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飛地物語  作者: 白くじら
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算段

「なかなかタフな交渉でしたよ」

 ミツリは馬から降りると、差し出された水で顔を洗いながら答えた。しかし、手応えはあったらしい。

「良い方向に転がったみたいだな」

 ヨイチの気遣いに礼も言わずに、ミツリは頷く。

 まあ、この男に部下の可愛さを求めるのは間違いである。

「いや、ジロウジさんはなかなかの人物ですよ。何度か公館でお会いしたことも、お話をしたこともありましたが、いざ、交渉の相手として主観的に話すと、彼の懐の大きさが分かりますね。何というか、一種の凄味みたいなものがあって、商人というよりどっかの将軍みたいでした」

「それ、俺も言ったが、彼にとっては褒め言葉にならないみたいだぞ。あんな周りの見えない連中と一緒にされたくないってよ」

「なるほど……今の緑大陸の状況を考えれば分かる気もします」

 緑大陸の戦況は、さらにだが、王国にとって芳しくない。近頃は兵の補給が間に合わず、犯罪者達を兵士として投下しているとの噂もある。

 二人は連れ立って公館――ミツリのおかげで大分改善された――へ入った。


 館内にはコトハマ警備担当のトモエが既に待機していた。彼女も今回の出張をねぎらう。

「はるばる遠路の交渉、ごくろうだったな」

 堂々としているトモエはヨイチよりも統治者らしい。

「いや、ヘハチさんの乱の時とは違って、今回の任務は文官の守備範囲でしたから気が楽でした。どうも私の上司は勘違いをしているらしいのですが、私は剣すら持ったことが無いんですよ。ちゃあんとインクと紙の仕事が欲しいものです」

「お前が一番生き生き仕事をしているのは、何かをこさえている時だ。事務仕事をやっている時より、よっぽど楽しそうだぞ」

「仕事は楽しさを優先するものではないので」

 相変わらずのやり取りに呆れつつ、トモエが先に進めた。

「じゃあ、その仕事の成果を教えてくれ。ちなみに交渉材料の油紙は順調らしいぞ。ウチの魔女連中が喜んでいた」

 ミツリは「いいでしょう」と、ややもったいぶった様子で腰を下ろした。


「結論から申し上げると、チャヤ商会は二つ返事で了承してくれました。もちろん、ウチで生産した油紙を見たうえで最終合意となる運びですが、金額以外については問題ありません」

「生産数の問題はどうだ?まだ未知数だぞ」

「向こうも最初は大々的に販売しようとは思っていないそうです。まずは貴族連中に配り始めて、定着したら徐々に裾野を広げていく計画をとります。じゃないと、流石にピリピリムードの教会が、どんな圧力をかけてくるか分からないと……」

「なんでそんなにピリピリしてるんだ。今更緑大陸での旗色が悪いくらいで、奴等は困んねぇだろう?」

「警戒しているのは、むしろ内部事情の所為ですね。今、ルタア派の勢力が馬鹿にならない規模になってきてまして、各派は信者の確保に必死というところです」

「確か、ルタアとやらは先視派だったんじゃあないのか?」

 トモエが先日聞いた知識を披露した。飲み込みが早い。

「はい。ですが、最近は少し実情が変わってきているようです。今までは先視派の一派閥という感じだったのですが、近頃はさらに勢力を拡大させていて、現視派や過視派の中にも彼の賛同者がいるみたいですね。このまま勢力を拡大させていくと、三大派閥とは別に新しい体制を持つ集団が出てきそうです」

「不穏だな……」

 ヨイチは腕を組む。

 教会の特徴として、体制が安定している間は社会との接触を積極的に行わないが、いざ不安定になってくると突飛ともいえる対外政策を打ち出す事がある。

「しかし、そんな状況で油紙など販売できるのか?」

 もっともな意見である。

「ジロウジさんは『だからこそ』という意識があるそうです。しっかりと地盤を固めれば、金と世論の匂いを嗅いだ派閥は利用しやすいと考えているんです」

「肝心の教会に卸している商品リストの方はどうなった?」

「ええ、それはバッチリ。ジロウジさん曰く、金の流れが分かれば軍を動かすタイミングなど、全て分かるそうです。目の付け所が素晴らしいと褒めていましたよ。しかも、会計は各派閥が独立しているため、内部抗争の方向性まで筒抜けだと……」

「よし!」

 ヨイチは大げさに拳を握り、トモエも大きく頷いた。

「これで闇雲な準備に明け暮れなくても済むって事だな。希望が見えて来たぞ」

 ヨイチは防御ラインの作成に思いを馳せている。

「しかし、劣勢なのは変わらんぞ?」

 トモエの心配はもっともだ。もともと馬力が違う。

 それでも、やるしかない。決して前向きなエネルギーではないが、熱量は確かにある。

「確かに数の差は絶望的ですが、我々は守る物も無い身軽な体ですし、ここは飛地でもある。やれる事は限られているけど、やるだけの価値がありますよ」

「具体案はあるんでしょうね」

「ある。でも奇策じゃあない。入口を固めて、脱出ルートを確保するだけだ」

「それじゃあ、せっかく情報を手に入れてもなんにもなりませんよ。真っ向勝負じゃあないですか」

 それにはトモエが反応する。

「それは違うぞミツリ。相手の人数や装備が分かれば、それだけで兵士個々の戦い方に変化が生まれる。もちろん部隊としてもだ。抗戦する場所も変わるし、各部隊の目標も変わって来るんだ。準備する物が変わらなくても、それをどう動かすかは常に変化していく」

「さすがトモエさん。というわけで、さっそく明日から拠点施設の建築を頼むぞ、土木大臣」

「な、誰が土木大臣ですか、ふざけないでください!休みも無しに、今度は肉体労働をしろと?」

「分かった、分かったよ。じゃあ、行動は明後日からだ。とにかくお疲れさん、明日はゆっくり休めよ」

 ミツリはしきり「横暴だ」とか「先代は――」などと喚いていたが、油紙の試作品を渡すと大人しくなった。

 ヨイチはミツリに女がいる事を確信した。なかなかにちゃっかりしている。

 


 

 結局、作業が開始されたのは三日後だった。油紙は最高だったらしい。

 遅れたミツリは悪びれも無く、いい笑顔でげっそりしていた。ヨイチはこの色ボケした部下を、徹底的にこき使う決心をした――。


 危機管理の基本は想定を決める事だ。

 この作業を怠ると、信じられないぐらい意味のない絵が描きあがる。かと言って、詳細に決めすぎると応用が利かない。装置の根幹を成す部分だけに、三人は時間を掛けて慎重に精査をした。

 「教会が一地方に私兵を進める場合、独特の癖が生じる。それは、正義という枷だ」これはトモエの意見である。

 彼等は、自分達が正義だから剣を振るうという立ち位置を変える事ができないため、常に正攻法で敵に当たらなければならない。そのため、馬鹿みたいに街道を大隊が進んでくるのは決定事項となる。ただし、である。教会は明暗のはっきりとした組織だ。当然、闇は驚くほどに濃い。

 「斥候部隊がいる」とヨイチは言う。

 公称は字の通り偵察部隊なのだが、実際は暗殺工作部隊である。大部隊に先行して敵地に侵入し、徹底した破壊工作をする。必要とあれば軍隊とは関係のない住民にも手を掛ける無慈悲な集団で、その任務範囲は威力偵察の比ではないらしい。「奴らは街道なんて通ってこない。崖だろうが、山だろうが、人目に付かないルートをひたすら進んでくる」と言うヨイチの声は暗い。

 結果、街道は大部隊対策として大々的な土木工事を行い、村々と山間部には斥候部隊対策を施すことになった。

「いずれにしても金が必要ですよ」

 嘆くミツリ。

 下唇を噛むヨイチ。

 ただ、トモエだけが楽観的だった。

「確かに金のない半島だが、その分、人件費はタダみたいなモノだ。それに油紙も売れるんだろう?」

 確かにそうなのだ。

 悲観的になるか、楽観的になるかは物の見方次第。

 準備に手を抜かないのなら、気楽な方が良い。


 まだ飛地は喧騒から遠く離れていた――。

 



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