政治屋の顔
盗賊との喧嘩から夜通し歩いて次の日の夕方、ヨイチはサカワ村に到着した。睡魔と疲労と安堵でフラフラになりながら宿へ飛び込み、前後不覚の睡眠に落ちるが、朝を迎えないうちに出発した。許可を貰う事自体は決して急を要しているわけではないのだが、トチリアへ密告に行っていると疑いをかけられたら内部分裂を生みかねない。ヨイチの不在が噂になる前に戻る必要があった。
やむなく馬上の人になる。健脚なヨイチにとっては余計な出費だが、背に腹は代えられない。久しぶりの鞍は尻へ多分のダメージを与えたが、おかげで昼過ぎにはトチリア領主公館へたどり着くことが出来た。これなら午後の陳情に間にあうだろう。
相変わらずの汚らしいフードと、従者も付けていない所為で一度は門番に制止されたが、ヨイチも一応は公人である。身分を明かすと入館を許された。前回の様に案内が付かないのは、陳情者は自発的に専用の待機室に向かうのが通例だからだ。
領主への陳情は誰でもできる訳ではない。原則的には各座の長、および地方執政官だけだ。それ以外にも教会や、自治組織の長が来ることもあるが例外的な措置になっている。
ヨイチも例に漏れず、陳情待機室に向かった。
待機室は決して広い部屋ではないが、明るく豪奢で、マサゴの趣味が素晴らしく反映されていた。壁際に寄せられた品の良い細工の椅子に、金の臭いのする男達が座る。中央には丸いカウンターテーブルが三台ほど置かれ、立ったまま商談らしき事が行われている。社交場としての性格も有しているのだろう。
入口で渡された整理券を持って、ヨイチは隅の方に座る。まだ、各商人と(陳情に来ている人間の殆どが商人だった)積極的な関係を作る段階ではない。下手な話をして余計なイメージを持たれたくないというのも本音である。
ひと際大きい笑い声がドア越しに漏れた。
人々は何の事かと振り返るが、すぐに互いを向いて話始める。どうやら中にいる人物は領主の部屋で大声で笑っても驚かれない程の有力者らしい。ヨイチとしても興味を引かれたが、扉が空いて人が出て来ると納得した。チャヤ・シロウジ(彼の3女がヨイチと婚約関係にあったが、従軍したことで解消)その人であった。
――流通の事なら神に頼むよりシロウジに頼め。
ウツノミナ港に出入りする商人たちの合言葉である。
商人としての武器をすべて揃えているかのような男で、その丸々とした体と透き通るような白い肌、愛嬌のある顔に乗る滑稽なちょび髭が絶妙な隙を作る。低く伸びる良い声は、商談をしている相手がうっとりするほどだ。
ただし声がでかい。
そして商売人だから人見知りという言葉に縁が無い。
「ヨイチ様!」
全員がこちらを振り向く。流石に商売人で戦地に向かった前領主の弟を知らない者はいない。空気がざわつくのだが、シロウジはモノともしない。
「お久しぶりです、出征式以来ですな!」
ヨイチは両肩を掴まれる。まるで逃がさないと宣言されているようだ。
「ご無沙汰しております。戦地から戻って来たまま飛地へと出向したもので、挨拶をする間も無く……」
「いや、ご無事で何より。亡くなったお兄様もお喜びでしょう。我々チャヤ家の一同もヨイチ様の身を案じておりましたゆえ、いやぁ何より」
「チャヤ家一同」という言葉にヒヤリとするものを感じながらも、ヨイチも笑顔を絶やさない。
「ありがとうございます。皆さまも息災ですか」
「おかげさまで、妻も5人の娘も健やかに過ごさせていただいております。いや、お兄様がお亡くなりなった時はこれからどうなる事かと思いましたが、流石はマサゴ様ですな、キビノ家の真髄を良く理解していらっしゃる」
「本当に、私としてもうれしい限りです」
「いやはや、マヤヅルへ向かわれたとは聞いていましたが、こうしてお会いできるとは。娘に良い土産話ができました」
「そんな大げさな」
ヨイチは手を左右に振って否定して見せた。内心、まだ同居しているのかと思うと胸が痛む。従軍という大義名分があったとはいえ、気持ちが良いものではない。
「まだ話し足りませんが、なにぶん野暮用が立て込んでいまして、これで失礼します」
「また」と可能性を残して、シロウジは去った。
ヨイチは新たな問題が浮上しない事を祈った。
「12番の方どうぞ」
ヨイチは木片に書かれている数字を再確認して席を立つ。扉を開けると、マサゴは相変わらず着座のまま指で席を促した。なかなかの貫禄である。
「今日はどういったご用件で来られたのですか」
実の所、マサゴはヨイチが金の無心に来たと思っている。無能な地方執政官による金の無心は珍しい事ではない。当然、態度は悪くなるが、ヨイチもそこら辺の機微は把握している。
「承認を頂きたい」
マサゴの眉が上がる。持っている者は「欲しい」という言葉に敏感になる。それが物質でなくとも、だ。
「なんの……ですかな」
「福祉活動をしようと思っています」
マサゴは拳を机に叩き付ける所だった。世間知らずのお坊ちゃんに政治をやらせるとすぐに非現実的な福祉活動を始める。自らの陳腐な良心を根拠に、金をばら撒いて住民に取り入ろうとするのだ。しかし彼等はそんなに甘くない。ばら撒く金が無くなった時点でそっぽを向かれるのがオチだ。
「承認など得ないで勝手にやればいいじゃないですか」
マサゴは、ヨイチが承認を求めてきた理由を「褒めて欲しい」「責任を共有して欲しい」という感情から出たものと判断した。そうであれば、勝手にやればいい。土地を混乱させた罪は死刑に相当する。
しかし、ヨイチは首を振る。
「いえ、マヤヅル以外の土地で活動をしたいので承認が必要なのです。もちろん、他の土地に迷惑をかけることはありません」
マサゴは首を傾げる。
――喰いついた。ヨイチは確信する。
「実のところ、マヤヅルは深刻な人口減少時代を向かえようとしています。結婚する男女が極端に少なく、子供の数が圧倒的に足りていません。このままでは村の存続が難しく、場合によっては彼等が難民化、最悪の場合盗賊化する可能性もあります」
「それと福祉活動がどう関係するんですか」
「孤児ですよマサゴさん」
ヨイチは指を立てる。
「近年、街にストリートチルドレンと呼ばれる孤児が多くみられるそうですね。ウツノミナでは殆ど見ないようですが、他市ではそれなりに社会問題化していると聞いています。我々としては、彼等が道を踏み外す前に保護し、食事と教育を与え、以後マヤヅルの住民として残ってもらおうと考えています。もちろん、マヤヅルの人口自体が少ないですから保護できる人数は限られます。むしろ、里親を探すような感覚でいてもらえると良いのかなと……」
「それって……誘か――」
「福祉活動です」
「しかし、どう見て――」
「里親探しです」
「……」
「……」
「分かりました。百歩譲ってそれを福祉活動としましょう。しかし、その誘拐――じゃなかった、勧誘ですかね?それを行っている所を一般住民に見られたら誤解が発生するでしょう。県が率先して人身売買に参加している思われたらトクカワ王国の介入があるかもしれません。危険性が高すぎます」
「もちろん、その可能性はあります。そこで提案させていただくのが、腕章の作成です。制服まで作成する予算はありませんが、腕章くらいならマヤヅルで作る事ができます。腕章には『戦争孤児の保護運動』と銘を打って、白昼堂々と実施すれば余計な噂は立たないでしょう」
「……」
マサゴは首をひねる。
「もちろん、強引に連れて行くことはありません。あくまで説得に応じた子供という事になります」
「しかし、聖導師による魔術の契約は行うのでしょう?」
流石に鋭い。正直な所、そこが問題でもあった。
これまでコトハマの住民は後継人との間に魔術を媒介とした契約を行ってきた。コトハマ側からしてみれば育て上げるまでに十年単位の年月を要するのに、途中で放棄されたら堪らないという実情があるからなのだが、それは言ってみれば隷属契約に近い。
更に、その契約はコトハマの魔女が行っているのだ。魔女による魔法が発覚した時はそれこそ教会主導の下、軍隊が投入されることも考えられる。
「マヤヅルに教会はありませんよ」
ヨイチはしれっと言ってみせる。嘘はついていない。
「まあ、どこか別の場所で契約を結ぶ事も考えられますから制限をかけて置く必要はあるでしょうね」
「制限?禁止でしょう」
「いやいや、それはありえません。だって、全てを禁じたら、その子は一生魔術を伴う契約は出来なくなりますよ?今は重要な契約の殆どを魔術で補完しているんですよね」
「……」
「年齢制限でよいのでは?」
ヨイチの提案にマサゴは渋い顔をする。どうも踏ん切りがつかないらしい。「信用に足る人物だ」とヨイチは思うが、今は勝ち取らなければならない。
「それに……」
ヨイチは声を落とし、近付く。
「匿った孤児が社会生活に適合できるかどうかは分からないでしょう。場合によっては殺人衝動など致命的な欠陥を持っているかもしれません。より拘束力の高い契約を可能にすることが、犯罪の芽を事前に摘むことに繋がるとは思いませんか」
「それをマヤヅルが独断で行うと?」
「いや、それは良くありません。効率的であっても倫理的な根拠が脆い。一番良いのは年齢制限をかけて置いて――そうですね、成人になる十五歳がいいでしょう――後は個人間の自由契約に任せるんです。どうしても反社会的行動を取る子がいたら、報告書とともにトチリアの司法局に訴える形にする。そうすれば行政が独断で市民をコントロールしている印象は無くなります」
「なるほど……」
「孤児は衣食住に困らなくなる。各市としても犯罪の温床になっているストリートチルドレンを減らす事ができる。そして、彼等を預かるマヤヅルも人口の補てんになる」
「お互いの為になると?」
「まだ机上の空論です。実際の所はあまり孤児問題の解決にはならないでしょう。しかし、トチリアとしては孤児問題に対応している『体』をトクカワ王国に見せることができます……」
「……」
「元手のかからない福祉活動は道端に落ちている金と同じです。気付いた者が恩恵を受けることができる――」
ヨイチの説得はしばらく続いた……。
「ふうぅ」
ヨイチは公館から出ると、大きなため息をつく。比較的すんなりと話は通ったが、やはり政治的な交渉は精神的負担が大きい。こういった場を楽しむには才能が必要なのだと思った。
借馬を引きながらヨイチは坂を下り始める。
これから尻の痛みに耐えつつサカワまで戻らなければならないと思うと憂鬱になるが、今から出れば夜中には着くだろう。宿で仮眠をとって、早朝に出れば翌朝には戻れるかもしれない。
ヨイチは皮算用に頭を割きながら進む。すると、前方に丸い人影が見えた。
「ヨイチ様!お待ちしておりましたぞ」
シロウジの声が響くように通る。
豪商たちの邸宅が立ち並ぶ中、ひと際大きい門柱の前で、人懐っこいウツノミナきっての豪商が手を振っていた。
そうか――。
ヨイチはここが彼の自宅だったと思い出す。何やら面倒臭そうな気配が漂って来ていた……。




