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飛地物語  作者: 白くじら
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無駄にしたのは

 緑大陸からの完全撤退――。

 トクカワ王国による事実上の敗北宣言である。


 一方で、教会は「信念こそが世界を変える」という観念主義を主張しているだけに、弁明に窮してしまった。苦肉の策として「緑大陸での予定された教育は終わった。後は彼等に任せる」というスタンスを取ったが、教会離れによる影響力の低下は免れない。

 支配者の混乱は市民生活に及ぶ。

 これから港には血に慣れてしまった元兵士がぞくぞくと帰って来るだろう。

 彼等は、自身がいない間に生まれてしまった安定を(意図せずに)破壊するしかない。

 長い遠征の精算はこれから始まるのだ。ただ、支払は戦争を起こした者ではなく、戦争に巻き込まれた者が担うだろう。


 

「どうなりますかね」

 ミツリは対面に座るヨイチを伺う。

 ヨイチはトチリアからの通知文を折りたたむと、不機嫌な顔を上げた。

「良くなるわけがないよな。混乱が血を生み出さない事を願うだけだ」

 通知文は、治安の悪化が見込まれるため警備体制を強化しろという内容だった。

「ここはどうなります?幸い、マヤヅルから兵は出ていないようですが……」

「流れて来る輩は少なからずいるだろうよ。受け入れの準備だけはやっておかないと、それぞれに不要な恨みを買う事になりかねん。ただでさえ、教会の目が向きやすくなるっていうのに、余計な火種は持ち込みたくないな」

 沈黙。

 二人の本音はというと、心配なのは帰還兵ではない。手持無沙汰になった教会の進出である。

 焦れたミツリが口を開く。

「いよいよ来ますか……」

「まあな……。今まで緑大陸で割かれていた戦力がまるまる手持無沙汰になるんだ、空白地帯への進出を検討しないわけがない」

 ヨイチは続ける。

「ただ、来るとしても段階的になるだろうな。まず、布教を隠れ蓑にして司祭が単独でやって来て、トラブルを起こしつつ情報をリークする。次に、圧力を背景にした交渉があって、最後に、私兵の投入って感じかな」

「なるほど、まどろっこしいけど、理にかなってますね」

「大事なのは司祭が来る前に軍事設備を整える事だ。来てからせっせっと整えていたら謀反の疑いを掛けられかねない」

「工事のペースアップを図りましょう。今なら『帰還兵の盗賊化が懸念されるので守りを固めた』と主張できます。幸いな事に油紙の売行きが好調ですから、資材の調達も難しくないでしょう」

「よし、教会側がとち狂わない限り正攻法で来るだろうからな、それで行こう」

 

 さっそく翌日から人工を増加させた。

 幸いな事に休耕を余儀なくなされたミツシ村の男手が余っていて、外部からの雇人を入れずに済んだ。工事監督には引き続きトモエとミツリが立つ。

 遅々として進まない工事見えるが、数か月もすれば形になってくる。人工の腕も上がり、工事はさらにペースアップした。小遣い稼ぎにフクラの漁師たちが協力したのも一助になった。

 結果、半年を待たずに当初の構想にあった施設は完成した。「十分ではないが、最良ではあるだろう」はトモエの意見だ。ヨイチもその完成度に満足していた。

 ――街道には堀。

 ――山には警備小屋と鳴子。

 あとはスパイとして送り込まれてくる司祭を、住民全体で煙に巻いてしまえば時間が稼げる。その隙に兵士の練度を上げていけば――。

 ヨイチとトモエの目は、僅かだか希望の光を捉え始めていた。



 しかし、事態は急転する。



 来月の季節限定油紙開発に向けてヨイチがコトハマの魔女と相談していた所へ、チャヤ商会から緊急の伝令が届いたのだ。

 馬の腹には泡が立ち、騎手も息を荒げている。ヨイチは一抹の不安をもって手紙を受け取った。

 手紙はあえて厳重に封はされておらず、内容も「来月のキャンペーン商品」とあった。もちろん、額面通りの意味ではないだろう。

 『いつも御贔屓頂きまして誠にありがとうございます。この度、チャヤ商会冬の大感謝祭と銘打ちまして、いつも御利用頂いておりますマヤヅル公館様へ特別セールを企画いたしております。つきましては以下の商品を通常の半額以下で御提供させて頂きますので、御入用の際にはこちらの特設キャンペーン窓口まで御連絡ください』

 ヨイチは眉を引き上げる。

 書かれているキャンペーン対象商品の中にフェイスマスクが大量に入っていたからだ。明らかにマヤヅルの魔術対策である。

 もう一度商品一覧を見ると、最後の欄に『アオナ 0両』と記されていた。事前打合せのとおりリーク情報で間違いない。

「早すぎるな……」

 ヨイチは思う。

 施設は完成している。

 兵士の練度も上がってきている。

 しかし、まだ不十分だ。

 良くなっているとはいっても、大軍とやり合うレベルではない。しかも、相手は大陸で嫌と言うほど経験を積んでいる屈強な兵士だ。どこかの盗賊とは訳が違う。


 ヨイチの脳裏には徹底的に略奪されたコトハマが鮮明に映し出された。

 かつて緑大陸で見た光景と重なり、それはまた真実味を増していく。

 まるで大河の様に、整然と進んで来る大軍――。街道に仕掛けられた罠に数を減らしつつも、奴等は後ろから押し出されるように進んでくる。

 狙いはコトハマだろう。

 痩せた土地をほじくり返すミツシ村や、申し訳ない程度の海産物しかとれないフクラ村には数人の兵士が送り込まれるだけだ。港も、軍の完全撤退によって緑大陸からの輸入品が入ってこなくなれば興味の対象からは外れる。

 コトハマは蹂躙される。

 兵士達はその仮面をかなぐり捨て、凶暴で身勝手な野生をむき出しにする。いかに訓練された兵士でも、数の暴力には勝てない。善戦もむなしく、女達は一人、二人と、人ではなくなった者に尊厳と命を奪われていくだろう。

 本来であれば、愛と生命に祝福されるべき行為も、何故か死と隣り合わせの席に追いやられる。後に残るのは荒涼とした大地だ。決して、収穫後の田畑ではない。


 正義は最後のタガを外す。

 正義は暴力を肯定する。

 正義は弱者を守らない。強者をより際立たせるだけだ。

 

 やがて、奪われた土地には彼等の秩序が生まれるだろう。

 そこで育まれていた命など無かったかのように、後の人々は生きるだろう。

 人々はきっと教えられる。かつて悪がこの土地にはびこっていたと。

 人々は愚かではないが、賢くもない。生まれ育った秩序を否定する術を持たない。誰かが意図的に生み出した「民意」とか「世論」などを選ぶだけだ。

 そうして、コトハマは死んでいく。

 残るのは無害な名詞だけだろう。


 

 ヨイチは眩暈を覚えた。

 また始まってしまうのかと思うと、足元から何かが崩れ落ちる気がした。

 膝を付き、嘔気が襲う。

 奇妙に血が猛っているのは気のせいか?

 体中を目に見えない力が蠢き始めている。

 「原型」を留めていられないと何故か思った。純粋な怒りがヨイチから生気を奪い、悪意に変換させていく。それをヨイチは言語ではなく、はっきりとイメージで理解した。

 ――激しい咆哮。

 目の中に鈍い光が宿り始めている。


 コトハマの魔女たちはそれをおののきながら見るしかなかった。

 目の前にいる男が何故か白い、大きな化物に見えた。突き付けられた純粋な恐怖は、魔獣を思わせた。

 失神する者――。

 泣き叫ぶ者――。

 

 ただ、この男だけは違った。

「何やってんですか。さっさと帰りますよ」


 ミツリがヨイチの肩を乱暴に掴んだ。

 びっくりしたのは魔女たちだが、ミツリはそんな空気もどこ吹く風である。

「いきなり叫んだらビックリするでしょうが。もう高齢の方もいるんですから、自重してください」

 ヨイチは境界線上で苦笑してみせる。

「……そ…相談があるん……だが……」

 ミツリも不敵に笑う。

「ろくでもないんでしょうが、乗りましょう。しっかり、隠さず話してくださいよ。その手紙の内容は容易に想像できますが、あなたの頭の中は想像できませんから」

「……はぁ、はぁ……きっと反対するぞ……」

「私が反対しなかった事などありませんし、あなたがそれを聞き入れた事もありません」


 荒い呼吸を落ち着かせてヨイチは言う。

「……前面戦争にはしない……負けるからな……」

「せっかく投資した金を無駄にするんですね。まあ反対です」

 ミツリはヨイチを抱きかかえるようにしながら立ち上がらせた。ヨイチは弱り、自身を繋ぎとめるかのように体を抑えている。

 不気味な気配がヨイチから漂ってきたが、ミツリに恐怖心はなかった。

 ヨイチがかつて告白した「自分はかつて魔獣と同化して仲間の兵を襲った事がある」という話を、思い返して納得しただけだった。







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