思っていた
空が高い――。
穏やかな秋晴れの午後、ミツリとユギリはミツシ村の畑の一角で麦の調査をしていた。ユギリが丹念に立ち枯れや萎縮が起きている穂を一本づつ調べ、ミツリがそれを記録していく。他にもコトハマから数名がユギリの補助(おそらく警護もかねて)として参加し、土や葉を採集している。
ヨイチの姿は無い。
「これは思ったより深刻ですね……」
「やはり連作の所為でしょうか」
ミツリの問いにユギリは首を振る。
「おそらく……。ここ数年、収穫量が落ちてきている所為で二毛作をやり始めたのが追い打ちになっているのかもしれません……」
絶妙なバランスで成り立っているマヤヅル半島の経済において、収穫量の確保は非情に重要になってくる。畑へのダメージに目をつぶっても二毛作を選択する気持ちは分からなくもない。
「改善するには?」
「一番良いのは休耕する事です。その間にできるだけ土に足りなくなった栄養素を加えてあげれば、春にはタネを蒔けるでしょう」
「しかし休耕となると……」
「そうですね、政治的判断が必要になると思います」
ミツリは腕組んで「う~ん」と唸る。なかなかに状況は深刻だ。
「あの方のお戻りはどれくらいになりそうなんですか」
ヨイチの事である。
正直分からない――。
「そうですね……少しかかるとは言っていましたが……」
濁すミツリの言葉尻にユギリはピクリと眉を動かした。
「危ない事をなさっていなければ良いんですが」
冷ややかな声色にミツリは慌てて返す。
「いや、ヨイチ様は普段はあんな感じですけど、魔獣が闊歩する緑大陸で多くの経験を積んだ特殊部隊の長ですから、辺境とはいえ白大陸では万が一もあり得ませんよ」
「まあ、そうなんでしょうが……」
至極まっとうな答えに、ユギリが口元を押さえる。踏み込み過ぎたと感じたのだろう。そのいじらしい姿を見て、ミツリに小さな悪戯心が芽生える。
「ただ、その経験も偏っているみたいですが」
「どういう事でしょう?」
「どうやら向こうでも女性に関する話はまったく無かったようなんです。当然、キビ家では女遊びなどもっての外でしたし、私の見立てでは、ありゃあ女性経験は皆無ですよ」
ミツリは上司がいるだろう山裾を眺めながらニヤリと口角を上げる。彼にしてみれば、振り回され続けたここ数週間に対するささやかな復讐も兼ねているのだろう。悪意ある暴露にユギリが盛大に噴き出す。
「確かに、女性に対する対応がメチャメチャですものね」
「まあ、それは部下に対してもですが……」
「でもミツリさんといると本当に楽しそうにしていらっしゃいますわ」
「変な人ですよ。傲慢だが話を聞かない人ではないですし、粗野ですが知性があります。手にしているのは凶器ですが、どうも軍人らしくない……」
「支え甲斐がありそうですね、ご苦労しそう」
「まったく――」
ミツリは、二人の心配をよそに、鼻歌交じりで森の中を進むヨイチを思い浮かべた――。
一方――である。
「なんでこんなことに!」
ヨイチは全速力で傾斜を転がっていた。耳元を矢の唸りが何筋も通る。
「うおっあぶねえ!」
転がった拍子に口へ飛び込む土を吐き出しながら、ヨイチは過去の自分を呪った。
その過去――である。
ヨイチがマンジと会った日の夜だ。
ヨイチとミツリは恒例の夜間会議を始めていた。開始の合図は夕食のアルコール(ミツリはもちろん飲まないが……)で、終了はどちらかが睡魔に引きずられた時点である。
「やはり、コトハマの人口維持は誘拐でしたか」
今回の議題は、コトハマが村単位で誘拐という重大な犯罪を行っていた件についてだ。取り敢えず早急な対策が必要だという事までは合意が出来ている。
「まあ、駆け込み寺っていうだけでは人口バランスが明らかにおかしかったからな。何か裏はあるんだろうとは思ってたが……」
「裏って何ですか」
「言いたくないが、売春行為が未だ行われている可能性だよ。若しくは、コトハマが人間の生産を行っている可能性もあった」
「マヤヅル全体の人口バランスを、コトハマの女性が金銭を引き換えに行っていた可能性があると?」
ヨイチの発想の下種さに、思わずミツリは頭を抱える。
「可能性の問題だ。我々は男だから彼女たちの思考を読むことは難しい。個人的な繋がりがあれば想像する事もできるんだろうが、残念だがそれもない。邪推も仕方がないだろう」
「エチュウさんやユギリさんは個人的な繋がりでは?」
「我々が公人だからああいう態度なんだろう。私人だったらとっくに転がされて、執政官から荷物持ちAとBに格下げだぞ」
確かにその可能性は多分にあった。それだけ、一般男性にとってコトハマの壁は高く厚い。だからこそ、「人間の生産」などという非人道的な単語がヨイチから出たのだろう。
何度か出入りしているミツリですらその壁を感じる。何かを隠そうとしているのか、それとも徹底した防備の結果なのか……。
「ずっと聞きたかったんですが、彼女たちは魔女なんですか」
「……言わない」
「……」
言わないという選択が答えの様なものだが、その頑なな姿勢にミツリは苛立ちを覚える。ヨイチもそれを感じて、言葉を繋ぐ。
「……とにかくだ、このままだと――」
「トチリアから公安部隊が来ます」
「いや違う。この事が表沙汰になってもトチリアからは来ないだろう。来るとしたらトクカワ王国そのものか、もしくは金の香りを嗅いだゴロツキどもか」
「どういう事ですか」
「実態はまだはっきりとはしないが、コトハマは逃げ出した遊女を匿うか、孤児から質の良さそうなのを攫ってきているんだろう。そうして自分の後継人にするんだ。ただ、それだけだったらトチリア県としては痛くもかゆくもない。わざわざ兵を出す必要もないんだ」
「そんな事はないでしょう。誘拐なんですよ?」
「お前は本当に原則論にこだわるな。確かに、犯罪として誘拐は厳罰に処される。だけど、今回に限り『誘拐』っていう犯罪は成立しないんだ」
「被害者がいないからですか……だからといって、小さい子供を甘い言葉で――」
「甘くなかったとしたら?判断を促していたら?マンジさんにも言ったが、これは福祉活動ともとれる。どんなに安定していたといっても、父の時代から孤児は存在していたんだ。教会の厳しい査定から漏れた子供達の平均寿命は十二歳と言った学者もいる。甘い言葉で誘おうが、強引に連れ去ろうが、一概に責められるものでもない」
「法律には違反しているでしょう!」
「法律は社会の規範だ。もちろん、そこらの子どもを連れ去っちゃあいかん――。でも、法律は知っての通り皆が幸せになるためのものだ。誰かが幸せになろうとしているのを止めることはできないし、止める力もない。法律の力は皆が納得するから生まれるんだよ」
「……まあ、納得はしませんが、そこは今度しっかり話しましょう。確かに、現状を考えるとトチリア県が動くとは私も思いませんよ。しかし、トクカワ王国ってのは分かりませんね。何故、そこに行くんですか」
「娼館からの上納金だよ」
ミツリの頭の中でバラバラに収納されていた情報がピタリとはまる。
確かに、娼館を治安維持目的で一括管理しているのはトクカワ王国である。そして、そこから治められる上納金は王国の重要な財源の一つだ。もちろん、出所が出所だけに反社会的勢力との繋がりを生みやすい。
「なるほど、まだまだ稼げる若い遊女を匿い、遊郭のバランスを壊したとなると奴らが動く可能性もあり得ますね」
「今の王国中枢にいる連中が考えそうだろう?」
「ええ……しかし、王国自ら動くでしょうか。コトハマの人口から考えれば、年に数人を補充できれば十分な人口の確保ができそうですよ。軍を動かすには些末な理由に聞こえませんか?」
「そうだな。そうすると、やっぱりどっかのゴロツキどもにあぶく銭を渡して襲わせるか、自警団(遊郭の持つ武力集団)の行動を黙認するかって感じになるかもな」
「どうしましょうか」
「返り討ちには出来ると思う。しかし、目立つのは良くない。王国が本腰を入れる前にトチリア県に圧力をかけたら兄に面目が立たないぞ」
「隠し通すしかありませんね。徹底して……」
「それ……本気で言ってないよな」
隠し事というのは、期限(|時効)があって初めて成立する。無期限の秘密など出来る訳がない。
「それ以外に何があるんって言うんですか」
そう言われるとヨイチも詰まってしまう。
「……ないかも……」
「でしょう……」
酔いも良い調子で回って来た。ヨイチはミツリお手製の簡易ベッドに倒れこむ。
「……」
「……」
沈黙が徐々に空間を支配し始めている。そろそろ睡魔の手が伸びてこようとしていた。
「――よし!」
突然、ヨイチの声が響く。一瞬、寝言かと思うタイミングだ。
「どうしたんですか」
不機嫌そうにミツリが声を出す。
「これを奉仕活動に切り替えちまおう」
「……どういうことですか」
ヨイチが起き上がる。
「コトハマがやってきた事を大々的に広めてしまうんだよ。そうだな、『戦争孤児の保護運動』なんてどうだ?ほら、誘拐という入口じゃなくて保護者の斡旋という形にすれば、公的機関がバックアップしていると言っても問題ないだろう。いや、違うな、公的機関が率先して実施しているって形にすれば良いんだ。そうすれば法律なんて怖くない」
「ちょっと待ってください、もし、それを実行するとしたら方々と調整が必要ですよ?それも、マヤヅルだけじゃあなくて、トチリアのマサゴ(現トチリア県領主の代官)さんの許可も必要になるでしょう」
「そうなるかもしれない。どちらにしろ中途半端に各村長に話をしたら告げ口したと思われて、それこそ我々が消される可能性が高い。全ての準備が整った段階でマヤヅル側には伝えよう」
作戦としては悪くない。大義名分もある。ただ、同時進行的に物事を進める必要があるだろう。交渉もすんなりとは行かなそうだ。
ため息が出る。
「まずはどこから手を付けますか?」
「マサゴさんの許可だろうな。『人口の急激な減少を食い止めるために、街で徘徊する戦争孤児を保護して後継人とすることにより、治安維持と社会システムの継承を図る…』って方針でどうだ」
「ええ、良いですよ。でも、それだと遊郭から脱走してきた女性を保護できなくなりそうですが」
「大丈夫。戦争孤児がお金を稼ぐために遊女になったっていう裏設定を付けちまえば問題ない」
「……本当に犯罪じみてきましたけど」
「何を言ってるんだ。政治なんて私人がやれば殆どが犯罪行為だろう?『恐喝』『いやがらせ』『大量殺人』『詐欺』全てが政治の本質だ」
ヨイチは口元だけで笑ってみせる。
「しかし、馬がいなくなってしまった状況で、どうやってトチリアまで戻りますか」
「どうせ俺一人で行くのなら安全面も考えて森を通る。街道はいかないよ」
「正気ですか!?魔獣も盗賊もいるのに?またユギリさんに怒られますよ」
「街道を馬で進む百倍は安全だ。朝早く出て、木々の隙間を縫って進めば見つからないさ。ユギリさんには上手く言っておいてくれ」
ヨイチは自信たっぷりに愛弓を撫でた。
危険極まりないジャングルを共にかいくぐって来た戦友である。こいつがいる限り命に迫る危険はないと正直思っていた。
思っていた――。
今は思っていない。
小ぶりの矢が木々の隙間を縫って傍に突き刺さる。
展開しつつ距離を詰める盗賊の連中によって、ヨイチは徐々に追い詰められている。思ったよりも統制のとれた動きに、思わず舌打ちが出る。
「税金も払っていないくせに調子に乗りやがって……」
ヨイチは弓に手をかけた。
迎撃するつもりはない。ただ一点、脱出ルートさえ確保できればいいのだが、敵は上手く散開している。
「せっかく戦地から戻って来たってのに、こんなんばっかだよ!」
まだサカワには大分距離がある。
※ サカワ=マヤヅル街道の玄関口にある村




