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飛地物語  作者: 白くじら
9/61

嘘つき

 森の切れ目から村が見え始めたのは、正午を過ぎてからだった。

 街道沿いにはちらほらと畑が現れ、生活の匂いを感じる。ヨイチとミツリは夜通し走り抜けた疲労感にまどろみながら、交互に手綱を握った。今はヨイチが手綱を握っている。

 街道は山間部から海側へと周る。山裾から姿を現した街道から海までのなだらかな傾斜が一望できた。山が海に迫る、なかなかの景観である。なるほど、海岸線は砂浜ではなく、切り立った崖で、この地が容易に外からの侵略を許さなかった過去がうかがえる。おそらくは、開かれた港以外に大量の兵士を送り込むことができないだろう。

 集落は海側に集中しているように見受けられた。小さく集まった家々からは、ところどころ煙が上がっている。こう見ると、のどかで、美しく、とても各領主から見放された土地とは思えない。

 

 村へ到着したのは夕方に近くになっていた。

 素っ気なく「フクラ村」と書かれている看板の脇を通って、馬車は村へ入った。幌にはシチリア県の紋章が大きく染め抜かれているため、いやでも住民達の視線を集める。決して好意的な目ではない。

「視線が痛いですな」

「彼らにしてみれば、他所から来るものは全て脅威だったんだろう、しょうがないさ。トクワカ王国の平定だって、見方が逆なら侵略戦争だし、脛に傷持つ輩なら警戒の一つぐらいしないとな。むしろ、笑顔で迎え入れられたら恐ろしかったよ」

「なるほど、それもそうですね」

 馬水槽の前で馬車を停め、二人は固まった躰をほぐした。

 やはり、ここまで近づくと寒村であることは隠せない。家々は強固な石造りだが、屋根などが大雑把に修理された痕がみえ、景観にまで気を配れる余裕がないことが分かる。敷地一杯に畑があるのは、食糧事情が良くないからだろう。市も、店もない。さらに、人々が道端で話している所を見かけない。女同士がすれ違っても、会釈もない。この規模でお互いを知らない訳がないのにもかかわらずである。

 問題の根源は深そうだが、ひとまず土地の代表に会わなければならない。ミツリが井戸の傍にいる線の細い、鼻の尖った女に声を掛けた。

「ちょっと尋ねるが……ウン、ゴホ、うん。すこしお尋ねしますが、この村の村長さんはどこにいられますか」

 ヨイチの脇腹への一撃で、ミツリは敏感に言葉を変えた。村民に対して、高圧的な態度で無用な刺激しない事は、二人の合意事項である。

「……」

 疑いを隠さない視線で女は二人を見比べた。ミツリはヨイチの小汚いフードを無理やりにでも外しておかなかった事を後悔したが、もう遅い。

「私たちはトチリアから来た者です。侯爵の正式な代理として、この地を管理されている村長さんにご挨拶に参りました」

 女は手に持った野菜を離さず指を指した。人差し指の直線上百メートル程の所に、少しだけ見栄えの良い、だが、やはり簡素な住居が見えた。そこに行けという事なのだろう。

「ありがとうございます」

 二人は笑顔で礼を言うが、相手は無言のまま会釈を返しただけだった。


「心配になってきました」

 ミツリは数十メールを歩いて、突然囁いた。

「不安を煽るのはやめろ。お前は減点で済むかもしれないが、俺は下手したら絞首刑もあるかもしれないんだぞ……」

「さっき、大物ぶって『こんなものだろう』なんて言っていたじゃないですか」

「頭で考えることと、感じることは別だ」

「まったく、騎士たるもは――」

「俺は騎士じゃない」

「でも領地を預かったじゃないですか」

「代理でだ」

「情けない」

「素直で正直と言ってくれ、ホラ、着いたぞ」

 ヨイチはミツリの肩を押す。

 表札も何もない住居である。

 「なぜ私が」と言わんばかりの目つきで、ミツリは睨み付けるが、ヨイチは「よし、行け」とうなずく。溜息とともに、ミツリは扉をノックする。

「すみません、どなたかご在宅でしょうか」

 間延びした声に対して返答はないが、室内の空気が動く気配はする。

 私用であれば、とっくに立ち去っている時間を待って、ようやくドアが窺うように開いた。暗がりの奥で、白髪初老の男が感情の写らない目でこちらを見ている。ミツリは思わず後ずさりした。

「あ、あの――」

「………」

「我々は――」

「………」

 何も言わず、初老の男はこちらを見続けている。それが警戒心から来る観察だと気が付くまで、ヨイチもミツリもかなりの時間を要した。

「わ、我々は、怪しいものではありません。トチリアから侯爵の正式な代理人として、マヤヅル市三村を取りまとめていらっしゃるフクラ村長様へご挨拶に伺いました」

 男は会釈をした。しかし、やはり言葉を発しない。ミツリは思わず、ここの住人は言葉を発しないものなかと訝しんでしまう。全員、馬鹿だから言葉を忘れたんだ、きっとそうに違いない。脳味噌が塩害で死滅してるんだ――。

 ヨイチはミツリの襟首をひっつかんだ。何か失礼な事を考えていると思ったらしい。

「あなたが……」

「はい――。いや、私じゃなくて、これが……」

 ヨイチは混乱しているミツリを、そのまま後ろに追いやった。

「私が、マヤズル市執行代官キビノ・ヨイチです」

 ようやくドアが半分ほど開く。

「オオマ・ヘハチと申します」

 オオマは青く染められた、飾気のない麻の服を羽織っている。背が低く、禿げあがった額越しに視線を上にあげると睨み付けるような表情になる。気分の良い第一印象ではない。

「トチリアの方とおっしゃいましたか。失礼ですが、委任状などはお持ちですかな。疑っているわけではありませんが、何分、不安定な土地柄ゆえ、悪い事を考える輩がいないとは限りませんで」

「もちろんです。最初にお見せするべきでした」

 印璽が施された文書を渡す。オオマはそれを熱心に見つめた。ヨイチもミツリも、その行為が責任感から来ているものだとは思えなかった。

「間違いなさそうですな」

 ようやく視線を戻したオオマの表情は、どことなく残念そうに見える。すかさず、ヨイチは次の要望を主張した。

「今日から、この地でお世話になります。つきましては、閉鎖したという公館へご案内頂きたいのですが、お願いできますか」

 オオマは、感情の写らない目をしていた割には不機嫌さを隠さなかった。しかし、表情はすぐに穏やかになる。

「もちろんですとも、さあ、付いて来てくだされ」

辺境とはいえ、これぐらい出来なければ人をまとめる事は無理ということか。

「村長自らおそれいります」

二人は礼を述べ、歩き出した村長を追った。オオマは歩幅こそ狭いものの、逞しい足取りである。ミツリはつい、小走りになる。

「こんな場所にいますと、政治の話にはとんと疎くなりましてね、失礼をしました」

トチリアへ編纂された事を言っているのだろう、ヨイチはすかさず答えた。

「いえ、今回は紙の上だけの話でしたので、伝わりにくかったのでしょう。突然の訪問をお許しください」

村長はめっそうもないと手をふった。

「いやいや、神聖王国から正式に譲渡があったのなら、この地はトチリアの物です。いつでも、大手を振って歩いて頂いて貰わねば、私どもが困ります。ただーー」

「ただ?」

「いえね、ここを治めるのは大変だという事をお伝えしようと思いまして」

「のどかに見えますが」

「いえ、一見のどかに見えますが、住人は一癖ある者が多くいます。それに、天領地である事に誇りを持っている者もいましたので……」

「なるほど、覚えておきます」

「取れるのは魚ぐらいの貧しい土地です。豊かであれば心のゆとりも生まれましょうが、なに分これではね、しょうがないんですよ」

非礼も貧しさ故だから許せと言っているのだろうか。確かに貧しさが悪政の結果なのだとしたら弱味にもなるだろう。ずる賢いが、知恵の回る男である。

「なるほど。こう見ると、市も立っていないようですね」

「これだけの規模の村ですから、市は朝の一回だけです。市株はありません、売れる物を持っている者が売るだけです。あと、稀に街道を通って商売に行く事もありますが、ここでは金より物の方が価値がありますからね。殆ど税金用になってますな」

「税金のためですか……」

「左様でございます。神聖王国は金銭以外の支払を認めてはくれませんでしたから、魔獣に襲われる危険を冒しても行商に出る必要がございました」

「なるほどーー魔獣ですか」

「幸い、この村までは出ては来ませんが、街道には出ると聞いております。なんでも、すばしっこい、火を吐く魔獣だとかで、恐ろしい限りです」

「実は、私達も街道で襲われたんですよ」

 オオマは大きく目を見開いて、演技とは思えない驚きを見せた。

「なんと、それでよくご無事で」

「いや、無事ではありません。金で雇った案内人を2人殺されました」

 ミツリも大きく目を見開く。もちろん演技ではない。

「姿を見たのですか」

「ええ、見ました」

「……」

ミツリは意図せず開いた口が塞がらない。いつ、誰が、金で案内人を雇ったというのだ。

「よく見ましたよ。よく」

ヨイチはニヤリと笑ってみせる。

オオマも不思議そうな顔で微笑んでみせるが、明らかに困っている。ミツリは頭を抱えた。なぜ、自ら墓穴を掘るのか理解できない。嘘の多くは時間をかけて自らの首を絞めるものだ。

「それは素晴らしい。いつか、魔獣討伐の助けになるでしょう」

「ええ、そうなるでしょう」

 困惑するミツリをよそに、二人はうろんな笑顔を交わしている。

「つかぬ事をお聞きしますが、襲われた二人のご遺体は……」

「回収する余裕はありませんでした。おそらく、魔獣の腹の中か、街道に放置されているでしょう」

「そうでしたか、失礼な事をお聞きしました」

「いや、私に実力があれば……」

 ヨイチは視線を落とす。

 ミツリはその様子を見て、呆れる。どの口が言うのか。頼むからこれ以上、治政を混乱させないで欲しい。場合によっては、致命傷にもなりかねる。


 数分で、町はずれの公館に着いた。性格にいえば公館跡になるのだろう、紛れもない廃墟だった。

 建物はこの地の例に漏れず堅牢だが粗末。ただし、開口部という開口部は全て破れ、屋根は辛うじて小屋組みが残っているに過ぎない。ここで一夜を過ごすことを、正常な感覚を持っている一般人なら、野宿と言うだろう。

「お待たせしました。こう荒れていますと、ご案内するのにも気が引けますが、ここが公館だった場所です。」

 荒れている事は予測はしていたが、流石にヨイチもここまでとは思っていなかった。つい2ヶ月前までは人の訪れていた館なのだ。立地条件を考えると、この地で、最低一泊はしていた筈なのにもかかわらず、この荒れようは理解しがたい。さらに、室内に入ると、そこは荒廃したというより、故意に破壊した痕跡があった。ミツリは思わず「統治が難しい」というオオマの言葉を思い出してしまう。決して、公僕は歓迎されていないのだ。

「この通りです」

 オオマは申し訳なさそうに戸口に立ち、辺りを見回す二人を見つめた。

「私もここで短くない時間、村長をやっておりますが、決して幸福な土地ではありません。何度も言いますが、難しい土地でしょう。ここで生きる者は、ここでしか生きる事が出来ないから、仕方がなくここにいるのです」

「なるほど……難しいのかもしれませんね」

 ミツリは悪臭のする机だった木片を摘み上げると、灰色の水が滴った。ただ、ヨイチだけが笑顔で答えた。とてもいい笑顔をしている。

「まあ、確かに治めることは難しいかもしれませんね。でも、我々は何もしませんから」

 ミツリは思わず、手に持った木片でヨイチの後頭部を引っ叩く所だった。この男は、この村に来てどうしてしまったのか。

「いや、私はトチリア領主の親族ですが、枝の枝の先ほどの存在でして、本来であれば土地などもらえずに、一時金を渡されて体よく追放される身だったわけです。それが、何の因果か王国から譲り受けた土地を管理する人間がいないからと言って私が選ばれた訳ですが、理由は簡単です。中央にいても役に立たないからですよ。まったくもって、失礼な話ですが、事実だからしょうがない」

 ヨイチは窓から外を眺めて続けた。

「だから、私としてはここで何かをするつもりはありません。減点が困るだけで、加点はいらないんです。もちろん?私が生きていく程度の税は求めますが、現金である必要はありませんし、皆さんが困らない程度にするつもりです」

 ミツリはここに住まう全ての住民の為に、この男を亡き者にしようと決意した。


 困惑と呼ぶ以外、何も言えないような表情を残し、村長は去った。「これは、せめてものお詫びです」と酒を一瓶と、ランプ用の油を置いていったのは納税のつもりなのだろうか――。

 ミツリは考えてしまう。貴族とは、何の為に統治するのか、と。

 ヨイチの祖父であるキビノ・ナゴは貴族の専制に批判的だった。「税とは貴族に納めるのではなく、土地に納めるものだ」と公言していた。その精神は、息子から孫へと続いていた筈だった。しかし、どうやら不純物も交じっていたらしい、ミツリの目の前にいる人間は「税とは個人の腹を満たすためにある」と公言したのだ。


「ミツリ」

 呼ばれたが、返事はしなかった。

 荒事を乗り越えた分、信頼をし始めていた。だからこその失望である。

「その酒は飲むなよ」

 この後に及んで、酒は自分のだと主張するのか。

「急いで、そこらの板を使って開口部を塞ぐぞ。足りなかったら馬車をバラす」

 相変わらず何を言ってるのか分からない。

「なにぼさっとしてるんだ。死にたいのか」

 その猿の様な膂力で、脅迫までするのか。

「何を不機嫌になってるんだ。来るんだぞ」

 ミツリはどうにでもなれと睨み付けた。

「何がですか」

「何がって魔獣だよ」

「…………」

「聞こえなかったのか?魔獣が来るから準備しろって言ってるんだよ」

「……魔獣はいなかったじゃないですか」

「街道にはな、いなかったよ。でも、ここにはいるんだろう」

「何でわかるんですか」

「この部屋の臭いだよ。臭くねえのか」

「いや、臭いですけど……」

「間違えるはずがない、これは魔獣の臭いだ。奴らは何かを隠している」

「……」

「この荒れ方も、人がやるには意図が無さすぎる。何かを探している訳じゃあないし、建材を取ろうともしていない。それに見ろ、このやたらとデカい歯型」

「これ……歯形ですか……」

 大きすぎて気が付かないことがあると初めてミツリは知った。

「信じられないが、この村には魔獣が出る。今日、出るのかどうかは分からないが、準備しておかなくちゃならんだろう。くそ、やたらと住宅が丈夫そうで怪しいなと思ったんだよ。ちくしょう、目立たないようにするって主張したのに……」

「あの訳の分からない主張が命乞いだったと?」

「悪いか」

「センスが」

「嘘つきよりはましだ。あのジジイ、自分の手を汚さず始末しようなんて、ろくでもないな」

 ミツリは思わず微笑んだ。

「あなたも十分嘘つきです。何で2人も殺された事にしたんですか」

「盗賊連中と村の連中が繋がってるって思ったからだよ。3人も仕留めてるし、こっちも死傷者が出たと主張しておけば痛み分けになるだろう」

「本当は死傷者なんてでてないじゃないですか」

「だから、それを奴らは主張できないだろう?あの盗賊は魔獣って事になってるんだから」

 ヨイチは廃材を窓枠に合しながら答える。

「あなたは嘘つきじゃありません。悪人です」

 ミツリは腕まくりをしながら毒づいた。

 



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