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飛地物語  作者: 白くじら
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それぞれの風景

 男はスズメと呼ばれている。

 出身はマヤヅルのフクラだ。フクラでは珍しい赤子の誕生劇だったが、九歳の時に村を飛び出して盗賊の仲間に加わった。マヤヅルの男児にとって、馬を乗り回し、武器を片手に権力と戦う盗賊の姿は眩しく映るらしく、スズメと同じ選択をする若者は少なくない。

 村とは違い、盗賊の生活は華やかで分かり易かった。

 奪い、犯し、喰う――。

 死んでいく奴らもいたが、強い奴や頭の回る奴は生き残った。どんなに偉そうな事を言っても、死んだら何も残らない。生き残りさえすれば、女を抱き、酒を飲み、飯にありつく事ができる。

 とても単純な理屈だった。

 今回、自分の生まれ故郷を強襲すると言われたが、何の感慨も抱かなかった。両親とはあれっきりだし、親しかった友人も当然いない。ただ、なんとなく「けっして強奪はするな」と頭に言われたとき、少しホッとした気がした……。

 十数年ぶりに訪れた村は、何も変わっていなかった。貧相で、陰気臭い。敵もいないから静まり返っていて、まるで廃村のように感じる。

 片手には人殺しの道具を持ち、目的は侵略である。それでも静まり返った村を歩いているうちに、目は自然とかつての家を探した――貧しさと悲壮感しか与えてくれなかった家を、である。

 しかし、記憶を頼りに歩いてみても何故だか辿りつけない。濃くなってきている霧の所為で道が分からないのかと思ったが、自分が家への道を知らない事に気が付いた。

 思えば常に手を握られていた。道なんて知らなくても、その手を信じていれば家に帰ることが出来た。

 スズメは「なんだ、そうか」とだけ思った。


 部隊を集める笛が鳴ったころ、背の低い男が、村の外れにある小さな家の前に立っていた。

 男は微かに残る既視感だけを頼りにドアノブへ手をかけるが、開くわけがない。仕方がなく、腰にぶら下げている手斧を取り出した。男の経験上、閉じたドアの前で「ごめんください」と声をかける事は何の意味も持たない。彼の人生においてドアを開けるために必要なのは声ではなく腕力だったのだ。

 だから今回もそうしただけだ。そこには自分がそうしたいという欲求だけがあり、中にいるだろう住民の気持ちなど考えもつかなかった。無知から来る純度の高い欲求に「悪意」の入り込む余地などなく、斧を振り下ろす。

 ドアノブが大きくひしゃげた。

 二撃目を振りかぶり、打ち下ろす。

 しかし、瞬間的に首筋へ走った痛みで、斧の狙いが外れた。虫かと思い、億劫そうに首筋を押さえる。

 蜂はいなかった。

 むしろ、何もいなかった。そして、それがあった。おそらくは、助かりはしないほど深く切り裂かれた傷――。目の前の扉に広がっていく染みが、自分の血液だと気が付くのにはかなりの間があった。

 それでもスズメは、もう一度ドアノブに向かって斧を振り下ろそうとした。「もう助からない」という印象が確実にあったが、何故か「入りたい」という欲求が抑えられないのだ。しかし、体はもう動くことを否定している。斧を握る事もできなくなり、膝を付いた。それでも、真っ赤な手だけはドアへと伸びる……。


 この滑稽で惨めな男の体はもう動かない。自らが作った血だまりの中で、何故自分が泣いているかもわからず、静かに生命の離脱を待っている。




「どうなっている!」

 盗賊の頭が、集会所の椅子を思い切り蹴飛ばす。

 中隊長達と対応を練っている間、二つの小隊と連絡が取れなくなったのだ。それも、確認が出来ている範囲だけでの話であり、被害はさらに拡大している恐れがあった。

「敵の攻撃とみて間違いないでしょう。奴等は正々堂々戦うことを恐れ、暗殺を好む」

「分かっているなら探し出せ!奪わなければ、民家に押し入っても構わん」

「平気なんですかい?ヘハチの旦那は、民を襲うなって言ってたんでしょう」

「襲うんじゃあねえ、調べるだけだ。いいな、徹底的にだぞ」

 頭の指示を受け、中隊長たちは集会所を出た。しかし、そこで愕然とする。周囲を覆っている霧が先ほどよりも濃厚に立ち込めていて、五メートル先の様子も確認できない。音すら正常に届いていないらしく、とぎれとぎれに人の叫び声の様なものが聞こえるが、それが何を意味するかは分からない。

 ここにいる全員に「まずい」という論理的思考から離れた危機感が生まれた。そして、大抵そういう感覚は正しい。

「すぐに伝令小隊を呼び出そう」

 一人が小隊の呼び出し笛を吹くが、応答の笛が聞こえない。

「もっと大きく!」

「何度も吹け!」

 仲間たちに急かされて、体格の良い比較的年齢の若い男が、顔を真っ赤にして何度も笛を吹く。しかし、何度やっても応答はない。

「どうなってやがる……」

 連絡手段を無くし、丸裸になった彼等のもとへ一人の盗賊が転がり込んで来た。

 伝令小隊の一人である。

「どうした、何があったんだ」

 血だらけの男は、手首に刻まれた傷を布で押さえつけている。

「き……霧が出て来たと思ったら……突然、襲われた……」

「それじゃあ分からんだろうが、誰に襲われた、言え!」

「分からない……路地をプラプラ歩いてたら、二小隊の奴が血を流して死んでいるのを見た……敵がいると報告に向かおうとしたら霧が出てきて……」

「伝令小隊は全滅したのか!」

「わ…分からない。ただ、霧が出てくるまでは5人で動いていた……。報告に向かう途中『ぐエ』って声が聞こえたから隣を見ると、アイツの首がぱっくりと切れて、血が噴き出していた……姿も見えなかったし、気配も感じなかった……」

「笛の音は聞こえなかったのか!」

「笛?……いや、何も聞こえない……俺はわけも分からずここまで走って来ただけで……」

「他の連中は!」

「分からない……。ここにいないのなら多分、死んだと思う……」

「ふざけるな!笛も聞こえない状況で伝令係が全滅したら、どうやって戦う!」

「自棄になるな、とにかく頭に報告しよう」

 最年長の男が皆を集会所へ戻る様に促した。男は「コトハマには魔女が住むから手を出すな」という先代からの教えを思い出していた。眉唾な話だが、この渦巻く濃厚な水蒸気を見ていると、世迷言も信じたくなってしまう。




 思ったよりも敵が多い――。

 周囲に立ち込めている霧は「視覚」や「聴覚」といった感覚ではなく、直接脳内に人の動く軌跡を伝えてくれる。それによると、敵はかなりの数でフクラに入り込んでいるらしく、いくら霧で姿を隠しているとはいえ不用意に動くことはできない。

 孤立した者を見極めながら、隙を付き、手に持った異常に薄い刃物を的確に急所へ滑らせる。女性兵しかいないコトハマで独自に発展した戦闘技術で、武器と武器の接触を想定していない。しかも、男性兵士にありがちな勇気への過信がないため不意打ちに意識的なブレーキがなく、弱者ならではの残酷さが際立つ。

「あれを……そちらから」

 意志疎通が完了し、コギクは二人の仲間とその場を離れた。

 目標は民家に侵入しようとしている背の低い男だ。トモエ(コトハマの警備担当)からは住民に危害を加えそうな奴から始末するように指示されている。男は一人、そして、今まさに斧でドアを破壊しようとしていた。

 こんな外れの古民家を襲おうとするなんて、なんて卑怯な男なんだ――とコギクは舌打ちをする。盗賊たちの動きを見る限り、奴等は略奪を禁止されている。にもかかわらず、こそこそと悪事を働く男……。

 柔らかい動きでこそ生かされるコトハマの技術なのだが、コギクのナイフを持つ手に力が入る。

 記憶の悪い所は、意図せず立ち上がってくることだ。


 コギクの両親はグニマ県で商人をやっていた。

 主にグニマ特産の芋を使った加工食品を取り扱っていて、それなりに不自由のない生活を送っていた。口を開けば「手伝え」と口五月蠅い父と、その父にただ従うだけの母。兄は無口で太っていたが優しかった。全てが幸福だったとまでは言わない。ただ、思い返すとそれなりに幸せな少女時代だったと思う。平々凡々な自分の事を不幸だと思った事はなかった。

 しかし、転機は突然おとずれた。

 当たり前の日常に突然組み込まれた非日常。

 寝静まった店舗併用住宅に響き渡る怒声と足音。

 当時、まだ母と寝ていたコギクは起き上がり、出て行こうとしたが、母がそれを制した。やがて、叫び声が響き、血だらけの男が寝室のドアを開けた。まるで熊の様に大きく、息を荒げていたのを覚えている。

 母が自分を後ろに下がらせながら、男に何かを言った。きっと何かを頼んでいたのだと思うが、当時のコギクには分からなかった。「なんで夜中に飛び込んできた人にお願いしているのだろう」と思っただけだった。

 やがて男は母を組み伏せ、その大きな体を脚の間へと沈めた。

 何が行われているのか分からなかったが、それがおぞましい行為である事だけは分かった。コギクはベッド脇に置いてあった木彫りの置物を持ち上げ、男の後頭部に打ち下ろしたが、それが何かを打開する事にはならなかった。

 激しい衝撃――コギクの記憶はそこで途切れている。

 後に調べた話になるが、母は組み伏せられたままの姿で、父と兄は手足を縛られたまま死んでいたらしい。コギクは拉致され、そのまま娼館へ売られた……。


 どこに向かって声を上げればよかったのだろう。

 誰を呪えばよかったのだろう。

 行き場のない怒りも、悲しみも、子供特有の順応性によりいつしか曖昧になっていく。わが身を削られていく日々の中で、自分が何を失ったのかも分からなくなっていた。

 後年、店を襲った盗賊は捕まり、縛り首になるのだが、その檀上で処刑人が彼等の過去における犯行を「……多くの商家を襲い…」という言葉で凝縮した時も、何ら心は動かなかった。

 ――私は何を奪われたのだろう。

 その問は、今も出ていない。

 

 コギクは霧をまといながら男の背後に忍び寄る。

 何度も訓練した動き――刃渡りが三十センチの極限まで研磨されたナイフを、親指と人差指でつまむように持つ。敵の動きに合わせて頸動脈にナイフを進め、一気に引き抜く。男は斧を振り下ろすが、おそらく二回目は無理だろう。彼女のナイフは、既に魂の通り道を首筋に作ってしまっている。

「あなたはもう誰からも奪えないわ」

 コギクの囁きは、もう男の耳には届かない。

 だが、それでいいのだろう。彼女にとって「あなた」とは特定の人物を指してはいないのだから。

 

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