前の日本から始まる。名のある名家に生まれ、婚約者も出来たある日。それは始まった。帰って来たら結婚しよう。その言葉を胸に彼を戦地に送り、彼を待つ間必死に生き延びた。そのうち戦争は終わったが、名のある名家だった琴美の家は徴収の憂き目にあい、彼も帰って来なかった。ようやく戦争が終わり、幸せな生活が待っているとばかり思っていたのに身寄りを失った琴美は生きていくために身を売り、誰ともしれない男の子を身籠った。けれども、その子は生まれてまもなく栄養失調でなくなった。
“どうして私ばっかり”
その思いに支配されるままに川に足を運んだ琴美はその身を投げ、今ここにいる。あの時代を生き延びた人達もいたろうに琴美にはそれが永遠の苦しみだと思った。そんな人生を歩んだ自分に出産というトラウマを思いださせる映像に吐き気すらこみ上げる。だが、母親が生まれたばかりの赤子を抱いて幸せそうに微笑む姿に僅かとはいえ、自分が母親だった遠い記憶を思い出した琴美は首を振ってその記憶を振り払う。そして大きく深呼吸をすると覚悟を決めてから再生ボタンを押す。
「お父さん、おめでとうございます!元気な男の子ですよ」
しかし、意を決して再生ボタンを押した琴美の耳に飛び込んで来たのは同じ部屋にいる筈のない父親を呼ぶ声だ。
“何なの?”
意味が分からず、目を瞬かせていると何故かカメラを抱えた男性がタブレットの中に姿を表す。
「なんで、男の人がこんな所に!」
思わず叫んだ琴美が困惑の表情でいるも、赤子を胸に乗せた母親は至極普通と言わんばかりの表情で琴美の送り出した“これから人生”の父親らしき人物に笑いかける。
「ふふっ、可愛いでしょう?」
「ああ。ありがとう。お疲れ様」
「今日から貴方もお父さんになった………」
「ちょっと待って!」
またもや誰かに訴える訳でもないのに一時停止ボタンを押した琴美は目にした光景に頭を抱える。
「なんで、男の人がいるの!おかしいでしょう!男の人がいるなんて」
生まれたばかりの赤子に至福の表情を晒す微笑ましい2人とは裏腹に琴美は眉間に皺を寄せる。自分の時代では出産も自宅が当たり前。何より、男が女の出産に立ち会うなど言語道断だ。見始めたばかりなのに既に心が折れそうです。琴美がタブレットにチラリと視線を移すとそこに表示されるのは無情にもまだ始まって間もない再生時間。
「………………………はぁ…」
暫しの間、激しい葛藤に苛まれた琴美は深いため息を吐くと再生ボタンを押した。
「ねぇ、最近どうしたの?」
ぼんやりと寝不足の頭を抱えながら朝食をとっていた琴美は声をかけられて微笑む。
「おはよう、明美さん。どうかした?別に何もないけど?」
あえて言うならジェネレーションギャップに日々、心と睡眠時間を削られてはいるが肉体的には健康そのものだ。その為、目の前に立つ明美の言葉に思い当たる節のなかった琴美が首を傾げるも納得した様子のない明美は自身の準備した朝食を片手に目の前の椅子を引く。
「何言ってんの。そんな酷い顔して。寝不足だって一目で分かるわよ………いただきます」
椅子に座りながら、琴美に微笑んだ明美は手を合わせてから食パンを齧る。その指摘に思い至る所があった琴美は苦笑する。
「ああ………確かに…」
「そうよ。鏡でじっくり眺めてみたらいいわ。結構な隈よ。それに最近は帰って来るなり夕飯を食べて、お風呂に入るとそそくさと部屋に入って出て来ない癖に寝不足気味の顔をみたら心配にもなるわよ」
言葉を濁す琴美に明美は“でも”と眉を潜める。
「もし、寝不足が私のこの前の言葉だったらごめんなさい。私、この前あんたに軽はずみにオプション購入者の人生を見てみたらって言ったじゃない。それで思い悩んでたらどうしようかと思って………」
そう言いながら頭を下げて謝ってくる明美の表情は苦い。その謝罪にどう答えようかと頭を悩ませた琴美は“ううん”と首を振る。
「そんな事はないから別に気にしないで。………あえて言うならこの寝不足は明美さんの言葉のせいじゃないの」
「本当?」
軽く首を振る琴美に自分の軽はずみな発言が同僚を苦しめていたのではと心配していた明美はそれでも心配気な表情を崩すことはない。自分に申し訳なさそうな表情を晒す明美に琴美はふるふると首を振り、自嘲気味に視線を床に落とす。
「まぁ………確かにここの所部屋に早く戻っていたのは明美さんのアドバイスを聞いてオプション購入者の人生を見ていたので間違いはないんだけど」
「本当にごめんなさい」
琴美の浮かない表情にやはり自分の軽はずみな発言で同僚を思い悩ませていたと思った明美が再び謝るのを他所に食事の手を止めて箸を置いた琴美は首を振り、手を机の上に組むと顎をのせる。
「ううん。明美さんのアドバイスは凄く役にたったの。だから、明美さんは何も悪くないのよ。それは信じて」
謝る明美にきっぱりと悪くないと首を振った琴美は達観した表情を向けながら遠い目をする。
「でもね、私知らなかったの。人生ってあんなに長いのね」
「え?」
自分の表情に違和感を覚えた明美が目を瞬かせる中、琴美は遠い虚空を見ながらため息を吐く。
「オプション購入者の人生を生まれた所から見始めてもう3日にもなるのにまだ歩きもしないのよ」
現在ーーオプション購入者の人生を見るという特典を利用していた三橋琴美は“人生の壮大さ”をその身をもって痛感していた。
「は?」
そんな事になっているとは露とも知らない明美はキョトンとした表情で目を瞬かせる。そんな明美の表情に苦虫を100匹以上一度に噛み潰したような表情を晒しながら琴美はため息を吐き出す。
「確かに私も人生を甘く見ていた所があったとは思うのよ?でもね…………生まれた所から見始めて3日たったのにまだ歩きもしないの。この人生を見終わるまでにどれだけかかるのかって考えたら気が遠くなりそうだわ」
深刻そうに語る琴美の告白を聞いていた明美はしばらく目を瞬かせた後、盛大に吹き出す。
「あははははは!」
「明美さん!」
「ヤバい!凄く受ける!」
いきなり吹き出した自分に琴美が目を白黒させる中、明美はけたけたと腹を抱えながら口を開く。
「何当たり前の事言ってんの。人生が長いって当たり前じゃない!」
「え?」
明美が面白いと言わんばかりに身を乗り出すのに琴美が今度は目を瞬かせる。いくら人一人の人生とはいえ、あの世とこちらでは時間の流れが違う為、もっと早く見終えることが出来ると高を括っていた琴美の予想を明美はいたずらっ子のような表情で打ち砕く。
「人、一人の人生がそんなに短かったらこの世は行き場のない魂で溢れてしまうじゃない。特に今は“人生100年時代”って言われだしてるんだもの。私達の頃のような人生50年時代とは違うわ」
目を白黒させる相手に明美は自身の生きた時代を思いだしながらほの暗く笑うも琴美を見つめてウインクする。
「ま、そんなのは実際に人生を生きてる人に任せるとして………問題は人生が長すぎるのは問題よね?」
「ええ………」
明美の言葉に押され気味になっていた琴美が戸惑いながら頷けば明美はニヤリと笑う。
「私にいい案があるの。任せておいて」
悪戯を思いついたような表情をしながら明美は楽しそうに笑った。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。




