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飛地物語  作者: 白くじら
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思い付きと作戦

 街道は警戒されている恐れがあった。

 馬だと背中を射られる恐れがあった。

 そもそも馬はいなくなっていた。

 コトハマに護衛を頼む訳にはいかなかった。

 早々に許可を勝ち取る必要があった。

 ――条件から考えれば何も間違っていない。今、この時点で思い返してみても正しい選択をしたと思える。しかし、状況はどう見ても悪い。

「良くない。良くないぞミツリ」

 この場にいない男の名を出しても、もちろん状況は改善しない。


 運が悪かったのだ。

 道なき道を進む者同士が出会う事など、そうあるわけじゃあない。しかし、起きてしまった現実に確率論を投げかけるのは無意味だ。獲物の猪を追いかけて盗賊が崖から飛び降りて来ることを、真面目に計算する馬鹿はいない。

 とにかく、結果だけで話をするとヨイチは窪地の底でお調子者の盗賊と鉢合わせた。あり得ない偶然に一番驚いたのは当人同士だ。

 目が合い時間が停止する。

 お互い思考が追いつかない。

 それでも、一瞬早く意識を戻したヨイチは、盗賊を突き飛ばす事が出来た。走り去る背中で複数人の怒号を聞くが、知った事ではない。地の利が盗賊側にある以上、包囲網が完成される前にできるだけ遠くに移動する必要があった。

 しかし失敗した。

 森の中の移動速度でいえば大差がないはずだった。それが、こうも回り込まれてしまったのは、地形を利用して追い込まれたのだろう。


「3人……もっといるか……」

 ヨイチは木々の隙間から包囲を狭めつつある盗賊連中を数える。下草が少なく見通しが良いのだが、薄暗く、木の陰から陰へ移動する姿を追いきれない。先ほどまでは矢を放ってきてもいたが、今は方針を転換して距離を詰めてきている。こちらの得物が弓である事はばれているので、セオリー通りと言う事になるのだろう。

「一丁前に頭なんぞ使いやがって」

 ヨイチは毒づきながら背嚢に手を突っ込むが、近接武器は何もない。役に立ちそうなのは鉈ぐらいだが、打ち合いになったら金属部分が飛んでしまうだろう。

 地の利、武器、人数……全てがヨイチの未来を否定している。それでも、動かなければ緩やかな状況の悪化からは脱せない。急激に悪化する恐れはあっても、ここは動かなければならないのだ。

 ヨイチは意を決してスルスルと木から木へ影を移す。大した作戦があるわけじゃあなく「動けば相手も動くだろう」程度の考えしかない。ほころびは角度を変えなくては見つからないものだ。

 立ち並ぶ真っ直ぐな針葉樹の所為で、太い格子越しに外を見ている様な感覚に陥るが、立体的に動く事で相手の位置関係が徐々に頭に入って来る。ヨイチはあえてその方向や速度を、言語情報に変換せずに頭に入れた。そうすることで、脳を広くまんべんなく使用できると信じているからだ。

 距離が徐々に近くはなるが、ヨイチが執拗に移動を繰り返すことによって、包囲網は歪に変化する。ヨイチは自らに我慢を強いた。必要な程度の「ほころび」が生まれる瞬間を、安全な距離を犠牲にして待つ……。

 そしてそれは来た。

 ヨイチは全力で走り出す。

 包囲網が一方向に偏った瞬間だ。

 これだけ木々が密集していると、それが互いの防御柵になり矢は脅威になりえない――盗賊たちは一様に得物を刃物に持ち替えていた。しかし、ヨイチは矢をつがえたまま走る。

 追う盗賊たちは一瞬早く飛び出したヨイチを逃すまいと、つい最短距離を走る。

 そこに直線が生まれる。

 ヨイチはぐるりと向きを変え、捉えた一人の盗賊に向かって矢を放つ。飛び道具として相応しくない質量を持つソレは、あり得ない速度で目的に向かう。小さな枝などものともせず、盗賊は後方にぶっ飛んだ。

 捕食者が逆転した事へのパニックによって、緊張感が急激に空間を支配する。しかも数的有利は瞬発力を犠牲にしなければならない。盗賊たちは互いに声を掛け合い、再度展開を始める。

 その隙にヨイチは「最初」の犠牲になった盗賊に向かって走り出す。すり抜けざまに矢を引き抜き、再び弓につがえた。

 もう一人――。

 ヨイチの矢は違う盗賊に向かう。しかし、今度は当たらない。距離は近かったものの、流石に分厚い木を貫通はしなかった。ただ、木を通して伝わる振動が矢の凶暴さを伝える。

 とっさに木の陰に隠れた盗賊は、その威力を見て毒と同じ種類の武器――すなわち「絶対に当たってはいけない武器」と認識する。手足がはみ出ないように気を使いながら、低く、恐る恐る、矢が飛んできた方向を窺う……しかし、そこには誰もいない。

「しまっ――」

 振り返る男の首にヨイチの腕が周る。

 矢は目くらましだった――。盗賊は「気を付けろ、素人じゃあねえぞ」と仲間に伝えたかったが、完全に首を捉えた腕がそれを許さない。脳への血流が遮断され、男は完全に意識を手放した。

「起きるんじゃあないぞ……」

 ヨイチは男が持っていた短剣と小型の弓を奪い取った。周囲からは「そっちに周れ」「逃がすな」「間をもっととれ」などといった声が響く。反響しているので正確な位置はつかめないが、取り敢えず奪った弓矢で闇雲に狙う。当てるつもりの無い矢だが、木に突き刺さるたびに隠れている者達の反応が伝わって来る。

「……次は……」

 ヨイチの目は次の標的を探す。

 すると、良さそうな獲物が間抜け面を晒していた。自分の隠れている木に矢が刺さったのにも関わらず、位置も変えずにその矢をしげしげと眺めている男だ――。


 目は圧倒的に敵の方が多い。

 遮蔽物が多いとはいえ、下草が少なく視界が通る場所を進むにはそれなりの覚悟がいる。「よし」と口の中で勢いをつけて、ヨイチは生死を賭けた「だるまさんがころんだ」にジワリと挑む。間抜けな盗賊に気付かれずに接近できば勝ち。負ければ対象は逃走、包囲網は危険に縮まるだろう。

 木の間から見え隠れする影は、どれも積極的には動いていない様に見える。数で勝っている時は不用意な行動を避け、シンプルな構図に持っていくのが基本だから、盗賊たちの行動は間違っていない。

「意外と保守的だな……」

 ヨイチは思いながら目標に近付く。

 少人数で包囲しているため、一人一人の距離は離れている。それでも、この状況で他の連中に見つからないまま移動する事は難しい。離れた所から叫び声がする。

「ヤマジ、そっちに向かってるぞ!」

 ヨイチはとっさに隠れる。まだ、距離が遠い。

「後ろ、すぐそこだぞ、馬鹿野郎!」

 焦るな……焦るな……とヨイチは自らに言い聞かす。口で位置を正確に示すのは難しいはずだ。

「今行くから、動くな!」

 視線の隅で影が動く。ヨイチはすかさず小さい方の弓矢で素早くそちらを射るが、もちろん、当たることなど期待していない。足を止める事ができればそれでいい。

 ヨイチの口元が思わず緩む。「動くな――」は良かった。あの指示のおかげで目標は未だ目印(派手な矢羽の矢)の刺さった木に隠れたままだ。

 すり減った神経のおかげで、ようやく「だるまさんがころんだ」が終わる。

 しかし、肝心なのはタッチの瞬間だ。ヨイチは力強く、迷いなく叫ぶ。

「よし、いいぞ!」

 何の事だかさっぱり分からないが、それは相手も同じである。分からなければ確認するしかない。確認するには先程のとおり顔を出すしかない……。

 男が顔を出す。

 そこをヨイチの掌底が襲った。

 顎をカチ上げる一撃により、男は膝を付く。すかさず回り込んだヨイチは、首に回した腕で先程と同じ作業を繰り返した。倒れこむ男をその場に残し、ヨイチはまた、スルスルと移動を始める。


 少しづつ削られていく仲間の姿を見て、異様な空気が漂い始めている。

「ヤマジがやられた」

「散会するな、一人づつやられるぞ!」

「背中合わせになるんだ、周りを警戒しろ!」

「何処にいやがる、出てこいオラァ!」

「弓は持つな、狙われるぞ!」

「ぶっ殺してやる」

 叫び声と共に盗賊達は、木々の陰からワラワラと這い出て来ると、背中合わせになって周囲を警戒し始めた。人数は三人。それぞれが歪な剣や、小型の斧を手に持ち、弓は背中にかけている。

「出てこいクソ野郎!」

 薄暗い森に向かって叫んでも、もちろん変化はない。野生動物が草を揺する度にビクと体を痙攣させるほど緊張が高まっているが、肝心のヨイチは現れないまま時間が過ぎる。

 何も起きない時間――。

 張り詰めた緊張が切れそうになるのを、盗賊達は必死で堪えている。彼等は感覚を最大限まで過敏にさせて、周囲の音を聞いていた。それこそ、風が木々を揺らす音さえも煩わしいと感じるほどにだ。しかし、そんな状態が長く続けられる訳もなく、今は徐々に感覚が鈍くなりつつある。おそらく、10分にも満たない時間なのだろうが、戦闘において「間」は独特の「痺れ」を生んでしまう事がある。

 そこへ、微かな風切り音が響く。

 ストンと何かに収まるような音……。続けざまに3回……。

「?」

 三人のうちの一人が自らの足に違和感を覚えた。見ると、太ももから細く伸びる矢が見える。派手な矢羽には見覚えがあった。

「なんだこれぇぇあぁぁ」

 言葉にならない声がこだまする。ジワリと滲むように痛みが表れると、同時に熱が広がる。辺りを見回しても姿は見えず、両隣には同じく足を抑え苦悶する男の仲間がいた。

「ぶっ殺してやる!」

「痛ぇえええ」

「あああぁぁぁ」

 木々の間を叫び声が抜ける――。


 ヨイチはそれを少し離れた所で見ていた。正直、ここまで上手くいくとは思っていなかったが、取り敢えずの危機を脱した事でほっと息を入れる。

「完璧だったな」

 自画自賛である――。

 気絶させた盗賊から奪った弓矢で、威嚇と試射を行い、弱そうな男を炙り出すと同時に弓矢の癖を掴んで照準を合わせた。

 次々と倒れる仲間達にパニックを起こしているところへ、情報操作を行ったのも成功した。「背中合わせになるんだ」「弓は持つな、狙われるぞ」の声は、どさくさに紛れてヨイチが叫んだ。

 後は、身を守る遮蔽物からノコノコ出てきた盗賊達を、照準を合わせた弓矢で追跡不能にすれば良い。

「戻ったらミツリに……」

 ヨイチはミツリにこの功績を聞かせようと思ったのだが、すぐに思い直した。おそらく話を大きくしたと疑うだろうし、第一、あの堅物が喧嘩を称賛するとは思わなかった。

 溜息を一つ――。

 サカワにはまだ距離がある。


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