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飛地物語  作者: 白くじら
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本音

 トチリア領主公館からの帰路、ヨイチはジロウジに捕まった。どうやら野暮用は速やかに終了し、ここでヨイチが来るのをずっと待っていたらしい。「是非、ウチで食事をご一緒に」という、至極商人らしい誘い方をする。

「すいません御厚意は嬉しいのですが、すぐにでも戻らなければならなくて……」

 嘘ではないが、本音を言えば一方的に婚約を解消した三女と会いたくない。しかし、ジロウジは疑う様子もなく、にこやかな笑顔を向ける。

「お急ぎでしたか、それは失礼しました。それではすぐにでも馬車をご用意しましょう」

 「おかまいなく」と言う暇もなく馬車が呼ばれる。借りた馬は従者が返しておくと言ってくれているし、正直なところ尻の負担が軽減されるのは嬉しい。「では、サカワまで」という約束で二人は向かい合った。

 実は、面と向かっては話をしたことの無い二人だ。当然、通り一遍の差しさわりの無い会話から始まったが、共にウツノミナの港で育った者同士、そして旧領主に対する愛着から、次第に内容が鋭くなってくる。

「なかなか発展してますね」

 ヨイチが言えば、マサゴはこの男にしては珍しく悪意のある笑顔を向ける。

「マサゴ様は、どうも算術家でして……」

 二人の手には質のいい果実酒が揺れている。

「分かりやすい結果が必要な人だと?」

「あの方は必死なのですよ。イナミ様(ヨイチの甥)へ、トチリアを最も良い状態でお渡しできるようにしているのです。それも、意図して悪者になろうとしているのきらいがありますね」

「次の領主が華々しくデビューするためですか……兄の信者らしい」

 ジロウジは頷く。

「確かに、お兄様を敬愛する気持ちは人一倍強いですな。つまり、トチリアに対する愛情も深くいらっしゃいます。しかし、未来に対する投資が現在を締め付けるのはどうかと思いますな。ははは、商人としての見立てで申し訳ございませんが」

「締め付けているんですか」

「どう感じました?」

 ヨイチは今、何となくジロウジが強引に引き留めた意図を理解した気がした。結局、この男もこの明るくて楽観的で平和なこの土地が好きなのだ。

「……成長とは…もっと多様性に富んでいて良い気がします……」

 利害関係のない男だからか、それとも一流の商人だからだろうか、ヨイチは誰にも漏らしたことの無い本音をこぼす……。



 ――発展とは都市にとって呼吸の様なものだと聞いた事があります。都市は常により多くの物を集め、より多くの金を回さないと死んでしまうのだと……。

 しかし、本当にそうなのでしょうか。

 人は幸福になるべきです。少なくとも幸福に向かって進むべきだと思います。しかし、幸福とは他者との比較や競争の先には存在しません。他者を圧倒した優越感は、より強力な相手によって略奪されるでしょうし、ピラミッドの頂点に達した奇跡的な人は焦燥感に見舞われるでしょう。

 「何が幸福なのか――」

 この議論を無視して発展する都市は乗り手を落とした悍馬に見えます。いつか、豊かな生活をする為に自らの幸福を犠牲する時代が来るかもしれません。家族が豊かに暮らしていくために家族との生活を犠牲にする時代が来るかもしれません。

 そんな恐怖感が拭えないのです。

 ええ、それは私も同感です。確かに競争は技術の進歩を促します。それは事実です。新しい技術が人々の生活に恩恵を与えている事も間違いありません。でも、新しい技術を持っていなかった過去の人間が不幸であったかどうかは別問題でしょう?新しい技術による恩恵は、人々を満たしたのではなく、依存させただけなのかもしれません。まあ、かなり穿った見方だと自覚はしていますが……。

 ただ思うんです。

 幸福とは欲求の実現だけではないですよね。

 都市の発展とは物と金を増やす事だけではないでしょう?

 家庭も一緒です。両手に余る財産を手に入れた所で、胃に収まる麦の量は増える訳じゃあありません。「足りている」という実感さえあれば、世界はもっと平和になるだろうと思うんです。ですが、今のトチリアは……いや、トクカワ王国全体が「足りないもの」を探しているような気がします。

 その最たるものが教会でしょう。

 教会はこれ以上信者が増えないと分かると、「技術」を広め始めました。しかし、その「技術」が行き渡ると、今度は新しい技術を求めて他の大陸に戦争を仕掛けた。誰も今の現状に不満を抱いていないのに、です。彼等は「足りなかった」んじゃない、「足りない」状態を作りたかったんだ。欲求を満たすために、欲求を生み出しているんですよ。

 こんな事がこれからも続くのでしょうか。

 市民は常に「満たされていない」状態にされて、走る事を強要されるのでしょうか。

 「決して満たされることの無い、見えない胃袋」を持たされた人は、果たして幸せになれるのでしょうか。

 そんな事を考えると怖くてたまらなくなります――。


 ヨイチの言葉が奇妙な沈黙を生み出した。そして、それを破ったのも本人だった。

「って、友人が言っていました……」

 今更ながらヨイチが付け加えると、ジロウジは目を細める。

「ヨイチ様は、なかなか思想家でいらっしゃる」

「喋り過ぎました。忘れていただきたい」

「ご自身の意見を否定する必要はありません。たとえ、それが商人に向かって『死』と同義語であったとしてもです」

「いや、世間知らずの戯言で、お恥ずかしい限りです。本当に、思いつくままの言葉ですので、どうかお気になさらず」

 ジロウジは全身を震わせ、振動が馬車全体に広がった。それが彼の有名な意思表示の一つで「これから重要な話をする」という合図であることを、ヨイチは知らない。

「本来の姿だと私は思いますぞ、ヨイチ様。少なくとも政治家と商人は真っ向から対立するべきなんです」

「どういう事でしょう」

「実は、ヨイチ様の言う通り、今の民は『満たされることの無い胃袋』を勝手に作り上げ、永遠に走り続ける事を要求されております。彼等が満ち足りたと思う瞬間は一生無いでしょう。なぜなら、彼等の幸せは全て他人との比較によって成立するからです。『隣人よりも大きい家』『出世』『珍しい食べ物』『ダイヤ』は決して本人が求めた物ではなく、他者が求めたから欲しくなったのですよ。そして、それを刺激し、煽っているのは我々商人です」

「正直な人ですね」

 ヨイチは笑ってしまう。

「商売に必要なのはテクニックではなく、誠意です。人は、傷を隠した壺は買いませんが、傷を直して安くした壺には群がります」

「なるほど、しかし政治との対立はよく分かりませんが」

「ああ、これは失礼、話が脱線しましたな。そう、政治家と商人は対立するべきなんです。よく考えてくださいな、商人は私腹を肥やすのが仕事ですよ?慈善事業で金を貸す事は絶対にしません、それは親を殺すより許されない事(あくまで商人にとって)です。でも政治家は違うでしょう。彼等にとって金とは分配するものでなければなりません、懐に入れておいても何の価値も生まれない。政治は一人勝ちを許しませんし、私と違い、上手く物を売れない人間にも手を差し伸べなくてはならない」

 ヨイチは眉を寄せる。

 ジロウジはうなづく。

「しかし、実のところ、政治家と商人は仲がとてもよろしい。何故?政府の金庫になっているからです。政治家が好きな戦争を起こすために武器を大量に持ち込むからです。蜜月と言ってもいい。今、その両者の縁を切れるのは教会ぐらいなものでしょう、つまり、神の威光以外で彼等を引き離す事はできないのです」

 今度はヨイチがうなづく。

「父や兄の時代でもそうでした。金の臭いは常に執務室からしていましたよ」

 今度、ジロウジは首を振った。

「お父上や、お兄様を見くびらないで欲しいですな。私は商会の代表として、あなたの血筋の政治家たちと話し合い……いや、やめましょう、喧嘩ですな――喧嘩をさせていただきましたが、商人が悪戯にヨイチ様の言う『見えない胃袋』をこさえるのを許された事はございません。もちろん、時代の流れとともに生まれていく技術はありましたが、商人の懐が肥えるだけの技術は徹底的に潰されたものです。ええ、恨みました。正直、暗殺計画も進んでおりましたよ。首謀者は私です」

 ヨイチも流石に驚く。そして、先ほどから勢いよく飲んでいる果実酒に目をやる。

「いや、いや、困りますな、しませんから」

「信用しろと?」

「ええ……」

 お互いにらみ合い、そして笑ってしまう。

「すみません、続けてください」

「ははは、そうしましょう。暗殺計画は本当です。だって、金数百両の商談がパアですよ?そりゃあ従業員を面倒見ている身としては思う所がありましたわ。しかし、その後が面白いんですよ、あなたの一族は。彼らは我々と敵対する立場をとりながら、政治に参加させたのです。ほら、年に数回実施していた『商会自治連合会議』をご存知ありませんか?通称『殴りっこ会議』」

「ええ、覚えています。なかなか難しい会議だったみたいですね」

「最悪でしたよ。今でこそこんな成りをしてますがね、当時は港の海男どもですよ?罵声は飛ぶは、いや、椅子も飛んでいましたね。いやはやお恥ずかしい」

「でも、あの会議に出席した後の父はとても楽しそうでした」

 ジロウジはニヤリと笑う。

「私たちもですよ。本当に楽しかった。だって、大の大人が真剣になって『どうしたら市民が豊かになるか』を考えるんですよ、面白くない訳がない。私たちが寝ずに考えてきた案を『それは市民の為ではなく、あんたらの為だろう』といって目の前で破り捨てられた時は、流石に殴り合いになりましたし、お兄様が提案なさった『流通改正概論』を『子供の砂遊びに等しい』と断じた時は流血騒ぎでしたね。いやあ、本当に楽しかった」

「嫌味じゃないのが凄いですね」

「本気だったんです。本気で互いを憎んでいましたし、恨んでもいました。しかし、本気だからこそ、裏を付いてやろうとか、ばれないようにしようとか、そういう感覚にはなりませんでしたね。相手の同意を得られない場合は、それこそ命を絶つつもりでした。正面から喧嘩できる相手だったんですよ、あなたのお父様やお兄様は」

「……もういませんが…」

「そうですな。そしてトチリア商会にも本気の人物は少なくなった。お兄様がいなくなった時、気づきましたよ、あの本気の舞台は我々とキビノ家が作っていたのではなく、キビノ家が作り出していたのだとね……。火は消えつつあります。それがとても残念でなりません」

「マサゴさんもよくやっていると思っていましたが……」

「よくやっていますよ。でも、彼は算術家です。意味のない議論に熱くなれるほど馬鹿ではないのです。先ほども言いましたが、優秀な商人というのは計算など出来て当然、大事なのはいかに誠意をもって人にあたれるかなのです。熱意と言ってもいい。『得』を考えた時点で商人は二流になるのですよ」

 ジロウジの小さな目には、複雑な年齢に差し掛かった男独特の憂いや、熱意や、毒々しい感情が見て取れた。巨人なのだとヨイチは理解した。

 


 馬車が大きく揺れて停まった。

 いつの間にか寝入ってしまっていたヨイチは、目をこすり、カーテンをずらすとサカワ村の風景が見て取れた。もう夜中なのだろう、宿の灯りも消えている。

「つきましたぞ」

 ジロウジが昼間と変わらない笑顔でこちらを覗き込んでいる。

「すみません、いつの間にか寝入ってしまったようで」

「強行軍でウツノミナに出てこられたのだから当然ですよ、それより宿はお決まりですか?」

「いや、これから宿に泊まらずマヤヅルへ向かおうかと思っています。おかげ様で少し寝る事が出来ましたので」

「そうですか、それではこちらを――」

 ジロウジの手には革袋があった。中身は金か、干し肉か……。

「いえ、必要なものは全てここに入っています」

 ヨイチは丁重に申し出を断る。

「それでは」

「貴重な話をありがとうございました」

 礼を言い、手を握る。

 そのタイミングでジロウジがヨイチの耳元に顔を寄せた。誰にも聞かれる恐れのないこの場面で、声を落とす理由は一つしかない。

「私はまだ諦めていませんぞ」

 ジロウジの顔には本日二度目の悪い顔が浮かんでいた。

 ヨイチは苦笑するしかなかった。中央ならいざしらず、飛地で悪戦苦闘している所へ誰が喜んで来るだろうか?


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[気になる点] マサゴ様は、どうも算術化でして…… 算術化→家
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