受領
実際、ヨイチは岐路に立っている。
理由は明白である。彼は貴族の息子なのだ。高等教育は受けているが、生きていく知恵を知らない。しかも、最も社会性を育まなければならない時代を、策略と詭弁で装飾された侵略戦争で過ごしている。そんな人間が自立して生きていくのは難しい。ヨイチもその事はよく理解している。だからこそ、恥を忍び、浅ましさを奥歯で押さえつけて、この館の敷居を跨いだのだ。
仕事が欲しい――。
安易な解決手段として頼っているわけではない。冷静な分析と逡巡の結果、生きていくにはこの方法しかないという結論に達したのだ。元金がいくらあっても、事業を起こすなど、世間知らずの自分には自殺行為に等しい。
自分で生み出す事も、見つける事も、今の自分にはできそうもないから仕事をよこせ――。
修飾語を失くせばそういう事だ。
マサゴの言うとおり状況は悪い。決定権は全てあちらにある。
しかし、状況をただ甘んじて受け入れるほど元特殊部隊隊長は従順ではない。こちとら、大部隊の援護も無く、魔獣のうろつく密林を先行する攻撃型斥候部隊を率いていたのだ。
そう自分を鼓舞して、ヨイチは口を開く。
「要求など、そんな大それたことは言いません。ただ、自分のささやかな力を、この父や兄が愛した地でお役立てしたいのです」
マサゴは目の前の男を測りかねていた。
彼にしてみれば聡明な後継ぎに付随する愛嬌のある弟にすぎなかった。それが、大義も無い出征を経て、危険な不安定さを目に宿して帰って来た。
金か土地の無心だろうと、高を括っている。コムギ様の弟君を放り出す訳にもいかないから話も聞くが、正直、億劫でもある。
ところが、少し話をしてみれば、戦場帰りの粗野な感じがしないばかりか知性すら感じる。澱んでいた目の奥にも、何かコムギ様に通じる純朴な理性の光も見える気がする。
なかなか魅力的だ。
まだ幼い現当主を支える騎士になりえるかもしれない。もちろん、その逆もありえるが。
「ご立派な考えですな」
マサゴはまだ回答しない。
ヨイチは思う――。
マサゴは父や兄とは違い「理念」で動きはしない。「利」で動く。しかもその「利」は、全て兄の息子へ最善の状態で治世を引き継ぐためのものだろう(マサゴは熱狂的な兄の支持者だった)。自分の意志や、想いを伝えたところで望む結果にはならない事は容易に予測ができる。大事なのは、自分がこの地に有益な能力を持っていることを伝えること。さらに、簡単に解決できる弱点も添えて、注意をそちらに向けさせる。
慎重に言葉を選ばなければならない。
「私は少なくない時間を戦争で過ごしてしまいました。もちろん、そこで得た経験はこの地にとって糧になる事もあるだろうと思いますが、やはり、社会常識という点では未熟な所があります。ですから、これからは、マサゴさんのような聡明な人の傍で経験を積んでいきたいですね。」
なかなか狡猾だな――。
いつの間にか、するっと自分が受け入れられる前提で話をしている。人の認識は、意図しないところで決定してる事が多いのだ。「気が付けば……」を狙っているのだろう。分かりやすい弱点へ注意を向けさせているのも悪くない。
間抜けではないのだろう。
ならばと、いじわるな質問をマサゴは返した。
「いやいや、私などこの土地から殆ど出やしません。それよりも、白大陸を離れて遠征したヨイチ様の方が多くの体験をしたことでしょう。どうです、緑大陸の女性は情熱的だといいますが?」
狸ジジイめ――。
わざと分かり難い質問をしてくる。要は、隠し子がいないか知りたいのだろう。
南聖教師軍に従軍する者は、相続権をはく奪される。だが、子については規定がなく、事実、後継者争いに発展する場合もあるらしい。
少し、大胆に返す。
「はははは、マサゴさんも人が悪い。随行する商人たちならいざ知らず、我々は教会の尖兵として従軍したんですよ。しかも、私は従軍によって破棄されるまで、チャヤ・シロウジの息女と婚約関係にありました。女性の扱いはこれからゆっくりと勉強する予定です」
嘘つきが――。
マサゴは随行する商人団に、諜報員を紛れ込ましている。もちろん、投資の方向性を調査するためなのだが、併せて聖教師の連中の素行も調べさせている。下世話な話も耳に入っているのだ。
ただ、向こうの大陸ではいざ知らず、こちらでの粗相はないらしい。これで、聖導師に宣誓書を作らせれば、以後生まれる子供も契約で拘束することができる。
「そうでした。チャヤ殿の3女でしたかな?婚約されていましたね。確かに、あの方の娘さんと婚約していましたら、夜遊びが命がけになるでしょう」
コムギ様の人気が圧倒的であったため、その弟も聡明であれば、内政に不要な派閥が生まれる可能性がある。それだけは避けたいな――。
びっくりするほど現金主義だが、誠実――。
ヨイチはマサゴをそう再評価した。
ならば、甥を支える事に二心が無い事を証明することだ。武官を希望することも考えていたが、それは避けた方が良いのかもしれない。
さて、この男は何ができるのかな――。
マサゴは当たり前の質問をする。
「ヨイチ様は南聖教師軍で、どんな任務に就いていたんですか」
私兵団に配属させるにしても、現領主の叔父となれば一兵卒という訳にはいかない。兵を率いることが出来るのか、それとも文官として務めさせるのか。聡い青年とは思うが、経験がない以上、文官として配置させるには教育期間が必要だろう。今後を考えて、閑職で飼い殺すことも考えなければならない。
いやな質問が来た――。
なるべく武官としての才はないと主張したいが、領主であれば教会から情報が回っているかもしれない。
ここは正直に言うしかない。
「獣撃隊に所属していました……」
少しでも印象を良くするため、隊長であったことは伏せた。嘘はついていない。
これは難しい――。
マサゴは腕を組んだ。
獣撃隊といえば、大部隊が未開地を移動する際に先行し、主に魔獣の駆除と先制攻撃を担う特殊部隊だったはずだ。この部隊に所属していたということはヨイチ様が兵士として有能だった証拠だろう。
しかし、貴族に求められるのは、大部隊を動かす戦略的な采配だ。部隊を率いていたのならいざ知らず、一兵士の力など、市街地防衛戦には求められていない。武官というのも難しそうである。
閑職に就かせるしかないか――。
何やら不穏な空気が流れている――。
ヨイチは押し黙るマサゴに不安を感じた。
ここは自分が戦闘種に属する人間ではないと主張しなくてはならない。
「ただ、獣撃隊といっても、先制攻撃を行ったことは稀です。私たちの主な任務は未踏の地に、人が移動する道筋を作ることでした。武力を使わない、現地の住民との交渉も含めてです。配備された武器も対人用の物はなく、全て対魔獣用の物でした」
未開地の開拓か――。
そして、その言葉が何かの懸案事項と繋がっていた気がしてならない(「未踏の地」という言葉をマサゴは勝手に「未開の地」に置き換えてしまっている)。
何で黙るんだよ――。
焦る気持ちを必死で抑え、ヨイチは思わず説明を加えた。
「隊には、元犯罪者や、魔獣専門の猟師など、荒々しい輩も多くいましたが、一度も揉めた事はありません。暴力ではない解決を常に模索してきました。それは現地の住民に対しても同じです。我々ほど友好的な部隊は無かったでしょう。」
必死になる。あたりまえだ。
元犯罪者たちを平和裏にまとめる――。
その時、マサゴの脳内で、シナプスがピタリとつながった。
「未開の地」で「元犯罪者」をまとめ上げ、「魔獣」を駆除する。聡明さで住民に人気が出ても内政が二分することがない。ヨイチ様も貴族らしい仕事に就く事ができる。
「ヨイチ様!」
マサゴは突然立ち上がり、大きな声を上げた。
「はいぃ!」
ヨイチの方は、思わず情けない声を上げてしまう。
「やっていただきたい仕事があります」
マサゴは満面の笑みだ。
「土地を治めてみませんか」
「はあぁ?」
あまりの展開に、ヨイチは振り回されている。
「このトチリアからは少し……ほんの少し離れた場所ですが、元は王国の直営地だった場所です。そこを戦地で培った適応力で治めていただきたいのです」
ヨイチは口を開けたまま、コクンと頷いた。
何だ?上手くいったのか?――。
土地を与えられた?――。
――飛地を?。