4.人間、生きてたらトラウマの1つや2つあって普通では?
「どうしたの?ボーッとして」
「ん?」
シェアハウスの共同リビングでクッションを抱えてソファーに座っていた琴美はその声に顔をあげた。
「明美さん」
目の前に立つ相手に視線を向けると仕事終わりにシャワーを浴びたのか濡れ髪にタオルをかけ、手には発泡酒の缶を持っている。どうやら風呂上がりに命の水を取りに来たらしい。
「なんでもないの。ただ、ちょっと考えちゃうなーと思ってぼーっとしてただけ」
不思議そうな明美にそう言って首を振り、琴美は笑顔を作る。自分の笑顔に“ふーん”と納得してない表情をした明美は発泡酒を手に持ったまま向かいに座る。
「ま、人生を生きてたら考えることなんていくらでもあるわね」
ソファーに座り、そう言いながら発泡酒のプルトップを開けて命の水を流し込んでいると琴美が苦笑する。それに肩を竦めると無言で更に喉を鳴らして酒を流し込む。そのまま無言で向かい合わせに座っているとポツリと言葉が届いた。
「いつも疑問なんだけど………何でみんな……あんなに躊躇いなく生まれ変わっていけるのかなぁ」
その言葉に顔を上げると自虐的な表情で笑う琴美がいた。何も言わず、目線で続きを促せば琴美が“はぁ………”とため息をつきながら天井を見上げてポツポツと言葉を紡ぐ。
「今までずっと門番をやって来て考えた事がない訳じゃないの。もしかして、次の人生はもっと真剣に考えたら上手くいくんじゃないかと思ったこともあるの。人生転生課で名前を書こうとした事も………でもね……名前を書こうとしていつもやめちゃうの………私。だって、生まれ変わっても本当に今度は最期まで生きていけるのか自身がないんだもの」
そう独白し、琴美は目を閉じる。ここで門番を努めて50年。その間に転生を考えなかった訳ではないのだ。時たま何かをきっかけに考える“生”に心は揺れる。何よりもう何十年も前に生まれ変わるだけのポイントは貯まった。でも後もう一歩を踏み出すことが出来ずにここにいるのだ。名前を書こうとした瞬間に『死の瞬間』を思い出して、足がすくむ。そんなことを考える琴美と同じように自虐的に笑った明美も吐き捨てる。
「安心して…私はあんたの考えることも分からないでもないわよ」
そう言いながら明美は目の前のソファーでお気に入りのクッションを抱えて俯く同僚を眺める。彼女は自分よりも遥かに長くここにいるが、その姿はまだ20代半ば。初めて会った時はその若い姿に驚いたものだ。
『良かったら何でも聞いてね。長くここにいるから大抵の事は分かるから』
そう言われた時は数年先輩かなぐらいの認識だった。その後、このシェアハウスで暮らしていく内に彼女から驚愕の事実を教えられた。
『私?私はここに来てもう………30年を越えてるの』
自分の勘違いを申し訳なさそうに訂正した表情から彼女が転生しない理由も想像出来た。
ーーー自分と同じように過去があるのだと
「………ごめんなさい。愚痴を聞かせて」
その言葉に“ふう”と息を吐いて笑いかければ、明美が肩を竦める。
「いいわよ。少しぐらい。………それに人にはどうしても耐えられないことはあると思うしね」
「ありがとう」
自分の言葉に琴美が微笑むのを眺めて、明美は微笑む。
「それに逃げてばっかりじゃ駄目かもしれないけど、逃げていい事もあると思うよ。私は」
「かな……」
相手の言葉に自虐的な笑みが顔に広がるのが分かる。昔から自分は逃げるのが得意じゃない。琴美の表情から言い知れない思いを感じとった明美はその杞憂を晴らすように胸を張って頷く。
「いいのよ。それに別に行き遅れたからって何の不具合もないんだし、好きなだけここにいたらいいじゃない」
そう言葉を重ねれば、少し考える表情をしながらも琴美が自分に頷く。
「そうね………ありがとう。聞いてもらってすっきりしたかも」
「良かったわ。私もただの晩酌中なだけだから気にしないで」
こちらに気を使わせないようにかヒラヒラと手を振る明美の言葉に微笑した琴美は“ん~”と伸びをした後、クッションを離して立ち上がる。
「気が楽になったらお腹空いちゃった。夜食に何か作るけど明美さんも食べる?」
食欲が分かず、夕食が少なめだった琴美がそう問いかけるとつまみと発泡酒で晩酌していた明美がすました表情で頷く。
「もちろんよ。よろしく~」
「はいはい」
その言葉を背に琴美はリビングから続く台所に入り、冷蔵庫をあける。そこには生きていた時にはなかった食料品がいくつも並んでいる。その中から夜食用に材料を取り出すとこれまた自分が生きていた時からでは考えられない文明の利器を使って琴美は夜食のメニューを考える。画面を眺めて、真剣にメニューを探す琴美を見るともなしに眺めていた明美は先ほどよりも軽くなった缶を机に置いて目を細める。
「で、落ち込んでた本当の理由は?」
「ん?」
サラダと簡単なつまみを作ろうと手を動かしていた琴美はその言葉に顔をあげる。それに明美は苦笑いを浮かべながら口を開く。
「魂をあの世に送り出すのはいつもと変わらないのに元気印のあんたが落ち込むなんて珍しいからさ」
その言葉に目を瞬かせた琴美はようやく明美が自分に話しかけて来た理由を理解する。本当に触れて欲しくない時にはあまり話しかけて来ない同僚がわざわざ晩酌を理由に話かけて来たのはわざとらしいぐらいの自分の空元気が理由の様だ。同僚の気づかいに嘆息した琴美は夜食を作る手は止めずに今日の出来事を説明することにする。
「別になんてことはなかったの。ただ………今日さ、初めてオプション購入者が出たの」
「何の?」
「例の人生設計オプション。人生応援チアリーダーっていう何の根拠もなく人生の頑張り時に頑張れるって思えるだけのオプションをね」
「ああ」
カウンター越しに会話しながら琴美はサラダを仕上げて嘆息する。
「本当にどんな時に使うのか知りたいわよね」
台所の天井を見上げながら溢れたそれは本当に何気ない言葉だった。
「なら、見てみたら?」
「え?」
自分の溢した言葉に返答がかえってくるとは思っていなかった琴美が驚愕に目を見開く中、明美は発泡酒の缶を持ち上げながら“にやり”と笑う。
「そんなに気になるなら初めてのオプション購入者の人生を見ててみたらいいじゃない?」
その言葉が予想外過ぎて、驚きに目を見開いた琴美はこの仕事を始める前に教えられる門番の特典を思い出す。 自分達、人生設計課の職員は人生設計書に了承のサインをした人間の人生は見ても構わないという特権を持つのだ。驚きに目を瞬かせたまま立ち竦む琴美に明美は“ま、それも1つの手よ”と肩を竦める。
「見るも見ないもあんたの自由よ。ほら、早く~!つまみ、ちょうだい」
「ああ……うん…」
明美の促しに驚きに立ち竦んでいた琴美は慌てて動き出した。
それから数日後ーー
「はぁぁぁぁ………」
生まれゆく魂の人生設計を手伝う仕事の合間の貴重な休憩時間。周りの目を気にしながらも琴美は盛大にため息を吐いていた。あの日以来、時間が出来ると考えてしまう。
ーーーーそんなに気になるなら見てみたら?
「別に気になってる訳じゃないわ………」
誰に言い訳する訳ではないがそう呟いた琴美はぼんやりと休憩室の天井を見上げて目を閉じる。思い出すのは自分の過去。
ーー時代が悪かった
人によってはそう言う人間がいるかもしれない。
「お願いだから、絶対に生きて帰って来て!」
お国の為に旅立つ人間を万歳三唱で見送らない人間は“非国民”とされる時代に琴美は婚約者にそう言って泣きすがった。生まれた時から知る幼馴染が自分の婚約者だった、泣きすがる自分に彼が辛そうに笑ってくれたのが最後の姿。戦場に旅立つ人間が憂いなく戦えるようにという気遣いは自分の頭にはなかった。そして無条件に信じていた。
ーーー彼だけは生きて帰って来る………と
そんな愚かな自分に彼は真剣な眼差しで頷いてくれた。
「………お国の為に…君の為に戦ってくるよ」
「うん………」
この別れが今生の別れになるなんて思いもしないほどに自分にとっては彼だけが正義だった。その時の彼の姿を思い出しながら琴美は目を開けて自虐的に笑う。
「…………あんな辛い時代も私は貴方が帰って来ると信じたから生きていたのにね」
ひもじくてひもじくて仕方ない日も彼が無事でありますようにと願えば生きていけた。実家が裕福なのもあり、空襲の被害が酷かった都会を離れ、疎開先で終戦の報を聞いた。これで彼に会えると喜び勇んだ自分が生まれ故郷に戻ればそこは焼け野原。あんなにも慣れ親しんだ光景はそこにはなかった。何とか生家があった場所にたどり着けば、空襲の難を逃れて自分の家は焼けずに残っていた。どうやら、家があった周辺は空襲を逃れていたのだ。家が無事なことににほっとした琴美が家の前で立ち尽くす中、横の家から見覚えのある老婆が出て来た。疲れきった表情の老け込んだ老婆が自分の姿を見て目を見開いた。
「生きてたんだね。琴美ちゃん!」
その言葉に老婆に視線を移した琴美もその人物が自分の婚約者の母親だとようやく気づいた。
「叔母さん!」
疎開前とは全く変わった姿に驚いて駆け寄った琴美の手を握りしめ、“良かった、良かった”と繰り返した後、あの言葉を口にする。
「琴美ちゃん、よく聞いてね。………………が戦死したんだ」
その瞬間の絶望を言い表す言葉を琴美はいまだに知らない。それ以後はよく覚えていない。知らぬ間に家も住む場所も奪われ、琴美の最後の記憶は光が反射する川面。そこまでを思い出し、琴美は空虚な瞳を晒す。
「馬鹿らしい。なんら報われることがないのに頑張って生きて何になるのよ」
新たに生まれゆく魂が自分の人生設計をして旅立つ姿を見る旅に琴美は自嘲的に笑うのだ。そんな何の救いもない世界に旅立って何が楽しいのだと。人生は楽しいことよりも辛いことの方が多すぎる。
………なのに。
「私は何を迷っているのかしら………」
いつもなら気にならない明美の言葉に心をこんなにも掻き乱されるのは自分の方があんなくだらないオプションを買った魂が気になるからなのだろうか。そこまで考えた琴美は再び。
「はぁぁぁぁ………」
周りの人間が何事だとこちらを振り返るぐらいには深いため息を吐き出していた。
その夜
“カタッ”
勤務終了後は同僚達とルームシェアしている部屋に戻り、手早く食事もお風呂も済ませた琴美は実室で初めて“人生設計課”の職員になった時に配布される“人生確認しますタブレット”を起動させる。するとそこには自分が今までに自分が見送った魂達の履歴がズラリと記録されている。その量の多さに自身で驚きながら琴美はタブレットを操作する。自分の目的はただ一人だ。
「あった………」
タブレットを操作した琴美の目に例のオプション購入者の情報が目に止まる。画面を見つめる瞳が不安気に揺れた。
だが、少しの間躊躇った後、琴美はタブレットに表示される名前を震える指先で押した。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。
久しぶりの更新となります。
誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂けたら幸いです。