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飛地物語  作者: 白くじら
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道程

出発時間を大幅に変更し、夜更けの街道をカンテラ一つで進んでいる。そのカンテラも、二面を黒く塗り潰しているので、必要最小限の薄明かりが馬車の前面をぼんやりと照らしているに過ぎない。

うっすらと轍が残る悪路には、左右から深い森が迫る。折り重なる木々の隙間には、どっぷりと闇が満ちていて、楽しい気分にはなれない。

「こんな暗闇の中で魔獣に襲われたら、たまりませんね」

ミツリが手綱を握りながら囁く。

「確かに――」

ヨイチはあの化物弓を手に、周囲を警戒しながら答える。

「だけど、魔獣なら襲われる前に準備ができると思う。まぁ、なまっていなければだけどな」

「どういう事ですか?」

 ミツリが思わずヨイチを振り向くが、ヨイチは前を見ろと促す。

「魔獣って、臭いんだよ」

「……」

「見通しの悪い森の中で、魔獣の痕跡を辿りながら歩くとするだろう。そうすると、大抵、目で見つかる前に臭いで気付くもんなんだ」

「なるほど。しかし、こんな風に馬車に乗っていても気が付くものですか」

「馬に乗っている時は気が付いた。人食する奴らの臭いは、おそらく、風上にいても気が付く」

「……」

「人の脂ってのは独特で、空気に触れたりすると、酸っぱい、すえた臭いがするんだが、それが化物の口とか胃で発酵するから、この世のものとは思えないくらいの悪臭になるんだ。初めて嗅ぐと、吐く奴も珍しくない」

「人食、ですか……」

「ああ、魔獣の内、積極的に人を捕食しようとする個体を人食種と呼ぶんだよ。その逆で、行動過程で人を死傷させる事はあっても、積極的な捕食をしない個体を非人食種なんて呼ぶ事もあるけど、原則的に魔獣は人を好んで捕食する。他の動植物と同じくらい食べるか、人以外食べないか、の違いだな」

「詳しいですね。魔獣の研究は教会が禁止しているはずですが」

「『邪なるものを生み出したるも己――』だろ。人間の意思だけで世界が変容するなんて、おこがましいよ。傲慢な行動でなら変化は起きると思うけどね」

「じゃあ、なぜ魔獣は生まれるんですか」

「研究はダメなんだろ」

「研究ではなく、ただの興味です」

「まったく、都合のいい頭だな」

ヨイチは、思わず笑ってしまう。こういう文官的な呑気さとは、しばらく無縁だった。

「俺も研究者じゃないから、又聞きの部分も多いけど、要は、魔力原子の異常蓄積による細胞変化が原因じゃないかって事らしい」

「どういう事ですか。まったくもって分かりません」

「魔力原子って何だか知ってるか」

「いや、最近、反教会系の研究者達がしきりに唱えているのは知っていますが、詳しくは……」

「魔力原子ってのは、全ての物質に含まれている魔術の――つまり、物質に意思の影響を伝える伝達物質の事だと思えばいい。これは、魔術を扱えない人達の中では安定してる。というのも、どんな人にも――というか、全ての物質にいえることなんだけども――魔力原子が満たされていて、何らかの形で大量に使わなければ減る事もないんだ。」

「使ったらどうやって補充するんですか」

「大気中に腐るほど浮いている。それを自由魔力原子というんだよ。魔法、魔術を使う連中は、体内の魔力原子に特定の『意志』を乗せて放出する。そうすると、意志を持った魔力原子は、変容し、反応を起こす。これが魔術、魔法、法術、呼び方はなんでもいいが、魔力原子の作用だ。ちなみに魔力原子が意志を受ける事を『魔力原子の言語化』って呼ばれる。単に『ロゴス』という専門用語を使う人もいるけど、一般的じゃあない」

「つまり、魔力原子を『言語化』できる人が聖導師様だというわけですか」

「そう、聖導師とか、魔法使と呼ばれるわけだ。たが、何も人だけが魔力原子に意志を持たせる事ができるわけじゃあない。当然、意志のある生物だったら、豚でも魔術は行使できる」

「混乱してきました。あなたの言葉を信じるなら教会はペテン師になりそうですが」

「彼等には彼らの見方があって、それを否定する訳じゃあない。ただ、教典を曲解して『法術とは主の御業を体現する行為であるから、信仰の厚い者にしか扱う事ができない』なんて言い始める会派は、信用しない方が良い。とにかく、豚だろうが、犯罪者だろうが、魔術は行使できるんだ。だが、ここで問題がおきる。一つ聞くが、ミツリ、お前は神を信じているか」

 ミツリは首を傾げた。

「熱心だとは言えませんが」

「実は、神を信仰できるのは人間だけなんだ」

「当たり前でしょう」

「当たり前だが、その重要性を、お前も、昨日の酔っ払いも理解していない。神を信じるというのはどういうことかって話だよ」

「分かりませんよ、あなたは坊主ですか」

「神を信じるとは、虚構を信じるという事だ」

「分かりました。あなたは坊主ではなく、不届きものです」

 ミツリもヨイチも笑っている。

「違う。最後まで聞けって。神を信じる、信じないは別にして、神をミツリが見ていないのは事実だ。つまり、お前が神を信じているのは、誰かと思想を共有できる力があるからだ。つまり、ミツリが見なくとも、見た事のある人、もっと言えば、見た事があると言っている人の概念を理解し、信じることができるという事だ。それは獣にはできない。やつらは見たもの、感じるものしか理解しないし、理解しようとしない」

「なるほど……」

「魔力原子は、知覚することができない。意志と結びついて、初めて物理的効果が発生するんだ。だから、それを利用する術を習得するのは難しい。教会の連中が教育方法を公開しないだけで、ほぼ魔術加工の分野を独占できているのも、どんなに才があろうが、それを開花させるには特別な訓練が必要だからだ。でも、物事には常に例外があって、先天的に『言語化』することができる輩がいる。もちろん、人間社会で発見されたら教会の連中が押し寄せてきて、あれよあれという間に親と近隣住民に金がばら撒かれ、気が付いた頃には立派な聖教師だ。でも、ただの獣にその才があったらどうなるか」

「教会は来ませんね」

「それりゃそうだ。とにかく、仮説も込みで話をするとだな、『言語化』できる個体が無意識下で偶発的な魔術を繰り返し使っていると、物理的効力を発揮できなかった魔力原子、つまり燃えカスみたいなものだが、それが体内に蓄積していってしまうらしいんだ。人間の場合は、それを強制的に排出する技術が存在するが、もちろん、奴らにそんな事はできない。その燃えカスが体の中で溜まり続けると、本来、物理的効果のない物質が体に作用を始める。大雑把に言えば、燃えカスが蓄積しても平気なように体を作り替えるんだろうな」

「中途半端であっても『言語化』されているから作用するんですか?」

「かもしれない。まあ、そうやって、魔獣の異様な外観は作られるわけだ」

「異常な凶暴性は何故なんですか?」

「燃えカスが溜まっても大丈夫ってことは、燃えカスを消費できるようにするってことだ。消費システムっていうのは日常的に作用している必要がある。つまり、魔獣は意志を持つ魔力原子を常に欲しているという事になる。意志というのは欲望だから、どんどん個体は欲望に忠実になっていく。しかも、複雑な欲望を持っている方が燃えカスになりやすいから、そういう餌も欲する。想像してみろよ、牛なんて放っておけばずっと草食べてるだろう?そのペースで人間を欲したら『凶暴』と呼びたくなるだろう。だが奴らにしてみれば凶暴になっているんじゃあなくて、ただ、餌を探しているに過ぎない。悪だとか、異教とか、そういう概念で奴らは生きている訳じゃあない。もちろん、個体の欲望に忠実過ぎるから、生物としては人間同様破綻しているけどな」

「なるほど、とても分かりやすい。とても分かりやすいのですが……」

 ミツリは不快感を眉間に寄せて、ヨイチを睨み付ける。

「なんだよ」

 ヨイチは手で前を向けと合図する。

「詳しすぎますね」

「そうか?」

「あなたは、戦地で異例の7年間を過ごしていますよね」

「おう。長いよな」

「何があったんですか」

「何がって、色々あったよ」

 煩わしくなったヨイチが、今度は眉に不快感を寄せる。

「色々とは」

「酸いも甘いも……」

「貴族子弟に課せられる南聖教師軍の任期は3年です。任期延長申請が受理されて5年。軍からの個別要請があればさらに5年の延長が認められますが、それには地元侯爵の許可が必要です。殆どの貴族子弟は、3年で戻ってきているのが一般的なところ、あなたは7年も戦地に滞在している。しかも、侯爵許可は一度も降りていません。しかもですよ、あなたが獣撃隊の小隊長に抜擢されたのは従軍2年目の『ハナズミ河口の惨劇』ですが、その後の戦役にあなたの名前はない。確かに、斥候としての性格もある部隊ですので、従軍名簿に載り難いこともあるのかもしれませんが、それでも華やかな特殊部隊の小隊長の名前がどこにもないのはおかしい。再びあなたが名簿に登場するのは、2年前、あなたが従軍して5年目、『ショウナダ平防衛戦』です。3年間、姿を隠していたとしか思えない」

「よ、良く調べているな」

 事務能力の高さは認めざるを得ない。

「自分が仕える人ですから当然です」

 ヨイチとしては秘密にする必要もない話なのだが、軍から戒厳令を布かれた手前、公館内では発言を控えていた。マサゴはそこを何となく察して、追及してこなかったのだが……。

「私は推測しました。あなたは近頃、教会内で発生しつつある新勢力に酌みしたんじゃないですか?あそこは原点回帰、原則主義を謳い、前衛的な釈義を展開しています。さあ、薄情なさい!あなたはルタア教諭の支持者なのではないですか!」

 ヨイチは頭を抱えた。

 図星だからではない。

 あまりの突拍子の無さにだ。

「さあ、ほら、どうなんですか!」

 先ほどから前を見ろと言っているのに、「どうだ」とこちらを向いて来る。ヨイチはその頭を押さえつけた。

「何するんです!部下を暴力で黙らせようとするなん……」

「頭を下げて、静かにしろ。来るぞ――。」

 静かだが、反論を許さない響きがあった。

 空気が違う。

 鈍いミツリでも気が付いた。


 ヨイチの手が、矢筒に伸びる。

「やっぱり、魔獣なんかじゃない。人間だ、それも大勢だぞ」

 ミツリは手綱を握り直した。

「馬は処置してあるな」

「……はい」

 ミツリは真綿を受け取った。

「よし、作戦通り実行するぞ、ビビって泣くなよ」

 泣いて済むならそれでもいいと、ミツリは思う。

 ヨイチは既に矢をつがえ、化物弓の弦に緊張を与え始めた。

 

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